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解剖学史

NHKのBS4Kで放映が始まる『薔薇の名前』ドラマ版。少し前にCSで放映されていたのを全話観たが、語り手のアドソが映画版などよりもたくましい感じに描かれているのが印象的だった。舞台は14世紀。最初のほうで遺体の解剖話が出てくる。聖職者たちがそれなりに解剖を忌み嫌っている姿が少しだけ描かれていた。人体の解剖は禁忌と野心とに引き裂かれてきたかのようだ。ガレノスの記述などを見ていると、おそらくは現実の解剖的見地にもとづいていることを思わせる箇所が散見される。先のアリストテレスの動物誌も、動物の解剖にもとづいている部分の比重は高く、そんなわけで解剖の歴史というのも押さえておく必要を感じさせる。

そんなわけで、積読から、小池寿子『内臓の発見(筑摩選書)』(筑摩書房、2011)を引っ張り出してみているところ。ガレノスが扱っている腎臓関係の話は残念ながら見当たらないようだけれども、解剖史と図像をめぐる様々な考察が入っていて興味は尽きない。章別に人体の特定部位をテーマとしているが、取り上げられる解剖学史上の人物などは、徐々に時代を遡っていく感じの配置にもなっているかに見える。注目される人物としては、たとえば16世紀のヴェサリウス(ガレノスの医学を学び、パドヴァ大学の解剖医となった近代医学の祖)がいるし、さらにその先駆者として14世紀のモンディーノ・デ・ルッツィ(中世唯一の解剖手引き書『アナトミア』の著者)や、同じく14世紀のアンリ・ド・モンドヴィル(エコルシェと呼ばれる解剖人体図を取り入れた『外科学』の著者)などもいる。

本来、死体に対する不浄感から、死体の解剖を執刀するのは身分の低い者に限られているのが古代からのやり方だったといい、モンディーノの『アナトミア』でもそのように書かれているという(p.135)が、著者は実際には医師や医学生も実習のために執刀を経験していたのではないかと述べている。ガレノスが手厳しく批判するエラシストラトスも、最後のほうに登場している。エラシストラトスが活躍したヘレニズム期のアレクサンドリアではエジプト以来の解剖を継いで、人体の究明が進められていたといい(p,225)、師匠のヘロフィロスとともにエラシストラトスは解剖の学校を設立し、生体解剖を進めていったとも伝えられる(英語版Wikipedia)。けれども同書では「体液病理説に異を唱え、瀉血せずに食事療法や沐浴、緩やかな作用がある薬の服用などの治療をとった」(p.225)人物とされている。なるほど、まるで化学治療の始祖のような人物ではないか(!)。この微妙にニュアンスの異なる、人物像上の齟齬も気になるところではある。

ガレノス再び――自然の力能

このところ久々にガレノスものから、『自然の力能について』の第1巻(底本はLoeb版:On the Natural Faculties (Loeb Classical Library), A. J. Brock, Harvard Univ. Press, 1916-2006)を見ていた。というわけでメモ。ガレノスの主著の1つとされるもので、発生・成長・栄養摂取など、植物的(動物も共有する)生命現象とされるもののメカニズムを考察している。第1巻は冒頭からガレノスの基本スタンスが示されていて、それによるとガレノスは、動物は魂と自然本性とによって同時に統治されているものの、植物は自然本性のみによって統治されていると見、動物的特徴をなす発生・成長・栄養摂取を自然本性のみの作用であるとしている。アリストテレス的な植物的魂についての論をある意味否定するかのような物言いになっているところなど、なかなか面白いが、ガレノスの本領はなんといっても観察にもとづく精緻な分析にあり、それゆえにか、他の学派が弄する虚言についてはかなり辛辣かつ執拗に攻撃を加えてもいる。それが第1巻の後半。

後半で主に批判の対象となるのはアスクレピアデスの一派とエラシストラトスの一派。一例として腎臓と尿の関係、つまり尿がいかに尿管を通じて集められるのかについての理論をめぐり、両学派の虚言ぶりを辛辣に批判している。アスクレピアデス派は尿の分泌を気化の作用に帰しているといい、またエラシストラトス派は「自然が虚空を忌み嫌う」という原理を持ち出すのみで、きちんとした説明をしていないという。アスクレピアデスはひたすら虚言を弄し、エラシストラトスは肝心なところを見ずに沈黙してしまう、というわけだ。ガレノスは腎臓こそが尿を濾しているのだということを示し、観察こそが重要だということを改めて指摘する。

ガレノスのディスクラシア論

Method of Medicine, Volume II: Books 5-9 (Loeb Classical Library)今週は多少連休向け読書もしているものの、個人的には通常通りの読みものも読み進めないと気分が悪い(笑)。そんなわけでとりあえず、ガレノスの『治療法論』から第7巻を見ているところ(まだ半分程度)。底本はLoeb版(Method of Medicine, Volume II: Books 5-9 (Loeb Classical Library), ed. I. Johnston & G. H. R. Horsley, Harvard Univ. Press, 2011)。この第7巻というのは、それまでの個別的な理論からいったんまとめにシフトような体裁になっていて、経験論者、方法論者、教条論者といった当時の各派を批判しつつ、ヒポクラテスへの原点回帰を持ち出して、いわゆる理論としてのディスクラシア(異混和)について語っている。すなわち温冷乾湿の4態のアンバランスから疾病が生じるという理論。アリストテレスにも見られるそうした理論を、ガレノスはここで現実に即したかたちで割と丁寧に取り上げていて、バランスを取り戻すための方策についても論じている。たとえば温冷よりも乾湿の不均衡が対応が難しいとし、温浴やミルクの摂取などを勧めていたりする。ガレノスの理論志向がよくわかる一章という感じだ。

ヒポクラテスの環境要因説など

Hippocrates' on Airs, Waters, and Places and the Hippocratic Oath: An Intermediate Greek Reader: Greek Text with Running Vocabulary and Commentary前に紹介したヒポクラテスの『空気、水、場所について』は、少し前に一通り読了(Hippocrates’ on Airs, Waters, and Places and the Hippocratic Oath)。そこではまさしく環境が人体に影響を与え、健康・不健康の原因となるばかりか、民族の諸特徴までも作り上げるという仮設が雄弁に語られている。たとえばヨーロッパ人とアジア人(小アジア)の違い(16節)。アジアに住む人々は好戦的ではなく、剛健さもなくて穏やかだが、それは季節の変化の差が大きくなく、寒暖がゆるやかで、心的に乱されることが少なく身体的にも変化への対応が小さくてすむからだ、みたいなことが記されている。そういう季節的な激しい変化に晒されるほど、ワイルドな心性や勇壮さが培われる、とされている。またそうした気質の差は、統治形態の差をももたらす、とも。アジアの人々は法による統治、王政の一極支配が適するとされ、戦闘的な民はむしろ自治に適している云々。また、そうした環境要因説に即して語られるスキタイ人についての記述も面白い(17節〜22節)。遊牧民である一部のスキタイ人は、季節が激しく変化しない環境の場合、全体として肉付きがよくなり、瑞々しくなり、下ぶくれのようにもなる。ゆえに武器の使用には向かず、男たちはときに馬にも乗れないほどにもなる云々。さらに彼らが黄褐色なのは寒さのせいだともされる。また肉付きがよくて水分を多く含み、身体が柔らかく冷たいがために、性行動も活発ではなく子だくさんにはならず、また馬上生活は股関節に影響を与え関節炎をもたらしたりもし、そうした各種の要因が相まって生殖力の低下をもたらしている云々。このように全体的に環境要因説がこれでもかという具合に前面に出てくる。これはとても興味深いところだ。

Hippocrate: Pronostic (Collection Des Universites De France Serie Grecque)続いて今度は、ヒポクラテスの『診断』(προγωστικόν)を希仏対訳の校注本(Hippocrate: Pronostic (Collection des universités de France Serie grecque), trad. Jacques Jouanna, Les Belles Lettres, 2013)で読み始めている。こちらはより実利的な診断のポイントを、おそらくは医学生向けに列挙したもの。目視が重要とされ、とくに徴候から病が軽微なのか重篤なのか判断することに重点が置かれている。どのような症状が生死を分けるのかというのが、重大な関心事になっていることがわかる。死ぬか生きるかの判断は、当時の切実な問題だったのだろうと伺い知れる。まだ前半だけだが、取り上げられるテーマは章ごとに、顔色、褥瘡、手足の動き、息、汗、肋下部、水腫、局部の温度、眠り、排泄物、尿、吐瀉物などなど。同書についても、できれば後でまとめてメモしよう。

ヒポクラテスにも!

Hippocrates' on Airs, Waters, and Places and the Hippocratic Oath: An Intermediate Greek Reader: Greek Text with Running Vocabulary and Commentary今年から少し長いスパンで、ヒポクラテス(ヒポクラテス集成)なども読んでいこうかと思っている。さしあたり、わりと一般向けではないかと思われる『空気・水・場所について』(Περι Ἀέρων, ῾Υδάτων, Τόπων)から。これをギリシア語中級用リーダー(Hippocrates’ on Airs, Waters, and Places and the Hippocratic Oath: An Intermediate Greek Reader: Greek Text with Running Vocabulary and Commentary, Evan Hayes and Stephen Nimis, 2013)で読み始めているところ。いきなり校注本でも全然よいのだけれど、まずは必要なボキャブラリーなどを確認したいと考えてこのリーダー本にした。これはなかなかよく出来ている一冊。以前、ここでも取り上げたガレノスのリーダー本と同じシリーズの一冊で、対訳こそないものの、文法のほかに文化背景や思想内容などの解説もちりばめた、結構お得なシリーズ。テキストを読むために必要な情報はすべてテキストと同一ページにあるという、辞書要らずなテキストだ。ヒポクラテスの希語は、基本的にはアッティカ方言ながらイオニア方言の要素を数多く残している。でも冒頭の解説でも触れられているように、これが短縮されていないレギュラーな変化形のように思えて案外読みやすい。また文体的にも、個人的にはガレノスのどこか凝った(?)ものなどよりも取っつきやすい印象。ここでのヒポクラテスは、表題のテーマである空気(風、季節風など)、水(水質など)、場所(地理的条件)などが健康にどう影響するかという観点から議論を進めている。風土病のようなものが念頭にあることは確かだろう。前4世紀ごろの自然学の広がりの一端がここから伺い知れそうだ。