silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.327 2017/03/11 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 中世思想研究の政治性(その3) ケーニヒ=プラロン『哲学的中世研究と近代の理性』の第一章の続きで す。前回出てきたヤコブ・ブルッカーとブーロー=デランドが今回の主役 となります。前者はプロテスタントの牧師、後者は唯物論の哲学者で、ど ちらも啓蒙思想の時代にあって、哲学における批判的歴史学の初期の発展 をもたらした人物でした。 ブルッカーはその最初の哲学史本を、1731年から36年のあいだに刊行し たとされています。『短問題集』(Kurtz Fragen)と題されたそれは七 巻から成るものでした。次いで1742年から44年のあいだに『批判的哲学 史』(Historia critica philosophiae)を刊行し、これが広く流布しま す。哲学史をまとめる際の方法論も一貫しており、どの哲学者を扱う場合 でも、まずは文献学的なソースの検証、次に比較可能な他の文化的表出か らの哲学的学説の抽出、そしてそれをもととした当該の哲学者の学説を分 析を進めているのだといいます。比較文学のような手法ということでしょ うか。 ただ、やはり伝統に則る形で、中世の扱いはかなり辛辣のようです。著者 によれば、ブルッカーは『批判的哲学史』で、900ページを費やして中世 哲学の破壊を目論んでいるのだとか。ブルッカーはスコラ学を「哲学に準 じるもの」でしかないと捉え、教皇座によって統制された、政治的な目的 に用いられるイデオロギーとして糾弾しているのだといいます。スコラ学 というのは、神学とアリストテレスの哲学とが不当に混成した屁理屈であ るとも見ているようです。 面白いのは、ブルッカーがもう一人の立役者、ブーロー=デランド(以下 デランドとします)の試みを、世俗的なものとして批判している点です。 この後者は、唯物論的な観点での哲学史をまとめたのでした。ブルッカー はその試みを、哲学の定義が十分に定まっておらず、流動的で一貫性がな いとして批判しているのだとか(中世のアラビア哲学に、医学や化学を含 めている点などが例として挙げられています)。デランドの『批判哲学 史』(Histoire critique de la philosophie)は、まずは匿名で、1737 年にアムステルダムで刊行されました。1742年に第二版も出ています が、どちらの版も、王室の検閲によって禁書とされてしまいます。デラン ドその人が、反教権主義者・自由主義者と見なされていたからです。 デランドのその書は、ブルックナーのものに比べるとごく小規模なもの で、12折版という小型の判型でした。つまりは一般向けの書だったわけ なのですが、百科全書派はこれを鼻であしらったといい、ドイツでもさっ ぱりウケなかったようです。デランド本人にとって同書は、倫理的・実利 的な目的をもったものだったといいます。デランドは哲学史という営み を、過去の知的な企てを評価することによって「現在」の改善に貢献する ものと見なしていました。その意味で、哲学史は倫理的な性質をもってい ることになります。誤りや工夫の歴史を通じて、教訓をもたらすものだと いうわけですね。 そうしたスタンスにもとづいて、デランドは中世のスコラ学を、宗教的信 仰と哲学的知の交流がもたらした、知的・文化的なある種の破綻と見なし ているといいます。デランドは「現在」におけるカトリック陣営を非難す るために、中世を利用しているのだ、と著者は指摘しています。デランド による諸学説の復元も大まかにすぎず、むしろその脚色された語りに主眼 が置かれているのだとか。それはとくにイスラム哲学について顕著だと著 者は述べています。 フランスの啓蒙主義による歴史編纂が反スコラ的なのは、啓蒙主義が学問 の世俗化した理解を擁護するからなのに対して、プロテスタント時代のド イツの歴史編纂が反スコラ的なのは、それが反カトリックだからだ、と著 者は述べています。両者の違いはかくも大きいわけなのですが、動機の違 いこそあれ、それら二つの批判的アプローチは結果的に、中世スコラ学に ついての同じようなイメージを投影していたのだといいます。 * さて、こうした流れにあって、さらに18世紀末からは、哲学史は新たな シナリオを発展させていく、と著者は言います。つまり西欧世界の、民族 的・超民族的なアイデンティティを模索していくというわけなのです。歴 史主義的なアプローチ(現象の解釈において歴史的条件を重く見るという 立場)は、19世紀には人文学のパラダイムとして課せられるようにな り、哲学史もまた、もはや普遍的な理性が形成される大きな物語ではな く、人種的・民族的なアイデンティティを掲げた哲学的諸文化の歴史とし て、細分化された形を取るようになるのだといいます。 そうなると、中世はそれぞれの民族にとってとくに重要な参照先となって いきます。なにしろ、各国の言語が登場するのも中世なら、近代的な政治 の輪郭が描き出されていくのも中世だとされるからです。こうして、距離 を取った客観的な歴史主義というのとは別の、ある種の民族主義に裏打ち された「自国の」中世史が重視されるようになっていきます。中世は異質 な世界ではなく、一続きのものとして捉えられ、さらには、ルネサンスに おいていったん見失われた中世が、未来への指標として再度見いだされて いくのですね。時代はある種、素朴な意味でのナショナリズムの時代に突 入していきます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その16) 前回は、接触は作用の伝播の基本ではあるけれども、すべての場合に必要 とはされないという話、さらには作用に対して反作用は原則生じないもの の、いくつかの例外的事例もあるとった話を見ました。今回は、ビュリダ ンの『生成消滅論の諸問題』から問題20を見てみます。そこでは、作用 というものが、力の均衡もしくは小さな不均衡から引き起こされるかどう か(utrum possibile est esse actionem ab aequalitate vel etiam a proportione minoris inaequalitatis)を考えています。 前回のところで、作用に対する反作用も場合によってはありうるとの説明 で、ビュリダンは水を火に投げ入れる際、水が火を消すと同時に蒸気とな ることを例として挙げていました。この問題20で最初に挙げられている のもその例です。繰り返しになりますが、水を火に投入すると、火は消え ますが、水もまた蒸気となって消えてしまいます。その場合の水と火の作 用力は均衡しているか、もしくは小さな不均衡の状態にあるかだと考えら れます。仮に両者の作用力が均衡しているなら、相互の作用はごく当たり 前のこととなります。もしいずれか一方が他方よりも作用する力が強いと したら、火が消え水も消えるということは、力の大きな側から小さな側へ の作用のほかに、小さな側から大きな側への作用もあるということになり ますが、あまり大きな差があれば作用は伝わりません。ゆえに、両者の力 の不均衡は小さなものだということになります。 次に今度は、葡萄酒の瓶に水滴を垂らす場合が挙げられています。水は葡 萄酒よりも作用力は小さいとされていますが、それでいて葡萄酒の作用力 をわずかながら弱めることができるとされます。もしそうでないなら、二 滴目や三滴目を入れても葡萄酒の力は最初と変わらないことになり、する と論理的には、やがて瓶一つ分の水を葡萄酒の瓶に入れたとしても葡萄酒 の力は変わらないことになってしまい、事実と矛盾するというわけです ね。このことから逆に、水と葡萄酒の場合でも、小さな不均衡が作用を引 き起こしうることが論証されるというのです。同じように、大きな火に水 滴を垂らす場合でも、火にまったく影響を及ぼさないわけではなく、その 水滴が垂れた箇所では変化が生じる(赤く燃えている炭に水滴を垂らす と、一瞬その箇所が黒くなり、それからまた燃え上がるなど)と指摘され ています。 このように、作用は力の均衡もしくは小さな不均衡から生じることができ るという立場が示されました。次に今度は、それに対する異論として、ア リストテレスの議論が挙げられています。アリストテレスは、位置的な運 動(移動)の場合について、動因が動体よりも大きな潜在力をもっている 場合ほど、動体の速度も増すということを論じています。動因と動体が均 衡状態もしくは小さな不均衡な状態にある場合には、動体は動かない、あ るいはわずかな速度でしか動かせないことになってしまいます(注釈者ア ヴェロエスは、動因の潜在力が動体の潜在力を越えない限り、動因は動体 を動かせないと論じている、とされています)。 ビュリダンはこの問題について次のように結論づけています。すなわち、 作用する側(作用因)と作用を受ける側(受容体)について、作用が生じ るには、作用因の潜在力が受容体の潜在力(受容力)に勝っている必要は ない、というのです。その理由として挙げられているのが第一質料です。 第一質料は受容体としての潜在力はきわめて大きいとされますが、ごくわ ずかな力の作用因によっても作用を受けるからです。 では上のアリストテレスの議論はどう解釈すればよいのでしょうか。ビュ リダンは、そこで比較されているのは、動因の作用の潜在力と動体の受容 の潜在力ではないと喝破します。自然の作用においては、動因は作用が可 能な範囲において働きかけるのであり、受容体には抵抗力が必然的に備わ っているはずなので、比較すべきは、動因の作用力と動体の抵抗力である と解さなくてはならないというのですね。問題は受容の潜在力ではなく、 抵抗する力にあるのだ、というわけです。実際、アリストテレスみずから が、作用力、受容力、抵抗力の三種を区別しているといいます。 熱さや冷たさの相互作用についてはどうでしょうか。ビュリダンはそれら が相互に応分に(可能な範囲で)作用し、また作用を受けることを認めて います。水を火に注ぐという上記の例もそれにあたります。また、両者が 小さな不均衡である場合も、相互に作用し、また作用を受けるとしていま す。その場合には、分量的に勝るほうが残る形となるというのですね。面 白いのはその次の結論です。ビュリダンは抵抗力というのは静止もしくは 定常を目指す傾向のことを言うと考えています。その上で、熱さや冷たさ は、原則的に抵抗力よりも作用力が強いというのです。そもそも作用によ って抵抗が生まれるわけですし、熱さと冷たさがともに作用しあう場面で は、抵抗する側は弱められる形でしかみずからを保持できず、「勝る」と は相手が弱まることを意味します。したがって理論上、いずれかの抵抗す る力(定常化の力)は、作用する力には勝てないということになる、とい うわけです。 以上、作用と力の大小の話だったわけですが、前回の接触の問題、作用・ 反作用の問題も含めて、これらの議論は、その後に続く議論へのいわば前 哨戦のようなものになっています。その本戦はというと、すでにテーマと して示唆されていますが、元素の問題です。一連の作用の問題でも、すで に一部先取り的に元素に関わる話(水と火の話のように)が取り上げられ ていると見ることもできますが、この後の各問題では、まさしく元素の問 題こそが、議論の本丸になっていくようです。というわけで、次回からは 重点的にそのあたりのことを取り上げていきたいと思います。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は03月25日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------