silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.360 2018/08/25

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------文献探索シリーズ------------------------

天使と場所について(その10)


酷暑の夏、皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか。本メルマガもまたぼ

ちぼちと再開いたします。再びお付き合いのほど、お願い申し上げます。

前回はメディアヴィラのリカルドゥスによる「『命題集』第一巻注解』第

三七部、第二項、問題1から4のうち、問題1を見てみました。今回はその

続きとして問題2を見てみましょう。問題2は表題が「天使は空間に、あ

るいは点のごとくに分割不可能な空間に在るのか(Utrum angelus sit 

in spatio vel in aliquo impartibili ipsius spatii, sicut in puncto)」と

なっています。


ここでもまた、否定と肯定の両論併記の後、著者の考え方がジンテーゼと

して述べられます。まずその問題に否定的なテーゼが示されます。その議

論は、分割不可能な物体は分割可能な空間には存在できないということを

前提にしています。ならば天使(分割不可な実体)は、空間上の分割不可

能な「点」に在るのか、という話になるわけですが、魂が身体の一点に在

るのではないように、天使も「点」にはありえないという話が続きます。


続いてアンチテーゼとなる異論が挙げられます。ここでは、離在的実体は

作用がある場所に存在するという考え方が繰り返されています。少し面白

いのは、天使よりも単純性が減じている魂が、形相であるとはいえ、身体

の各部分にそっくりそのまま(全体として)在るように(当時はそのよう

に言われていたわけですね)、より単純さが高い天使は、全体の各部分に

そっっくりそのまま在ることができる、と主張されていることです。もち

ろんこれはリカルドゥスの見解ではなく、反駁すべき論点です。


ではそのリカルドゥスの見解はどうでしょうか。ジンテーゼの部分で彼

は、天使は物体的な空間に在るが、その空間の各部分に同時に現前できる

ようなかたちで在る、と述べています。また、天使は物体的な大きさをも

たないため、空間の一部に天使の一部が在るというようなかたちでは現前

していないとされます。天使は空間と通約できず(共通の単位をもたな

い)、空間に囲まれることもできず、結局空間のそれぞれの部分に、そっ

くりそのままの全体として存在するしかない、というわけです。これは前

回のところでも出てきた話ですね。


続いてリカルドゥスはそのことを理解するための考え方を示していきま

す。ここで出てくるのは、単純さには4種類あるという話です。1つは否

定的な単純さで、これは要するに点などのように、延長を伴わない、「〜

がない」といった否定によって成り立つ単純さです。2つめは欠如の単純

さで、たとえば「大きさをもたない」など性質の不足による単純さです。

次に今度は肯定的な、霊的な広大さにもとづく単純さが挙げられます。神

について言われるような単純さですね。そして4つめとして、霊的な一定

の大きさを示す、肯定的な単純さもあるとされています。これが、被造物

である霊的存在の単純さということです。この4つめの単純さは、離在的

存在にとって一種の制限であると考えられ、かくして霊的存在の一つであ

る天使は、全体の空間では無理ですが、一定の空間であれば、その各部に

同時に現前することができるのだとされます。


この4つめの単純さもそれほど目新しい考え方ではありませんが、前回出

てきた、天使の制約は形相的に定められているという考え方と通底してい

ます。いずれにしても、単純さと「霊的な大きさ」とを分けて考えること

で、「単純さイコール大きさをもたないこと」ではない可能性を、リカル

ドゥスは示唆しているわけですね。霊的な大きさという言い方で、大きさ

の次元そのものは異なっていることを示しているのでしょう。こうして、

たとえば「分割可能な物体は分割不可能なもののうちには存在できない」

という命題は認めつつも、逆に分割不可能なものは、それが霊的な大きさ

をもつ単純さであるならば、分割可能な空間に存在しうると主張できるよ

うになるわけです。


では天使は点のような分割不可能な場所に在るのではないのでしょうか。

リカルドゥスは、これに否定的に応答します。一つには、点は場所ではな

く、場所の一部でもないという議論を示し、もう一つには、単純さは一点

に在る理由にならないとして霊的な大きさをもった分割不可能なものが点

に在るという考え方を斥けています。魂は身体の一点にあるのではないと

いう話にも補足がついていて、魂は形相として身体の各部にある一方、点

は身体ではないし身体の一部でもないとされています。点と場所とは同じ

尺度では括れない、通約できないというわけですね。このように、リカル

ドゥスは天使は場所とも点とも通約できないながらも、次元の異なる霊的

な大きさをもつ以上、点にではなく場所に在るほかない、と断定してみせ

ます。


次回はもう少しだけリカルドゥスの議論を見て、さらに先に進みたいと思

います。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの自然学(その10)


ダンテ『水と土の二つの元素の形状と位置について』を読んでいます。今

回は19節になります。さっそく見ていきましょう。この節にも図が付い

ています。ブログのほうにその図を貼り付けておきましたので、ご参考に

してください(http://www.medieviste.org/?p=9516)。



[XIX]. Et ideo, licet terra secundum simplicem eius naturam 

equaliter petat centrum, ut in ratione instantie dicebatur, 

secundum tamen naturam quandam patitur elevari in parte, 

Nature universali obediens, ut mixtio sit possibilis. Et secundum 

hec salvatur concentricitas terre et aque et nichil sequitur 

impossibile apud recte phylosophantes, ut patet in ista figura, ut 

sit celum circulus in quo A, aqua circulus in quo B, terra circulus 

in quo C. Nec refert, quantum ad propositum verum, aqua parum 

vel multum a terra distare videatur. Et sciendum quod ista est 

vera, quia est qualis est forma et situs duorum elementorum, alie 

due superiores false, et posite sunt, non quia sic sit, sed ut 

sentiat discens, ut ille dicit in primo Priorum. 


19.かくして、先の説明で述べられたように、土がその単純な本性にも

とづいて均等に中心に向かうとしても、別の本性にもとづいて、普遍的本

性に従い部分的にせり上がりが生じることは、混合がそうであるように可

能ではある。これにもとづくなら、土と水が同心円的であることも温存さ

れ、次の図から明らかなように、正しく哲学するならば、なんら不可能な

帰結も生じない。天空の円にAが、水の円にBが、そして土の円にCがあ

るものとしよう。水と土の隔たりの大小は、ここでの真理の提示に際して

考慮しないものとする。ここではこの図が真であることを知らなくてはな

らない。その図は二つの元素の形状と位置がどのようであるかを示してい

るからだ。先に示した二つの図は偽である。それらが挿入されたのは、そ

れらがあるがままを示しているからではなく、分析前書第一巻で述べてい

るように、学ぶ者が感じ取れるようにとの配慮からである。


Et quod terra emergat per gibbum et non per centralem 

circumferentiam, indubitabiliter patet, considerata figura terre 

emergentis; nam figura terre emergentis est figura semilunii, 

qualis nullo modo esse posset si emergeretur secundum 

circumferentiam regularem sive centralem. Nam, ut demonstratum 

est in theorematibus mathematicis, necesse est circumferentiam 

regularem spere a superficie plana sive sperica, qualem oportet 

esse superficiem aque, emergere semper cum orizonte circulari. 

Et quod terra emergens habeat figuram qualis est semilunii, patet 

et per naturales de ipsa tractantes, et per astrologos climata 

describentes, et per cosmographos regiones terre per omnes 

plagas ponentes. 


土がコブ状にせり上がり、円周の中心でずれているのではないことは、土

が盛り上がっている形状を考えるならば疑いようもなく明らかである。土

が盛り上がる形状は半月の形だが、正規の円周もしくは中心のずれでせり

上がっているならば、そのようなことは決してあり得ないからだ。数学の

定理で立証されるように、正規の球の円周は平面ないし球面からーー水面

が水平線上で常にせり上がっているようにーー上方になくてはならない。

せり上がる土が半月のような形状であることは、それを扱う自然哲学者た

ち、気象を記述する天文学者たち、あるいはまたすべての空間の土の領域

を画定するコスモロジストたちの言から明らかである。


Nam, ut comuniter ab omnibus habetur hec habitabilis extenditur 

per lineam longitudinis a Gadibus, que supra terminos 

occidentales ab Hercule positos ponitur, usque ad hostia fluminis 

Ganges, ut scribit Orosius. Que quidem longitudo tanta est, ut 

occidente sole in equinoctiali existente illis qui sunt in altero 

terminorum oritur illis qui sunt in altero, sicut per eclipsim lune 

compertum est ab astrologis. Igitur oportet terminos predicte 

longitudinis distare per CLXXX gradus, que est dimidia distantia 

totius circumferentie. 


ここで、それらすべての人々が共通して述べているように、居住可能域は

ヘラクレスによって西端に位置付けられたガーデースから経度上に長く伸

び、オロシウスが記すように、聖なるガンジス川の河口にまでいたる。経

度上の距離は実に広大で、天文学者たちが月蝕によって発見したように、

春分の日に一方の端の人々にとって太陽が沈むとき、もう一方の端にいる

人々には太陽が昇るほどである。かくして上に述べた距離は180度にも及

ぶと考えられ、それは球全体の半分の距離をなす。


Per lineam vero latitudinis, ut comuniter habemus ab eisdem, 

extenditur ab illis quorum cenith est circulus equinoctialis, usque 

ad illos quorum cenith est circulus descriptus a polo zodiaci circa 

polum mundi, qui quidem distat a polo mundi circiter XXIII gradus; 

et sic extensio latitudinis est quasi LXVII graduum et non ultra, ut 

patet intuenti. Et sic patet quod terram emergentem oportet 

habere figuram semilunii vel quasi, quia illa figura resultat ex tanta 

latitudine et longitudine, ut patet. Si vero haberet horizontem 

circularem, haberet figuram circularem cum convexo, et sic 

longitudo et latitudo non different in distantia terminorum sicut 

manifestum esse potest etiam muiieribus. Et sic patet de tertio 

proposito in ordine dicendorum.


緯度方向の直線は、同じ権威者たちに共通に得られるように、春分点の円

周を天頂とする場所から、世界の極を中心に獣帯の極が描き出す円周を天

頂とする場所まで伸びている。獣帯の極と世界の極の隔たりはおよそ23

度である。推測から明らかなように、緯度方向の伸びは67度以上ではな

い。せり上がっている土は半月もしくはそれに類する形状でなければなら

ないことは明らかである。なぜなら明らかにその形状は、そうした緯度と

経度から生じているからだ。もしそれが円形の地平だったなら、凸状の円

のかたちをしていたことだろうし、女性たちが考えるように、緯度と経度

が端から等距離になっていただろう。このように、論ずべき第三の論点も

明らかである。



今回も例によって便宜的に段落を分けています。最初の段落では、すでに

出てきたように土と水は同心円的なのだけれども、別の本性が働くことに

よってせり上がる部分ができてくる、という説明がなされています。独訳

注によると、これはダンテの独創ではなく、当時のほかの論者にもそうい

う説を述べている人々がいたとされています。挙げられているのは、ピエ

トロ・ダーバノ(アーバノのピエトロ)、レストーロ・ダレッツォ、チェ

ッッコ・ダスコリ、マイケル・スコットなどです。いずれも土と水の球

(圏)としては同心円的ながら、なんらかの理由で土が一部せり上がるこ

とがあるとしている点は共通のようですが、そのせり上がりの原因そのも

のについては論者によって多少とも異なっているようです。


土がコブ状にせり上がるという話も、たとえばマエストロ・カンパーノ、

パルマのバルトロメウス、エギディウス・ロマヌスなどが言及していると

いいます。ダンテはこれについて、2つめの段落でまずは数学的な論拠を

引き合いに出しています。全体がせり上がるのならば、そのせり上がる円

周の弧は、全体として別の円周(観察者が立っている平面)の上方になけ

ればなりません。ですが現象としての土のせり上がりはそういうものでは

なく、局所的なものとして半月状、もしくはそれに類する形でせり上がっ

ているというのですね。とするなら、これは中心がずれているために起き

るせり上がりではないだろう、ということになります。


さらにその説を確定するために、ダンテは地誌の話を取り上げます。3つ

めの段落ですね。ガーデースは独訳注ではジブラルタルのこととされてい

ます。確かにジブラルタル海峡の入り口は古名が「ヘラクレスの柱」とさ

れていたのでした。本文中に出てくるオロシウスは、4世紀末から5世紀

にかけて活躍したキリスト教系の学者で、その著書にその居住可能域の話

が出てくるようです。経度は具体的ですが、4つめの段落における緯度の

説明はちょっと理解しづらいですね。獣帯は黄道(太陽の年周運動の経

路)を中心とする16度から18度の幅をもった帯のことです。その黄道が

赤道から23度強傾いていて、春分点・秋分点で赤道と交差するのです

ね。居住可能域は、赤道から見てその23度域から垂直方向に90度にまで

いかない部分(北半球)にあるということになるのでしょう。


こうした緯度・経度から、居住可能域が円形をなしてはおらず、半円でし

かないことがわかる、とダンテは言いたいのですね。もしそれが円形であ

るなら、凸状の地平線をなしていなければおかしい、と。最後のところに

はやや女性蔑視的な一言も入っていますが、それは当時の多くの論者が共

有していた認識でした。知識層をなす聖職者は男性の独壇場で、女性はそ

こから排除されてしまっていました。女性が意思疎通を行うとされた世俗

語(各国語)もまた低く見られていたわけですが、独訳注によると、ダン

テは女性を含む無学者を差別するようなことはしておらず、人は誰でも学

ぶ能力と意欲をもっているものの、所属する社会集団などの境遇のせいで

それが果たせずにいると考えていたとされています。世俗語を詩的言語と

して高めてみせたダンテだけに、そうあってほしいとつい思ってしまいま

すね。

(続く)



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