silva speculationis 思索の森
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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>
no.377 2019/05/11
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------文献探索シリーズ------------------------
一神教にとっての預言とは(その12)
イブン・カムーナによる一神教の預言者論を仏訳本で読んでいます。
今回も、ユダヤ教を扱った第二章から、異論への対応を通じて、カム
ーナの基本的な哲学的思想を探っていきましょう。今回は5番目の異
論への応答です。その異論とは「宗教の制度化において必須の、現世
での将来的な報酬や処罰について、トーラーには布告がない。トーラ
ーが神託によるものであるならば、それはおかしいではないか」とい
うものです。
これに対してカムーナは、そうした布告がトーラーに見られないのも
神意にもとづくものであるとし、その理由を次のように解釈します。
預言者とは魂の病を治す医者であり、その時どきの病に対応するもの
であって、モーセと同時代の人々は、将来の報酬や処罰に不満である
というよりも、むしろ「偶像崇拝という病」を患っていたと考えられ、
したがってトーラーもそちらへの対応として記されているのである…
…それが基本的な前提です。
カムーナによれば、当時の偶像崇拝を指導していた異教の人々は、人
間が生きていく上で基礎となる農業について、「太陽や星を崇めなけ
れば農耕は栄えない、さもなくば天地の罰を食らうぞ」というふうに
説いていました。たとえばステップ(草原)や砂漠は木星(ユピテル)
の支配下にあるとされ、農耕に従事する者は惑星に支配された土を崇
めなくてはならないのだと説かれていたといいます。古代のアラブ部
族ナバテア族の農耕信仰では、祭りに際しては偶像の前で楽器を奏で
るようにと、古来の預言者・指導者から勧告を受けていたとされます。
それによってたとえばブドウの生育が良くなるとされたのですね。
ナバテア族ではこのように、偶像崇拝の儀礼は神々からの報酬や処罰
に結びついていると考えられていました。これに対して一神教の神は、
モーセを通じて、その逆のこと、つまりそうした偶像崇拝をやめるこ
とによって、(不死の魂における)真の幸福が約束されるとし、その
ような別種の報酬・処罰を説いていました。トーラーの随所にそうし
た別種の報酬・処罰は記されている、とカムーナは述べています。も
し人々がそれに従わなかったのなら、トーラーへの記述はさらに何度
も繰り返されていただろうとカムーナは言い、実際には人々の間にそ
の教えが広まって、神はその神託の拡散をもってよしとしていたのだ
ろうと説いています。
カムーナは、ユダヤの民がもともと魂の不滅を伝承として幾世代にも
わたり伝えていたとしています。また神に祈ることは、人間が抱える
原罪からの解放、別の世界での処罰の免罪を得ることなのだとされて
いた、とも述べています。なぜトーラーには、現世での救済・報酬の
約束は組織的に記されていないのかというと、ユダヤの民のもとに神
がしっかりと定着していて、他の民族のようにそうした実利的な報酬
を必要としていなかったからだ、とされるのです。
カムーナの説明によれば、地上での報酬は民全体に対して、約束の地
というかたちで与えられており、各々の個人に与えられるものではな
いとされます。個人に対する約束は、来世において果たされるのみで
あり、もちろんそれも個人の信仰・服従の有無に応じたものとなるわ
けなのですが、現世においては、徳の高い個人に例外的・特権的にな
んらかの恩寵が与えられることはあっても、体系的に個別の報酬が与
えられるわけではないというのですね。不服従に対する処罰について
も同様で、あくまで民族を単位として処罰が下されることになります。
そうしたいっさいのことが、列王記などを読み解くことで明らかにな
る、とカムーナは言います。
というわけで、民族単位での現世での報酬と、個人の来世での報酬と
の対比が今回のポイントという感じです。見方によっては、個人的な
自己実現を先送りにしてでも民族単位での「自己実現」を優先すると
いう、ある意味とても集団志向的な思想のようにも読むことができま
す。宗教に裏打ちされたコミュニティというものが、そうした集団重
視の立場を内包するという構造が、暗に示されているということかも
しれません。逆にそうした強固な集団志向がないところ(上のナバテ
アの例など)では、より現世的・個人的な報酬に重きが置かれるとい
うことになるのでしょうか。なにやらこれは現代にも通じる、示唆的
な議論といえるかもしれませんね。
ならば逆に、宗教的な後ろ盾のないところでコミュニティ重視の集団
を立ち上げるにはどのような条件が必要なのか、という問題も気にな
るところです。いわゆるコミュノタリズム(アラスデア・マッキンタ
イアなどの)が主張するように、熟議の仕組みを前提条件とするだけ
で(それはそれで実現の難しい条件ですが)十分なのかどうか。こう
した問題も折にふれて考えていきたいところです。
カムーナが反論する異論はまだあと2つほど続きます。それはまた次
回に。
(続く)
------文献講読シリーズ------------------------
ダンテの俗語論(その12)
ダンテ『俗語論』第1巻を見ています。今回は第9章の残り部分と、第
10章の冒頭部分を読んでいきましょう。さっそく本文に取りかかりま
しょう。
*
9. Non etenim ammiramur, si extimationes hominum qui parum
distant a brutis putant eandem civitatem sub invariabili
semper civicasse sermone, cum sermonis variatio civitatis
eiusdem non sine longissima temporum successione paulatim
contingat, et hominum vita sit etiam, ipsa sua natura,
brevissima.
10. Si ergo per eandem gentem sermo variatur, ut. dictum est,
successive per tempora, nec stare ullo modo potest, necesse
est ut disiunctim abmotimque morantibus varie varietur, ceu
varie variantur mores et habitus, qui nec natura nec
consortio confirmantur, sed humanis beneplacitis localique
congruitate nascuntur.
9.動物とさほど違わない人間が、同じ都市では変わることなき言葉
で市民生活が営なれてきたと評価しても、私たちは驚いてはいけない。
都市で用いられる言葉の変化は長い時間をかけて僅かずつ生じるので
あり、一方で人間の生はその本性からして実に短いのだから。
10. したがって、すでに述べたように、もし同じ民族の言葉が時とと
もに変化し、いかなるかたちでも安定しないのであれば、離れて別の
場所に暮らす民族の言葉も、その習俗や慣習が変化するように、変化
せずにはいないだろう。それらは本性によっても取り決めによっても
維持されることはなく、人間の好みや地理的な近さによって生じるの
である。
11 Hinc moti sunt inventores gramatice facultatis: que quidem
gramatica nichil aliud est quam quedam inalterabilis
locutionis ydemptitas diversibus temporibus atque locis. Hec
cum de comuni consensu multarum gentium fuerit regulata,
nulli singolari arbitrio videtur obnoxia, et per consequens
nec variabilis esse potest. Adinvenerunt ergo illam ne,
propter variationem sermonis arbitrio singulariurn
fluitantis, vel nullo modo vel saltim imperfecte antiquorum
actingeremus autoritates et gesta, sive illorum quos a nobis
locorum diversitas facit esse diversos.
11. 文法という技能の考案者たちの出発点はそこにあった。文法とは、
異なる時間と場所における、言葉のなにがしかの変わらぬ同一性にほ
かならないからである。多様な民族の共通の合意をもとに作られた文
法は、いかなる個人の恣意にも従うことなく、結果的に変化すること
もありえない。したがって文法は、個人の恣意の揺らぎによって変化
する言葉に対して考案されたのであり、古代の人々や、言葉の違いが
私たちとの違いをなす人々の行いを権威や偉業とみなすことなど、私
たちにはとうてい、あるいはせいぜい部分的にしかできない相談なの
だ。
X 1. Triphario nunc existente nostro ydiomate, ut superius
dictum est, in comparatione sui ipsius, secundum quod
trisonum factum est, cum tanta timiditate cunctamur librantes
quod hanc vel istam vel illam partem in comparando preponere
non audemus, nisi eo quo gramatice positores inveniuntur
accepisse ‘sic’ adverbium affirmandi: quod quandam
anterioritatem erogare videtur Ytalis, qui sÏ dicunt.
第10章 1. 先に述べたように、私たちの言葉は3つに分かれて存在し
ている。だがそれらを比較する場合、いかなる点で3つにわかれてい
るのかについては、大いに躊躇し迷うところである。3つのうちのい
ずれを比較において高く評価すべきかあえて選ぶとすれば、その理由
は、文法の創始者たちが肯定の副詞として「sic」を認めたこと以外
にない。それゆえ「si」と言うイタリア人になにがしかの優位性があ
ると見なされるのである。
2. Quelibet enim partium largo testimonio se tuetur. Allegat
ergo pro se lingua oil quod propter sui faciliorem se
delectabiliorem vulgaritatem quicquid redactum est sive
inventum ad vulgare prosaycum, suum est: videlicet Biblia cum
Troianorum Romanorumque gestibus compilata et Arturi regis
ambages pulcerrime et quamplures alie ystorie ac doctrine.
3. Pro se vero argumentatur alia, scilicet oc, quod vulgares
eloquentes in ea primitus poetati sunt tanquam in perfectiori
dulciorique loquela, ut puta Petrus de Alvernia et alii
antiquiores doctores.
2. それら3つのどの言葉も(みずからの優位性の)豊かな証拠を引き
合いに出せる。かくしてオイル語は、俗語としての簡便さや心地よさ
を根拠に、俗語の散文に帰されるもの、あるいは散文のために考案さ
れたものすべてが、オイル語由来であると言い募るのである。たとえ
ば聖書やトロイとローマの叙事詩を合わせた選集、アーサー王の華麗
な伝説、その他の歴史書・教書の数々である。
3. 2つめの言葉、すなわちオック語も、その言葉の雄弁な書き手たち
が、非のうちどころのない甘美な言葉遣いにより、その最初期の詩人
となったと主張する。たとえばアルヴェルニアのペイレやその他古代
の教師たちである。
4. Tertia quoque, [que] Latinorum est, se duobus privilegiis
actestatur preesse: primo quidem quod qui dulcius
subtiliusque poetati vulgariter sunt, hii familiares et
domestici sui sunt, puta Cynus Pistoriensis et amicus eius;
secundo quia magis videntur inniti gramatice que comunis est,
quod rationabiliter inspicientibus videtur gravissimum
argumentum.
4. 3つめのイタリア語も同様であり、2つの功績ゆえに他より秀でて
いると主張する。1つは、より甘美で繊細な詩の書き手が、その言葉
に精通し忠実であるという点である。たとえばチノ・ダ・ピストイア
とその友人である。2つめは、その言葉が、共通のものとされる文法
といっそう密接に結びついてるように思われる点である。このことは
論理的に考える人々にとって、この上なく重要な議論であると思われ
る。
*
キリのよいところまで訳出したので、いつもより少しだけ長めになっ
ています。今回からは独語訳のほかに伊語訳を、訳注も含めて参照す
ることにします。参照する伊訳はDante, De vulgari eloquentia
(trad. Vittorio Coletti, Garzanti, 1991-2001) です。
まず9章の残り部分ですが、直前部分の「人間はゆっくりとした変化
を感じ取れない」というテーゼを受けて、言葉の変化も風習などと同
様に、人間にはたやすく認識できないことが指摘されています。そし
てまた、変化は必然的に起こらざるをえないと強調されています。11
節では、その変化・多様性の文脈で、文法の技能についての考え方が
示されています。文法はそうした変化の向こうを張るかたちで、多様
な日常語に対する標準語の共通ルールとして示されています。ダンテ
は文法を、具体的な言葉に対する抽象的なルールというふうに見てい
るようです。
伊訳注によれば、この箇所は文法と文法技能の違い、文法の「考案者」
(inventores)と続く10章冒頭に出てくる「創始者」(positores)
の違いなどをめぐって、解釈が分かれているところなのだといいます。
ある論者の説では、考案者のほうは哲学者のことをいい、創始者はむ
しろ文法体系の編纂者を言うとされているのですね。また近年のもの
として、文法技能をとくに書き言葉の能力と見なす解釈も言及されて
います。ここでもさしあたり、そうした解釈を採択しておこうと思い
ます。ラテン語やギリシア語がそうであるように、文法はある意味、
時代や地域を超えて意思の伝達を図るための手段でもあるわけですね。
独訳注ではこの部分について、文法とは標準語を指すと解釈し、それ
が一種の人工語であることを示唆しています。そうした人為性の文法
観には先例があるとして、14世紀初頭の神学者エギディウス・ロマヌ
ス(ジル・ド・ローム)が挙げられています。ロマヌスは自著におい
て、ラテン語の文法が哲学的な欲求のために人工的に考案されたもの
であることを指摘しているのですね。独訳注はさらに、ここでの文法
の概念が、第1章にあった、乳母から学ぶ規則を伴わない言葉に対す
る第二の言語に相当するとして、その人為性と、それが過去の証しと
しての意味をもつことを強調しています。
さて、10章に入ると今度はイタリア語についての議論となります。ま
ずはそれが3つの言語のうちでいかにラテン語に、あるいは共通の文
法に近いかが示唆されています。ほかの2つもそれぞれに優位性を主
張しているとされ、オイル語は散文に、オック語は詩作(口承詩・歌)
に優れているという見解も示されています。ですがなんといっても、
二重の根拠(新しい文体による詩、共通の文法との近さ)から、イタ
リア語の優位性が強調されるかたちになっていますね。
2節めに出てくる「聖書やトロイとローマの叙事詩を合わせた選集」
というのが気になりますが、これはイタリアに広く出回ったフィオレ
ッティ(精華集・選集)のことのようです。伊語訳注によれば、歴史
書の抜粋がときに聖書の抜粋と同じ形式でもって、普及版として拡散
していたようです。3節に出てくるアルヴェルニア(オーベルニュ)
のペイレ(ピエール)は、12世紀に活躍したトルバドゥール(叙情詩
人)です。4節のチノ・ダ・ピストイアは14世紀のイタリアの詩人・
法律家で、ダンテの友人でもあった人物です。「その友人」というの
はダンテ自身のことなのでしょうか。独訳注はそのように解釈してい
ます。
次回も続く箇所を見ていきます。イタリアの諸方言の話なども出てき
ます。お楽しみに。
(続く)
*本マガジンは隔週の発行です。次号は05月25日の予定です。
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(C) Medieviste.org(M.Shimazaki)
http://www.medieviste.org/?page_id=46
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