silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.351 2018/03/24

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------文献探索シリーズ------------------------

天使と場所について(その1)


今回からは、フランスのヴラン社から2017年に出た『天使と場所』(T. 

Suarez-Nani et al., "Les anges et le lieu", J. Vrin, 2017)というアン

ソロジー本を見ていくことにします。これは基本的に中世盛期の4人の哲

学者・神学者らによる天使論の一部を収録した本です。その4人とは、ゲ

ント(ガン)のヘンリクス、アクアスパルタのマテウス、メディアヴィラ

のリカルドゥス、そしてペトルス・ヨハネス・オリヴィです。いずれも

13世紀末ごろに活躍した論者たちです。今回のこのシリーズでは、論考

でははなく、各論者のテキストを要約でもって読んでいくことになりま

す。文献購読シリーズの最近の体裁をこちらにもってくることにしまし

た。


今回は一回目なので、まずはこのアンソロジーが編まれた経緯というか、

その背景について、同書の口上にあたる序文解説(編者のスアレス=ナニ

による)から見ていきましょう。「空間」の問題は、科学による解答が示

されながらも、今なお哲学的な問題としては開かれたままになっていま

す。そこを物体が占めるというはどういうことか、境界の問題はどう考え

ればよいのかとか、物体相互の関係性はどのように規定できるのかなどな

ど、まだ議論はとうてい出尽くしてはいないように思われます。こうした

空間についての議論ですが、歴史的に遡ると、まずは西欧近代初期の古典

期に遡ることができます。ですが、さらに遡って中世にも眼を向けること

もできます。とくに13世紀ごろから、自然学の研究として場所について

の問題が掲げられるようになりました。もちろんそこには、アリストテレ

スの『自然学』や『天空論』などの受容が関係していたわけですが、一方

で、ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』も大きな影響を及ぼしている

ようです。そちらも後の論者たちに神学的なコメントを促し、いわば議論

の対象を提供したのでした。


かくして空間の問題は、当時の自然学の考え方と形而上学的な議論とが関

与・交錯し、それぞれの論者によって様々なアプローチが提示されていく

ことになりました。物体の空間における在り方とはどんなものか、非物体

的な存在(天使など)の空間への関わり方はどう考えればよいのか、人間

の魂の空間的位置付けはどうなるのかなどなど、そこでも論点は多岐にわ

たります。そうした中から、一部にはアリストテレス自然学そのものを問

い直す姿勢もまた育まれ、新しい自然学が導かれていくことにも成ってい

った、という次第です。


中世における場所や空間についての考察は、形而上学的な二つの次元(問

題領域)をもたらした、と編纂者らは見ています。一つは対象として、人

間の経験の外にある実体をどう捉えるかという問題領域が、もう一つはア

プローチとして、事物が物理的な空間に組み込まれているとはどういうこ

とか、その可能性の条件についての問題意識が開かれていったのではない

か、というのですね。その意味で、そうした問題に対応する中世の諸概念

を再構成することは、自然学のドクトリンを復元するにとどまらず、形而

上学や神学の枠内で練り上げられていた理論を再度考察することにもなり

ます。まさしくそれが、同書の編纂意図らしいのですね。


取り上げられている4人の論者たちは、場所や空間について検討した嚆矢

というわけではなく、序文解説でも、まずは先行する数人の論者を紹介し

ています。最初に取り上げられるのが13世紀のボナヴェントゥラです。

ボナヴェントゥラによれば、天使などの霊的被造物は、量的で分割可能な

物理空間に含まれうるものの、その特定の位置に限定することはできない

といいます。天使には大きさがないため、場所を占めるという場合には、

空間の全体を占めることになるのだ、というのですね。空間のそれぞれの

部分のどこを取っても、そこに天使がいるということになるようです。ち

ょうどそれは、魂が身体全体を占めるのと同様だというのです。


これに対して、ほぼ同世代のロジャー・ベーコンは、天使は空間的座標の

外にいて、場所の局在については「不在ではない」とか「離れてはいな

い」とか、否定的言辞によってのみ言い表すことができる、としていま

す。ボナヴェントゥラとベーコンはフランシスコ会派ですが、ドミニコ会

派はどうでしょうか。アルベルトゥス・マグヌスなども、「場所にあるこ

と」と「位置を特定されること」とを区別し、天使は「場所にはあるけれ

ども、通常の意味での位置は特定されない」と考えていたようです。トマ

ス・アクィナスは、このアルベルトゥスの考え方を発展させ、天使は空間

的な大きさには与ることができないものの、それが潜在的にもつ力は大き

さや量を伴っており、物体的な場所に働きかけることができると考えまし

た。「操作・作用による位置の特定」というテーゼを掲げているわけで

す。


同書に収録の4人の論者たちは、トマスのすぐ後の世代に位置します。そ

こで問われているのは、霊的なものの位置特定問題ですが、その問題設定

は、有名な1277年のタンピエの禁令によって影響を受けています。禁令

では、トマスが示していた、天使は物体的世界にはどこにも存在しない

が、そのただその作用・操作においてのみ位置が特定され、その実体こそ

が位置特定の理由をなすとする考え方を排撃しています。このため当時の

多くの論者たちが、位置の特定の基礎はいかにあるべきかについて問い直

し、実体が属するカテゴリーや、量・場所・位置、そしてそれぞれの関係

性などについて、再び吟味するようになったとされます。場所について議

論する論者は、この禁令を無視することはできなくなるのですね。それは

これから見ていく4人の論者についても同様らしいのです。


……と、そんなわけで、次回から一人ずつ、序文解説と本文(の要約)を

もとに、私たちもそのあたりを見ていきたいと思います。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの自然学(その1)


こちらも今回からは新シリーズということで、ダンテの自然学と題し、

「水と土の二つの元素の形状と位置について」("De forma et situ 

duorum elementorum aque videlicet et terre")というテキストを見

ていきたいと思います。近年、ダンテの著作は、『神曲』などを中心に複

数の訳者によるもる邦訳が出、さらに最近では『帝政論』までもが文庫で

出たりし、それなりに活況を呈している感もありますが、この自然学プロ

パーのものはまだ珍しい部類に入るのではないかと思われます。


ここではオンライン公開のテキスト(http://www.classicitaliani.it/

dante/prosa/questio.htm)を底本として訳出していきたいと思います

が、参考として、ドイツのマイナー社から出ている羅独対訳本

("Abhundlung uber das Wasser und die Erde", usz Dominik 

Perler, Flex Meiner Verlag, 1994)も適宜参照したいと思います。今回

は初回ですので、ネットで拾った解説(Jay Rudd, "Critical Companion 

to Dante", Facts on File, 2008にもとづきます)から、このテキストの

成立状況について簡単にまとめておくことにします。これは1320年に執

筆された文書で、同年1月20日にダンテがヴェローナで行ったとされる講

義のテキスト、もしくはマントゥヴァにいたころに未解決だった議論への

応答として書かれたものとされています。1320年といえば、『神曲』の

完成の前年にあたり、当然そちらとの関連も気になるところです。


同文書が扱っている問題は、「水はそれ自体の領域において、自ら突き出

ている土よりも高いところにあったか」というものです。何が問題になっ

ているのかを理解するには、当時の世界観を押さえておく必要がありそう

です。当時まだ優勢だったアリストテレスの自然学では、月下世界の諸元

素も天球に続くかたちで同心円状の層をなしているとされていました。そ

の順番は、外側から順に火、空気、水、土となっています。ということ

は、水は土の上にあるというわけですね。ところが中世の世界観では、少

なくとも北半球において、土は大きな塊をなし、水の上にせり上がってい

るとされていました。土のほうが水よりも上になっている、というわけで

す。そんなわけで、この事実をどう考えればよいのか、アリストテレスの

説(当時は絶対でした)とどう摺り合わせればよいのか、というのが大き

な問題になっていました。ダンテがこの小著で取り組んだのは、まさにそ

の問題です。


この書は1508年にヴェネティアで印刷本として刊行されていますが、も

との手稿が残っておらず、ヴェローナでの講義(おそらくは宮廷関係者を

相手にしたもの?)も記録にないことから、研究者の間では本当にダンテ

の手になるテキストなのかどうか疑問の声も根強くあったようなのです

が、アナクロニズムがないことなどから(たとえば実は同書が発表されて

しばらくして、南半球にも陸地があることがわかりました。もし同書が後

世の偽作であるならば、それら新発見の痕跡がどこかに影を落としている

はずだ、というわけです)、今では真作の扱いになっているようです。と

いうわけで、さっそくテキストの冒頭を眺めていくことにします。いつも

ながらの粗訳ですが、どうかご容赦ください。



Universis et singulis presentes litteras inspecturis, Dantes 

Alagherii de Florentia inter vere phylosophantes minimus, in Eo 

salutem qui est principium veritatis et lumen.


本書を検証するすべての、また個別の人々に対し、フィレンツェのダン

テ・アリギエーリは、真の哲学探求者の端くれとして、真理の始まりと光

をなすものを讃える次第である。


I . Manifestum sit omnibus vobis quod, existente me Mantue, 

questio quedam exorta est, que dilatrata multotiens ad 

apparentiam magis quam ad veritatem, indeterminata restabat. 

Unde cum in amore veritatis a pueritia mea continue sim nutritus, 

non sustinui questionem prefatam linquere indiscussam; sed 

placuit de ipsa verum ostendere, nec non argumenta facta contra 

dissolvere, tum veritatis amore, tum etiam odio falsitatis. Et ne 

livor multorum, qui absentibus viris invidiosis mendacia 

confingere solent, post tergum bene dicta transmutent, placuit 

insuper in hac cedula meis digitis exarata quod determinatum fuit 

a me relinquere, et formam totius disputationis calamo designare.


1. 次のことを皆さんに明らかにしておこう。私がマントヴァにいたと

き、ある問題が持ち上がった。それは真理というよりも見かけのせいで

様々な議論を呼んだが、解決されないままに残っていた。幼少のころから

真実への愛によって育まれていた私は、前述の問題を議論しないままにす

ることには耐えられなかった。そこでその真理を提示し、真理への愛か

ら、あるいは虚偽への憎しみから、それに対して示される異論を解決して

みたいと思うようになった。また、嘘を吹聴することをつねとする、その

場にいない妬み屋たちの多くの悪意によって、私が見事に述べたことが私

の背後で書き換えられたりしないよう、私がみずからの指で用意した証明

書に、私自身がそれを書き残すこととし、議論の全体の姿をペンで留めお

くことは、いっそう好ましいことと思われた。


II. Questio igitur fuit de situ et figura sive forma duorum 

elementorum, aque videlicet et terre, et voco hic 'formam' illam 

quam Phylosophus ponit in quarta specie qualitatis in 

Predicamentis. Et restricta fuit questio ad hoc, tanquam ad 

principium investigande veritatis, ut quereretur utrum aqua in 

spera sua, hoc est in sua naturali circumferentia, in aliqua parte 

esset altior terra que emergit ab aquis et quam comuniter 

quartam habitabilem appellamus. Et arguebatur quod sic multis 

rationibus, quarum, quibusdam omissis propter earum levitatem, 

quinque retinui que aliquam efficaciam habere videbantur.


2. さて、その問題とは、二つの元素、すなわち水と土の位置関係、姿、

形に関するものである。ここで私が「形」と呼ぶのは、哲学者が『範疇

論』で4つめの性質として掲げたもののことである。問題は次の点にのみ

制限したが、それは真理たる原理を吟味するためである。すなわち、「み

ずからの圏における水、つまりその自然の環境にある水は、水から露わに

なっていて居住可能域とわたしたちが一般に呼んでいる土よりも、なんら

かの部分で高い位置にあるか」を検討する。これについては、多くの理由

から肯定的に議論した。それらの理由の一部は重要ではないがゆえに省略

したが、次の5つについては、なにがしかの影響力があることから、ここ

に記しておいた。



羅独対訳本の訳者・解説者ペルラーの解説によると、ダンテがいつ何の目

的でマントヴァに行っていたのかははっきりしていないといいます。いろ

いろな説があるようなのですが、1318年以降の晩年はラヴェンナに身を

寄せていたということで、短期間の滞在だった可能性もあります。2節目

の哲学者はもちろんアリストテレスを指します。『範疇論』の第8章に

「性質」(10のカテゴリーの一つですね)についての詳述があります。

で、その4つめの性質とは「かたち、形状」となっています。基本的な形

状(三角とか四角とか)のほかに、全体に対して部分がどのような位置に

あるかについても言う、とも説明されています。


というわけで、このようにボチボチと読んでいきたいと思います。お付き

合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。

(続く)



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