silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.381 2019/07/06

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------文献探索シリーズ------------------------

一神教にとっての預言とは(その16)


前回まで、イブン・カムーナの預言者論から第1章と第2章の要点を駆

け足でまとめてきました。残る第3章と第4章はそれぞれキリスト教と

イスラム教についての議論になっています。これらについてはさらに

大局的に概観するにとどめ、重要なポイントのみまとめてみたいと思

います。


第3章のキリスト教についての話では、当然ながら預言者としてのキ

リストの真偽が問題になります。つまり、ユダヤ教から見たキリスト

像はどんな感じに映るのか、ということです。カムーナは議論の前提

として、基本的な信条のまとめや、ヤコブ派、ネストリウス派などの

比較などの要点を紹介しています。ユダヤ教側からすると、キリスト

教においてはトーラーの教えが随所で変更されています。たとえば豚

肉の許可、割礼や手のみそぎなどの放棄などが、キリストの弟子た

ち(使徒たち)によって報告されているわけですね。ユダヤ教側がそ

うした点を非難するのに対して、キリスト教側は福音書が定める自分

たちの法に則っていると反論します。カムーナは、そうした変更の中

核部分はパウロの見解によるものだと指摘しています。


カムーナは見事な手際でキリスト教側の主張や教義の核心部分をまと

めています。そしてそれらに対する異論と、キリスト教側からの想定

される反論を列挙していきます。中心的な議論となっているのは、や

はりキリストの神性についてです。これには三位一体の位格の問題も

絡んできます。とくに問題視されるのは位格的な「結合」の概念です。

そもそも一神教の概念からすると、位格の「混合」や「複合」「融合」

などは矛盾をきたすことにもなり、またそれぞれの位格を属性と見な

すこともできず(すると属性は果てしなく設定できてしまいます)、

八方ふさがりになってしまいそうです。


カムーナはここで実に多岐にわたる異論を記していますが、とくに面

白い議論としては次のようなものがあります。「キリストは生みの

親(父親)がいないがゆえに神的な存在であるとするなら、アダムや

エヴァ、さらには創世時のその他の動物たちのほうが同じ理由からは

るかに完全な存在だったではないか」「天に上ったがゆえにキリスト

が神的な存在であるというなら、同じく天に上ったエリヤも神的だと

いうことになってしまう」「福音書にキリストは神の子と記されてい

るとしても、神はすでにイスラエルの民をわが年長の子よ、と呼んで

いるではないか、しかもキリストは使徒たちを、兄弟よと呼び掛けて

いるではないか」などです。


キリスト教の側がどう答えるかを、カムーナは想定問答的に考案して

いますが、これは全体にかなり正確というか、十分ありそうな印象で

す。たとえば位格の結合の問題に関してキリスト教徒は、それが現世

においてどのような様態で結合しているのかはわからない、もしかす

るとそれは将来において明かされるのかもしれない、と答えるだろう

とされています。自分たちが位格の結合を信じるのは、それが福音書

に記されているからなのだ、と。またそのことは旧約聖書のヨブやソ

ロモン、エッサイの言葉などでも預言されている、と。


キリストが眠ったり、食したり、息をしたりすることが、キリストの

神性を否定する反証として挙げられたりもしますが、キリスト教徒な

らば、それらはあくまでキリストのもつ人間の側面にのみ言及したも

のであって神的な面に触れてはいない、と反論するだろうとされてい

ます。また、キリストの神的な面というのは、その生涯のうちで数え

上げられる事例によって示されているのではなく(それはほかの預言

者の場合にほかなりません)、その全体において示されているのだ、

とキリスト教徒は言うだろう、と。「神の子」という呼称については、

ほかに「神の子」と呼ばれる人がいたとしても、それはあくまでメタ

ファーにすぎないが、キリストに関する限りそれが真理であることは、

使徒たちの伝承からも明らかだ、と答えるだろうとされています。


トーラーとの関係についても、キリスト教徒たちはキリストの言葉

(「自分はトーラーを破棄しに来たのではない。補完しにきたのだ」)

をもとに、トーラー自体がキリストの到来を告げており、そこでの法

は救世主の到来まで順守すればよいものとして示されていたのだと解

釈し、さらにその約束は果たされたと考えることが指摘されています。

キリストはトーラーの掟をなんら破ってはいないのだ、というわけで

すね。


こうした想定問答を踏まえて、カムーナは自分の見解を述べています。

カムーナによれば、総じてキリスト教徒が用いるトーラーなどからの

引用は、キリストを擁護する議論の証拠になっていないといいます。

たとえばヤコブが語る、「時の終わりにしかるべき権力をもち民を集

める者が現れるまで、杖はユダを離れず立法者の杖も足元を離れない

だろう」という一節を、キリスト教の側は、キリストが現れたとき、

王国はすでになく、預言も彼らを見捨てていた、というふうに解釈し

ます。しかしカムーナに言わせれば、歴史的に見てもそのような解釈

は認めがたく(王国がユダを離れたのはキリストの400年以上も前だ、

とカムーナは述べています)、また杖を王国そのもの、立法者を預言

者と解釈するのも恣意的にすぎる、ということになります。上のヤコ

ブの話は、ダビデについてのものとするのが順当である、と。このよ

うな解釈の逸脱、文脈の置き換えこそが、キリスト教側の用いる議論

の典型だとカムーナは喝破します。


さらにカムーナは、そのような異なる解釈の違い、あるいは預言の言

葉のゆがみの原因が、一つには聖典の翻訳にあると指摘しています。

ヘブライ語からギリシア語、シリア語、アラビア語へと翻訳される過

程で、一部の語の意味が変わってしまっている、というのですね。ま

たキリスト教徒はそうした違いを意識しているとも述べています。た

だ、それは意図的なゆがみかもしれないし、あるいはもとの言葉への

無知や無理解から来るのかもしれない、とカムーナは慎重に判断を保

留しています。


総じてカムーナは、実に冷静に相手側のありうべき反論を細かく再現

してみせ、そこに自身の批判を穏やかに加えていきます。他宗派の内

実への精通ぶりと、それをあえて鷹揚に受け止め相互の対話を図って

いこうとする懐の深さ、ある意味開かれた姿勢などが実に印象的です。

まさに近代人としてのカムーナ像が、改めて浮かび上がってくるよう

に思えますね。


次回はイスラム教を扱った第4章を見て、まとめとしたいと思います。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの俗語論(その16)


『俗語論』第1巻を読んでいます。今回は少し短めの第13章です。さ

っそく見ていきましょう。



XIII 1. Post hec veniamus ad Tuscos, qui propter amentiam 

suam infroniti titulum sibi vulgaris illustris arrogare 

videntur. Et in hoc non solum plebeia dementat intentio, sed 

famosos quamplures viros hoc tenuisse comperimus: puta 

Guittonem Aretinum, qui nunquam se ad curiale vulgare 

direxit, Bonagiuntam Lucensem, Gallum Pisanum, Minum Mocatum 

Senensem, Brunectum Florentinum, quorum dicta, si rimari 

vacaverit, non curialia sed municipalia tantum invenientur. 

Et quoniam Tusci pre aliis in hac ebrietate baccantur, dignum 

utileque videtur municipalia vulgaria Tuscanorum sigillatim 

in aliquo depompare.


13章 1. 次に今度はトスカーナの人々を取り上げよう。彼らはその無

分別ゆえに、著名な方言をもつという栄誉を不当に要求しているよう

に思われる。しかもそうした愚かしいことを言うのは庶民ばかりでな

く、非常に多くの著名人たちさえもそれにこだわっていることが見て

取れる。宮廷の俗語のほうを決して向こうとしないグィットーネ・ダ

レッツォや、ボナジュンタ・ダ・ルッカ、ガレット・ピサーノ、ミノ・

モカート・ディ・シエナ、ブルネット・フィオレンティーノなどであ

る。彼らの詩は、よく吟味してみても、宮廷の言葉ではなく、街中の

言葉で書かれているのがせいぜいである。また、トスカナ人は常軌を

逸したかのようにほかの人々よりもわめき散らすので、トスカナの都

市の言葉は一つずつ、その横柄さをくじくに値するし、そうするのが

有益であろう。


2. Locuntur Florentini et dicunt 

Manichiamo introcque, altro. Ô che noi non facciamo 

Pisani: Bene andonno li fanti de Fiorensa per Pisa. 

Lucenses: Fo voto a Dio ke in grassarra eie lo comuno de 

Lucca. 

Senenses: Onche renegata avess'io Siena. Ch'ee chesto? 

Aretini: Vuo' tu venire ovelle? 

De Perusio, Urbe Veteri, Viterbio, nec non de Civitate 

Castellana, propter affinitatem quam habent cum Romanis et 

Spoletanis, nichil tractare intendimus. 

3. Sed quanquam fere omnes Tusci in suo turpiloquio sint 

obtusi, nonnullos vulgaris excellentiam cognovisse sentimus, 

scilicet Guidonem, Lapum et unum alium, Florentinos, et Cynum 

Pistoriensem, quem nunc indigne postponimus, non indigne 

coacti. 


2. フィレンツェ人は口を開くと、このように言う。「食べよう、ほ

かにすることないのなら」。ピサ人はこうだ。「フィレンツェの成果

はピサのため」。ルッカ人はこう。「神に誓っていう。ルッカはピン

ク色だ」。シエナ人はこう。「シエナを去ってしまえたら。けれども

やはり」。アレッツォ人はこう。「どこかに行きたいか?」。ペルー

ジャ、オルヴィエト、ヴィテルボ、チッタ・ディ・カステッロについ

ては、住民たちがローマ人やスポレート人らに近いことから、とくに

論じる気はない。

3. トスカーナの人々はみな隠語をさかんに口にするが、それでもそ

の方言の卓越さを認識している人もいないわけではないと思われる。

たとえば、グイド、ルポ、その他の人々だ。彼らはフィレンツェとピ

ストイアのチノの出身だ。彼らを最後に置いているのは不当だが、不

当ではない理由によりやむを得ずそうしている。


4. Itaque si tuscanas examinemus loquelas, et pensemus 

qualiter viri prehonorati a propria diverterunt, non restat 

in dubio quin aliud sit vulgare quod querimus quam quod 

actingit populus Tuscanorum. 

5. Si quis autem quod de Tuscis asserimus, de Ianuensibus 

asserendum non putet, hoc solum in mente premat, quod si per 

oblivionem Ianuenses ammicterent z licteram, vel mutire 

totaliter eos vel novam reparare oporteret loquelam. Est enim 

z maxima pars eorum locutionis; que quidem lictera non sine 

multa rigiditate profertur. 


4. ゆえに、トスカーナの言葉を検証し、どれほどの栄誉ある人々が

その地元の言葉を使わないかを考えるならば、私たちが求める方言は

トスカーナの人々が用いてきたものとは異なることに、異論の余地は

ない。

5. だが、トスカーナの人々について私が述べたことが、ジェノヴァ

の人々には当てはまらないと主張する人がいるならば、ジェノヴァ人

が健忘症のためzの文字を失ってしまったとしたら、(そのせいで)

すっかり押し黙ってしまうか、もしくは新しい言葉を作り直すかしな

ければならないだろうことを、心のうちで考慮していただきたい。と

いうのも、zは彼らの言葉の大きな部分を占めているからだ。またそ

の文字は、多大なざらつき伴わずには発音できない。



今回の箇所ではトスカーナの言葉が取り上げられています。トスカー

ナといえば、基本的にフィレンツェを中心とした一帯ですね。北西部

にはルッカ、ピサがあり、フィレンツェ南にはシエナ、その東にはア

レッツォがあります。ちなみに、さらに北西部にはジェノヴァが、ま

たさらに南東部にはローマが控えています。


重要な都市を含み持つトスカーナですが、言葉としての評価は低いよ

うです。1節めから辛辣な批判が発せられています。伊語訳注によれ

ば、ここで出てくるグィットーネ・ダレッツォは、ダンテの前の世代

において最も著名なトスカーナの詩人なのだとか。ボナジュンタ・ダ・

ルッカも、シチリアの一派とフィレンツェの清新体派をつなぐ架け橋

になった詩人とされています。ほかに名前が挙がっている人々も、詩

作が現存している人たちのようです。


2節めで示されている各地の言葉の事例はちょっとわかりにくいとこ

ろです。いずれも世俗の歌からの引用とされています。それぞれの都

市の方言については後世の注解なども多々あるようですが、ここでは

さしあたり、それら各地の言葉が俗っぽくて、宮廷向きでないという

実例として捉えておけばよいのかなと思います。伊語訳の注には個別

の特徴がいくつか指摘されいて(ピサ方言に顕著とされる三人称複数

の語尾onno、古いトスカナ方言で多用されるeieというかたち、シエ

ナ方言のchestoという言い方などなど)興味深いところでもあるので

すが、このあたり訳出には反映できそうにありません。


3節めのグイドやラーポといった名前は清新体派の詩人たちで、彼ら

は地元意識の強いトスカーナ人とは一線を画す人々とされています。

最初のグイド・カヴァルカンティはダンテの友人、二人めはラーポ・

ディ・ジャンニ・リチェヴートで、公証人でもあり、ダンテやグイド

と詩作のやり取りを交わしていた人物なのだとか。


5節めにはジェノヴァの話が出てきます。伊訳注によれば、ジェノヴ

ァ方言ではzの音が多用されていて、後世にはsに置き換わっていたり

しているようですが、それはジェノヴァだけでなく、むしろ北部全般

の特徴でもあるようです。ダンテからすれば、zの荒い音はまったく

美的ではないということになるのでしょう。健忘症でzが使えなくな

ったら、押し黙るか新しい言葉を考案するしかない、と皮肉たっぷり

に語っていますね。


ダンテの方言巡りはまだ続きます。

(続く)



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