silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ中世思想探訪のための小窓>

no.382 2019/07/20

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*お知らせ

いつも本メルマガをお読みいただき、誠にありがとうございます。本

メルマガは原則隔週での発行ですが、例年7月下旬から8月にかけては

夏休みとさせていただいております。そんなわけで、本年も次号は8

月31日の発行を予定しています。1か月以上空いてしまいますが、ど

うかご了承ください。皆様、良い夏をお過ごしください。



------文献探索シリーズ------------------------

一神教にとっての預言とは(その17)


イブン・カムーナの預言者論は、最後の第4章をイスラム教にあてて

います。これまた当然ながら預言者としてのムハンマドをめぐる、他

宗教からの疑問や反論、そしてそれらに対するイスラム側からの応

答(想定問答)が描かれていきます。


イスラム教の場合も、ムハンマドは預言者を名乗り、数々の奇跡でも

ってそのことを証明したとされています。その伝承は正確なものだと

見なされ、ムハンマドを通じてコーランという奇跡は実現したという

ことになっています。ムハンマドこそがコーランの啓示を受けた当人

なのだから、というわけですね。どうやらイスラム教にも、ユダヤ教

やキリスト教と同じように、同語反復的な「信」の構造が見られるよ

うです。


そんなわけですから、異論に対するイスラム教側の応答も、これまで

他の宗派で見てきたような各種の議論と重なる部分が数多く見受けら

れます。イスラム側がムハンマドの預言者性についての証拠として示

す論点、つまり異論との応酬がなされる基本的なテーマを、カムーナ

は大きく6つに分けています。まず1つめはコーランの比類のなさです。

これについては15の異論と、それらへのイスラム教側の反論が示され

ます。ムハンマドが他の先行者の書を読んだなどの可能性が挙げられ

たり(もちろんイスラム側は、もしそうならそのように伝えられてい

るはずだ、と反論します)、詩句の食い違いなどからコーランの伝承

性に疑問が突きつけられたり(詩句の食い違いなどにはそれぞれ個別

の理由がある、とされています)しています。で、それらのほかに、

カムーナみずからが間に割って入るかたちで持論を提示します。


たとえばコーランが、詩句を記憶する者によって、信頼できるかたち

で保持されたとする教説に、カムーナは、そうではない可能性も高い

として、2種類のサヒーフ(ハディース集の一つ)を具体的に挙げ、

両者の相違を指摘します。詳細は割愛しますが、コーランの伝承には

同じイスラム教の内部でも相違があることを、カムーナは実証的かつ

経験的に説いているのですね。カムーナはコーランのほか、ハディー

スや学者の研究などにも通じていることがわかります。コーランの比

類のなさを証しているとイスラム教徒が主張するものには、たとえば

同書の雄弁な語り口なども挙げられていますが、カムーナはそれもま

た、伝承の真正さを証するものではないと一蹴します。


2つめのテーマはコーランにおける啓示(隠されていたものの開示)

の数々です。啓示の内容には過去のものも未来のものもあるとされま

すが、とくにその前者についてカムーナは、ムハンマドが過去の事象

の多くを否認している事実(たとえばソロモンが魔人を征服した話や

鳥と会話した話、イエスの逸話などなど)を挙げ、それをもってイス

ラム教の伝承が真正なものではないことの論拠としています。


3つめのテーマはムハンマド自身がなした奇跡・偉業です。指から水

を出したとか、食料の乏しい中で多くの人を満腹にした……などなど。

カムーナはこれらについて(関連して)、一般論のかたちで、人は多

くの場合、宗教的禁忌に反してしまう性向や、敵対者に打ち勝ちたい

欲求などから、断片的な逸話を作り上げてしまうことがあるものだと

述べ、イスラム教にもそのような輩はいるだろうとして、その真正性

に疑いを表明しています。このあたりも、ほかの箇所でも見られたカ

ムーナの人間洞察がうかがい知れます。またカムーナは、コーランの

随所に、ムハンマドがそうした奇跡をなしていないことを示す箇所が

散見されると述べ、いくつかの具体例を示しています(詳細は省きま

す)。


ムハンマドの登場が、先行する預言の書(トーラーや旧約聖書)に告

げられているかどうかが4つめのテーマです。カムーナはここでもま

ずは一般論として、旧約聖書やトーラーのしかじかの箇所を挙げてム

ハンマドのような特定の人物の登場が予告されていると主張するのは、

そのことを広く知らしめるという目的をむしろ損なうことになるので

はないかとの疑問を突きつけます。当時のキリスト教徒やユダヤ教徒

に、自分のことが聖典に記されているなどと、ムハンマドが主張した

とは考えられず(なぜなら、それでは当然広まるはずもないからです)

、一定の権威が確立してからそう主張するようになった可能性や、ム

ハンマドの死後に偽善的な誰かがコーランにそうした照合関係の説を

付け加えた可能性がむしろ高いのではないか、というわけですね。し

かしそのような場合、コーランは真正な伝承によるものではない、と

いうことになってしまいます。伝承の真正性はイスラム教のすべての

議論体系の要石になっています。


このあと、トーラーなどへの具体的な言及箇所が取り上げられますが、

それは割愛します。カムーナはそれらを踏まえて、イスラム教側によ

るトーラーその他の聖典の引用は、言葉の字義的な意味をアラビア語

に訳出しておらず、著しい曲解が見られると結論づけています。その

ため、ムハンマドが不信仰の世界に真の信仰をもたらし、世界をより

完全なものにしたという宗教議論(5つめのテーマです)も、カムー

ナからすればある種の曲解にすぎないものと映ります。カムーナの定

義からすると、他の人々を完徳へと導くのは預言者ではなく、知者(

賢者)ということになり(この主張は、アル・ラージーの徳の議論を

下敷きにしているようです)、また、ムハンマドは人々の完徳に向け

て何かを付加したわけではないと、この点をも否定しています。


最後に6つめのテーマとして、ムハンマドにおいては感性・知性のそ

れぞれにおいて預言者としての多くの要件が累積しているという議論

が取り上げられます。その生涯の行いやたたずまい、顔立ちなどのす

べてを通じて、ムハンマドが真正の預言者であったことが証されるの

だ、というイスラム教側の主張です。ですが当然ながらというべきか、

カムーナは、それは印象論にすぎないと一蹴します。ムハンマド自身

がそうした印象をそもそも抱いてはいないのではないか、とも言いま

す。また、ムハンマドの主張が真正であるなら、なぜユダヤ教やキリ

スト教は相変わらず、長きにわたるその伝承を絶やすことなく伝え続

けているのか、とも問うています。こうして、イスラム教の法につい

て、その真正性は認めらないと最終的に結論づけています。



以上、第4章をかなり雑ですが一気に駆け抜けてみました。これまで

も見てきたように、カムーナの他宗教への理解はかなり深いものに及

んでいるように思われます。教義の細かな検証など、相当な研鑽を積

んでいることがうかがい知れます。また自説を示す際には、カムーナ

は実証的なスタイルを貫いていて、まさに早すぎた近代人というふう

でもあります。13世紀のバグダードに、このようなユダヤ教系の知識

人がいたことは、もっと知られてよいかもしれませんね。


今回で、この場でのカムーナについての連載は終了とします。お疲れ

様でした。夏休み明けの次回からは、20世紀フランスの哲学者・文献

学者、アンドレ=ジャン・フェストゥジエールの著作から、『宇宙創

成神』(『ヘルメス・トリスメギストスの啓示』第2巻)の一部を見

ていきたいと思っています。古代ギリシアの哲学者たちが抱いてい

た「信仰」や神の概念がどのようなものだったかを再考していければ、

と思います。題して「西欧思想の裏街道?」でしょうか。お楽しみに。

(了)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの俗語論(その17)


ダンテの『俗語論』第1巻から、今回は14章を見てみます。ここでも

イタリア各地の方言めぐりが続いています。



XIV 1. Transeuntes nunc humeros Apenini frondiferos levam 

Ytaliam contatim venemur ceu solemus, orientaliter ineuntes. 

2. Romandiolam igitur ingredientes, dicimus nos duo in Latio 

invenisse vulgaria quibusdam convenientiis contrariis 

alternata. Quorum unum in tantum muliebre videtur propter 

vocabulorum et prolationis mollitiem quod virum, etiam si 

viriliter sonet, feminam tamen facit esse credendum. 


14章 1. 今度はアペニン山脈の緑に覆われた肩の部分を超えて、イタ

リアの左側について、いつもそうしているように検討していこう。ま

ずは東部から始めよう。

2. まずはロマーニャに足を踏みれるが、その地域についてはこう言

おう。ラティウム(イタリア中西部)には2つの俗語があることが見

て取れる。それらは相互に真っ向から対立している。そのうちの1つ

は、語彙と発話の柔らかさゆえに女性的であると思われる。男性がそ

れを力強く発する場合でも、女性がしゃべっていると思われるほどで

ある。


3. Hoc Romandiolos omnes habet, et presertim Forlivienses, 

quorum civitas, licet novissima sit, meditullium tamen esse 

videtur totius provincie: hii deuscÏ affirmando locuntur, et 

oclo meo et corada mea proferunt blandientes. Horum aliquos a 

proprio poetando divertisse audivimus, Thomam videlicet et 

Ugolinum Bucciolam Faventinos. 

4. Est et aliud, sicut dictum est, adeo vocabulis 

accentibusque yrsutum et yspidum quod propter sui rudem 

asperitatem mulierem loquentem non solum disterminat, sed 

esse virum dubitare[s le]ctor. 


3. これはロマーニャのすべての人が話す言葉であり、とくにフォル

リの人々がそうである。同市は地域の末端部分にありながら、地域全

体の中心をなしていると思われる。彼らは肯定の返事をする際に「

deusi」と言い、(女性に)媚びる言い方として「oclo meo(私のま

なこ)」「corada mea(私の心臓)」と言う。幾人かの人々は、詩作

に際して地元の言葉と距離を置いていると聞いたことがある。たとえ

ばいずれもファエンツァ出身の、トマゾやウゴリーノ・ブッチオーラ

などである。

4. 先に述べたように、俗語はもう一つあり、語彙やアクセントまで

攻撃的で粗野である。荒々しい耳ざわりのため、その言葉を話す女性

は、女性的でないと受け止められるばかりか、読者よ、男性かとさえ

疑われてしまうほどだ。


5. Hoc omnes qui magara dicunt, Brixianos videlicet, 

Veronenses et Vigentinos, habet; nec non Paduanos, turpiter 

sincopantes omnia in -tus participia et denominativa in -tas, 

ut mercÚ et bontË. Cum quibus et Trivisianos adducimus, qui 

more Brixianorum et finitimorum suorum u consonantem per f 

apocopando proferunt, puta nof pro ‘novem’ et vif pro ‘vivo

’: quod quidem barbarissimum reprobamus. 

6. Veneti quoque nec sese investigati vulgaris honore 

dignantur: et si quis eorum, errore confossus, vanitaret in 

hoc, recordetur si unquam dixit: 

Per le plaghe de Dio tu no verras. 


5. これは「magara(やせた)(?)」と言う人々すべての言葉であ

る。たとえばブレシア、ヴェローナ、ヴィチェンツァの人々などだ。

パドヴァの人々も同様で、「-tus」で終わる分詞や「-tas」で終わる

名詞をすべて省略し、「merc`o(商売)」とか「bont`e(善良さ)」

と言うのである。彼らのほか、トレヴィーゾの人々にも触れておこう。

その人々は、ブレッシャの人々やその近隣の人々と同様に、子音的な

uをfで発音して単語を省略する。「novem(新しい)」の代わりにnof

と言い、「vivo(生きている)」の代わりにvifと言うのだ。私はこ

れを破格語法の最たるものとして糾弾しよう。

6. ヴェネツィア人も、私たちが探求する俗語の栄誉にふさわしいと

は言えない。そのうちの誰かが、誤りの勢い余って地元の言葉を自慢

するのであれば、かつて次のように発話したことがなかったか思い出

すがよかろう。「Per le plaghe di Dio, tu no verras(神を傷つけ

ると、眼が見えなくなるぞ(?)」。


7. Inter quos omnes unum audivimus nitentem divertire a 

materno et ad curiale vulgare intendere, videlicet 

Ildebrandinum Paduanum. 

8. Quare, omnibus presentis capituli ad iudicium 

comparentibus, arbitramur nec romandiolum, nec suum oppositum 

ut dictum est, nec venetianum esse illud quod querimus 

vulgare illustre. 


7. 上記のすべての市民のうち、1人だけ、母語から離れ、宮廷の言葉

を志向した輝かしい人物がいたと聞いている。すなわち、パドヴァの

アルドブランディーノである。

8. 以上のことから、私は、本章の法廷に召喚したすべての言葉のう

ち、ロマーニャ語も、それに対立する上記の言葉も、ヴェネツィアの

言葉も、私たちが求める名高い俗語には当たらないと裁定する。



今回の箇所では、前回のフィレンツェから北上し、アペニン山脈の北

部の地域、ロマーニャの一帯について記されています。で、そこには

2種類の方言があるというのですね。1つは女性的、もう1つは男性的

という区別を付けています。前者はとくにフォルリの言葉に顕著だと

されています。フォルリはリミニとボローニャの中間あたりにある小

都市です。


3節めに出てくるファエンツァはフォルリの北西部に位置する隣町で

す。伊訳注によれば、トマーゾはトマーゾ・ディ・ファエンツァとい

う、13世紀の詩人・裁判官で、ラテン語のほか俗語でも詩を書いてい

たといいます。ウゴリーノ・ブッチオーラも同じく13世紀の詩人で、

小詩が残っているのだとか。


5節めで示される語末の消失や、子音的uをfで置き換えるなどの現象

は具体的で興味深いですね。6節めの句は、伊訳注によればヴェネツ

ィア方言をあげつらったパロディ詩の冒頭だろうといいます。チェッ

コ・アンジオリエーリという風刺詩人(ダンテとも親交がありました)

の詩に、イタリア中部の方言のパロディ詩があり、その冒頭にこれが

そっくりだということです。


7節に出てくるパドヴァのアルドブランディーノも、伊訳注によれば

パドヴァの裁判官で、フィレンツェの市民隊長(都市国家のいわば民

兵の長)を務めていたこともあり、トスカーナではダンテと書簡を交

わしていました。それにしても当時の詩人には裁判官や行政官だった

人物が多くいますね。社会的エリートは同時に文人・教養人でもなけ

ればならなかった、あるいは学識ある人々こそが行政職などに登用さ

れていったということが、こんなところでもうかがい知れます。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行ですが、次号は08月31日の予定です。


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