silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.329 2017/04/08 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 中世思想研究の政治性(その5) プラロンの著作『哲学的中世研究の近代の理性』(Vrin, 2016)を読ん でいます。前回の箇所ではドイツの詩人ヨハン・ゴットフリート・ヘルダ ーの思想が取り上げられ、その思想の二つの軸として、宗教の称揚と自然 誌の方法論が挙げられていました。この両軸のその後の展開について、プ ラロンはいくぶん詳しく論じています。今回はそのあたりから見ていくこ とにしましょう。 まず宗教の側面ですが、ヘルダーにおいては、キリスト教とギリシア文化 がまるで地続きであるかのように語られているのでした。中世の哲学が両 者の仲立ちをしている、というのですね。そしてその「宗教的な」中世こ そが、西欧各国の共通の過去、国家を越えた文化的統一をもたらすことに なるというのです。マイナースやヘルダーなどが素描した理解はそのよう なものでした。ですがそうした理解は、実はイエナ・サークル(シュレー ゲル兄弟、シェリング、フィヒテ、シュライアマッハーなどが属してい た、イエナを拠点とするドイツの初期ロマン派のグループ)において練り 上げられたものだったといいます。サークルの中心人物だった詩人のノヴ ァーリスは、キリスト教の旗印のもとに欧州の結集を構想していました。 ノヴァーリスは中世を、民族主義で分割される前の、キリスト教で統合さ れた黄金時代として思い描いていたといいます。 イエナ・サークルで哲学史の分野を代表する知識人だったのが、フリード リヒ・シュレーゲルでした。シュレーゲルによる中世の「復元」の試み は、ノヴァーリスの構想を反映したものでしたが、19世紀に入ると次第 に保守化していったといいます。シュレーゲル自身(もとはルター派の牧 師でした)がカトリックに改宗し、カトリックの保守系のサークルと交流 するようになります。シュレーゲルは兄のアウグストとともに新聞や雑誌 を刊行したほか、ベルリンで美術史・文学史の講義を行い、後にはケルン 大学で哲学を講義するようになります。 シュレーゲルは1804年のケルンでの講義で、中世哲学のほうが古代ギリ シア哲学よりも秀でている(!)とまで言ってのけます。中世哲学にはア リストテレスの知識に加えて、啓示にもとづく真理をも備えているから だ、というわけです。その一方で、スコラ学者たちは真理を手にしながら も、その隠された知を探求するのではなく、外的な形式や議論に始終して いる点で、質的に欠点があった、とも述べているのですね。その欠点を正 すのは今の時代の自分たちなのだ、ということなのでしょう。少なくと も、高揚を特徴とするギリシア哲学に対して、静謐さと神秘に彩られた中 世哲学を上位に置いてみせる点に、シュレーゲルの特徴があったのでし た。 同時にその宗教的・精神的な中世哲学は、啓蒙主義の醒めた理性主義にも 対置されるようになります。ここにおいて、イエナ・サークルのその動き は、フランスを中心とするスコラ学、さらにフランスの啓蒙主義に対立す るものとなり、ドイツの民族主義のプロモーションに重なっていきます。 プラロンによれば、そこにはさらに多重的な動きがあって、それは世界的 な「非インド=ヨーロッパ文化」にも対立するものになるというのです。 シュレーゲルはインド文化の研究にも熱中し、サンスクリット語が哲学的 観念を表現するのにとりわけ適した言語であるとまで言い切っているのだ とか。それに連なるのが、なんとドイツ語だというのです。幅広いインド =ヨーロッパ語族の中で、ドイツ語が最も純粋であるとされ、特権的な地 位を占めている、と説かれるのですね。 もう一つの軸である自然誌の方法論はどう展開していくのでしょうか。再 びヘルダーに戻ると、ヘルダーは欧州の人的な混成状況を高く評価してい たのでした。プラロンはここで、19世紀初めのフランスに目をやりま す。そちらにも哲学史の比較論的アプローチの代表として、自然誌のモデ ルを採用した人物がいました。ジョゼフ=マリー・ドジェランドです。も とは言語学者ですが、国務院の参事官などを歴任した公人でもありまし た。哲学においても、後で登場するヴィクトール・クザン以前では最も重 要な哲学史を著した人物(『哲学大系比較史』、1822)とされていま す。 ドジェランドはドイツの哲学に影響を受けた反革命派であり、前出のブー ロー=デランドの試み(唯物論的な観点の哲学史を構築しようとしたので した)に批判的でもありました。ドジェランドの哲学史は、実は1804年 に第一版が出ているのですが、そちらは図式的・非歴史的なスタンスで書 かれたもので、1822年の第二版で歴史的な文脈に即したものになったと いいます。その中で中世哲学は、歴史上特異なコントラストをなしている と強調されているのだとか。一つには、中世哲学においてはじめて、哲学 は「方法」を採用し始めたのだとされます。つまり、アラビア世界から継 承したスコラ哲学の方法論が、ここで評価されているわけです。もう一つ には、中世哲学は生物における変種のような様相を呈しているとも評され ています。つまりそこには、文明の一種の若返り、再生が見られるという のです。 その歴史観によれば、古代世界の末期、人間精神は倦み、疲弊し、技法と 想像力を失った思弁哲学へと硬化していたとされます。それが中世になっ て少しずつ若返り、美術や文芸が復興するに至ったというのです。そんな わけで、ドジェランドは中世を近代の黎明期・幼少期に位置づけます。人 文主義や啓蒙主義が、1400年代とルネサンスとの間に見いだした断絶 を、ドジェランドはなかったことにしてしまいます。近代化の動きは、西 欧世界に11世紀から内包されていたのだ、というわけです。古代末期か ら眠っていた精神が、そのころから目覚め始める、というのですね。なん だかずいぶんとあっけらかんとした(脳天気なまでに?)考え方ですね。 このあたりの話、次回も続きます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その18) アリストテレスの『生成消滅論』に準拠し、元素についてビュリダンが論 じた議論を見ているところです。今回は問題23と24を見ていくことにし ます。問題23は「混合は可能か」(utrum mixtio sit possiblis)という 表題になっています。ビュリダンは、基本的に混合は可能だという立場を 取りますが、その議論はいつもながらの周到さです。まずビュリダンは、 混合には本来的な(proprie)混合と非本来的な(improprie)混合があ ると述べています。 非本来的な混合とは、混成可能なもの同士が現実態として並存する状況を 言います。たとえば異質な穀物同士が混ざるような場合や、布の中に羊毛 が織り込まれる場合、あるいはより微細な混合として、薬草をすりつぶし て混ぜるような場合です。一方、本来的な混合とは、混合してできたもの が均質になるようなものを言います。そこでの混成可能なもの同士は、位 置によって量的に違っていたり、部分に大小があったりするようにはなら ないとされます。両者は完全に溶け込み、滑らかに均一化するのですね。 この本来的な混合が可能である、とビュリダンは主張します。質的な面で のそうした混合の例として、熱いものを冷えたものに隣接させると、とく に何かが闖入するわけでもなく、熱いもの、冷えたものはそれぞれ緩和さ れ、中間的な温度になることが挙げられています。ビュリダンはこれが元 素の形相にも適用されると考えていますが、そこに、形相が属性としての 大小を受け容れるかどうか(つまり形相自体に縮小・拡大がありうるかど うか)で、二つの可能性を挙げています。 形相が大小を受け容れるとするなら、火と水が隣接されると、相互に影響 し合い、火は水の実体的形相を弱め(縮小させ)、水は火の実体的形相を 弱めると述べています。こうして、火が水の形相を縮小させる際、水の質 料に火の形相が生じることになり、水が火の形相を縮小させる際には、火 の質料に水の形相が生じることになります。一方、形相が大小を受け容れ ないなら、水と火が隣接する場合、両者の温度的な質が中庸にいたるまで 強いほうの作用力が減じ、水もしくは火が消滅し、その質料に、そうした 中庸的な性質を要請する新たな(混成的な)形相が生じることになる、と 考えられます。その場合でも、結果の全体は、量的には同じ結果なるわけ ですね(前段の問題で示されていた議論からすれば、ビュリダンはこちら の説に重きを置いているように思われます)。 いずれにしても異種の元素の混合は、上の非本来的な混合のように両者が 並存するか、あるいは本来的な混合として、それぞれの作用力が弱められ て質的に中庸になるか、もしくは実体的な消滅と別の実体的形相の生成を 伴うかのいずれかになる、とされます。どの場合でも結果は均質な状態と なる、というわけです。重要な点は、とにかく本来的な混合においては、 それ以前の単体での元素は、それ自体としては維持されずに少なくとも部 分的に消滅するということです。ここでは取り上げませんが、混合は可能 ではないとする多くの異論は、その点において否定することができるとビ ュリダンは考えています。 続く問題24では「端的に消滅したものは同一個体として蘇ることができ るか」(utrum quod est simpliciter corruptum possit reverti idem in numero)が問われています。確認になりますが、idem in numeroと は「数の上で同じ」ということですので、同一個体という意味ですね。こ の問題については、『天空論』第一巻におけるアリストテレスの反論が示 されています。消滅したものが同一個体として蘇るには、潜在性が過去に 及ばなくてはならないが、潜在性はそもそも過去には及ばない、したがっ て消滅したものは同一個体として蘇らない、というわけです。ビュリダン はこれを踏襲し、自然においては(naturaliter)、実体的・端的に消滅し たものが、同一個体として蘇ることはできないと述べています。 この立場は論証は難しいが納得はできる、とビュリダンは言います。アリ ストテレスが、運動の動体と動因が変わらなくても、運動は中断され再開 されることがありえ、その場合に運動は数として同一ではないと述べてい ることを踏まえ、連続する大きさにおいても、以前の時点の大きさと、そ れがより大きくなった場合とでは、大きさは別物になっている可能性があ る、と論じています。水が分割されるような場合も同様であり、連続性の 中断は、存在していたものが存在しなくなる場合にも当てはまる、とされ ています。 ほかにも、消滅したものが同一個体として蘇るには、動体と動因とが互い に同じ関係をもっていなければならないが、第一動因たる神と、第一動体 たる天球との回転運動における関係ですら、時間の違いが介在するがゆえ に同一の関係ではありえない、という議論などが挙げられています。詳細 は割愛しますが、自然哲学(自然学)と神学を混成させた議論も、論証す るのは難しいとビュリダンはコメントしています。その一方で、ビュリダ ンは、「超自然的には」(supernaturaliter)、消滅したものが同一個体 として蘇ることを妨げるものは何もないとも述べています。復活をベース とするキリスト教の教義を逸脱するわけにはいかないからでしょう。この 同一個体の復活についての話は、次回にももう少し続きます。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は04月22日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------