silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.334 2017/06/24 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ 中世思想研究の政治性(その10) ドイツ神秘主義の代表格の一人に、14世紀の神学者マイスター・エック ハルトがいます。今でこそ代表格となっているエックハルトですが、この 人物は19世紀初頭ごろまで、長らく忘れられていたようなのです。で は、いかにして再評価・再浮上がなされてきたのでしょうか。エックハル トの再評価をなした研究には、前回の末尾で触れたように、まずはシャル ル・シュミットの博論がありました。 それに続くのが、デンマークのルター派司教、ハンス・マルテンセンが 1842年に刊行した『マイスター・エックハルト:神学研究』という本で す。これにはエックハルトのドイツ語での説教も収録されていたといいま す。マルテンセンはエックハルトを、「ドイツ的思索の始祖」とまで呼ん でいるのだとか。マルテンセンの手にかかると、ヘーゲルやシェリングな どの哲学も、神秘主義の発展形と見なされてしまうのですね。マルテンセ ンは近代の始まりを1300年ごろと見なし、エックハルトとダンテの時代 に、プロテスタント的な傾向が現れてくるのだと主張していたようです。 ちょうどそれは、世俗語、つまり各国語が、哲学の領域にも台頭してくる ころでもありました。 エックハルトのドイツ語での説教は、1857年に校注版が出ます(校注者 はフランツ・プファイファー)。1860年代になると、挑発的なタイトル のモノグラフがいくつか登場するようです。エックハルトを精神哲学の始 祖、あるいはプロテスタントによる宗教革命の先駆者と見なすような論考 です。ですが、やがて今度はそれらが議論や批判の対象にもなっていくら しいのです。マルテンセンの示したようなエックハルト像ともまた違っ た、どこか教条的なものになっていくのですね。 プラロンによれば、中世の神秘主義を民族的に取り込むプロセスが絶頂期 を迎えたのは、1874年から93年にかけて三巻本で出た『ドイツ神秘主義 の歴史』をもってのことだといいます。著者はウィルヘルム・プレーガ ー。福音主義の神学者です。この人物は中世の神秘主義について、空間 的・歴史的な二つの区分をもちこみます。つまり地理的にはライン川、年 代的には14世紀が、ほかの地域、あるいはそれ以前の時代と一線を画し ているという認識です。ライン川を境とする考え方は今も根強くありま す。また14世紀が重要とされるのも、今なお続いている気がします。そ れよりも前の時代は、神秘主義的な企ては異端もしくは不純なものとして 周辺に追いやられていたわけですね。それが14世紀になって、神秘主義 そのものが刷新され、真に宗教的な性格をもつようになったというので す。 かくしてエックハルトの神秘主義は「完徳的な生」の在り方を、大衆およ び知識人らにドイツ語で示したとされ、まさにドイツ固有の神学として不 動の地位を与えられていきます。プラロンの本は全体として序論めいたと ころがあり、エックハルトの再評価についてこれ以上の細かい検証はなさ れていません。同章の残りの部分では、ドイツのそうした民族主義的な哲 学史が、その対立の拠り所とされたフランスの側にどういう影響を及ぼし たかをまとめているのですが、これは総論にあたる第一章をまとめた際に すでに概要を見たので、ここではあえて取り上げないでおきたいと思いま す。全体的には、まずその民族主義史観はフランスでも好意的に受け止め られ、次いで次第にそれへの反動・対抗というかたちで、フランス国内の 思想家(アベラールなど)が改めて持ち上げられてくる、という流れにな るようです。 いずれにしても、このような「研究史」そのものについても、より詳細な 研究が今後待たれるところです。エックハルトに関して言えば、世俗語で の説教が当初重視された一方で、ラテン語の著作が取り上げられるのはも っと後のことになるようです。それがどのように注目されていったのかな どは、興味深いところです。エックハルトだけではありません。たとえば クザーヌスなどの再評価もまた面白そうなテーマではあります。また、そ れに先立つフライブルクのディートリッヒなども、どう再評価されてきた のか気になります。エリウゲナから連綿と続く、ドイツ以外の神秘主義の 再評価についても、より細かな研究があってしかるべきでしょう。 * さて、私たちはここでいったん引き返し、今度はプラロンの同書から第二 章を少しだけ見ておきたいと思います。そこで取り上げられるのは、アラ ビア哲学の再発見です。これも全部を取り上げるわけにはいきませんの で、要点だけをざっくりまとめることにします。アラビア哲学は、啓蒙主 義の時代に、中世のある種の「精神」を体現するものとして受け止められ ていました。中世は暗黒の時代と見なされていたわけですから、当然アラ ビア文化もそのようなものと見なされ、狂信的思想、あるいは政治的暴政 に結びつけられていました。アリストテレスの崇拝が猛威を奮い、そこに 狂信的に従属していたのがアラビア思想である、と決めつけられていたの ですね。 一方で、そんな中から、アラビア哲学をイスラム教の派生物、その夢想 的・異教的な教説の産物と見なす考え方や、中世をラテン世界の哲学とア ラブ世界の哲学との出会いの場として捉える考え方も出てきたといいま す。ルネサンス以降、ヨーロッパが近代へとシフトするに従って、ラテン 中世の哲学とアラビア哲学はいっとき完全に分離し、続く啓蒙主義の時代 においては、中世アラビア思想はギリシア哲学の保存にのみ役立った取る に足らないもの、とも見なされていたのでした。そしてここでもまた 1800年ごろを境に、見方が変わっていくことになるようです。そのあた りを次回に取り上げます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ビュリダンの生成消滅論(その23) ジャン・ビュリダンによる『生成消滅論の諸問題』第二巻を見ています。 前回の問題6では、実体的形相をなす第一性質と平行して、潜在的性質な るものを考えることで、様々な物質的現象を説明できるようにしているの では、というあたりを見ました。続く問題7から9は、元素がもつ共通の 性質(qualitas symbola)について問うています。たとえば空気と火に 共通する性質としての「熱」などです。これはときにより潜在的性質でも ありえますし、形相をなす主要な性質でもありえます。 ここでは、これらの問題はざっと簡単に見ておくだけにしましょう。共通 の性質はまず、生成・消滅において温存される(残存する)のかという問 題が検討されます(問題7)。ビュリダンは、潜在的性質として形相に位 置づけられない場合(つまりは質料側に位置づけられるということになり ますが)、その性質は生成・消滅に際して存続しうると考えています。 次に今度は、元素が別の元素に変化する際に、共通の性質があるとないと では、変化のしやすさ・速さは違ってくるのかが問われます(問題8)。 違ってはこない、とビュリダンは主張します。元素の違いは、共通の性質 以外での大きな対立(元素同士の相反する作用とそれぞれの抵抗力)によ ってもたらされているので、たとえ共通の性質があっても対立関係はたや すくは解消されない、としています。また、共通の性質がない場合は、確 かに変化はいっそう難しく、いっそう遅れるが、それは相対的なことにす ぎないとして、アリストテレスの文言(「共通の性質をもつものはより容 易に変化しうる」『生成消滅論』第二巻4章、331a24-26)は相対的に 解されるべきだと述べています。 問題9は、共通の性質がない二つの元素は、任意の第三の元素に転じるこ とができるか、というものです。ビュリダンは当然ながらこれを肯定して います。主要な性質から、たとえば火と水は土をもたらすことができると 述べています。水が火よりも冷たさにおいて勝っていて、火が水よりも乾 きにおいて勝っているとき、両者が結合すると、水は火の熱の性質を消滅 させ、また火は水の湿った性質を消滅させ、結果的に冷・乾の性質が残 り、両方の性質をもった土ができる、というわけです。また潜在的な性質 からも、別の元素が生成することは可能だとされ、火が水のよりも熱にお いて勝り、水が火よりも湿度において勝っているとき、両者の結合によっ て熱と湿の性質が残り、それらをもった空気ができうるともされていま す。 こうしてみると、ビュリダンの議論では、元素も性質も種類としては四つ ですが、四元素のいずれにも性質の上でのばらつきがありえ、それらのバ リエーションの組み合わせによって、多岐にわたる実体的な物体が構成さ れうるということになるようです。ですから、たとえば通常ならば空気に 求められるような熱の性質を多くもち、それゆえとても軽い土というもの が存在しえることになります(石灰岩とか?)。その土は、いったん水や 空気に転じることなく、いきなり火に転じることができるとされたりもし ます。アリストテレスの四元素説は、こうして精緻化されていたわけです ね。 続く問題10と11は、表向きの話題は「混成」(mixtum)ですが、単純 な元素から自然界の複雑な事物がいかに出来上がるのかを問題にしている と見てよいでしょう。まず問題10は「中庸的な場で混成されるものは、 すべて単純なものから構成されているか」。もとの文言はアリストテレス のものです(『生成消滅論』第二巻8章、334b30-32)。中庸的な場で 混成されるものとは、いわば性質として両極端の間の状態で、確固とした かたちをもつ構成体、つまり動物や植物、鉱物や金属などを言う、とビュ リダンは解釈します。また、すべて単純なもの、とは元素のことです。つ まりここで問題になっているのは、自然界にある複合体全般のことです ね。それらが元素だけから成るのかどうか、ということなのですが、ビュ リダンはこれにやや否定的です。自然界に在るものは、実体的に存在する 元素のみによって完成形(完全なる混成体:perfecte mixtum)にいた るのではなく、元素が実体的にまず複数のいわば中間物を成し、それらの 組み合わせによって実体的な完成形は成り立っている、という解釈を採っ ているように思われるからです。 複合体の混成は、元素の形相とは異なる実体的形相のもとでなされる、と ビュリダンは述べています。「完成形が存在ないし生成するための、元素 以外のなんらかの力、あるいは自然の元素の力に類するものが、必要とさ れる」(exigentes tamen ad sui esse vel ad sui generationem virtutes aliquas derelictas ex elementis vel similes virtutibus naturalibus elementorum)というのです。ただ、完成形の混成は元素 から成ると述べることもできる、というようなことをビュリダンは言って います。完成形には、元素の形相とは別のそうした形相が必要とされるの ですが、その際に質料をなすのはやはり元素(または元素の実体的な中間 物)であり、その意味においては、全体は元素から成っているといえる、 ということのように思われます。上のアリストテレスの文言も、そういう ことを意味しているとビュリダンは解釈します。 続く問題11は「なんらかの混成体は、単純かつ完全に中庸的でありうる か」です。中庸的とは、一つには諸性質が均衡する状態のことを言い、実 体ごとに異なります(人間にとっての中庸の状態と、たとえば蛙にとって の中庸の状態は違うわけです)。もう一つには、極端な性質同士のまさに 均衡状態を言う場合があります。これを踏まえてビュリダンは、前者のい わば相対的な均衡状態は、まさに諸物体の理想的状態ではあるのだけれ ど、それが生じるケースというのは稀であり、あっても時間的に短いもの でしかないと述べています。また後者の絶対的な均衡状態も、それ自体の 存在は疑えないものの、あらゆる性質の絶対的な均衡状態を精密に論証す ることは、事実上不可能であると論じています。ビュリダンのもつリアリ ズム的な感覚が、ここにも反映されていると思われます。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は07月08日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/?page_id=46 ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------