silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.378 2019/05/25

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------文献探索シリーズ------------------------

一神教にとっての預言とは(その13)


13世紀のバグダードで活躍したユダヤ系の哲学者イブン・カムーナの

預言者論を見ています。ユダヤ教を扱った第二章の、異論に対する反

駁の部分です。今回は6つめの異論について見ていきます。それは次

のようなものです。「ザラスシュトラ(ゾロアスター)には伝承によ

り多くの奇跡や預言が報告されているが、ユダヤ教はそれらの預言を

偶像崇拝としてすべて斥けている。ならばユダヤ教の伝承についても

有効性が問われなくてはならないのではないか」。


この異論は、ほかの民の伝承が有効とされないなら、ユダヤ側のモー

セの奇跡の伝承にも信憑性が担保されなくなると主張し、またほかの

民の伝承を有効と認めるならば、伝承に示された奇跡の存在が預言の

信憑性の証明にはならないことを認めることになるとして、いずれを

選んでも、ブーメランのごとく、ユダヤ側の議論が危うくなってしま

うと指摘します。いわば論理的な矛盾を突こうとしているわけですね。


これに対してカムーナも、論理学的分析(事象の細分化)を通じて反

論を試みます。そこではまず、預言者と、その者がなした奇跡または

驚異の伝承との関連性が問われています。驚異の伝承に信憑性がない

ならば、それをなした者が預言者かどうかはそもそも問うに値しませ

ん。カムーナはゾロアスター教の伝承の一部はそのようなものだと一

蹴します。その上で、ある民のもとで評判を博した伝承が必ずしも信

憑性が高いわけでもないと指摘します。


重要とされるのは、伝承の評判と信憑性とを分けるという考え方です。

それらが区別されない場合、判断の誤りが生じてしまいます。それで

も、伝承で語られる奇跡ないし驚異が、理性的な疑いの眼をもって受

け止められるならば、問題は生じません。異教の一部の伝承にはそう

いうものもある、とカムーナは述べています。問題となるのは、理性

が疑いを抱かない場合です。


その場合も二つに下位区分できます。伝承される驚異が、宗教的に禁

止されたことの主張に結びついている場合が一つ、そうではない場合

がもう一つです。後者ならば無害ですが、前者ならば、二つの反応が

ありえる、とカムーナは言います。一つはまったくもって受け入れら

れないとすること、もう一つは、それが虚偽であると神が知りながら、

その驚異をなすがままにした、と受け取ることです。この後者の場合、

神の側も、聡明な人々ならばそれによって躓くことはないことをわか

っている、という解釈となります。しかしこれには、神学的な議論へ

とやや強引にシフトしている印象もあります。


ここまでは預言者と伝承の関係についての議論でしたが、次にカムー

ナは、預言者であるとの主張と、奇跡や驚異そのものとの関係につい

て取り上げます。ある者が預言者を名乗ることと、その者が奇跡をな

すことが、そもそもリンクしているのでないならば、聡明な人々が誤

ることはありません。両者のリンクが信憑性のある伝承として伝えら

れているのならば、理性的判断によって斥けられることもありません。

問題は両者がリンクされていて、なおかつ信憑性に難がある場合です。

そのような場合、一つには、理性的な疑わしさを拭いきれないとして、

預言者の名乗りの条件から奇跡を取り下げてしまうか、あるいはまた、

預言を擁立する道を閉ざしてしまうかの対応が考えられます。カムー

ナは、インドのヒンドゥー教を後者の例として挙げています。


さらにまた、奇跡ではなく、補完的な指標をもとに預言者の名乗りを

認める対応もありうるとして、ユダヤ教徒の一部はまさにそうだと指

摘しています。補完的な指標については、すでに第一章の総論のとこ

ろで、預言者が示す研ぎ澄まされた知性や、賢者としての行動の内実、

人々に促す直感などを挙げていました。この立場を取るユダヤ教徒は、

モーセの場合、奇跡以上に重要なのは神がモーセにシナイ山で告げた

内容だとしているのですね。啓示を受ける預言者が啓示された預言を

信じるのとパラレルなかたちで、民もその啓示内容を信じている、と

いうわけです。奇跡の数々の話は、あくまでそうした総合判断的な信

仰を強化するためのものにすぎず、預言者を認めるための主要なモチ

ーフではないというわけです。


カムーナはさらに、ユダヤ教の人々も、大半はやはり奇跡をもとに神

による認証を求める、と述べています。伝承される奇跡に信憑性があ

るとされるのは、モーセのほか、預言が認められているその後の預言

者たちだけだ、というのですね。彼らは上記の異論に対して、改めて

伝承の問題を持ち出し、異教の伝承はユダヤ教の伝承とは違う、ユダ

ヤ教の伝承ほど確固たるものではないと反論する、といいます。ここ

で前半の預言者と伝承の関連に問題が差し戻されているかたちです。


預言者と奇跡のリンクの問題は、ケース分けの果てに預言者と伝承の

リンクの問題にシフトし、この後者もやはりケース分けの果てに、最

終的には神の意志という解釈へとシフトする、という構図です。こう

してみると、ここでのカムーナの議論は(これまでもそうでしたが)、

分析的な細分化を突き詰めていき、それ以上の論理的判断を導けない

ところで神学的なアプローチに訴える、というやり方になっています。

論理の延長線上に別筋のアプローチや解釈が示されることで、両者が

まるで陸続きになっているかのように、あるいは混然一体となってい

るかのように見えてくる、ということでしょうか。そのあたりはカム

ーナ個人というよりも、むしろ一神教的世界で全般的に培われた一種

の知恵かもしれません。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの俗語論(その13)


ダンテの『俗語論』を読んでいます。今回は10章の残りの部分です。

イタリア語の各種方言について触れている箇所です。さっそく見てい

きましょう。



5. Nos vero iudicium relinquentes in hoc et tractatum nostrum 

ad vulgare latium retrabentes, et receptas in se variationes 

dicere nec non illas invicem comparare conemur. 

6. Dicimus ergo primo Latium bipartitum esse in dextrum et 

sinistrum. Si quis autem querat de linea dividente, breviter 

respondemus esse iugum Apenini, quod, ceu fistule culmen hinc 

inde ad diversa stillicidia grundat aquas, ad alterna hinc 

inde litora per ymbricia longa distillat, ut Lucanus in 

secundo describit: dextrum quoque latus Tyrenum mare 

grundatorium habet, levum vero in Adriaticum cadit. 


5. しかしながら私は、このことに関しての判断は控え、議論を世俗

のイタリア語に戻し、それが被った様々な変化について述べ、さらに

それら相互の比較を試みよう。

6. ではまず、イタリアが右と左に分かれていると述べよう。もしど

こに分割線を引くのかと訊かれたならば、私は即座にアペニン山脈で

あると答えよう。それはちょうど雨樋の頂上部のようで、そこから両

側の傾斜にそって水が流れ落ちていき、それぞれの沿岸にいたるまで、

長い経路に水を供給するのである。これらはルカヌスの著書の第二書

で描かれているとおりで、右側では広大なティレニア海に流れ落ち、

左側ではアドリア海に注ぐのである。


7. Et dextri regiones sunt Apulia, sed non tota, Roma, 

Ducatus, Tuscia et Ianuensis Marchia; sinistri autem pars 

Apulie, Marchia Anconitana, Romandiola, Lombardia, Marchia 

Trivisiana cum Venetiis. Forum Iulii vero et Ystria non nisi 

leve Ytalie esse possunt; nec insule Tyreni maris, videlicet 

Sicilia et Sardinia, non nisi dextre Ytalie sunt, vel ad 

dextram Ytaliam sociande. 


7. 右側の地域はプッリャ(その全体ではないが)、ローマ、ドゥカ

ート(スポレート)、トスカーナ、マルカ・ジェノヴェーゼなどであ

る。一方の左側は、プッリャの一部、マルカ・アンコニターナ、ロマ

ーニャ、ロンバルディア、マルカ・トレヴィジャーナ、そしてヴェネ

ツィアである。フリウリやイストリアはイタリアの左側に、ティレノ

の諸島、つまりシチリアやサルデーニャはイタリアの右側に属するか、

あるいは右側に連なる。


8. In utroque quidem duorum laterum, et hiis que secuntur ad 

ea, lingue hominum variantur: ut lingua Siculorum cum Apulis, 

Apulorum cum Romanis, Romanorum cum Spoletanis, horum cum 

Tuscis, Tuscorum cum Ianuensibus, Ianuensium cum Sardis; nec 

non Calabrorum cum Anconitanis, horum cum Romandiolis, 

Romandiolorum cum Lombardis, Lombardorum curn Trivisianis et 

Venetis, horum cum Aquilegiensibus, et istorum cum Ystrianis. 

De quo Latinorum neminem nobiscum dissentire putamus. 


8. 二つのいずれの側でも、またそれらの一部をなすどの地域でも、

人々の言葉は異なっている。シチリアの言葉はアプリアの言葉とは違

うし、アプリア語とローマ語、ローマ語とスポレート語、スポレート

語とトスカナ語、トスカナ語とジェノヴァ語、ジェノヴァ語とサルデ

ーニャ語も違う。同様に、カラブリア語とアンコーナ語、アンコーナ

語とロンバルディア語、ロンバルディア語とトレヴィーゾ語やヴェネ

ツィア語、それらとアクイレイア語、これらとイストリア語も異なる。

このことについては、イタリア人は誰も異議を唱えないだろうと思わ

れる。


9. Quare ad minus xiiii vulgaribus sola videtur Ytalia 

variari. Que adhuc omnia vulgaria in sese variantur, ut puta 

in Tuscia Senenses et Aretini, in Lombardia Ferrarenses et 

Placentini; nec non in eadem civitate aliqualem variationem 

perpendimus, ut superius in capitulo immediato posuimus. 

Quapropter, si primas et secundarias et subsecundarias 

vulgaris Ytalie variationes calcolare velimus, et in hoc 

minimo mundi angulo non solum ad millenam loquele variationem 

venire contigerit, sed etiam ad magis ultra. 


9. ゆえに、イタリアだけでも少なくとも14の言葉に分かれている。

このそれぞれの言葉の内部でも変化が生じており、たとえばシエナの

トスカナ語はアレッツォのトスカナ語とは違うし、フェラーラのロン

バルディア語もピアチェンツァのロンバルディア語とは異なる。さら

に同じ都市でも、前の章で示したようになんらかの変化が見て取れる。

以上の理由から、イタリアの主要な言葉、副次的な言葉、さらに下位

の副次的な言葉を数えようとするならば、世界のうちのごく小さなこ

の片隅だけでも、違う言葉は千にもおよぶだろうし、さらに多くの言

葉を数えることになるだろう。



すでに見たように、言語は変化するものであり細分化されていく、そ

れはごく限定された地域の内部ですら起こるものである、というのが

ダンテの抱く言語観なのでした。今回の方言の記述でも明らかですね。


6節めに出てくるルカヌスは、後1世紀に活躍したコルドバ生まれのロ

ーマ帝国の詩人で、伊語訳注によると、ここで言及されている描写は、

主著とされる叙事詩『ファルサリア』(内乱)の第二書、396からの

ものなのだとか(未確認です)。7節めには各種地名が出てきますね。

同じく伊語訳注によれば、プッリャ(南部の州)と訳出している「ア

プリア」は、中世当時には現在のプッリャよりも広い範囲にわたって

いたといいます。ドゥカートは「公国」の意味ですが、ここではウン

ブリア州のスポレート公国のことを言うようです。


8節は地域ごとの言葉(「○○語」と訳出していますが、直訳なら「

○○人の言葉」ということです)が列挙されていますが、同じく伊語

注では、アプリア人は上記のアプリアの西側に暮らしていた人々のよ

うです。アプリアの東側に暮らしていた人々がカラブリア人なのです

ね。これが現在のプッリャあたりとされます。アクイレイアは北東部

のフリウリの古名のようです。


今回は細かい地名のほかはさしてコメントする点はありません。ダン

テによる方言についての記述・探求は、次の章でも続いていきます。

それはまた次回に。

(続く)



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