silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.325 2017/02/11 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 中世思想研究の政治性(その1) 今回から新たに、近代におけるヨーロッパの中世思想研究の歩みを見てい きたいと思います。思想史研究はその宿命として、つねになんらかの政治 性を帯びるように思えるのですが、中世思想(中世哲学)の場合もそれを 免れるわけではありません。純粋にニュートラルな研究などというものは ありえない、というわけですね。だからこそ、研究史そのものを時代の中 に置き直すことはぜひとも必要な作業です。またそのためには、研究活動 に関わるなんらかの政治性についても目配せをしていく必要があります。 そんなわけで、ここでは珍しく(笑)研究史そのものを俎上に載せてみた いと思います。 ここで見ていく参考書は、カトリーヌ・ケーニヒ=プラロン『哲学的中世 研究と近代の理性』(Cathrine Konig-Pralong, "Medievisme philosophique et raison moderne : de Pierre Bayle a Ernest Renan", Paris, Vrin, 2016)です。副題が「ピエール・ベールからエル ネスト・ルナンまで」となっているところが示唆的です。ベールは17世 紀末の哲学者・歴史家で、啓蒙思想の先駆者などとも言われます。ルナン は19世紀の宗教史家です。ここに示されるように、まさしく17世紀から 19世紀にかけて、中世思想研究はいわば近代的な装いを纏いながら発展 していったわけですね。ですがそこには、当然ながら時代の要請、限界、 様々な思想潮流などがあり、それらが相互に絡み合って、ときには研究対 象そのものを曇らせたり、研究の視座をあらぬ方向へ引っ張ったりしてい きます。同書は、そうした様々な周辺的力学を研究内容から読み解こうと するための、いわば概論をなしています。 この書は一度ブログのほうでも取り上げています(http:// www.medieviste.org/?p=8691)。そこではピエール・アベラール(12 世紀)の像の変遷を追った第四章を紹介しておきました。アベラールは中 世フランスの神学者で、18世紀ごろまでは異端的とされていました(エ ロイーズとの恋愛沙汰ばかりがクローズアップされたり、その神学思想が プラトン主義的だとして低く評価されていたりしたようです)が、これに はドイツでの研究が大きく影響しているようなのです。19世紀になる と、ヴィクトール・クザンという哲学者(フランスの哲学史研究の伝統を 築き、高等学校での哲学教育を改革した人物です)が、そうした評価を覆 していくのだといいます。このあたりもまた、ドイツとフランスそれぞれ の国民的意識などが大きく働いている感じです。 ここではほかの章を見ていきたいと思います。さしあたり、概論的に研究 史の流れを追った第一章と、ドイツの神秘主義的神学思想を扱った第三章 を対象とします。余力があれば、アラブ系の思想の受容を追った第二章も 取り上げたいと思います。 では早速着手することにしましょう。第一章は表題が「哲学史のシナリオ における中世」となっています。すでにして、中世の思想史が何らかの 「シナリオ」を前提としていることを暗に匂わせていますね。今回はこの 冒頭部分をまとめておきましょう。著者はまず、17世紀まで中世の哲学 はスコラ学と同一視されていたことを指摘しています。「中世」概念が切 り出されたのは16世紀のプロテスタント系の学識によるものなのだそう で、そこで言うスコラ学は11世紀ないし12世紀から始まった大学や学問 所で教えられていた哲学・神学の形式を指すとされていました。17世紀 当時のプロテスタント側は、カトリック側のそうした神学思想を、みずか らが「乗り越えた」と見なそうとしていたようなのです。中世の哲学に6 世紀のボエティウスなどまでが含まれるようになるのは、それよりも後の 時代だといいます。 17世紀になって、最初期の「哲学史」研究が登場してきます。様々な教 説を見渡すための「俯瞰図」を作ろうとする動きです。そこでは古代こそ が過去の偉大なる遺産とされて、中世は二次的な場所を占めるにすぎませ んでした。中世が哲学史に本格的に組み込まれるのは、18世紀になって からだといいます。そこには逆説的な動きがあった、と著者は述べていま す。上記の通り、それに先立つ17世紀に、プロテスタント系の反カトリ ック的な著書が多数作られたわけなのですが、それによって逆説的に、中 世の思想家とスコラ学的な諸テーマのカタログが整備されることになった というのですね。 こうして、1730年代に、新スコラ学の文献や反スコラ的パンフレットな どをもとに、ヤコブ・ブルッカーという牧師が、初の中世思想全体の復元 を試みます。まさにこれが、中世思想史の出生証明書なのだといいます。 とはいえ、中世の哲学について肯定的かつ特徴的な読みがなされるように なるのは、18世紀末を待たなくてはならないのだとか。プロテスタント の牧師による思想史は、やはり否定的な文脈で批判的に書かれているとい うことなのでしょう。また、その後の見通しとしては、19世紀初頭にな ると、ロマン主義、神秘主義、ナショナリズム的に過去の哲学的遺産を捉 えようという動きになり、中世という概念も地域的・文化的に細分化され ていく、ということになるようです。 とまあ、冒頭部分に記された全体的な見取り図はそんなところですが、第 一章はこの序論的なまとめに続き、1600年から1850年ごろの哲学史に おける中世の主要な語りとイメージを、代表的な研究や企てにスポットを 当てる形で巡っていくことになります。次回からそのあたりを一つずつ見 ていくことにします。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その14) 『生成消滅論の諸問題』から、一連の成長・増大の問題を見ています。こ れまでのところでは、ビュリダンがストア派的な生体の流入・流出の考え 方を取り込み、また一方でそれにもかかわらず生物は種としての同一性を 形相によって保つのだと考えていることを見てきました。成長の問題につ いてはもう一つ、それが「局部的運動や変質、実体の生成などから区分さ れた固有の運動なのかどうか」(utrum augmentatio sit motus proprie, distinctus a motu locali, ab alteratione et a generatione substantiali)という、いわば定義に関わる問題が取り上げられていま す。問題16です。 そこではまず否定的な議論(つまり、固有の運動ではないとする立場)と して、次のようなものが挙げられています。(1)固有の運動は連続的な ものとされるが、成長はそうではない。(2)固有の運動というものは量 に対しての運動ではありえない(理由:運動とはその運動に反するものに 対してなされるものだが、量はもとより均質で、反するものではない)。 (3)運動とは一つの部分が完成した後に、その部分に生成するものだ が、成長の場合は予め任意の部分があるとか、先行する量があるとかは言 えない。(4)アリストテレスは、直接的な原因によるものこそを固有の 運動と呼んでいるが、成長とは、継起的な原因から生じ、別の運動へと向 けられる運動である限りにおいて、その固有の運動の定義から外れる。 これらについて、まずビュリダンは、次のような、ある意味近代的とも言 える考え方を取り上げます。すなわち「生物の成長においてはほぼあらゆ る種類の運動や変化がせめぎ合っている」という考え方です。たとえば食 物の消化は一つ以上の複数の変化を言います。食物(栄養素)が四肢に運 ばれるのは局部的な運動ということになります。次いで食物(栄養素)は 分解されて消滅します。それが血となって、さらにはそれが再度消滅する ことによって肉や神経がそこから生じる、とされます。実体的な生成・消 滅もそこに関係しています。 さらに成長においては、四肢の延長が生じます。以前の問題ですでに言及 されていたように、それは稀少化や付加ではありません。部分的な引き延 ばしでもありません。空隙が埋まっていくような運動でもありません。そ れはあくまで、局部の運動であり、局部が相互に引き延ばされていく運動 にほかならないとされます。 ですが、こうした捉え方は疑わしい、とビュリダンは断言します。上記の ような運動や変化は、厳密に言って成長ではない、というのです。四肢へ と食物が移動するのは文字通りの成長ではありません。局部の動きという のも成長プロパーではありません。食物の変化、すなわち分解も、それは 質的な運動だと言うことはできますが、それ自体は成長ではありません。 食物が消滅して、新たに肉や骨が生じることも同様です。さらに、四肢が 延長されることも、厳密には成長ではありません。たとえば粘土や蝋を引 き延ばしたところで、その粘土や蝋の嵩が増えるわけではないのです(ビ ュリダンは成長の特質を、数量的に嵩が増すことにに見ています)。 これらのことからビュリダンは、成長は運動や変化、実体的生成などと同 一視はできないと結論づけます。では成長とは何なのかですが、そうした 諸作用が集まったもの(congregata)、複合化したものと考えます。そ れらの集積的な作用によって外部から嵩が増すことが成長だというので す。その意味で、成長は「一つの」固有の運動だと言うことはできないも のの、他の運動とは一線を画した集積的な運動ではある、というわけで す。これは一種の折衷案をなしています。 ですが、そうするとこれはアリストテレスの議論に反するかのようにも見 えてしまいます。アリストテレスは固有の運動というものを、それぞれ 量、質、場所の三つの類に関わるものとして、成長(増大)や減少を量に 関わるものに位置づけていたといいます。ビュリダンは、アリストテレス の著作が、経年的に段階を踏みつつ(つまり著作ごとに多少異なりなが ら)概念を決定づけている点を重視します。前の著作で何らかの主題につ いて述べ、その論証は後の著作で行う、というのです。そのため、ときに 前の著作での放言が世俗的に有名になり、一人歩きしてしまうこともあ る、と。ビュリダンによれば、アリストテレスが「成長を一つの固有の運 動として規定している」というのは世俗的な、広まった言い方ではあるも のの、その本来の立証的な議論を踏襲していない、というわけなのです ね。「運動」の概念も、『範疇論』『自然学』では固有の運動とされてい るものの、『生成消滅論』においては、成長が本当はいかなる様相のもと にあるのかが示されており、一つの固有の運動であることは否定されてい るのだ、といいます。 最後にビュリダンは、上の否定的議論のとくに(3)と(4)を補完する ような形で、次のような論拠を挙げていきます。成長はまず、直接的な動 因によるものではなく、他の運動へ向けた継起的な動因によって起きるこ ともあるとされます。また基体そのものは同一であり続けなくてはならな いのに対し、生物の成長では基体そのものが変化するのであり、その意味 で「固有の運動」とは言えないとしています。また「運動」は任意の部分 に動因が働きかけることで生じるわけですが、生物の成長はそうした部分 の作用ではそもそもない、という議論も示しています。上の、アリストテ レスの著作を経年的に捉える視点というのはなかなか興味深いですね。こ れにより、ビュリダンが行っているように、アリストテレスの著作に見ら れる不整合を乗り越えていくことができるわけですが、一方では、アリス トテレス的な権威の翳りというふうに読むこともできるのかもしれませ ん。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は02月25日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------