silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.385 2019/09/28

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------文献探索シリーズ------------------------

神々はたそがれるか(その3)


フランスの哲学研究者フェスチュジエールの『コスモスの神』(『ヘ

ルメス・トリスメギストスの啓示』第2巻)から、ストア派関連の部

分を読んでいます。今回からは、第5章「プラトン――『ティマイオ

ス』と『法律』」に入ります。


クセノフォンが示した「神」の観念は、まだコスモスの神として一般

化できるようなものではありませんでした。つまり、世界を司る神と

いう概念そのものは文書から文書へと拡散しはしたものの、まだその

観念そのものを問題として問い返すようなことはなされていなかった、

というわけです。フェスチュジエールは、そのような「反省的考察」

が始まるのは、悪のアポリアが考慮されるときからではなかったかと

問うています。そして、それが顕著になるのはプラトンからではなか

ったか、と。


プラトンの宗教的な哲学が、当時のギリシアにおいてどれほどの影響

力をもっていたかは精密には規定できないとしつつ、フェスチュジエ

ールは、プラトン思想のラディカルな二元論(叡智界と物質界、魂と

身体、善と悪)が、そうした歩みにとって決定的なものだった可能性

がある、と示唆しています。叡智界と物質界が絶対的・根本的に分離

していればこそ、神は物質界の悪についての責任を有することなく、

一者として屹立し、光や太陽にも重ね合わせられ、絶対的な地位を占

めることもできるようになる、というのですね。


一方でプラトンにおいては、様々な中間的な存在としての精霊(ダエ

モン)にも多々言及がなされています。のちのプラトン主義において

開花することになるそうした精霊論は、同じプラトンによってどこか

悲壮な(救済の乏しい)二元論的思想が打ち出される傍らで、それと

居並ぶかたちで、プラトン主義にある種の豊かさ・多様性を与えてい

るとも言えそうです。ひてはそれが、どこか楽観的(救済を説く)で

一元論的なヘルメス主義の流れに受け継がれていくことにもなるので

すね。そうした楽観的な視座の源流も、プラトンに見いだせるとフェ

スチュジエールは言います。というのもプラトンにおいては、物質界

もまた善によって貫かれいるとされるからです。結果的にその二元論

は、奇妙なかたちで弱められているとフェスチュジエールは指摘しま

す。


善はいたるところにあり、善という目的論をもとにコスモス(宇宙)

は組織されている、という考え方は、プラトンの場合、初期の『ゴル

ギアス』『パイドン』から後期の『ティマイオス』『法律』まで、成

熟度を増すにつれて進展していくようだ、とフェスチュジエールはコ

メントしています。たとえば『ティマイオス』などには、そうした目

的論的な側面が顕著に見られる、というのですね。ここからフェスチ

ュジエールは、同書についての具体的な考察へと踏み込んでいきます。


フェスチュジエールは、まずは『ティマイオス』の概要をまとめると

ころから始めています。プラトンが『ティマイオス』を著したのは、

前360年から前354年にかけてとされます。プラトンは前427年生まれ

とされているので、当時67歳の老齢だったのですね。『ティマイオス』

の後には、『ピレボス』そして『法律』が控えているのみです。『テ

ィマイオス』は登場人物からの推測するに、『クリティアス』『ヘル

モクラテス』と合わせて3部作をかたち作っているとされます。舞台

設定は夏のパンアテナイア祭で、クリティアス(アテナイの高貴な家

柄の出)、ヘルモクラテス(シュラクサイの軍人で、後にアテナイを

征服する人物)、そしてティマイオスが集います。ティマイオスだけ

は架空の人物のようです。彼ら3人とソクラテスの会話がこの対話編

になります。


彼らの対話はまず、前日の話を振り返るところから始まります。理想

の統治はどうあるべきかというのがその話題で、その内容はほぼ『国

家』第2巻に相当します。それを踏まえて、ソクラテスは理想の統治

を実現するにはどうすればよいだろうかと考えます。フェスチュジエ

ールはここに、著者である老プラトンの心理が読み取れるとしていま

す。理想的な政治体制の実現を、プラトンはシチリアへの旅で画策し

ますが、それは失敗に終わったのでした。


高貴な人間の行動の在り方は、人間の本性に照らして知る以外にない、

とソクラテスは考えます。そしてその人間の本性というのは、世界の

本性に連動しているはずだとされます。都市国家(ポリス)において

人間がどう行動すべきかは、まずは人間の、そして世界の自然本性か

ら導かれなくてはならず、一方では過去の行動に照らして判断されな

くてはならない、というのです。


こうして、天文学に通じているとされるティマイオスが、世界の起源、

人間の起源について語っていくことになります。しかもそれは、到達

すべき目標、つまり最良の都市における最良の行動という目標に向け

た語りをなします。さらにそれを受けて、クリティアスがアテナイの

先史について話をします。有名なアトランティスのくだりとかが出て

きます。さらに洪水の後日譚(文明の再生)の語りを、ヘルモクラテ

スが担当します。


以上がごく簡単な概要ですが、ここからすでにわかるように、『ティ

マイオス』が意図していることは、決して自然的な世界そのものの記

述にあるのではありません。同書の目的は、世界の自然本性が人間の

自然本性をも貫いていること、さらにそのことを前提に、人間の行動

はいかにあるべきかを論じることにあったのだ、とフェスチュジエー

ルは述べています。人間の行動倫理が、コスモスの秩序にもとづいて

いることを示すこと。ならば『ティマイオス』を読む際には、そうし

た道徳的な帰結を常に視野に入れておかなくてはならない、とフェス

チュジエールは指摘します。


この後、フェスチュジエールは『ティマイオス』の個別の箇所を取り

上げていきます。それは次回以降に。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

ダンテの俗語論(その20)


大詰めに差し掛かっているダンテ『俗語論』第1巻です。あと3つの章

を残すのみとなりました。というわけで今回は第17章を見ていきます。

少し短めです。



XVII 1. Quare autem hoc quod repertum est, illustre, 

cardinale, aulicum et curiale adicientes vocemus, nunc 

disponendum est: per quod clarius ipsum quod ipsum est 

faciamus patere. 

2. Primum igitur quid intendimus cum illustre adicimus, et 

quare illustre dicimus, denudemus. Per hoc quoque quod 

illustre dicimus, intelligimus quid illuminans et illuminatum 

prefulgens: et hoc modo viros appellamus illustres, vel quia 

potestate illuminati alios et iustitia et karitate 

illuminant, vel quia excellenter magistrati excellenter 

magistrent, ut Seneca et Numa Pompilius. Et vulgare de quo 

loquimur et sublimatum est magistratu et potestate, et suos 

honore sublimat et gloria. 


17章 1. ところで私たちが見いだした俗語を、なぜ「輝かしい」「

枢軸的」「王宮的」「宮廷的」といった形容詞を付加して呼んでいる

のか、ここで説明しなくてはならないだろう。そうすることで、それ

が本質的に何であるのかが、おのずといっそう明らかになっていくだ

ろう。

2. まず、「輝かしい」を付加する際の意味合いと、またなぜそれを

加えて称するのかを明らかにしよう。実のところ、輝かしいと私たち

が言うものの意味は、光を発するか、あるいは光に照らされて光彩を

放つもののことである。人について、私たちはそのような在り方を称

して高貴であると言う。そのような人は権能によって照らされて、正

義や愛でもって他者を照らすからである。あるいはまた、セネカやヌ

マ・ポンピリウスのように、偉大な人々に教えを受け、みずからも卓

越した教えを示すからである。私たちが話題にしている俗語も、教え

と力において崇高となった言葉であり、それを用いる者を栄誉と栄光

によって高めるものである。


3. Magistratu quidem sublimatum videtur, cum de tot rudibus 

Latinorum vocabulis, de tot perplexis constructionibus, de 

tot defectivis prolationibus, de tot rusticanis accentibus, 

tam egregium, tam extricatum, tam perfectum et tam urbanum 

videamus electum, ut Cynus Pistoriensis et amicus eius 

ostendunt in cantionibus suis. 

4. Quod autem exaltatum sit potestate, videtur. Et quid 

maioris potestatis est quam quod humana corda versare potest, 

ita ut nolentem volentem et volentem nolentem faciat, velut 

ipsum et fecit et facit ? 


3. その俗語が教えという点で崇高であることは明らかだ。多くのイ

タリア人の粗野な言葉、回りくどい言い回し、出来損ないの発話、田

舎臭いアクセントがあるだけに、いっそうそれは栄誉にあふれ、明快

かつ完全で、都会的なものであると思われるからだ――チノ・ダ・ピ

ストイアとその友人が自身らの歌で示しているように。

4. だがそれは権能においても高められていると考えられる。人の心

を動かすことのできる権能以上に大きな権能がどこにあるだろうか。

その俗語が、昔も今も、望まない者を望む者に変え、望む者を望まな

い者に変えているように。


5. Quod autem honore sublimet, in promptu est. Nonne 

domestici sui reges, marchiones, comites et magnates 

quoslibet fama vincunt? 

6. Minime hoc probatione indiget. Quantum vero suos 

familiares gloriosos efficiat, nos ipsi novimus, qui huius 

dulcedine glorie nostrum exilium postergamus. 

7. Quare ipsum illustre merito profiteri debemus. 


5. またその俗語が栄誉を高めることも明白である。その言葉に仕え

る者の名声は、王族や貴族、廷臣、諸侯など、いずれの名声をも凌ぐ

のではないだろうか。

6. そのことを証明する必要などいかほどもない。その言葉に親しむ

者の栄誉がどれほど高まるか、私は身をもって知った。その栄誉の甘

美さをもって、追放の憂き目を耐え忍んだのだ。

7. こうした理由から、その言葉は輝かしいと称するに値するものと

思われるのである。



17章は「illustris」の意味をめぐる考察ですね。ここではわかり易

いように、illustrisを「輝かしい」と訳出しました。ダンテはこの

箇所で、俗語においてその形容詞を用いることの意味合いについて論

じています。光の比喩が多用されていますが、その比喩が表すものは、

「教え(学識)」であったり、「権能(権限)」であったりします。

いわばアウラということでしょう。そのようなアウラを感じさせるも

のを称して、illustrisと言うのだということです。


2節めに出てくるセネカは、コルドバ生まれのルキウス・アンナエウ

ス・セネカ(小セネカ:前1年 - 後65年)です。伊訳注によれば、ダ

ンテはセネカにたびたび言及しています。同じ箇所に出てくるヌマ・

ポンピリウスは、王政ローマの2代目の王(前750年 - 前673年)で、

ピュタゴラス派などに傾倒した賢人王とされる人物です。これら2人

の人物が、ダンテにとっての「学識」と「権限」それぞれを代表する

人物なのでしょう。


3節めのチノ・ダ・ピストイアは13世紀末から14世紀にかけて活躍し

うたイタリアの法学者・詩人です。ダンテの友人の1人でもありまし

た。チノとその友人という言い方をしていますが、独訳注によるとそ

の友人とは、ほかならぬダンテ自身のことなのですね。


6節めに出てくるダンテの追放の話は、1301年にフィレンツェでの政

争に敗れたダンテが、フィレンツェを追われて各地を流浪したことを

示しています。『俗語論』(執筆は1304年ごろ)もそうですが、ダン

テの著作の大きな部分は、この流浪の時期に書かれています。『神曲』

に着手するのもその時期で、1307年ごろとされています。


ダンテにとっての詩作・著作活動がいかように心的な救済になってい

たのか、この箇所からも少しばかり感じ取れるような気もします。ま

た、言葉が光として、人間を高める拠り所になるのだという強い信念

も感じさせます。詩人は言葉のアウラで光り輝き、それによって人々

の心を揺さぶり、人々を突き動かし、世界もまた動いていく……。と

同時に、言葉は人々に伝わり、また新たな人々がそれを受け継いでい

く……と。ダンテの思い描く理想の世界は、まさに言葉に始まり言葉

に終わると言ってよいのかもしれません。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は10月12日の予定です。


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