silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.308 2016/04/30 ============================== *お知らせ いつもご購読いただきありがとうございます。本メルマガは原則隔週で発 行しておりますが、例年5月の連休はお休みとさせていただいておりま す。そのため、次号は一週間ずれて、5月21日の発行となります。お間違 いなきよう、よろしくお願いいたします。 ------文献探索シリーズ------------------------ 唯名論の行方(その5) 前回まではアンソロジー本から、ネルソン・グッドマンの「唯名論」につ いて見てみました。今回は収録順に従い、それに続いて収録されているデ カルトの「数、空間、無について」という一文を見ていくことにします。 これは『哲学原理』第二巻、項目八から一八を抜粋したものです。それぞ れ表題と短い本文から構成されています。デカルトの立場を唯名論的括り で見るのは少し意外な感じもしなくはありませんが、ここで問われている 数の問題は、まさに思惟による概念操作の独自性を示しているという点 で、確かにそういう括りに収めることができそうです。 収録されている項目では、まず最初から、デカルトの主要なテーゼが掲げ られています。いわく、「大きさ」が大きなものから異なるのは、また 「数」が数えられたものから異なるのは、われわれの思惟によってのみで ある、というのですね。たとえば人は10フィートの空間に広がるものの 概念を、その実際の10フィートを思い描くことなく理解することができ ます。逆もまたしかりで、具体物がなくても、10フィートという大きさ を考えることもできます。あるいはまた、具体的なモノを思い描かなくて も10の数を考えることができます。デカルトは、そうできるのは、人が 10という数をつねに同一のものとして、概念としてもっているからだと 述べています。大きさ、つまり空間的な延長(extension:広がり)を、 具体的なしかじかの事物なしに考えることもできれば、逆にそうした大き さの事物を、具体的な大きさや延長を取り除いて考えることもできるとい うわけです。 これはつまり、外的世界の個物と、思惟の世界とはこのように分離してい るということで、確かにこれは唯名論の系譜を想わせます。デカルトは次 の項目で、物体が空間における延長と、その実体とは思惟の中で完全に分 けることができ、そのような議論を表明しない人々ですら、そのことは認 めているものだ(表明しないことで、自分の思惟と言葉の乖離を感じてい る)と指摘しています。延長はあくまで思惟の産物であるというわけです ね。続く項目でも、物体が占める空間もしくは「内的な場」と、その物体 との違いは思惟の中にのみある、ということを重ねて主張しています。 空間はどのような意味において、そこに含まれる物体と違わないと言える のでしょうか。デカルトは、物体の性質に含まれる「延長」は、空間の性 質をもなしているのであり、結果として両者の違いというのは、「個物」 と「類」との性質の違いでしかないとしています。ここで「類」としての 性質(つまり空間の性質)を持ちだしてくるのは、物体の性質をよりよく 見定めるためにほかならない、というのですね。類としての性質は、当然 ながら思惟の産物であるとデカルトは考えています。デカルトはここで、 石を例に、余分な性質をそぎ落としていくというデカルトならではの方法 を用いて例示しています。石から堅さを取り(粉にすれば堅さはなくなり ます)、色を取り、冷たさを取っていくと、後に残るのは、長さ、幅、高 さといった延長をもった実体でしかなくなり、空間の観念と変わらなくな ってしまう、というのです。 もちろん、空間と物体はやはり違っていると言うこともできなくはありま せん。石が占める空間を取り除く(思惟において)とは、その石の延長を 取り除くことにほかならず、以前に石があった空間は別の物体で占められ うるし、真空のままでもありえます。こう見れば、空間は石とはイコール にはなりません。ですが、それはあくまで見方の問題です。物体がなんら かの場、なんらかの空間を占めるというときに、「場」と「空間」といっ た語が意味するのは、その大きさや形象、ほかの物体に対してどう置かれ ているかといったこと、つまりは物体について属性にほかなりません。 この、「ほかの物体に対してどう置かれているか」というのは重要な部分 です。デカルトは、そうした位置関係を定めるにはなんらかの不動の定点 が必要になるとしています。それがあれば、一定の時間で場所が変わる事 物についても、それが同一のものである(変化していない)ということが 言えることになります。船の船尾に座った人間は、船自体が港から遠ざか っても、その人間の置かれた状況(船に対する位置関係)には変化はない と判断されえます。逆に陸地に対する位置関係なら、その人間は絶えず移 動していることになります。またその船を定点として見るなら、陸地のほ うが動いているということも導けるでしょう。いっさいの定点が設定され なければ、いかなる事物も一定で止まっているようには見えないことにな ってしまいます。このように、位置関係は結局、観察する人の思惟によっ て決まるというわけです。 さらにこれに関連して、デカルトは「場」と「空間」の違いについても触 れています。つまり、大きさや形状に力点が置かれるときが「空間」、そ の物体が置かれる状況(位置関係)に力点が置かれるときが「場」だとい うことで、それらは結局、名前が異なるにすぎないというのですね。かく して物体がもつ延長という属性は、思惟による理解、あるいは操作を、言 葉(名前)でもって名指しているにすぎないということになります。これ が、デカルトが唯名論に連なるとされる根拠とされているようなのです。 この話、もう少し続きます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ パドヴァのマルシリウスによる政治論(その18) 『平和の擁護者』第一部第一五章を見ています。今回の箇所はその第八節 です。さっそく見ていきましょう。 # # # 8. Adhuc autem secundum iam dictam virtutem, legem scilicet, auctoritatemque sibi datam distinguere debet principans atque statuere partes et officia civitatis ex convenienti materia, hominibus siquidem habentibus artes seu habitus ad officia convenientes. Sunt enim tales propinqua materia parcium civitatis, quemadmodum dictum est 7 huius. Est enim hec norma seu lex politicarum bene institutarum, homines statuere ad officia civitatis habentes habitus operativos convenientes ad illa, non habentes vero, verbi gracia iuvenes, ad illos ordinare discendos, in quos magis naturaliter inclinantur. // 八.さらに徳、すなわち法、与えられた権威について述べたように、統治 者は、適切な素質、つまりしかるべき役割を果たす技術や能力に応じた人 材をもとに、共同体の各部分と役割を区別し定めなければならない。そう した人材は共同体の各部分に近しい素質をもつ人々でなければならず、そ れは本書の第七章で述べたとおりである。これこそがうまく構成された場 合の政治の規範もしくは法なのであり、共同体の職務に適した業務の能力 をもつ者をその職務に定め、それをもたない者、たとえば若者には、自然 にその者が向いている職務を修得するよう命じるのである。// // Et hec fuit sentencia eximii Aristotelis in hoc, ubi 1 Ethicorum, capitulo 1 dixit : "Quas enim esse debitum est disciplinarum in civitatibus, et quales unumquemque addiscere, et usquequo hec preordinat", politica scilicet seu legislativa prudencia, et consequenter qui secundum legem policiam disponet, principans scilicet. Hoc eciam dixit 7 Politice, capitulo 13 : "Ad omnia quidem igitur”, inquit, "aspicienti politico leges ferendum, et secundum partes anime, et secundum passiones ipsarum". // //このことをアリストテレスは、『ニコマコス倫理学』第一巻第一章に おいて、次の優れた箴言で述べている。「それらの者が共同体において何 の教育を受けるべきか、またそれぞれがどのように、いつまで学ぶべきか を決める」のは、政治、すなわち立法の知恵であり、結果的に法に則って 政治を管理する者、すなわち統治者である。このことはさらに、『政治 学』第七巻第一三章でも触れられている。彼はこう述べている。「したが って、政治家は、あらゆる事象を考察し、魂の各部分をもとに、またその 熱意をもとに、法をもたらさなくてはならない」。// // Idem quoque 8 eiusdem, capitulo 1, dum dixit : "Quod quidem igitur legislatori negociandum circa vivencium disciplinam, nullus utique dubitabit. Etenim non factum hoc, ledet policias". Ex predictis igitur apparet, ad legislatorem pertinere determinacionem seu institucionem officiorum et parcium civitatis, eiusque determinacionis iudicium preceptum et execucionem ad principantem secundum legem spectare. //また同書第八巻第一章でも、こう述べて同じことを繰り返している。 「したがって、立法者が生活者の教育について考慮していることは、いず れにせよ誰も疑うことはないだろう。そうでなければ、政治を損なうだろ うからだ」。ゆえに、先に述べたことから、職務と共同体の部分の決定な いし指定が立法者に帰されること、その決定に即した裁定、命令、実行が 法にもとづく統治者に求められることは明らかである。 # # # 今回の箇所は、共同体の各機能(職務)に人を当てることに関する記述で す。職業訓練の問題にも触れているのが興味深い気がします。参照箇所を 確認しておくと、『ニコマコス倫理学』の該当箇所は1094b.1-4なので すが、アリストテレスのもとの文章では、教育の対象とその範囲について 決めるのは、統治者というよりは、学問的な階級において上位にある学問 とされているようです。少し恣意的な引用であるように思われますね。 『政治学』第七巻第一三章は1333a.37-40、第八巻第一章は1337a. 11-14で、こちらはそれぞれ文脈的にも合致している印象です。 さて、マルシリウスのこの読みもそろそろ終盤ですので、今回からマルシ リウスの後代への影響という問題を眺めていきたいと思います。これまで いくつかの収録論文を見てきた『パドヴァのマルシリウス必携』(ブリ ル、2012)から、トマス・イズビキ「マルシリウスの受容」という論考 を見てみましょう。ここでは15世紀のマルシリウス思想の受容状況につ いて考察されています。 まず、最初に指摘されているのが、そうした影響関係の研究の難しさで す。当時の政治論文の書き手たちは、先達らの見解を引用するような場合 でも、なかなかその著者名を明記しなかったといいます。確かに、当時の 文献を少し読み囓っただけでも、そういう傾向があることは、如実に感じ られるますね。いずれにせよ、そのためにマルシリウスがどう読まれ、ど う活用されていたのかを分析するのは難しい、と指摘されています。マル シリウスへの言及はとても限定されているらしいのです。 オッカムなどは結構盛んに名前が言及されたりしているようで、そちらを トレースするのはさほど難しくはないといいます。論文著者は、こう捉え ています。とくに聖職者の場合、オッカムなら自身の関心にそってさほど 難なく用いることができたものの、マルシリウスの議論はあまりにリベラ ルに過ぎて(なにしろ反教皇主義を振りかざしているのですから)、当時 の著者たちとはなかなか相容れなかったのではないか、と。一方で、マル シリウスの反教皇主義的な批判は、教会会議主義の側からも間違ったかた ちで引用されたりしているともいいます(ときにはオッカムの教説と混じ っていたりするのだとか)。 論文著者はここで実証的な面からのアプローチを取ります。まず注目され ているのが、写本の流通具合です。現存する『平和の擁護者』の写本はフ ランスで17部、ドイツで11部あり、いずれも14世紀から15世紀のもの だといいます。数としては多くないものの、根強い関心が窺われる、と論 文著者はコメントしています。また、『擁護者小論』や『婚姻論』などの 小著作はそれぞれ1部ずつしかないのに対して、やはり小著である『皇位 の譲渡について』は17部の写本が残っているといいます。それらはほと んどがドイツのもので、14世紀のものが多く、イタリアのもの(4部)は みな15世紀の写本なのだとか。ドイツでの関心の高さは、やはり教皇と の関係性を断つわけにいかない皇帝周辺の政治的状況のせいかもしれな い、とのことです。 さて、印刷本の時代になると状況はどうなるでしょうか。『平和の擁護 者』は1522年にバーゼルで初めて印刷されます。宗教改革の文脈におい て刊行された模様です。その後も1692年まで、フランクフルトなどで7 版ほどが出ているといいます。いずれも反教皇の立場を取った都市で刊行 されているのですね。同じく、『皇位の譲渡について』も、やはり7回ほ ど版を重ねています。1559年よりも以前に、ロレンツォ・ヴァッラによ るコンスタンティヌスの寄進状批判と同様、マルシリウスの著書はローマ の「禁書目録」に含まれました。 以上はラテン語の場合ですが、さらに各国の世俗語への翻訳もあります。 14世紀後半には仏語訳と独語訳があったといいますが、それらは失われ ているのだとか。英訳は1535年のものがあり、その後はさらにドイツ語 の短縮版などが出ていたようです。第一部の統治にまつわる哲学的議論を 省き、第二部の本文についても要約的になっているといいます。上の英訳 も国内の政治情勢にそぐわない点などを再編集しているといい、翻訳はど うやらそうした再編集の格好の機会となっていたようです。こうした写本 からのアプローチは、実証的な面での証拠をなしてはいますが、著者の影 響を知る上では間接的なものでしかありません。やはり具体的な影響が気 になるところです。そのあたりの話は次回。 *本マガジンは隔週の発行ですが、次号は変則的に05月21日の予定で す。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------