silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.309 2016/05/21 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 唯名論の行方(その6) 前回見たところによれば、デカルトの考える物体と延長の区別は、あくま で言葉によるものであって、実体によるのではないとされているのでし た。この話からデカルトは、真空、つまり空の状態についても考えていき ます。物体の延長とそれが置かれる空間の延長が結局は同一であるのであ れば、一部の哲学者たちが考えるような実体をともなわない空間というも のはそもそもありえないことになります。実体がないならば、延長もない わけで、したがって真空なるものはない、という結論に至ります。これが デカルトのスタンスです。 ですが、デカルトは留保(というか別様の可能性)を設けています。「空 だ」ということを普通の意味に取る場合です。つまり、そこにあるべきも のがないとき、それを空だと称する場合(中味となる花がない花瓶など) です。その際のそうした文言には何の問題もなく、そこから転じて、空間 が空である(そこにあるべきものがない)と言うこともできなくはない、 というわけです。デカルトが真空の概念で考えているのは、より厳密な、 哲学的な議論です。ですがこれがこの普通の意味に浸食されてしまうせい で、真空の概念にも誤謬が生じるのだ、とデカルトは指摘します。 では、そうした「真空」をめぐる誤謬をどう捉えればよいのでしょうか。 花瓶が空であるというとき、想定されているのは、本来あるべき物体(こ の場合は花)がないということなのですが、実際には、花瓶とそこに入れ られる物体とには、必然的関係などまったくありません。一方、花瓶の凹 型の形状と、そうした凹型において理解される延長とのあいだには、必然 的な関係がある、とデカルトはいいます。なにしろ延長イコール物体の形 状なのですから。もし神が、花瓶の中の物体をすべて抜き去り、代わりの 物体(空気とか)を入れることをいっさい許さないとしたら、この花瓶の 各辺は一挙に接近しふれあうことなってしまうだろう(潰れるだろう)と もデカルトは述べています。二つの物体の間に何もない場合、その二つの 物体は相互に接することになるしかないからです。両者が離れているので あれば、つまりそこに距離があるためには、延長をともなったなんらかの 物体がなくてはならないことになるからです。 ここで見ているアンソロジー本には、各部の冒頭に簡単な解説が付いてい ます。ここでいったんその解説に目をやってみましょう。そこではまず、 次のような指摘がなされています。デカルトのこうした考え方(大きさ、 数、空間、場、真空といったものが、現実には物体の実体と異なってはお らず、ただそれを考察する者の考察の仕方によって異なるとされるという 考え方)は、オッカムのまさに直線的な継承者を思わせるのだといます。 オッカムもまた、普遍を批判するというスタンスからではありましたが、 量的なものに存在論的な地位を与えることを拒んでいたわけですね。もっ とも、デカルトがオッカムの著作にアクセスできたとは思えない、と解説 は述べています。とはいえ唯名論的な考え方は、スコラ学のある種の伝統 を通じて、明らかにデカルトにまで伝えられていたとは言えそうです。 次に同解説は、数学との関わりにおいて、先のグッドマンとデカルトとを 比較しています。両者はまさに好対照をなしているといいます。グッドマ ンは(数学の前提をなす)特殊な実体への参照を認めず、(数学のベース として)集合論に代えて、全体と部分の関係にもとづく唯名論的な言説を 据えようとします。デカルトはというと、やはり数学の言説に存在論的な ものを認めず、普通の具体的な事物を参照する特殊なやり方であると断じ ます。背景となる数学概念が違っているので、一概には言えないかもしれ ませんが、両者とも数学の対象となるものは特殊な実体として存在してい るのではないとしつつ、グッドマンが数学的言説を新たに構築しようとす るのに対して、デカルトは数学的言説というのは事物の別様の参照方法に すぎないと見ているわけですね。 そしてこの解説によれば、両者のいずれでもない第三の道とでも言えるも のが、次に取り上げるハートリー・フィールドの数学論だといいます。デ カルトとは逆に、フィールドは数学の言説が真理であるためには、数や集 合といった特殊な実体の存在が必要だと言い、ところがそうした言説が真 理をなすことは、経験的科学からは必要とされていないとして、数や集合 の理論は文字通りには偽でしかないことをあえて説いている、といいま す。ところがグッドマンとも逆に、フィールドはそれら数論や集合論に代 わる別様の形式理論を提唱することもないのだとか。つまりフィールドに よれば、数学が科学として関心を寄せるのはその真理ではなく、推論を容 易にする上でのその有用性にほかならない、というのです。フィクション だけれども有用で無害なものなのだというわけです。とすると、それはい かにして有用かつ無害なものとなるのか、という説明も求められることに なります。フィールドはそれにどう答えるのでしょうか。 というわけで、次回からはそのハートリー・フィールドの数学論を見てい きます。ちなみにフィールドは1946年生まれの哲学者です。パトナムの 弟子なのですね。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ パドヴァのマルシリウスによる政治論(その19) 今回は『平和の擁護者』第一巻第一五章の九節と一〇節です。さっそく見 ていきます。 # # # 9. Posset autem hoc eisdem convinci demonstracionibus, quibus ad legum lacionem et principantis institucionem utebamur 12 huius et supra, sillogismorum sola minori extremitate mutata. 九.このことは、本書の上記一二章で法の公布と君主の制度について用い た論証によって立証することができる。ただ最後の小前提のみ変更するこ とになる。 10. Propter quod nec licitum est alicui pro libito sibi assumere officium in civitate, maxime advenis. Non enim debet nec racionabiliter potest pro voto quilibet se convertere ad militare vel sacerdocium exercendum, neque debet hoc permittere principans; nam ex hoc contingeret insufficiencia civitati eorum que per alia officia procurari necesse est. Verum ad talia debet principans determinare personas, parcium quoque seu officiorum ipsorum quantitatem et qualitatem secundum numerum et potenciam et huismodi reliqua, nec propter ipsarum excessum invicem immoderatum contingat policiam solvi; 一〇.それゆえに、共同体の中では誰も自分の望み通りの職務に就くこと は許されていない。外国人の場合にはことさらである。いかなる者も、希 望によって軍人や聖職者の職務に転じることがあってはならないし、合理 的に考えて、そうはできない。統治者がそれを許してもならない。このこ とから、別の職務によって供されなくてはならないような、共同体内の不 備が生じる場合もある。そのような職務については、統治者が人員を定 め、数や潜在性にもとづきその部分もしくは職務の量や質、その他を定 め、それらが過剰になったり相互に節度を失ったりして、政治が緩むこと のないようにしなければならない。 propter quod 5 Politice, capitulo 2 dixit Aristoteles : "Fiunt autem et propter excrescenciam que preter proporcionem transmutaciones policiarum. Sicut enim ex partibus corpus componitur, et oportet augeri proporcionaliter, ut maneat commensuracio; si autem non, corrumpitur. Si enim non solum secundum quantum, sed et secundum quale crescit preter proporcionem; sic et civitas componitur ex partibus, quarum sepe latet aliqua excrescens, velut egenorum multitudo in democratiis", et sacerdocium in lege Christianorum. Idem dicit eciam 3 Politice, capitulo 7, cuius omitto seriem propter abbreviacionem sermonis. ゆえに、『政治学』第五巻第二章においてアリストテレスはこう述べてい るのである。「不均衡な拡大のために、政体の変容は生じる。身体の各部 分から構成されているかのように、政体は均衡をもって成長し、相応であ り続けるべきなのだ。もしそうでなければ、それは腐敗してしまう。量的 にのみならず、質的にも不均衡に成長するのであれば、共同体は部分から 成るのであるから、なんらかの成長は見えず、たとえば民主主義体制にお いて多くの者が貧窮に喘ぐようになる」。キリスト教の教会法の司祭も同 様である。同じ事を『政治学』第三巻第七章でも述べているが、議論の簡 略化のためにここでは再録しない。 # # # 役割分担は全体の調和にもとづいてなされるべし、とされています。個人 の望みなどはあまり考慮されないわけですが、印象としては、これは全体 主義的というよりも、すでに見たように、有機体(生き物の身体)がモデ ルになっているからという感じですね。各部が勝手にバラバラなことをし てしまうと、全体はうまく機能せずに腐敗していく、と。有機体モデル は、このように現代的な個人主義とはまた別の論理を導くことになるわけ です。 さて、前回から、マルシリウスの後世への影響関係を扱った論考(トマ ス・イズビキ「マルシリウスの受容」『パドヴァのマルシリウス必携』所 収)を見ています。今回もその続きを眺めていきましょう。マルシリウス の比較的初期の影響が見られるのはパリにおいてだといいます。時のフラ ンス王シャルル五世の宮廷では、政治思想への関心が高まっていたからだ とされています。事例として、逸名著者による『庭師の夢』(1376年 頃)という、騎士と聖職者の対話篇が挙げられています。フランス王フィ リップ四世と教皇ボニファティウス八世の諍いをベースに、教皇権に対す る王権擁護論を展開した対話篇で、そこにマルシリウスの『平和の擁護 者』の言い換えが散見されるようなのです。 一方、シャルル五世の政策顧問だったニコル・オレームなどは、逆にマル シリウスの、とくにその民衆主権の議論などを斥けているようです。ロー マとアヴィニョンに教皇が立つという「大シスマ」に至ると、教皇中心主 義に代わり、教会会議擁護派(公会議主義)の理論が台頭するようになり ます。で、同派が援用する議論に、マルシリウスの要素が多々見られるよ うになるといいます。ただ、『平和の擁護者』が直接使われたという確た る証拠はきわめて少ないようなのです。 マルシリウスの影響を受けたとされる人物として、これまた公会議主義の ジャン・ジェルソンも挙げられています。ですがジェルソンも、マルシリ ウスの教えについては否定的です。一方で、たとえばジェルソンと同時代 の歴史家だったディートリヒ・フォン・ニーハイムなどは、教会の腐敗を 批判する文脈でマルシリウスの著書を引き合いに出しているのだとか。と はいえ、同論考によれば、その批判は教会の本来的な姿についての理論的 な議論ではなく、むしろディートリヒ本人の厭世的な気分を払う、憂さ晴 らし的なものだったといいます。 続いて挙げられているのは、ジョン・ウィクリフです。ウィクリフは宗教 改革の先駆者とされるだけに、マルシリウスの影響もひときわ気になると ころですが、実はマルシリウスがウィクリフに影響を及ぼしているという 確たる証拠もないとされています。当時ウィクリフの著作を編集した人物 の中には、マルシリウスの思想との並行関係を指摘する向きもあったよう なのですが、議論の借用など、両者の関係についての確証はないとされて います。 そして大シスマ後の改革案件の文脈では、ニコラウス・クサーヌスのみが 『平和の擁護者』に言及しているといいます。とはいえ、クサーヌスも、 たとえば教会の優越性などは、(マルシリウスの説とは逆に)キリストみ ずからが定めたと考えるほうが確からしいとしているのですね。ただ、教 皇のもつ強制力は教会によって媒介されているという議論には与していた りもし、これまた影響関係としては微妙であるようです。論文著者は、ク サーヌスは『平和の擁護者』を知ってはいたものの、なんらかの誤解をし ていた可能性もあり、また、単に両者が、もとになっているアリストテレ スの『政治学』を用いていただけで、実際の借用などはなかった可能性も 捨てきれないとしています。 ほかにもまだありますが(教皇派のフアン・デ・トルケマダなど)、こう してみると全体的に、マルシリウスが必ずしもその議論の支持者たちに受 け継がれたわけではなく(反教皇派は慎重で、異端視されないよう十全な 注意を払っていたはずですから、マルシリウスなどを引き合いに出すのは 憚られたのかもしれません)、むしろ批判者や、場合によっては敵対する 側によって、批判・糾弾対象として引き合いに出されているケースが多い ことがわかります。では、宗教改革の時代になってからはどうなのでしょ うか。マルシリウスはそのなんらかの着想源になっていたのでしょうか。 このあたりを引き続き、次回見ていくことにします。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は06月04日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------