silva speculationis 思索の森
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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>
no.393 2020/01/25
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------文献探索シリーズ------------------------
神々は黄昏るか(世界神の誕生)(その11)
フェスチュジエール『ヘルメス・トリスメギストスの啓示』第2巻『コスモスの
神』から、ギリシア世界において、いわゆる「世界神」がいかに確立されてい
ったかを見ています。
目下眺めているのは、同書の第6章で、プラトンからストア派への移行段階のあ
たりです。前回は、地元の神々への信仰が薄れ、一方でプラトンなどが説いた
世界神が台頭するようになる社会的・心理的な変化を扱った箇所を見ました(
第6章第1節)。今回はその続き(第2節)になります。さっそく見ていきましょ
う。
前4世紀の後半40年のギリシア史、とくにアテナイの歴史は波乱に満ちていまし
た。フェスチュジエールは、そうした社会の激変が、「世界信仰」の基盤をも
たらす一因だったとしています。プラトンが『法律』を執筆していたころ(前
358年から前348年ごろ)、すでに伝統的な神々への信仰は薄れ、多くの無神論
者が輩出されていたといいますが、その一方で祭礼そのものがなくなったわけ
ではありませんでした。4年に1度とされたパンアテナイア大祭などは、紀元前4
世紀のものも、紀元後3世紀のものも、それぞれの時代の文献が伝える記述にも
とづくならば、ほぼ大差なく反復されていたといいます。そうした記述によく
ある、本歌取りといいますか、引用・参照による類似といった文献学的な問題
はひとまず置いておくとしても、では、アテナイの市民の心性には変化がなか
ったと言い切れるのでしょうか。そのあたりの問題は、問われてしかるべきだ
ということになります。
実際、それはまさにフェスチュジエールの問題意識でした。神々が都市国家に
結びついている限り、その都市国家が敗戦などによって力を失えば、神々の訴
求力も減衰していくことになりそうです。ここでアテナイの歴史を大雑把に復
習しておくと、ペロポネソス戦争(前431年から前429年)以降のアテナイは、
寡頭政による恐怖政治を経て再び合議制に戻ってからも、以前のような国力は
取り戻せず、経済の衰退は続き、やがて前338年には政治的独立すらをも失って、
アレクサンドロス大王の支配下に置かれることになってしまいます。アレクサ
ンドロスの死後に一時的に反乱(前322年)なども起きますが、そうした動きも
すぐさま制圧されてしまいます。結果的に、市民の半数以上が財産を没収され
てしまうことになったのでした。
そのような混乱期には、新たな思想、あるいは宗教が台頭するものなのかもし
れません。当時は諸派が誕生する時期でもありました。キティオンのゼノンが
アテナイにやって来るのが前314年ですし、エピクロスも前306年にアテナイに
来て、いわゆる「エピクロスの園」を開設します。ゼノンのほうも301年にはス
トア学派を打ち立てます。そのころ、アテナイの南西部の港町ピレウスでは、
東方のイシスや天空のアフロディーテに捧げる祭式が、広がりを見せ始めてい
たともいいます。フェスチュジエールは、そのような一連の事実を一種の「時
代精神」として眺めることができるのではないかとしています。
都市の守護神からの民衆の心離れの有りようは、たとえば当時の喜劇にも見い
だせるようです。フェスチュジエールが挙げているのは、喜劇作家メナンドロ
スの作品です。メナンドロスはテオフラストスと同時代の人で、親交もあった
らしいと言われています。フェスチュジエールがとくに取り上げている作品
は『エピトレポンテス』というもので、完全なかたちでは現存していない作品
のようです。守護神からの心離れが示されている場面というのは、場人物の老
スミクリネスが神々への誓いをしようとすると、奴隷のオネシモスが「毎日人
々に善悪を振り分ける余裕が神々にあると思うのですか?」と言って止めに入
るという箇所です。「神々が人間に無関心である」という言い回しは、前4世紀
のアテナイでは定型句になっていたともいいます。
さらにこれもメナンドロスの作品からの一節のようですが、太陽神(世界神)
を唯一の神として、崇めるに値するものだといったセリフも出てくるようです。
もちろん、プラトンを継ぐアカデメイアの人々やアリストテレスなどの教説を
直接的に示唆したりはしていないようなのですが、それらの教説が、大衆的な
喜劇で触れられるほどには人口に膾炙していたのだろうということを、メナン
ドロスの喜劇は図らずも明らかにしている、とフェスチュジエールは見ていま
す。
歴史的な混乱を背景とした人々の心性の変化を、フェスチュジエールは次のよ
うな流れとして整理しています。都市が疲弊するにつれて、人々(上流階級な
ど)の高貴なふるまいは廃れ、生活はさながらその場しのぎのお祭り騒ぎのよ
うになり、人々はひたすら運命の女神と偶然の神に翻弄されるだけとなってし
まいました。伝統的な神々も助にはならず、人々は外敵を恐れ、隠れて生きる
しかなくなります。上流階級の人々なら、世俗の喧噪を離れ、なにがしかの研
究でもしながら隠遁生活を送るようになるのでしょう。と、そのとき、そうし
た研究の対象として何か大きな存在が示されたならばどうでしょうか。それは
まさに観想的生活の理想となるのではないでしょうか。世界についての観想、
世界神についての観想は、まさにそのようなものとして、人々のあいだに浸透
していったのだろうと考えられます。
……以上、大まかですが、第6章第2節の輪郭をまとめてみました。続く第3節、
第4節では、それぞれ哲学と宗教の分野から見た「時代精神」の変化を、さらに
詳しく跡づけようとしています。それはまた次回にまとめていきたいと思いま
す。
(続く)
------文献講読シリーズ------------------------
古代の「香り」(その6)
テオフラストスの『植物原因論』から、匂いについて扱った第6巻を見ています。
今回は第4章の残り部分と、第5章の冒頭部分を見ていきましょう。いつも通り、
原文は次のURLを参照してください。
https://www.medieviste.org/?page_id=9984
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4.5 また、甘い風味も、すべて私たちの滋養になるわけでもなく、正気を失わ
せるもの――アザミの根に類するものやそのほかのものなど――もあれば、催
眠性のものもあり、多量に摂取すれば死にいたるものもある――マンドラゴラ
などである。さらに、致死性のものと認められているものもある。というのも
すでに多くの人が、様々な場所で、甘く美味ではありながら見知らぬ根を食し、
死に至っているからだ。またそのような種の中には、ほかの部分も美味だった
り抵抗なく食べられたりするものの、毒性があったり、即座に死をもたらした
りする植物がある。
4.6 また、不味かったり苦みがあったりするものにも有用なものがある。上で
述べたヤグルマギクやニガヨモギなどである。さらに、よりいっそう薬に似た
味わいのものもあり、それらの多くは有用だったりする。栄養価がまったくな
く、薬味にしかならない風味もある。たとえば塩辛さや酸味である。そのよう
なものは、私たちにはきつすぎて摂取できないし、ほかの動物も同様だったり
する。そんなわけで私たちは塩を薄めずに取り込むことはできないが、動物に
与えることはある。鳥などのように、自身を救うために塩をみずから見いだす
種もある。このことからもすでに明らかなように、自然である風味と、欠如し
ていて自然に反する風味とを、単純に分けることはできない。
4.7 一方で、私たちには食することができないものでも、ほかの動物には食す
ることができ、ほかのある動物が食するものでも、また別のものには食するこ
とができなかったりもする。というのも、動物は食物との組み合わせとしての
自然本性をもち、各自が適したものを食するからである。(動物の)快・不快
感あるいは疾病や体調の是正の場合がそうである。多くの動物がそうした反応
を示すのは明らかであり、それは不意に生じた体調不良に対して自発的になさ
れるだけでなく、(通常の)食物の摂取にも見られる。何か(有害なものを)
食したときに、後から別のものを食して正すなどである――たとえばクサリヘ
ビは、ニンニクを食べてしまったときに、ヘンルーダを食する。
5.1 匂いについても同様である。動物が異なれば、嫌な臭い、有用でない匂い
も異なる。そのような匂いは必要とされず、求められもしないが、それだけで
はない。私たちにとって快適な匂いが、ほかの動物には致命的だったりもする。
ハゲワシにとっての(人間の用いる)香水、スカラベ(コガネムシ)にとって
の薔薇の香りがそうである。蜂も、香水をつけた人に激しく襲いかかる。一般
的に、ごく少数の種を除き、(人間以外の)ほかの動物には、芳香そのものを
求める種はまずいないからだ。そういう場合があるとすれば、それはたまたま、
食料がそういうものであった場合である。動物の欲望は食料に向けられるから
である。
5.2 しかしながら、本当にそうなのかどうかは私たちには定かでない。パンサ
ーはほかの動物にとって心地よい匂いを発すると言われる。そのため横になっ
ているときでも、近寄ってきた獲物を狩ることができる、と。しかし私たちか
らすると良い香りは感じられない。よく言われるように、私たちはあらゆる動
物のうちで最も劣った嗅覚を有し、多くの匂いを、それがもたらす快・不快と
もども取り逃している、ということが真であるとされない限り、上記の話が真
実だということも定かではない。
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今回の箇所の直前部分では、生物が自然に即していることは、食物の種類を根
拠としては必ずしも立証できないことが指摘されていました。その続きとして、
5節めでは、食物(植物)の風味は、必ずしもその食物が栄養として受容できる
ことの基準ではない、ということが示されています。この節でマンドラゴラが
出てきますが、仏訳注によると、テオフラストスは『植物誌』の中で、睡眠剤
もしくは麻酔としての医療用の用途を紹介しています。ただし致死にいたるよ
うな毒性についてのコメントはとくにないようです。
6節めには反対に、苦みなどがあって食するのに不適当に思われるものも、薬と
して用いられたりすることが指摘されています。味わいと効用は一致しないと
いうことの、さらなる証です。塩を動物に与えるという話も出てきました。草
食動物に塩分の摂取が必要であることは、近代の酪農でこそ実証されているわ
けですが、古代においても、羊などには塩を与える必要があると経験的に知ら
れていたようです。再び仏訳注からですが、アリストテレスの『動物誌』(
596a16から24)に、そのあたりのことが記されています。鳥がみずから塩を摂
ろうとするという話もアリストテレスが出典で、『動物誌』(613a2 - 5)には、
ヒナが生まれた後の雄のハトの行動が記されています。雄のハトはもっぱら塩
気のある土を噛んでくちばしに含み、ヒナに与えるといいいます。
7節めでは、動物と食物とのつながりは、ある種の自然本性をなしていると論じ
られています。動物は、体調が悪いときなどには、それを是正するための食物
を本能的に摂ろうとする、というわけです。何か変なものを食べてしまったと
きも、それを相殺するような食料を摂取してバランスを取ろうとするとされて
います。アリストテレスにおいてもそうですが、カウンターでもって相殺する、
バランスを取る、というのは、逍遥学派の中庸思想における重要な論点をなし
ています。
続く第5章からは、いよいよ匂いについての話になります。風味と同様、匂いに
ついても、違う動物には違う臭覚が備わっているとされます。また、人間以外
に、芳香そのものを求める動物はほとんどいないとされています。ほかの動物
では、芳香は食料に付随していて、食料こそが欲望の対象だというのですね。2
節めでは、一方でそうした推論は不確かであるとされています。人間の嗅覚が
ほかの動物よりも劣っているのでもなければ、パンサーが芳香を醸していると
いった話も確定的ではない、としています。
このパンサーというのは、仏訳注によれば、正確にはアナトリアに生息するヒ
ョウの一種だろうといいます。アリストテレスの『動物誌』にも、このヒョウ
が、匂いで獲物を引き寄せるという話が伝聞として記されています(612a7 -
15)。テオフラストスはいくぶん引き気味に、かつ批判的にこの話を取り上げ
ていることが伺えますね。
次回は第5章の続き(3節以降)を見ていきます。
(続く)
*本マガジンは隔週の発行です。次号は02月08日の予定です。
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(C) Medieviste.org(M.Shimazaki)
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