silva speculationis       思索の森 ============================== <ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓> no.339 2017/09/23 ============================== ------文献探索シリーズ------------------------ ルネサンスと錬金術(その3) マルゴラン&マットンの『ルネサンス期の錬金術と哲学』から、いくつか 論文を読んでいくという今シリーズ。今回からはバーバラ・オブリスト 「中世の哲学と錬金術のアナロギアの関係」という論考を見ていこうと思 います。論集の二つめの論文です。さっそく見ていきましょう。まず最初 に、久しく認められてきたこととして、錬金術の理論はギリシア哲学の体 系にもとづいているというテーゼが示されています。ソクラテス以前のコ スモロジーなどとの関係性について研究があるということですね。その上 で論文著者は、中世において錬金術の変容をもたらす理論的基礎となった 哲学的教義については、まだまだ研究の余地があるとしています。 この哲学と錬金術との関係性については、散発的ではない、より体系的な 検証が必要ではないか、というわけです。錬金術のレトリックについて も、たとえばマルティン・プレナーという研究者は、錬金術の教義がドク ソグラフィ(学説誌)の中に隠されていた、と考えているようです。けれ ども一方で、コスモロジーと錬金術の教義との関係には、自然学から錬金 術を「推測・導出」しようとする側面も見られる、といいます。そうした 関係性を改めて辿ってみようというのが、この論文ということになるよう です。 関係性を探る手段として着目されるのが、アナロジー(類比)です。一口 にアナロジーと言っても、数学的な比例関係からもっと曖昧な類似まで 様々ですが、実際に中世の錬金術の文献においては、きわめて幅広い論理 学的・レトリック的な手法が模索されていたといいます。論文著者によれ ば、それらは批判的な検証にも晒され、幾多の失敗を伴ってきました。そ れはその通りで、もし成功していたならば、錬金術は哲学史の中にしっか りと根を下ろしていたはずです。 錬金術と哲学の関係は、年代記的には厳密に特定できていないといいます が、論文著者は限定的な時間設定(13世紀)をし、二つの段階に分けて 考察を試みています。第一段階は13世紀半ば過ぎまでの時期で、新しい 学知として導入された錬金術を、学問として位置付け、大学の制度の中に 組み入れようという努力がなされていた一時期です。第二段階は13世紀 末ごろまでのいわば移行期を指します。 中味を順に見ていきましょう。まず第一の段階です。12世紀に西欧に伝 えられた当時、錬金術は「学術」と「技芸」の両方の面を併せ持っていま した。つまり金属の生成や変容についての理論がある一方で、実際の指示 書や処方なども出回っていました。錬金術が拡散し西欧の地で発展するの は13世紀になってからです。するとその理論面が、大学のスコラ学の枠 内でも議論されるようになります。一方の実践面は、都市部において飛躍 的に拡大していきます。マイケル・スコットやヴァンサン・ド・ボーヴェ などは、錬金術を単なる変成の術と見なしているといいます。変成には金 属のほか、植物や動物なども関係することから、錬金術師は幅広い物質を 扱うスペシャリストと見なされるようになります。蒸留を通じて、医薬品 などまで生成していました。 アラビア世界では、錬金術は学術の分類において自然学に属するものとし て擁立され、アヴィセンナなどは、金属の生成・変成の理論はアリストテ レスの『気象学』の教えの一部をなすと考えていたのでした。また、この アリストテレス哲学との関連は、錬金術と医学との結びつきをも強化する ことになりました。アリストテレスの哲学が西欧において洗練されていく のと期を同じくして、錬金術の理論も同様に緻密化されていくことになり ます。アルベルトゥス・マグヌスがその代表例で、アリストテレスの諸理 論を補うべく『鉱物学』を執筆したりしています。 学術的な理論と実践との相互交流は、錬金術をほかの諸術(たとえば鍛冶 など)から区別する重要な側面をなしていたようです。錬金術は占星術や 医学(医術)と並んで、理論を備えた学知として台頭し、そのため大学で も取り上げられるようになったのでした。このように初期においては大学 教育に組み込まれるかとまで思われた錬金術ですが、その後はなかなか順 調とはいきませんでした。徐々に錬金術は、学知として問題含みと見なさ れるようになり、学術的地位が疑問視されるようになってしまいます。 アリストテレスの自然学は金属の生成を、大局的なコスモロジーにもとづ いた、四大元素による構成に限定して説明しようとするものでした。とこ ろがアラブ発祥の冶金の理論では、水銀と硫黄を金属の特殊な構成要素と して仮定していました。それは実践面からの要請によるもので、錬金術師 が働きかけることのできる構成要素が必要とされたからだったといいま す。この二つの理論の並走は、とりわけ西欧において、理論的統合を図る 必要を迫ることになりました。そしてそこで用いられるのが、論文著者に よればアナロジーによるアプローチだったというのです。この話、次回も 続きます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ クザーヌス『推論について』(その3) クザーヌス『推論について』の第四章に入ります。表題は「四種の一性に ついて」となっています。章の冒頭でクザーヌスは、知性(mens)とい うものがそれがあらゆる事物を内包し(comprehendere)、知性があら ゆるものの内にあり、また知性のうちにあらゆるものが含まれ(se in omnibus atque omnia in ipsa esse totaliter concludit)、何ものもそ の外にはなく、知性の認識を逃れることはできないと述べています。仏訳 の注を見ると、クザーヌスは人間知性を不完全なものと捉えてはいるもの の、一方で経験的事物については、それらを決して不可知なものとは見な していないと記されています。経験を越えたもの、つまり神的なもののみ が不可知とされるのですね。 次にクザーヌスは、思考はみずからがもたらす数的な一の像(それはごく 自然な自分の像とされます)のうちに、みずからの一性を観想すると記し ています。思考は自分を一つであるととらえますが、それは根源的な一者 の像であり、それを思い描くことで自分を理解する、ということでしょ う。で、ここからが面白いのですが、この一性には、四つの側面が見いだ されるというのです(ex numero quaternam venatur)。四種の一 性、ということでしょうか。 まずはこの上なく端的な一性があり、二つめには根源としての一性、三つ めは方形としての一性、四つめは全体・立方体としての一性です。これら はそれぞれ前回出てきた桁取り(一の位、十の位、百の位、千の位)に対 応しているとされます(それぞれが完全数なのでした)。クザーヌスにお いては、同時代の他の著者たちと同様、線は点から成るとは考えられてお らず(それは原子論の立場だからです)、そのため少しわかりにくいので すが、一つめは究極の無限との合一としての一、二つめはそれとは「別 の」多数性をもたらす根源としての一、三つめは四角形の完全体(一種の 射影?)をなす一、四つめは立方体として全体を包摂する一ということで しょうか。 クザーヌスは次に、思考はそうした一性を言葉でもって言い表す、と述べ ています。四種の一性に名前が付けられるというのですね。まず最も端的 で高尚とされる一性は、神と名づけられます。根源をなす二つめの一性は 知性と呼ばれ、三つめは魂(知性の縮約(射影?)であるとされます。四 つめは物体ですね。こうして思考はすべての事象を、それぞれ神的・知性 的・魂的・物体的のいずれかとして掌握することになります。それぞれ、 「事象を真理と見る」、「真なるもの(絶対の真理ではない)と見る」、 「真でありうるものと見る」、「真理の像から離れ、混乱へと至るものと 見る」ことになります。言うまでもありませんが、ここには新プラトン主 義の発出論的な階層構図があるわけですね。 第五章からはそれら四種の一性が一つずつ個別に取り上げられていきま す。まず「最初の一性について」と題された第五章です。まず、数が事物 の模範的モデルであるならば(si numerus rerum fingitur exemplar)、神的な一性はあらゆるものに先立ち、あらゆるものを包摂 すると考えられる(omnia praevenire complicareque videtur)とクザ ーヌスは言います。それはあらゆる多数性・他性・ 対立・不等性・分割 に先立ち、またあらゆる数を構成する大元でもあるとされます。その一性 そのものには名前もなく(言い表し得ないものだからです。神と呼ばれて いるのは便宜的にであって、その一性そのものを厳密に言い表しているの ではない、ということでしょう)、それでいてあらゆる事物におけるすべ てをなしている、と。まさにこれぞ絶対的な一、という感じです。 それはまた、無限の可能態をもつ一性でもあるとされます。すべての数よ りも無限に大きい、というのですね。その無限故に、あらゆる数にはそれ よりも大きな数がありうるとされるのだ、と。前にも出てきましたが、中 世盛期以降の無限の考え方には、自義的無限と共義的無限がありました。 つまり、無限というものがそれ自体で規定されるか、なんらかのものより も大きなものというかたちで規定されるかの違いです。ここでの無限は、 それ自体としてあらゆるものの全体を支えつつ、しかもそれ自体について は言い表すことのできない、絶対的・根源的な無限だというのですから、 クザーヌスはこの両者を再び接合させて論じているように見えます。 クザーヌスの議論は、ここで数学的・哲学的なものから神学的なものへと 一挙にスライドしています。思考の内奥にある根源的な一性を観想するこ とは、したがって事物の内奥の秘儀を洞察することにほかなりません。そ の一性はもちろん可滅的なものではありえません。また、その一性の確か さこそが、思考があらゆるものをおのれのうちに、おのれを通じて現前さ せる担保をなしている、というようなことも言われています(non nisi in eius lumine inquirit, nullaque esse potest quaestio, quae eam non supponat)。何かが存在しているかと問うことは、すでにしてその 実体を前提としており、その存在が何かと問うことは、すでにしてその 「何性」を、その存在はなぜ在るのかと問うことは、すでにしてその原因 を前提にしている(praesuppono)、とクザーヌスは説きます。絶対的 な一性はそのとき、あらゆる存在の根源的実体、あらゆる何性の根源的何 性、あらゆる原因の根源的原因、あらゆる目的の根源的目的をなしている というのです。 だからこそ、神学は明瞭かつ端的であり、しかも言葉では説明できない (sermone inexplicabilis)ものなのだ、とクザーヌスは説きます。神に ついてのあらゆる問いは愚かしいものでしかないとされます。言葉での問 いには肯定か否定かしかなく、しかもそれらは対立し合い、どちらか一方 しかありえないわけですが、絶対的な一性はそもそも、そのような二律背 反には決してならないとされるのです。相反するものの一方だけが擁立さ れることはない、と。 周知のように、相反するものの合一というのはクザーヌスが掲げる大きな テーマです。肯定と否定とはつねに対立しているわけですが、絶対的な一 者(神)はあらゆる対立に絶対的に先立っているとされます。ゆえに、そ うした一者にまつわる推論は、否定の対立物としての肯定をも許容する し、また肯定よりもいっそう真であるような否定を優先したりもします。 ということは、その推論はこの上なく真であるようなものではない (Non est igitur coniectura de ipso verissima)ということにもなり ます。確かに、神はあれこれであるという否定の言辞よりも、神は考えた り言い得たりするものではまったくないという言辞のほうが、真実に近い とは言えそうですが、その否定もまた厳密さに至ることはありません。そ うした対立を拒絶するような真理の概念こそが、最も絶対的なものなので すね。ゆえに神は存在するかとの問いには、神は存在しもしないし、存在 しないのでもない、存在しつつ存在しないのでもない、と答える以上に深 淵なる回答はない(Non poterit enim infinitius reponderi (...) quam quod ipse nec est nec non est, atque quod ipse nec est et non est)とクザーヌスは言います。そしてそれは、あらゆる問いにも同様に 有効なのだ、と。 (続く) *本マガジンは隔週の発行です。次号は10月07日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/?page_id=46 ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------