silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.296 2015/11/07 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ パリ大学規約をめぐる諸問題(その14) いよいよ規約の最後の部分にあたる第六章です。では早速本文の概要を見 ていきましょう。「意味の区別もしくは明示なくして、たとえばソクラテ スとプラトン、あるいは神と被造物は無である(nichil sunt)と、何人 も主張してはならない。これらの言葉は最初の印象として耳障りであり (male sonant)、またそのような命題は意味としても偽である。とい うのもnichilで表される否定は、個別の存在者にのみ及ぶのではなく、複 数の存在者に及ぶからである」。 なにやらわかりにくい感じですが、これまでの議論から推測するに、ここ で問題にされているのは、名辞が指し示す当の「事物」は「無」である、 という主張ではないかと思われます。前回見たように、ビュリダンなど は、言葉をいわば外的な事物から引きはがしてしまっていて、名辞が指す 事物は概念として内面化され、結局それ自体は「無」と見なされるように なっていたのでした。ビュリダンはさすがに名辞が指すものそのものが無 であるとは述べていません。内面的な「事物」の向こうには、外的世界で それに相当する実際の事物があるからです。ですがもしかすると、当時の 一部の論者たち(オッカム派の一部?)が、もっと過激な主張(事物は無 であるというような)をしていたのかもしれません。 さらに代示という観点からこのことを考えてみると、nichilが述語づける のは普通は個別的代示(つまり個物を指すもの)であると考えられます。 ところが問題になっている上の命題では、nichilが述語づけているのは単 純代示(つまり概念それ自体)であると考えられます。つまり、単に個別 の何かがないと言っているわけではなく、その「何か」そのものがないと いう意味に取れるということですね。つまりここでは、神という概念、被 造物という概念そのものを否定することになって、命題としては偽とな る、と。耳障りだというのも、主語と述語の不均衡(神と被造物といっ た、とりわけ自明とされているものに否定句が添えられていること)を言 い表しているように思えます。 パケの論考によると、ここで糾弾されているのはオッカムではなくオート レクールのニコラではないか、という説があるようです。ニコラは1346 年に異端の疑いをかけられていますが、その教説の中に「神と被造物は何 ものかではない(non sunt aliquid)」というのがあって、これが問題視 されていたというのです。規約のほうの文面は「nichil sunt」で、「non sunt aliquid」というのとは形が違っていますし、また「ソクラテスとプ ラトン」という例もニコラのほうには登場していませんが、そのあたりを 引いても、オートレクールのニコラが標的になっている可能性はあるので はないか、というわけですね。 で、パケはそのあたりをもっと厳密に見ていこうとします。一般に、オー トレクールのニコラは一四世紀における「懐疑主義」の代表格のように扱 われています。ニコラは第一原理としての無矛盾律を重視し、「偶有」か ら「実体」を導く推論や、因果関係のリンケージについて批判し、従来の 神の存在証明についてもこれを無効とした人物として知られています。で すが、パケも指摘しているように、その一方でニコラは、自分のテーゼは 本当らしく思えるが、キリスト教の教義からすれば偽である、とも述べて いるのですね。どうやらニコラは、神の全能に関する信仰はそのままに、 ただ自然の認識が無条件になされうるという自然学的なテーゼのみ問題に しているようなのです(そこからヒュームばりに、今までがしかじかだっ たからといって、未来においてもそうであるとは断言できない、という懐 疑論的なスタンスがもたらされています)。 ニコラとの論争相手だったアレッツォのベルナール(フランシスコ会士) は、「一部の論者」が自然についての学知を無化しようとして、そうした 知には絶対的な証拠がないと論じるが、むしろそうした知には自然の代示 による証拠があれば十分だ、と論じているといいます。ここでの「一部の 論者」には、もちろんニコラも含まれているのでしょうけれど、一方で 「代示による証拠で十分」とする立場は、実は上のビュリダンのものとも 重なるといいます。では、ビュリダンとニコラは対立関係にあったと見る べきなのでしょうか。 ですがパケによると、ビュリダンとニコラは「絶対的な証拠は与えられな い」と考えている点で、むしろ一致しているのではないか、といいます。 ビュリダンはニコラとは違って神学者ではないせいか、この問題のそもそ もの根っこ、すなわち「実体」と「偶有」というアリストテレスの概念の 適用の是非というテーマが前面に出てこず、結果的にニコラが陥ったよう な差し迫った状況に陥ることはなかったというわけです。 これは巨視的に見た場合での、ビュリダンとニコラの立場の話です。で は、目下の懸案である規約との絡みではどうなのでしょうか。そのあたり はまた次回に。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ パドヴァのマルシリウスによる政治論(その6) マルシリウスによる『擁護者小論』から、第一一章を見ています。今回は その末尾部分です。さっそく見ていきましょう。 # # # // Redempti namque per Christum fideles, qui caput fuit et est semper ecclesiae, salvari possunt absque eo, quod credant beatum Petrum fuisse caput ecclesiae, aut Romanam ecclesiam aliarum principaliorem et caput : et si aliqua prioritas beato Petro super apostolos conveniret aut convenisset, et ecclesiae Romanae super reliquas, ex congruentia quadam, quia beatus Petrus qui reverentior inter apostolos habebatur ibidem sedit episcopus, dico prioritatem beati Petri ab aliorum apostolorum electione processisse sive consensu, quemadmodum dixit Anacletus, et eius seriem induximus 16 secundae; quam recitare omisimus propter abreviationem. // //かつて、また今でも教会の長である、キリストによって購われる信者 たちは、聖ペトロが教会の長であると信じずとも、あるいはローマ教会が ほかの教会の長であると信じずとも、救済を得ることはできる。仮に聖ペ トロが他の使徒よりも秀でている、あるいは秀でていたとしても、またロ ーマ教会がそれ以外の教会よりも秀でていたとしても、それは便宜上そう なっているのである。他の使徒よりも恭しいとされる聖ペトロが司教の座 についたのは、私に言わせれば聖ペトロが他の使徒から選ばれた、もしく はそれら他の使徒の合意を得たことから生じたのである。それはアナクレ トゥスも述べており、私たちは第二部一六章にその一節を引用している。 手短にすべく、ここで再度引用することは控える。// // Sic quoque prioritatem Romanae ecclesiae super reliquas a congruitate iam dicta fortasse vel a traditione seu constitutione concilii generalis fidelium christianorum, vel ab humano et supremo legislatore, dicimus processisse, quamvis secundum congruentiam talis prioritas ecclesiae Ierosokimitanae magis videtur deberi, uno quidem, quoniam princeps pastorum, videlicet Christus, ibidem sedit, tanquam episcopus et apostolorum famosior, cum reliquis duobus famosioribus apostolis, prius quam Romae, ibidem rexit et officium pastoris exercuit. // //他の教会に対するローマ教会の優位性はまた、おそらくは今しがた述 べた便宜により、あるいは伝統もしくはキリスト教信者全体の教会会議に よる決定、あるいは人の最上位の立法者により生じたのだと私たちは言お う。たとえ便宜上、エルサレムの教会の優位性こそがより大きいはずだと 考えられるにせよ。その教会では、主たる司祭、すなわちキリストが、司 教として、また最も高名な使徒として、ローマよりも前に、二人の最も著 名な弟子を携えて座したのであり、まさしくそこでキリストは統治し、司 祭の務めを執り行ったのだ。// // Quod si ecclesia universalis aliquid diceret de his quae sunt circa ritum ecclesiasticum solum aut tranquillum seu pacificum hominum convictum et statum, ut diximus prius, talia statuendo in concilio generali dicimus eadem a fidelibus observari debere. Ea tamen credere vera esse, aut expedientia similiter, et pro quolibet tempore, non tenentur fideles de necessitate salutis aeternae, quoniam huiusmodi per idem concilium convenientibus temporibus aut aliis conditionibus quandoque possunt et expedit revocari totaliter vel in parte. Et quoniam per humanum legislatorem fidelem supremaum tales prioritates episcopo Romano aut ecclesiae Romanae diximus potius concedi, et iam de facto et iure fuisse concessas, quemadmodum ex authenticis scripturis humanis apparet. //先に述べたように、普遍教会が教会の儀礼に関することのみ、あるい は人の静かで穏やかな共同生活およびその規則についてのみ告げ、そうし た決定が全体の教会会議でなされたのであれば、それらは信徒によって守 られなくてはならないと私たちは述べる。だが、そうしたことが真理であ るとか、同様にいついかなるときも有益であるなどと、信徒が永遠の救済 への必要性から信ずるにはあたらない。というのも、同じような教会会議 によって、適宜ないしその他の条件を理由に、全面的もしくは部分的に撤 回されることはありうるし、撤回されるほうがよいとされたりもするから だ。ゆえに私たちは、かかるローマ司教もしくはローマ教会の優位性は、 むしろ忠実なる最高位の人の立法者によって与えられている、と述べたの である。そしてそれは事実上、かつ合法的に与えられており、それは権威 ある人の文書に示されているとおりである。 # # # 聖書に書かれているのであれば、それは救済に直接関係することがらなの で、端的にそれに従えばよいわけなのですが、そうでない場合に関して、 マルシリウスは微妙な立ち位置を取っています。教会会議で決まった内 容、あるいはなんらかの伝統によって便宜的に決められた事項は、いちお うはそれに従わなくてはならないものの、救済にとって絶対に必要なもの ではなく、したがって絶対に必要と信じる必要もない、というわけです。 ローマ教会の優位性、他の使徒に対するペトロの優位性もそういう類のも のだというわけですね。この、どこか醒めた、それでいて秩序は乱さない という両義的なスタンスが、マルシリウスのもつ妙味なのかもしれませ ん。 途中で出てくるアナクレトゥスは、在位79年から91年の三代目のローマ 司教(後のローマ教皇)です。表記(クレトゥスだという説もあるようで す)なども含めて、この人物については詳しいことがわかっていないよう です。九世紀の偽イシドルスの書『教令集』にも言及があるようですね。 ちなみにローマ司教の初代はペテロ、二代目はリヌスとされています。ロ ーマ司教が教皇(papa)と呼ばれるようになるのは四世紀ごろからとい うことです(しかも三世紀頃にはローマに限らず司教がpapaと称されて いました)。 さて、ここでは引き続き、マルシリウスの主著である『平和の擁護者』を もとに、その政治論を概観していきたいと思います。前回取り上げたの は、マルシリウスが医者としての見地から、社会というのものを生物的・ 身体的に見ているという話でした。これについてももう少し眺めておきま しょう。参考書に一つに、ブリル社刊の『パドヴァのマルシリウス必携』 ("A companion to Marsilius of Padua", ed. G. Moreno-Riano & C.J. Nederman, Brill, 2012)というのがありますが、これに将基面貴巳 氏が寄稿しています。で、それがまさにこの問題を扱っているのですね。 論考のタイトルは「パドヴァのマルシリウス『平和の擁護者』における医 学と政体」です。 マルシリウスが用いる医学的メタファー(認知言語学的な意味での概念メ タファー)に注目する同氏は、まずマルシリウスにおける都市と動物の身 体との重ね合わせに、共通のキーコンセプトとして「平穏」を見ていま す。身体が均衡を保って穏やかな状態、つまり健康な状態と、都市が機能 的に十全な生活をもたらすことをメタファーとして重ねているわけです ね。マルシリウスのこの健康観は、やはり医者だったアーバノのピエトロ の健康観を踏襲したものだとも言われています。 都市に重ね合わせられるその健康状態とは、つまり全体を構成する部分の 均整と協同を意味しています。そうした重ね合わせはマルシリウス独自の ものというわけでもなく、たとえばソールズベリーのジョンは自著『ポリ クラティクス』で、自然の身体と政治的な集合体とにおける各部の構造と 機能の分析を取り上げているのですね。ただ、そちらが各部それぞれを解 剖学的(形態論的)なアプローチで記述していくのに対して、マルシリウ スはあくまで人間の需要や欲求をベースにした機能論的なアプローチで議 論を進めているという違いがあるようです。人間の需要や欲求に対応した 多様な機能によって、平和かつ秩序立った都市の生活が維持されてい く……。まさにそれが政治の目的だ、というわけです。 この機能論的なアプローチは、ニコラウス・クザーヌスの議論とも対照的 だといいます。クザーヌスも同じく解剖学的(形態論的)アプローチで、 部位と機能とを直接結びつけています。教会組織における血液循環といっ たあたりのメタファーは、いちおうはガレノスの医学がもとになってモデ ル化されているのだとか。マルシリウスの場合には、そうしたメタファー 的な「部分の協同」は、具体的な生物の身体部分の参照を欠いています。 ですがたとえば疾病論的な箇所においては、マルシリウスは身体が元素の 組み合わせによって成り立っているという、アリストテレス=ガレノス以 来の伝統を踏まえています。相反する元素の混成具合に応じて、なんらか の質が生じ、それらが均衡することで健康状態が保たれ、その均衡が敗れ ることで疾病が発生するというわけですね。マルシリウスは、たとえば政 府(統治機構)の役割を、こうした諸要素の均衡を図ることにあると見て いるといいます。社会を構成する人間の、一時的な営為の過剰によって乱 される均衡を、適正な水準にまで減じることがその役割なのですね。 これに対して、身体の好不調を体液理論で考えるのは、むしろ民衆の、あ るいは世俗的な(学知の反対語としての)世界で流布した考え方だといい ます。ですがクザーヌスなどは、ガレノスをもとにしているというわり に、そのような体液理論にもとづく生理学を下敷きにして統治機構の役割 を考えているといいます。これがまさしく両者の対照的なところになりま す。一四世紀においてはすでに、少なくとも学者の世界では、体液論では なく元素論が主流を占めていたといい、マルシリウスはまさにそれを取り 込んでいるわけです。クザーヌスなど(ほかにもオレームやメジエールな どもそうだといいますが)、マルシリウスよりも後の世代の人々が、あえ て体液論をもとにして統治機構をモデル化しているというのも、なにやら 興味深い点です。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は11月21日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------