silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.376 2019/04/20

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*お知らせ


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ガは原則、隔週での発行ですが、今年も例年通り、4月末から5月初め

の連休はお休みとさせていただきます。そのため次回の発行は連休後の

5月11日となります。どうぞよろしくお願いいたします。



------文献探索シリーズ------------------------

一神教にとっての預言とは(その11)


イブン・カムーナの預言者論(13世紀)を仏訳で見ています。ユダヤ

教の預言について議論している第2章では、7つの異論を示し、それへ

の反論を通じてカムーナ自身の見解を明らかにしています。前回はその

うちの3つめを見ました。それはいわばカムーナ流認識論というふうに

読めました。


今回は4つめの異論の箇所です。4つめは、「トーラーには、健全な精

神にとっては本当らしくないと思える逸話の数々や、無意味に思える語

りなどが多々見られ、それらから推測するに、トーラーが神によって預

言者に告げられたものだとはとうてい思えない」というものです。カム

ーナの応答を見てみましょう。


カムーナは、アダムやロト、ユダなどの逸話が、理性的判断からするな

らば本当らしくないということをまず率直に認めています。その上で、

一見無意味に思えることも、トーラーが書かれた時代にはなんらかの意

味があったのだろうと推測します。異論では、本当らしくない最たるも

のとして部族の系譜が挙げられているのですが、これについてカムーナ

は、ノアからモーセにいたる比較的短い期間で、民が地上に広がってい

った事実そのものを、本当らしくないと判断されないようにするため、

系譜についてことさらに詳述されているのではないか、と考えているよ

うです。


細かい話になりますが、たとえばエサウの系譜とセイルの関わりという

問題があります。エサウの孫アマレクは族長となり、後にその子孫(ア

マレク人)はイスラエルの民の敵となるのですが、聖書ではこのアマレ

クの母であるティムナが、セイルの娘であるとされています。セイルの

系譜はいわば非主流派です。ティムナは側妻だったとされますが(政略

的に近づいたのでは、とも言われます)、こうしてセイルの系譜が主流

派であるエサウの系譜と縁続きの関係にあったとされるのです。カムー

ナはこのセイルの系譜への言及が、他の部族を敵と誤って殺害したりす

ることのないようにとの(神の)配慮により聖書に記されたのだと考え

ます。聖書の史的な記述には、神意というか、なんらかの意志が働いて

いるというスタンスが見て取れます。


そういう意味で、カムーナの一連の反論は、歴史記述論もしくは説話論

として読むこともできそうです。ほかにも次のような細かい話が連なっ

ていきます。イスラエルの民が40年間にわたり砂漠をさまよったこ

と、ヨシュアがエリコの再建を禁じたことなどの記載は、砂漠での長期

滞在、あるいはエリコの壁の崩壊が、神の奇跡によるものであったとい

うことを示すためだったとカムーナは主張します。砂漠の彷徨について

個別の箇所で年数などが一様でないという問題についても、そうした差

異は神があえて望んだことなのであり、記述上の誤りではないと主張し

ます。記載の無謬性の議論に私たちは驚かされますが、トーラーはそれ

ほどまでに、カムーナやユダヤ教の人々にとって権威ある聖典とされて

いたということなのでしょう。


総じてカムーナは、トーラーにおける逸話の記述は、律法にとって必要

な補足をなすため、あるいは共同体の組織化その他にとって重要な理念

や実践の修正をほどこすために記されているのだと見ています。ときに

それは、カムーナの同時代人にとってさえ意味不明なものでもあったり

したようなのですが、それが書かれた当時にはしかるべき理由があり、

古代の人々はその意味するところを理解していた可能性がある、とカム

ーナは受け止めています。


カムーナは、ある博学の権威(注によるとそれはマイモニデスのことの

ようで、実際マイモニデスの『迷える者の道案内』はたびたび引用され

ているようです)の言だとして、次のような話を紹介しています。神は

人間の創造に際して、四肢の運動の程度や四肢同士の近さを周到に配置

し、脳の前部に柔らかい部分を、後ろ側に堅い部分を置き、前者に感覚

機能を司る神経を、後者に運動機能の司る神経および脊髄を結びつけた

といいます。同じように、律法の啓示もまた周到に用意され、偶像崇拝

と供儀とが盛んになされていた時代に、それらを一蹴するのではなく

(さもなくば反発を呼ぶだけなので)、それらの維持を許しながら、そ

の一方で正しい神に向けた宗教行為をなすことを求めたのだといいま

す。


身体の配置はそのまま共同体の構成のメタファーだと思われます。供儀

をともなう儀礼は、いわば共同体のハードコア部分なのであり、それは

アロンの子たち、つまり「大司祭」の系譜にまかせ、ソフトな部分、つ

まり一般の民には、祈りや義務などを実践するよう促した、というわけ

です。


そんなわけで、トーラーの記述には一見無意味にも思える訓戒が数多く

記されているのだ、とカムーナは解釈します。人々の熱情を抑制し、柔

和と忍耐を奨励することを目し、無意味な実践を徐々にやめさせること

に力を費やすべく外堀を埋めていくことこそ、律法の主眼、ユダヤ教に

とっての神の深慮だったのだ、と。


以上、ざっと見ですが、4つめの異論への対応に寄せたカムーナの反駁

を、史的記述の解釈という面から見てみました。次回は5つめの異論に

ついて見ていきます。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの俗語論(その11)


ダンテの『俗語論』を読んでいます。今回は第9章の続きです。さっそ

く見ていきましょう。都合により今回もちょっと短めです。



4. Quare autem tripharie principali[ter] variatum sit, 

investigemus; et quare quelibet istarum variationum in se ipsa 

variatur, puta dextre Ytalie locutio ab ea que est sinistre (nam 

aliter Paduani et aliter Pisani locuntur); et quare vicinius 

habitantes adhuc discrepant in loquendo, ut Mediolanenses et 

Veronenses, Romani et Florentini, nec non convenientes in 

eodem genere gentis, ut Neapoletani et Caetani, Ravennates et 

Faventini, et, quod mirabilius est, sub eadem civilitate morantes, 

ut Bononienses Burgi Sancti Felicis et Bononienses Strate 

Maioris.


4. なぜそのように大きく三分割が生じたのかを考えてみよう。また、

その分割されたもののそれぞれがなぜみずから変化しているのかも考え

よう。たとえばイタリアの右側の地域で話されている言葉は、左側の地

域の言葉と違うのはなぜなのか(パドヴァの人々が話す言葉と、ピサの

人々が話す言葉など)。また、なぜ近くに住んでいる人々同士、たとえ

ばミラノ市民とヴェローナ市民、ローマ市民とフィレンツェ市民などで

も言葉に違いがあるのか、なぜ同じ民族に属していた人々、たとえばナ

ポリ市民、ガエータ市民、ラヴェンナ市民、ファエンツァ市民などでも

同様なのか、またさらに驚くべきことに、なぜ同じ都市に住まう人々、

たとえばサン・フェリーチェの人々とストラダ・マッジョーレの人々で

もそうなのか。


5. Hee omnes differentie atque sermonum varietates quid 

accidant, una eademque ratione patebit.

6. Dicimus ergo quod nullus effectus superat suam causam, in 

quantum effectus est, quia nil potest efficere quod non est. 

Cum igitur omnis nostra loquela - preter illam homini primo 

concreatam a Deo - sit a nostro beneplacito reparata post 

confusionem illam que nil aliud fuit quam prioris oblivio, et homo 

sit instabilissimum atque variabilissimum animal, nec durabilis 

nec continua esse potest, sed sicut alia que nostra sunt, puta 

mores et habitus, per locorum temporumque distantias variari 

oportet.


5. こうしたあらゆる違いと、言葉に生じる変化に、同じ原因があるこ

とは明らかである。

6. したがってこう言おう。いかなる結果も、それが結果である限りに

おいて、その原因を超越したりはしない。存在しないものは、結果を導

くことはできないからだ。ゆえに、私たちのすべての言語(神が最初の

人のために創った言語以外)は、かつての言語の忘却をもたらす以外に

なかった混乱ののちに、人間が勝手に作り直したものであり、人間はこ

の上なく不安定で移ろいやすい動物なのであるから、その言語もまた持

続可能でもなければ一貫することもできないのだ。風習や慣習のよう

に、私たちがもつ他のものと同様に、場所や時間の違いによって変化せ

ざるをえないのである。


7. Nec dubitandum reor modo in eo quod diximus ‘temporum’, 

sed potius opinamur tenendum: nam si alia nostra opera 

perscrutemur, multo magis discrepare videmur a vetustissimis 

concivibus nostris quam a coetaneis perlonginquis. Quapropter 

audacter testamur quod si vetustissimi Papienses nunc 

resurgerent, sermone vario vel diverso cum modernis 

Papiensibus loquerentur.

8. Nec aliter mirum videatur quod dicimus quam percipere 

iuvenem exoletum quem exolescere non videmus: nam que 

paulatim moventur, minime perpenduntur a nobis, et quanto 

longiora tempora variatio rei ad perpendi requirit, tanto rem 

illam stabiliorem putamus.


7. このことは、私が述べたように「時間」に適用しても疑いはないと

思われる。むしろよりいっそう適用すべきだと考える。なぜかという

と、人間のほかの所業を検討するなら、私たちは遠い場所に住む同時代

人たちよりも、むしろ古代に同じ場所に住んでいた人々から大きく隔た

っていることがわかるからだ。だからこそ、大胆ながら次のように論じ

るのである。もし古代のパヴィーア市民が蘇ったなら、現代のパヴィー

ア市民とは別の、違う言葉を喋るだろう。

8. これは、若者が成長するのを見ていないから成長したとは思えな

い、と言う場合ほどおかしな話ではない。変化がゆっくりとしている場

合、私たちはなかなかそれと気づかないものだからだ。また、認識でき

るほどの変化にいたるのに長い時間がかかるほど、私たちはいっそうそ

れを安定していると見なすのである。



4節からは言語変化の原因についての考察です。4節ではまずその考察

のスコープ、つまり枠組みが示されています。大きな枠組み(ヨーロッ

パの三つの言語の分割)から、中規模のもの(西ヨーロッパの言語の、

オック語・オイル語・シ語への下位分割)、さらにはより小規模のもの

(イタリアの東部と西部とでの違い、隣接する都市での違い)へと、考

察のスコープが狭められています。でもそこには変化の同じ原因がある

のではないか、というわけですね。


ここで地誌の話が少し出てきます。北イタリアの東西を指すのに、イタ

リアの右側・左側という表現をしているのも面白いですね。近隣都市の

意味合いもやや微妙な感じがします。北部のミラノとヴェローナは確か

にそれほど離れてはいませんが、より南のフィレンツェとローマは結構

離れているからです。ナポリとガエータ(地中海側)、ラヴェンナとフ

ァエンツァ(アドリア海側)は地図上で見ると近い印象です。後の7節

に出てくるパヴィーアもミラノの近くの町です。サン・フェリーチェと

ストラーダ・マッジョーレはボローニャ市内の地名でしょう。


中世スコラ哲学の原因結果論では、最大の原因である神が力において広

大無限であることから、原因はつねに結果を超越している(力におい

て、完成の度合いにおいて)と見なされていました。6節の冒頭部分は

そういうことです。また、作用するものはすべて自分に類似するものに

作用するという原理もあり、原因と結果には類似性が保たれていなくて

はならないとされます。これもまた当時は自明の理とされ、原因がなに

かの結果を生み出すという場合でさえ、その結果は潜在態として在るの

でなければならない、とされていたのでした。このあたり、参考にして

いる独訳本の注では、たとえばトマス・アクィナスにそうした考え方が

代表されるとして『神学大全』の数節が挙げられています。


さて、言語の変化の原因ですが、ダンテはそれが人間のもつ不安定さに

あるとしています。人間に属するものは、人間自身がそうであるのと同

様に、不安定で移ろいやすいというのですね。かくして場所が違えば言

葉も違ってくるのだ、と。しかも場所の隔たりが大きければ大きいほ

ど、言葉の隔たりも増していくのだ、と。


それはまた、時間的な隔たりについても言える、とダンテは断言してい

ます。8節には、時間的な推移にともなう微細な変化を、人間が認識で

きないことが指摘されています。言語はゆっくりと、しかしながら着実

に、人間本性に根ざすある種の必然性をともなって変化していくが、そ

の変化は後になってからしか認識できないものなのだ、というわけです

ね。プロセスが見えないこともまた、人間本性がもつ限界の一つである

ということなのでしょう。


ダンテの言語変化の考察はまだ続きます。とくに時間についての話です

が、それはまた次回に。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は05月11日の予定です。


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