silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.335 2017/07/08

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------文献探索シリーズ------------------------

中世思想研究の政治性(その11)


アラビア哲学の受容小史について、プラロン本で流れを追ってみましょ

う。同書はまず次のような概略を示しています。すでに見てきたように、

18世紀末ごろから、哲学史は、諸民族がおのれの根っこを見いだすため

の手段として、歴史や神話の構築に取り組むようになりました。こうした

イデオロギー的な動きにあって、アラビア哲学は、ギリシアとキリスト教

西欧の文化的同一性を損ないうる、危険な存在と見なされるようになりま

した。12世紀から13世紀にかけて、ラテン中世にはギリシア語の文献も

少なかったというのに、イスラムの世界ではギリシア哲学がさかんに読ま

れていたからです。


このことから、哲学史のドグマにおいて、アラビア哲学は、ギリシア哲学

を、すなわち「西欧」を「汚染」する悪しき存在とみなされていきます。

その一方で、ギリシア哲学がアラビア世界にどう伝わったのかについての

関心も、逆接的に高まっていきます。そのような両義的・複合的な流れの

一つの到達点が、アヴェロエスとアヴェロエス主義を扱ったエルンスト・

ルナンの博論(1852年)なのだといいます。


プラロンは、いったんそう述べた後、そこに至る長い経緯を振り返ってい

きます。まずは18世紀の啓蒙主義時代ですが、中世スコラ学とアラビア

哲学は、ともに前科学的・迷信的なものとして、西欧の近代的合理性にと

って異質なものとみなされていました。18、19世紀にアラビア哲学につ

いて西欧が所持していたソースは、中世のラテン語訳の文献のほか、同時

代のユダヤ教ないしアラビア系思想家(アヴィチェブロンとイブン・カビ

ロルが同一人物だということを証明した19世紀のサロモン・ムンクな

ど)、そして当時のオリエント学者などに限られていました。ただ、一般

にオリエント学ではアラビア哲学の評価はきわめて低く、ギリシア哲学を

流用した「セコハンの哲学」(笑)と見なされていたといいます。


哲学史が大学の教科に昇格していくと、ラテン語文献を主なソースとして

(逆説的ながら、そこに中世とルネサンスの連続性が示されたりもするわ

けですが)、アヴィセンナとアヴェロエスがアラビア哲学の二大巨頭と見

なされるようになります。プラロンによれば、1648年のヤコポ・ガッデ

ィ編纂の人名辞典に、それら二人の名前が見られるといいます。とはい

え、アヴェロエスの評価は低く、どうやらそれには、ペトラルカによるア

ヴェロエス思想への猛反発や、16世紀の人文学者ヴィヴェスによるアラ

ビア文化の蔑視なども影響していたようです。


プロテスタント界隈では、前にも出てきたヤコブ・ブルッカーという人物

(18世紀)が、『批判的哲学史』(1744)において、アラビア哲学研究

の礎を築くことになります。ブルッカーは西欧の中世スコラ学とアラビア

哲学との近接性を強調し、アリストテレス哲学の劣化版をそこに見いだし

ます。ある意味、中世スコラ学とアラビア哲学は、相互に似たものとして

扱われるのですね。だいぶ薄まっているとはいえ、オリエント学が示した

ような低評価・蔑視もそこには含まれていたようです。このブルッカーの

哲学史は、その後1760年にサミュエル・フォルメというドイツに亡命し

たユグノーによって、短縮版がフランス語で出版されたりします。そこで

も、知性の隷属・宗教的専制文化を特徴とするとして、アラビア文化は低

く見られていました。同じくプロテスタント圏内ですが、初めて中世哲学

に肯定的な評価を下したティーデマンさえも、アラビア哲学については微

妙な反応を示していたようです。


次いで啓蒙主義(の無信仰・唯物論的な哲学)の時代になると、アラビア

哲学の評価は一変します。カトリックのスコラ学の価値を下げるために、

アラビア文化は科学的思考の誕生の地であるかのように見なされていく、

というのですね。プラロンによれば、アラビア文化に対するそうした評価

の背景には、啓蒙思想に見られる二つの流れが大別できるといいます。一

つは「実験科学」への理解、もう一つは宗教へのある種の「無関心主義」

です。この後者からは、宗教的寛容と無神論とが生じてくることになりま

す。


1737年ごろ、唯物論者ブーロー=デランドは、自然科学を含めたものと

してアラビア哲学を取り上げます。実際アラビア世界では、アリストテレ

スにもとづく自然科学が継承され、新たな技術、あるいは医学・化学での

進歩などが産み出されていたといいます。その点をデランドは高く評価し

ていたのですね。対する西欧は大きく遅れている、とデランドは考えてい

ました。ペトラルカからヴィヴェスにいたるそれまでの西欧の知識階級

は、ギリシア哲学を継承するのは自分たちだと主張し、アラブ世界を貶め

てきたのに対して、18世紀半ばには、こうして評価が一変します。ほか

にも、リシャール・ジラール・ド・ビュリといった哲学史家が、同じよう

にアラビア文化の自然学について賛辞を記しているといいます。


もう一つの宗教的「無関心主義」の側面からも、アラビア世界の評価は高

まっていきます。アラビア世界を無神論の揺籃の地と見なす論者が出てく

るのですね。ピエール・シルヴァン・マレシャルの『無神論者辞典』

(18世紀末)などです。アラビア世界は、ときに宗教的専制体制を体現

するものと見なされたりもしていましたが、一方で、内実の豊かな無神論

の地と見なされることもあり、その意味で、反カトリックの立場を奉ずる

啓蒙主義者たちからそれなりに評価されていくのですね。こうした両義性

はヴォルテールなどにも見られました。いずれにしてもアラビア世界は、

キリスト教的西欧とは対照的だと見なされていました。


この無神論観は、アヴェロエス主義の長い歴史に依存していたようだ、と

プラロンは述べています。ライプニッツや百科全書派、ドイツの折衷主義

者などが、アヴェロエスを不敬虔者として描き出していた経緯があり、

18世紀初頭には、啓蒙思想の先駆けとされるピエール・ベールも、そう

した反宗教的なアヴェロエス像を強調していました。アヴェロエスは、一

神教の三大宗教を蔑視する不敬虔の旗手とされていたというのですね。そ

れはさらに後のルナンにまで継承されていくというのです。このアヴェロ

エス像の変遷もなかなか興味深いところです。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ビュリダンの生成消滅論(その24)


ジャン・ビュリダンの『生成消滅論の諸問題』もいよいよ終盤で、あと残

すところいくつかの問題があるだけです。今回は残りを一挙にざっと見て

いくことにします。まず問題12は、混成による生成において、四つの基

本性質が主要な作用因をなしているかどうかを問うています。ここでの混

成による生成というのは、動物などを含む、現実世界の実体の生成という

ことです。アリストテレスの説では、混成の場合も、元素の変転の場合と

同様に、基本性質のいずれかが消滅するかたちで新たな生成物が生じると

いう話になっています。ビュリダンはさらに一歩進めて、その作用をもた

らすのは何かということを考えようとしています。


まず第一点として、混成による生成においては、元素だけで作用するには

不十分であるとビュリダンは考えます。元素同士は、新たな生成に向けて

相互に消滅したりはしないのであって、外部からなんらかの働きかけが必

要になるというのです。要は、元素を越えた、より高貴なもの、より上位

の秩序に属するものがなければ、生成は生じ得ないということですね。自

己組織化など基本的にはありえないというわけです。


生命あるものは、生命なきもの(無機物)よりも上位に置かれ、生命なき

ものは自己組織化はできない、生命なきものから生命あるものは産出され

ない、とされます。生命あるものについても、たとえば子が生まれるとき

には父親が直接働きかけるわけではなく、父親は種子をもたらすだけだと

され、種子だけでは生成の主たる作用因にはなりえないということになり

ます。混成的な生成においては、様々な要因が離在的・非物質的に働きか

けなくてはならない、というのがビュリダンの奉じる基本的なスタンスな

のですね。非物体的で離在的なものの存在が前提となります。


ビュリダンは、そのことゆえにアヴィセンナは非物質的な形態付与者

(dator formarum immaterialis)を唱え、それを神と同一視した、と

述べています。またプラトンがイデアを措定したのも同様とされます。イ

デアは神の心的な表象(事物の)であるとされ、その意味で神と同一視さ

れます。『原因論』の逸名著者はそれを第一原因、すなわち神とし、さら

にアヴェロエスは、『形而上学』第12巻で、下位世界はそれぞれ上位の

天体によって支配されはするが、それらよりさらに上位の原因として、普

遍的な所業を司る認識者が存在するとして述べていた、とビュリダンは指

摘しています。アリストテレス的な神も、同じように第一動者、第一の作

用因であるとされる、というわけです。


このように、神の秩序によって複合的な実体の数々が出来ている、という

のが原則論なのですが、では、ビュリダンが自問するように、「神が下位

世界における作用を停止したら、重いものが落下したり、太陽が照らした

り、火が暖めたりすることもなくなる」のでしょうか。もちろんビュリダ

ンはこれを否定します。注釈者ことアヴェロエスが言うように、神は世界

全体を動かすとともに、それに働きかけもし、その働きかけは、存在とし

て温存される(存在のうちに刻印される?)、というわけですね。ここで

再び、光源をなす物体とその照明の比喩が持ち出されています。


続く問題13は、生成と消滅は永続的か、と問うています。永続的なもの

(perpetuum)を、例によってビュリダンは意味論的に分けて議論を進

めます。まず大きな区分として、数的に同一である場合と種的に同一であ

る場合に分けます。そしてその後者はさらに、連続的である場合と断続的

に継起する場合とに下位区分されます。ビュリダンは、生成と消滅はこの

下位区分の二つめに含まれ、その意味で永続的である、と述べています。

アリストテレスが言うように世界が永遠であるならば、あらゆる生成は別

の生成に先立ち、あらゆる消滅も別の消滅に先立つわけですが、その意味

で生成と消滅は永続的なものと言える、というわけです。あるいはまた、

ある生成は他の消滅を、ある消滅は他の生成を伴うかたちで、断続的に継

起するという意味でもそれらは永続的だと言える、とも述べられていま

す。


キリスト教の教義が言うように、世界に始まりがあるとするなら、上の意

味論的な区分けのどれを当てはめても、生成と消滅が永続するとは言えな

いことになってしまいそうですが、それはあくまで信仰での話であって、

真理としては認められない、とビュリダンは述べています。真理と信仰と

が異なる場合があることを、さらっと示唆しているのですが、これはビュ

リダンのスタンスを検証する上で重要な点かもしれません。生成と消滅が

絶えず繰り返されているというのは、ビュリダンにとっては現実感覚のよ

うなものなのかもしれず、それはたとえばビュリダンが高く評価してい

る、ストア派の流転思想などにも合致するものでしょう。真理への道にお

いては現実感覚のほうが優先される、ということの示唆なのかもしれませ

ん。このことは、続く問題14にも現れています。


その問題14では「天体の運動が複数なかったならば、この世における生

成と消滅は永続しうるか」という問題が検討されています。生成と消滅は

地上世界にきわめて多数の実体をもたらしているわけですが、そのことは

より上位の構造によって規定されているのかどうか、という問題であるよ

うに思われます。ビュリダンは、世界が必然的に永続的で、天空の複数の

動きはありえない場合と、世界の永続が必然的ではなく、天空の動きは複

数ありうる場合とで解答が異なると指摘します。さらにこの後者において

も、真理と信仰とで解答は異なるだろう、と述べています。世界が永続的

で、複数の天体の動きがありえないのであれば、そもそも人間には多様性

はなく、事実上「一人の人間」で事足りるはずだとされます。運動が必然

的に単一であれば、多数の結果がそこから生じることはないわけですね。


となると、現実世界においては、後者(世界の永続は必然ではなく、天空

の動きは複数ありうる)の場合を考察しなければなりません。ビュリダン

は、ここでもまた信仰にもとづく解答よりも、真理が与える解答を優先し

ています。仮に天体が運動を止めたとしても、ただちに熱が冷に働きかけ

ることがなくなるわけではなく、元素のレベルでの生成と消滅は続くだろ

うといいます。けれども、やがては元素相互の作用も鎮静化していくだろ

うとしています。より完全な実体(生物など)の生成と消滅はまた違った

話になり、天体の運動が止めば多数性は大きく損なわれることになるだろ

う、とビュリダンは考えています。ビュリダンにおいては、真理(哲学的

真理)のほうへと大きく傾斜していることが改めて伺えるように思えま

す。


以上、ビュリダンの『生成消滅論の諸問題』を駆け足で巡ってみました。

次回は全体のまとめをしたいと思います。



*本マガジンは隔週の発行です。次号は07月22日の予定です。


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