silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.365 2018/11/03

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------文献探索シリーズ------------------------

天使と場所について(その15)


ペトルス・ヨハネス・オリヴィによる天使の場所論を見てきました。前回

の末尾で触れたように、オリヴィも他の論者たちと同様、当時の思考の枠

組みをわずかでも拡大しようとする努力しているかのように見えます。今

回はオリヴィのテキストの残り部分から、異論への反駁というかたちで

の、そうした努力の一端を見てみたいと思います。取り上げるのはテキス

トの最後の部分です。再び「全能の神が物質世界を解消したとしたら、そ

れでもなお、天使には場所の位置付けがありうるか」という思考実験につ

いて、考えられる解決策の可能性を挙げ、それへの反駁を加えています。

前回は、存在様式のシフトをオリヴィが認めているような書き方をしてし

まいましたが、どうやらそうでもないようなので、ここで訂正しておきま

す。失礼いたしました。


例によってアウトラインだけですが、さっそく見ていきましょう。まず論

難される一つめの解決策は、物体が破壊された場合、天使は別様の存在様

式にシフトすれば済むではないか、という主張です。この考え方は、天使

がみずから別様の存在洋式を作り出せる(物質的な場所がなくても差異化

できる)という説と、天使にはそうした存在様式を作り出せないが、全能

の神が与えるだろうという説とに分かれます。


これらに対してオリヴィは、そうした「別様の存在様式」そのものを否定

します。まず、別様の存在様式説の根底にある、存在様式として身体をも

つこともでき、またもたないこともできるほうが、身体をもつだけよりも

高貴であり、知性にいっそう相応しい、という前提条件をオリヴィは攻撃

します。それは納得できない、なぜならそれでは、身体が創造されたこと

によって、被造物は大いに劣化したことになってしまうではないか、とい

うのです。第二に、別様の存在様式がありうるとするならば、そもそも物

質世界の解消は天使にはまったく関与しないことになり、そもそもの前提

(「天使は物質世界においては、場所に位置付けられている」という見

識)が崩れてしまう、としています。


矛盾律を駆使した反論はいくつか続きます。別様の存在様式を神が天使に

与えているのだとすれば、天使が場所に位置付けられるというそれまでの

議論がすべて覆り、天使は一点に複数ひしめき合うことができてしまい、

天使が被造物としてもつ限定的な性質に矛盾する云々……といった具合で

す。そして最後に、任意の事物にとって、その事物がみずからのもとに在

るということは、その事物に他との差異をもたらす何かを付け加えること

ではない、という論法を示します。つまり天使が場所にではなく、みずか

らのもとに在る(つまり別様の存在様式です)とすると、そのことは差異

化の原理をなさず、個体差がなくなってしまう(するとすべての天使がぐ

しゃりと一つに凝縮してしまわないか)というのが一点、さらに、たとえ

そのような在り方になろうとも、実体が変わるわけではないので、オッカ

ムの剃刀的に、そうした在り方は冗長なものでしかなく、意味がないとい

うのがもう一点となります。


でも通常の「場所に在ること」も、何かを付け加えるわけではないので、

差異化の原理をなしていないのではないでしょうか。オリヴィはこれにつ

いて、もちろん何かが加えられるとしてもそれは性質ではなく、形相でも

ないと述べています。あえて言うなら、加えられるのは、「位置付け」と

いう相対的な存在様式にすぎないというのです。差異化は、最初の状態・

最後の状態・一方から他方への移行状態ないし中間状態という3項で定義

づけられる、とオリヴィは考えます。するとたとえば運動によってなら、

確かに動体には状態変化がもたらされることになりますね。ですが特定の

位置に在るという場合には、上の3項のいずれも変わらず、したがって差

異化をなすことにはならない、というわけです。


神がそうした存在様式を与えうるはずだ、という議論に対しても、オリヴ

ィはこう応答します。いかなる主体もなにがしかの存在様式を限定づけら

れ、偶有性(ここでは任意の場に在るということでしょう)において実在

するのだから、そうした偶有性なしには主体は存在できないことなる、つ

まり場所に位置付けられることを前提としている被造物に、位置付けなし

で存在させることは、知的にも想像上でも不可能である、というのです

ね。神とてその前提は守らなくてはならないはずだ、と。


論難される二つめの解決策は、そういう別様の存在様式が天使にあらかじ

め備わっているという主張です。物質的な場所が解消されても、天使はそ

の別様の存在様式によって、他の天使に対してなんらかの位置取りができ

る、というのです。これについてもオリヴィはこう反論します。もしその

存在様式が数の上で一つであるなら、複数の天使が一挙にひしめき合うこ

とになり(上で触れた凝縮の話ですね)、それはたとえば身体における魂

などの内的経験からすると、とうていありえない(複数の魂が身体を占め

ることはないので、矛盾を呈することになります)。あるいはまた、その

別様の存在様式とは天使がみずからのもとに在る(本来的に在る)という

ことにほかならず、その場合、場所の特定ができる身体がないならば、他

の天使との関係などいっさい生じようがないではないか。オリヴィはその

ように主張します。


ある天使が他の天使との関係性をもつには、両者を隔てる距離が意味をも

たなくてはならず、したがって物体的世界は天使が存在する上で不可欠で

ある、というのですね。オリヴィはこのように、ひたすら議論の矛盾を突

き、神が奇蹟を用いて介入するといった議論に対してまで、それが根源的

な矛盾をもたらすのであれば論難されなくてはならないとします。存在す

る上での基本構造を変えるのは、おそらく神にとってすら容易ではない、

という議論でもって、オリヴィは人が考えうる基本構造の問題に、果敢に

も立ち入っていこうとしているかのようです。まるでそれが、未来への原

動力であると言わんばかりに……(これは言い過ぎ?)。いずれにして

も、こうしてオリヴィは、論難されえない三つめの解決策として、この思

考実験のような状況になったとしても、天使における場所との関係性は保

たれなくてはならないはずだ、と主張するのです。



以上、長々とアンソロジー本『天使と場所』(ヴラン社刊、2017)を眺

めてきました。天使の場所論という、ある意味トリッキーな主題をめぐ

り、時代が下っていくにつれて、わずかずつですが不可知の領域とされて

いる部分が後退しているようにも見えます。中世盛期の論者たちがいかに

知を刷新しようとしていたかが、少しばかり感じ取れたような気がします

が、いかがでしたでしょうか。さて次回からは、またテーマを変え、今度

は中世イスラム世界の預言についての議論に、これまたちょっとだけです

が触れてみたいと思います。それではまた次回。

(了)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの自然学(その15)


ダンテ『水と土の二つの元素の形状と位置について』を前回までで一通り

眺めてみました。ダンテのこのテキストは、基本的に哲学を学ぶ・実践す

る人々に対して語りかけている面が強いわけですが、当時の知識人たちに

対応するには、ダンテ自身が相当に博学の知識人でなければなかったはず

です。前回の最後のところに出てきた光学論などにも顕著でしたが、ダン

テはもとの説をどこかしなやかに(?)組み替えて使っていたようです。

具体的な出典はなにか、ダンテがそれをどう受容したのか、といったあた

りの問題は込み入っていてなかなか難しそうです。これに関連して、今回

はネットで拾える論文を一本見てみることにします。これをもってできれ

ば一通りのまとめとしたいと思います。


その論文とは、アメリア・カロリーナ・スパラヴィーニャという人の「ダ

ンテ『神曲』における自然学と光学」(Amelia Carolina Sparavigna, 

"Physics and Optics in Dante's Divine Comedy", Mechanics, 

Material Science & Engineering Journal, 2016, 2016 (3)), pp. 

186-192)(https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-01281052)という

ものです。ある意味一般向けということなのでしょうか、神曲に見られる

ダンテのコスモロジー・コスモグラフィの要点を、他の著作や後世の古典

的研究書などを参照しつつまとめています。


さっそく中味を見ていきましょう。そもそもダンテは、世界は球形である

とする当時の世界観を死後の世界と結びつけて解釈していました。ある意

味、すでにしてそれは斬新だったのかもしません。地球の中心、すなわち

宇宙の中心には地獄を掘り込んだルシファーがいるとし、それをさらに突

き抜けて到達する地球の裏側、つまり対蹠地には、煉獄の山が突き出てい

るという構造になっています。地球の中心、つまり同心円状のすべての天

球の中心は、それぞれの天球、さらには地上世界のあらゆるものが求める

場所であり、逆に言えば、中心はすべてを引き寄せる点だということにな

ります。つまりそこにはかなり大きな「引力」が働いているとされること

になります。


同論文によれば、『水と土の二つの元素の形状と位置について』は、そう

した引力の考え方に立脚した論考だといいます。ダンテは、そうした中心

の引力の性質に鑑みて、水の球は土の球よりもとりたてて大きいわけでは

ないことを示してみせたのだ、というわけです。中心に向かう強い力はほ

ぼ同等であり、水の球は土の球とさほど変わらない層をなしているにすぎ

ず、別の天球の作用(第9天とされていたのでした)によって、本来下に

あるとされる土の一部は、ときおり水の表面に突き出ることがあると結論

づけられていたのでした。ダンテのコスモロジーでは9つの天が同じ中心

を共有していて、それは基本的に薄く重なりあっています。そして一番下

の中心部には土があるとされていました。


同論文はさらに、様々な自然学的トピックを取り上げていきます。論文著

者からすると、とくにダンテの作品で顕著なのは天文学的事象への言及が

多いとされます。また、それに続いて散見されるのは光学や気象学的な現

象、そして動物や人間の生物学的な事象だといいます。ここで論文著者

は、古典的な研究書を引き合いに出しています。ジョヴァンニ・ボッタジ

ズィオが1894年に著した著書がそれで、ダンテの作品で扱われる自然学

の諸相を取り上げた嚆矢的な研究だということです。ボッタジズィオの議

論では、ダンテの「自然学を歌う詩人」としての特徴が強調されていると

いいます。ダンテは聴衆を前に自然現象について議論したりすることも少

なくなかったというのですね。


続いて同論文でとくに取り上げられているのが光学の問題です。『神曲』

煉獄編で、ダンテは天使の光について言及し、その反射角が入射角と同一

であることを指摘しています(第15歌、16〜21行)。孫引きになります

が、ボッタジズィオによると、そこで垂線を示すのに使われている喩え

(「石が落ちるがごとく」)は、アルベルトゥス・マグヌスに見られるも

のだといいます。また、反射の意味で屈折(refractio)という言葉を用

いているのは、ロバート・グロステストに見られるといいます。そのあた

りから、ダンテが光学についてそれら両者を参照しているのだろうという

話になるわけですね。


また、天文学的事象の出典としては、アルフラガヌス(9世紀のイスラム

の天文学者)や、前にも出てきたサクロボスコのヨハネス(13世紀イン

グランド)の『天球論』などがあるといいます。光学的な記述や光につい

ての形而上学からは、同時代のボローニャのバルトロメウス(13世紀の

フランシスコ会士)との関係が推察されるといいます。そこでもやはりグ

ロステストへの言及や、オクスフォード大学系の光学理論が散見され、ダ

ンテはそうした学知を吸収し『共生』などで転用しているといいます。


同論文はさらに、光学的議論における出典などを挙げていきますが、やは

り重要なのはグロステストという扱いのようです。ダンテが直接的にグロ

ステストの文献を参照していない可能性もある、と論文著者は言います

が、たとえそうだとしても、オックスフォード大学系の理論はしっかりと

取り込まれているのは明らかだとされています。


以上、まとめの代わりに論文を少しばかり眺めてみました。ダンテはなか

なか興味深いですね。引き続き別の著作を読んでいくのもよいかなと思っ

ています。詩人だけに、今度はその言語観などにも興味がわいてきますね

(笑)。そんなわけで、次回からは新たに、ダンテの『俗語論』を見てみ

ることにしたいと思います。もとはラテン語で書かれた、俗語(つまりイ

タリア語)擁護の議論です。当然ながら、そこにはダンテの政治観も色濃

く反映されているとされています。言語政策的な議論という意味では、今

日のわたしたちにも決して無縁ではないように思われます。どうぞお楽し

みに。

(了)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は11月17日の予定です。


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