silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.398 2020/04/04

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------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(世界神の誕生)(その16)


フェスチュジエール『ヘルメス・トリスメギストスの啓示』から、第2巻『コス

モスの神』を部分的に見ています。今回は第10章「道徳の体系」に入ります。

ゼノンが示した体系についての章です。今回は前半部分を取り上げ、例によっ

てざっくり大まかにまとめてみます。さっそく見ていきましょう。


まずゼノンが「世界都市」の思想を確立したのは、キュニコス派やプラトンの

影響下で書かれ、断片でしか現存していない『ポリテイア』においてだったと

されています。プルタルコスが伝えるゼノンの世界都市の思想では、世界が一

つであるように、人間もまた分断された都市に住まうのではなく、同じ法で統

治された単一の都市、すなわち世界に住まうのが理想とされていたといいます。


フェスチュジエールによると、この教えの根底にあるのは、『饗宴』でプラト

ンが示した、人類が愛でもって一つになるという考え方でした。これをゼノン

は政治の領域へと移し替えました。愛とはあくまで中間的なものであり、人間

同士が徳の実現に向けて相互に努力する際の、最良の伴走者である、とゼノン

は考えていたというのですね。アテナイの人々が見いだしたのは、まさにそう

した徳の思想だった、というわけです。


この教説は次のような体系を基礎としています。世界というのは一つの動物の

ようなものであり、魂をもっているとされます。魂はいわばモノを作り出す

火(feu artiste)であると同時に、普遍的な理性(ロゴス)でもあります。人

間もそうしたおおもとの魂の一部を分有しているので、その分有を通じて、す

べての人間は自然本性からして相互につながっていることになります。一方、

見方を変えれば、神のロゴスは個別の人間それぞれに与えられていて、いわば

遍在していると捉えることもできます。ゆえに、神を讃えるためにいちいち神

殿や立像などを作る必要もありません。人間一人ひとりの内部に、それは宿っ

ているのですから。そんなわけで、立像などは真の神ではないとされるのです。


こうした共同体的なつながりに含まれるのは、なにも人間だけではありません。

星々、すなわち天空の神々(下位の神々)もそこに含まれるとされます。ゼノ

ンが唱えたストア派の体系では、コスモス(世界)というのは、統治者たる

神(最高神)の身体・実体に相当し、天空の星々や、その運行に依存する様々

な現象(季節の変化など)には、下位の神々があてがわれています。実際には、

この体系はストア派の第二の創設者ともいわれるクリュシッポスが詳しく説い

ています。


クリュシッポスは、神々(天体)と人間、そしてそれに関連するすべての存在

がこの世界を形作っているとして、これを明確に都市にたとえています。フェ

スチュジエールによると、クリュシッポスのこうした見識はポセイドニオスに

受け継がれ、後世のストア派の面々、つまりキケロ、アリウス・ディデュモス、

フィロン、セネカなど、さらにはプルタルコスなどにも、それぞれ多少の温度

差を伴いながら、踏襲されていくのですね。


そうしたプライマリーな存在(人間と神々)は同じ最高神(ゼウスに同一視さ

れます)により統治され、神の理性である同じ法に従います。ここで言う神の

法とはいわゆる自然法であり、それは神そのものと一体になっているとされる

ため、実定法がいかに多様であろうと、またそれによって制度化される市民宗

教がどのようなものであろうと、神も法も実は同じ一つの神、同じ一つの法に

ほかならないと説かれます。


さらにまた、ゆえに神のロゴスに貫かれた存在、つまり人間と神々は、みな自

然に似通ってくるとされるのです。言葉を変えれば同族的になってくるという

わけです。その場合の同族性(オイケイオーシス)こそが、ストア派における

正義の真の基礎となるものにほかなりません。もちろん正義にも多様性はある

わけですが、基礎の部分は共通だということが強調されます。ロゴスを共有す

る共同体の成員には、鉱物や植物、動物などは含まれません。ロゴスに貫かれ

たものだけがその成員であり、それらはこの上なく緊密な関係で相互に結ばれ

ているのだとされます。


そして、人間と神々はその高い威信から、道徳的な生を営むことを義務づけら

れます。こうしてコスモロジーは、道徳的なテーマへとつながってくるわけで

すね。フェスチュジエールは、この点にもプラトンの影響が強く反映している

と見なしています。一方、アリストテレスとは対照的です。アリストテレスは

ひたすら人間というものの分析から、倫理学の基礎を導き出しているのでした。

それに対して、ストア派は世界思想の教説に依存するかたちで、道徳論を引き

出しているのです。


フェスチュジエールはこの後(10章の後半部分)で、さらにその道徳論を詳し

く検証していきます。そのあたりはまた次回に。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(その11)


テオフラストス『植物原因論』から、香りについて扱った第6巻を見ています。

今回は第7章の後半部分です。さっそく見ていきましょう。いつもどおり、原文

は次のURLを参照してください。https://www.medieviste.org/?page_id=9984


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7.5 このことから、先に述べたように、それら(果実)のすべての風味はまず

はこうした可能態としてあり、変化によって現実態になることは明らかである。

一方、果皮に見られるように、成熟する場合でも分解する場合でも、(果汁が)

分離されると変化は限定的になる。そのことはワインの場合に最もよくわかる。

飲み頃になる場合であれ、老いるがごとくに変質する場合であれ、限定的な風

味のなかで変質するからである。変質が自然のプロセスで完遂するならば、ワ

インは経年変化で苦味を増す。そうなるのは、可飲部分が空気と入れものによ

って取り除かれてしまうからだ。可飲部分がなくなると、苦い土の成分が残る

のである。暴力的な、自然に逆らうかたちでの変化が生じる場合、ワインの風

味は反対物である酸味へと転じる。ほかの果汁の場合もほぼ同様である。


7.6 ただしワインの風味の場合、分解をもたらす変質は、それ(風味)が自然

に生まれるところから生じている。というのもワインの風味は、酸味から発し

てやがて酸味へ、解体してもとの組成に戻るかのように変化するからだ。変化

したものがもとの状態へと修復されることもあるが、ごくまれにしか生じない。

とくにシリウスが昇る時期に海水を混ぜたり、澱引きがなされたりする場合で

ある。(澱引きの作業が)激しい動きにならなければ、出来はほぼ同じような

ものになる。このことについては、改めて後述するのがより適切であろう。


7.7 分解と変質は一定の影響下で生じる。分解する果皮は水分を多く含むよう

になり、ときに酸を含む。古くなったもの、時間が経過したものは、乾燥して

いき、それによって土の成分が残留していく。一般に、あらゆるものの分解は、

異質なものとの混合によるか、あるいは時間の経過にともなう固有の成分の消

失による。混合については、外部から何かが混入する場合や、何らかの成分が

病んで過剰になったりする場合がある。だがおそらく、外部からの影響でなん

らかの作用を受け、分解すると述べるほうが正しいだろう。


7.8 そのことは果皮の分解においても、ワインや牛乳など液体の分解において

も当てはまるからだ。どの成分でも同様で、変容のプロセスは一様である。と

いうのも、いずれも反対の性質になるからだ。もちろんその反対の性質は多岐

におよぶ。そのことは明白である。先に述べたように、果皮の熟成は熱によっ

て生じるが、収穫の遅い果実では季節ゆえに、冷気によって生じるように思わ

れる。何度も述べているように、圧縮された熱で熟成が進むからである。


**


今回の箇所では、とくに分解(あるいは腐敗、解体などの訳語も考えられます)

について言及されています。5節めでは、まず、前回の3節めで出てきた可能態、

現実態の考え方が繰り返されています。次に、ワインについて顕著なこととし

て、「果汁が分離されると変化が限定的になる」とされています。変化の幅は

ある程度定まっていて、あまりに極端な変化はめったに生じないということだ

ろうと思われます。


仏訳注にありますが、pariste_miとexiste_miの対比は、動詞の前接辞(paraと

ex)に示されるように、完成の状態に近づく・完成の状態から離れるの対比を

表すとされます。ですのでここは、前者を「飲み頃になる」、後者を「変質す

る」と訳出してみました。続く部分の、「可飲部分が空気と入れものによって

取り除かれる」とは、ワインを入れておく当時の一般的な容器、つまりテラコ

ッタ製のアンフォラ(取っ手付きの壺)が、多孔質であるため、時間とともに

中身が蒸発してしまうことを指しているようです。


6節めでは、ワインの風味が酸味(果実のなかにあるとき)から始まって、抽出

と熟成を経、さらには分解にいたって酸味に戻ることが述べられています。風

味がここではサイクルをなしているというわけですね。続いて出てくる「シリ

ウスが昇る時期」は、原文の直訳では「星が昇る時期」となっています。同

じ『植物原因論』1巻13章5節に、同じかたちでシリウスが明示されているので、

ここでもシリウスの話であることがわかるのですね。正確にはシリウスが日の

出とともに昇るころで、夏(7月20日ごろ?)を意味します。


「海水を混ぜる」とありますが、再び仏訳注によれば、酢酸菌の繁殖を抑える

ために投じる成分の1つが塩で、煮詰めた海水のかたちで加えたりするのだそう

です。塩化ナトリウム(塩)は、ごく少量を控えめに与えると、ワインの味を

活性化する、とされています。


またその時期、前年に収穫したブドウのワインには、沈殿した澱と上澄みとを

分離する澱引きの作業が施されます。上澄み部分を別容器に移すのですね。英

訳の注によれば、暑い時期に海水を加え、澱引きを行うことは、いっそうの熱

をもたらし、それが冷気によってもたらされた変化を是正することになると当

時は考えらえていたようです。


7節では、分解のプロセスに外因と内因があることが示されています。ですが総

じて外因が分解の作用を促すという考えに傾いていますね。8節めでは、どのよ

うな分解であれ、反対の性質になることからプロセスは一様だろうとし、やは

り熱が絡んでいると結論づけています。


収穫が遅い果実(opsicarpos)の場合、冷気によっても熟成(分解も)が進む

という最後の箇所は、圧縮された熱(thermos antiperiistamenos)によると説

明されています。圧縮を意味するantiperiistamenosという言葉について仏訳注

は、ある研究者の見解を引用して解説しています。それによると、正反対の性

質をもった二つの作用があって、そのうちの片方が他方に働きかけるせいで、

その他方の作用がいっそう活性化することを、この語は表しているといいます。

アリストテレスが多用している表現なのですね。


テオフラストスも、この『植物原因論』のなかでたびたび用いているようで、

たとえば2巻8章1節では、遅く実る果実が、外気の冷たさのせいで、果実の内部

に熱を閉じ込め(圧縮し)、それによって熟成を進めるという説明がなされて

いるといいます。今のこの箇所も、その説明をもとにしているのは明らかです

ね。ちなみに、同じ仏訳注によると、こうした「植物が内部に熱を蓄える」と

いう話は今では否定されているわけですが、化学反応の前と後で質量が変わら

ないというラヴォアジエ(18世紀)の質量保存の法則なども、antiperistasis

の考え方から導出されているのだとか。こういう照応関係も興味深いところで

す。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は04月18日の予定です。


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