三日以上経ってしまったけれど、野暮は承知でやっぱり記しておこうと思うのが、23日に観た北とぴあでの公演『音楽付きコメディ−−病は気から』。もとはモリエールの原作にマルカントワーヌ・シャルパンティエが音楽を付けたもの。今回はこれを音楽をクローズアップする形での上演。演奏は寺神戸亮率いるレ・ボレアード。いつもながらの見事な演奏だった。このところモーツァルトとかハイドンとかが多かったような気がするので、今回バロックに戻ってきたのがこれまた嬉しい(笑)。開幕前、ステージに楽団を乗せる配置なのでてっきり演奏会形式かと思いきや、合唱団が登るようなひな壇ができていて、ここを使って演劇部分が上演されるという趣向。で、この演劇部分も、声楽家たちとプロの役者とが巧い具合に融合して全体の喜劇を盛り上げていく。素晴らしいのは、それぞれ独立している幕間劇までもが実に生き生きと描き出されていること。主筋とはまったく関係のない冒頭の田園詩(églogueという)−−もとはニンフたちがひたすら国王ルイ14世を讃えるという、ある意味退屈でちょっと気色の悪い(失礼)部分なのだけれど−−、これも医大の受験予備校という設定にすることで微妙に緩和されていた(かな?)。楽隊そのものがステージに乗る以上、指揮者や演奏家たちも掛け合いに引きずりだされるのはお約束。寺神戸氏の遊び心をフルに引き出す演出は宮城聡。日本語とフランス語が飛び交い(阿部一徳、牧山祐大などの役者たちと、ソプラノのマチルド・エティエンヌ、テノールのエミリアーノ・ゴンザレス=トロ、バリトンのフルヴィオ・ベッティーニがからむ)、最後にはちょっと怪しげなラテン語も登場し、小ネタや見せ場たっぷりの3時間。ぜひ再演希望。テレビ放映とかも。ついでながら、レ・ボレアードでほかのモリエール作品もぜひ!
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音楽家ルソー
7月2日の命日で没後300年だというジャン=ジャック・ルソー。で、その記念イベント「音楽家ルソーふたたび−−異色作『ピグマリオン』を中心に」を見に、武蔵野市民文化会館に行ってきた。海老澤敏氏のミニ解説つき。前半はルソー作品を中心とするコンサート。ルソー作曲の声楽曲から始まったのだけれど、とくに個人的にウケたのは、ルソーがフルート・ソロ用に編曲したヴィヴァルディの『春』。これ、オケでやるときに聞こえてくる通りの音を、丹念に拾って楽譜化したという感じなのだ。旋律主義みたいな部分をある意味愚直なほどに守り通している、ということなのかもしれないが……。クラリネット二重奏もわかりやすい旋律の愛らしい小品。前半の最後は、ルソーの『村の占い師』で使われた「むすんでひらいて」の原曲にもとづく、ヨハン・バプティスト・クラーマー(1771-1858)の変奏曲をピアノ演奏で。後半はほぼ日本初演だという『ピグマリオン』。音楽と台詞・演技が交互に繰り返されるという独特の舞台劇(メロドラム)。テキストはルソーのものだというが、作曲はオラス・コワニェ (1735-1821)。なかなか優美な曲が並んでいる印象なのだけれど、台詞は日本語訳で、原語ならまた違う味わいだったろうなあと思う。それに、予想よりも少し本格的な演出すぎて(笑)、正直なところ個人的には、音楽と舞台とがどうかみ合っているのかよくわからんかったような……(苦笑)。でも、いつか原語版を見てみたい気がする。
同時に会館の一階では海老澤氏のコレクションによるルソー展をやっていた(7月10日まで)。初版本などが主だけれど、ルソーの手紙もいくつか展示されていて、その模範的な、実に読みやすい筆記体がとても印象的。そういえば生誕300年ということで、Galicaでも『告白録』の草稿を紹介している。国民議会図書館所収とか。
↓Wikipedia (en)より、『人間不平等起源論』(1755)の扉絵。
レオンハルト追悼の一日
このところ古楽関連の話はほとんど書いていないけれど、レオンハルト死去の報に、なにやら心動かされるものがあって、今日は久々に少しだけ記しておきたいと思う。この報、個人的にはツィッター上のタイムラインで知った(思想史家のパオロ・ロッシ死去の報もあったけれど、こう言ってはなんだがちょっと霞んでしまった感も……失礼)。昨年12月のパリでの公演が最後になったという。この模様はYouTubeに掲載されている。音は良くないし、合法の録画なのかどうかも怪しいが、今となっては貴重な記録ではある(http://www.youtube.com/playlist?list=PLB368EB6F012CBC7B)。それにしてもこの若々しい演奏はどうだろう。晩年にしてこの端正さ、瑞々しさ、軽快さ。思わずこちらも姿勢を正したくなるほどだ(苦笑)。思えばレオンハルトはあまりに大御所で、もっぱら録音でしか知らないものの、いつもどこか超然とした佇まいを感じさせる文字通りの巨星だった。聴衆に媚びることなどなく、たえず別の次元を向いている印象。たとえばnaxosライブラリーにある2003年録音のゴルトベルク(http://ml.naxos.jp/album/ATM-CD-1281)などを聴いても、昨今の速弾き重視の演奏に端から「否」を突きつけているかのようで、ゴルトベルクはこう弾けと曲が言っているではないか、とでも言わんばかりの演奏に思えてしまう。一音一音が実に明確、それでいて全体は時に奔流のごとく、時に透明感がいや増した大河のごとく押し寄せる、みたいな。France Musiqueの17日の放送(http://sites.radiofrance.fr/francemusique/em/concert-soir/emission.php?e_id=80000056&d_id=425005253)は追悼として1984年の演奏を流していたけれど、これを聴いてもそのスタンスはまったく変わっていないかに思える。この変わらない一貫性。そこが凄い。
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余談だが、このところ個人的に古楽との聴き手としての付き合い方が少し変化している。以前はいくらデータで安く買えるような場合でも手元にCDを持っておきたいクチだったのが、一昨年の後半くらいから、naxosライブラリやYouTubeなどのストリーム系のサービスに重点がシフトしてきた。震災以降はとくにその傾向に拍車がかかった気がする。単にケチ臭くなってきたのか、クラウド系の流行に乗っかろうとしているのか、それともモノとして手元に置いておくことにある種のはかなさ・無情を感じているのか……。消費行動の根っ子のところ、無意識のレベルでなんらかの変化が生じているのかもしれない(?)。とはいえ、たとえばオペラ上演のDVDなどはいまだに重宝してもいる。そのあたり、また少しづつ記していくのも良いかなとも思い始めているのだけれど……。
A. スカルラッティの「晩課」
昨年が生誕350年ということでメモリアルイヤーだったアレッサンドロ・スカルラッティ。で、それに合わせて世界初録音という触れ込みで登場していたのが、その『聖母マリアの夕べの祈り』(スカルラッティ、アレッサンドロ(1660-1725)/Vespro Della Beata Vergine: Van Der Kamp / Nederlands Chamber Cho)。うーむ、これもまた文句なしの名曲。なにかとても高揚感のある軽やかで美しい旋律が巧みに交差する、とても甘美な音楽世界。うーむ、ハマったな、これは。これまで録音されていないことが不思議なくらい……と思ったら、これ、まとまった形では残っておらず、収録に際してあちらこちらに点在する楽譜を集めて再構成したものなのだという。なるほど、ちょっと曲数が少ないのもそのためか。ちなみにこの録音は、詩編ベースの5曲(109: Dixit Dominius, 112: Laudate pueri Dominum, 121: Laetatus sum, 126: Nisi Dominus aedificaverit, 147: Lauda Jerusalem Dominum)と、Ave maris stella、Magnificatから成る。演奏はハリー・ヴァン・デル・カンプ指揮でオランダ室内合唱団。NAXOSライブラリーにも入っている(こちら)
ラインケン
しばらく音楽関連のコメントを休んでいたけれど、ぼちぼちと再開していこう。少し前からお気に入りになっているのが、スティルス・ファンタスティクスというグループによるヨハン・アダム・ラインケン(Johann Adam Reincken)の『音楽の園』第1巻(ラインケン、ヨハン・アダム(1623-1722)/Hortus Musicus Vol.1: Stylus Phantasticus)。リュート奏者として個人的に注目度の高いエドゥアルド・エグエスが参加している(笑)。ラインケンは17世紀末から18世紀初頭に活躍した作曲家・オルガン奏者。スウェーリンクに師事し、後にハンブルクのカタリナ教会のオルガニストを務めたのだとか。『音楽の園』(1687)は6曲のパルティータから成る曲集で、今回のvol.1とされた録音ではそのcうちの1番、2番、4番、6番を収録している。『音楽の園』の録音はほかにパーセル・クァルテットの抜粋盤とかがある(NAXOSライブラリーにある)。聴き比べたわけではないので比較はできないけれど、少なくともこのスティルス・ファンタスティクス盤(率いるのはヴィオラ・ダ・ガンバのフリーデリケ・ホイマン)は全体的に落ち着いた雰囲気で個人的には大変好印象なのだな、これが。vol.2にも期待しよう。