silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.400 2020/05/16

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*お詫び

いつもメルマガをお読みいただき、ありがとうございます。都合により、

本号は予定より1週間遅れでの配信となりました。ここに謹んでお詫び

申し上げます。なお、本メルマガは隔週の発行となりますので、次号以

降も順繰りにずれていくことになります。よろしくお願いいたします。



------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(世界神の誕生)(その18)


フェスチュジエール『コスモスの神』(『ヘルメス・トリスメギストス

の啓示』第2巻)から、ストア派について論じた第10章を見ています。

前回の箇所では、ストア派の道徳論が世界宗教的なコスモロジーを背景

とし、さらに静謐の思想を説きつつも、社会とのかかわりを保つという

側面をも併せ持っていたことが示されました。それらは一見整合しなさ

そうな二つの側面にも思えます。ストア派思想のより精緻な解釈が問わ

れそうですが、フェスチュジエールも、そのあたりに目配せした論を展

開していくようです。


というわけで今回の部分です。フェスチュジエールは続く箇所(第10章

後半)で、ゼノンにおける「徳」の概念を再度取り上げます。そこでの

「徳」(つまりは優れた生き方ということです)は、前4世紀後半のギ

リシア(とくにアテナイ)の若者たちがこの上なく求めたものにほかな

らなかったといいます。それ以前、たとえば前5世紀のギリシアの若者

は、社会的な不安定化を背景に、実利的な処世術を求めていました。ソ

フィストたちを師と仰ぎ、弁論などの処世のための技術を求めていたと

いうわけです。しかしながら前4世紀になると、若者はむしろ徳につい

ての教えを求めるようになったとされています。


そうなった要因は多々あり、複合的に絡んでいるだろうと推測されます

が、フェスチュジエールはとくに次の状況を大きな要因として挙げてい

ます。それは前338年のカイロネイアの戦いで、アテネがマケドニアに

敗退したことです。その敗退の結果、民主制の国家が独立・自治を維持

するには、なにがしかの厳粛な行動規律が必要だということに、市民の

目が開かれたのだろうというのですね。


少し時代は下りますが、前3世紀前半になると、世間的に新しい種類の

「賢者」が登場してくるといいます。各地をさすらう放浪の説教師、い

わば辻説法師です。彼らが本格的に台頭するのはもう少し後、つまり共

和政ローマ末期から帝政ローマ期にかけてだったといいますが、前3世

紀前半くらいに、すでにそうした人々が出始めていたようです。庶民の

中から現れ庶民に向かって語りかける、いわば庶民目線の論者たちでし

た。短い教説をしながら各地を転々とする彼らは、才気闊達な人々で、

やがてそれは世相批判の新ジャンルをかたちづくることにもなっていっ

たようです。


フェスチュジエールによると、彼らは思想的に新しいことを述べている

わけではなく、むしろその訴える形式に強みがあったのではないかとい

います。彼らが説く「徳」の概念は、当時普通に世間に流布していた割

と凡庸な道徳観で、たとえば「不運に耐えろ」とか「強靭であれ」とい

った、ホメロスの『オデュッセイア』以来の伝統的な、若者向きの威勢

のよい紋切り型であり、そこにキュニコス的な斜に構えた皮肉な見方の

風味が加えられて、若者受けしそうな言説が出来上がっていたのだろう

というわけです。


フェスチュジエールがあえてそうした放浪の辻説法師に言及するのは、

そういう論者でさえ若者にウケたのだから、おそらくは一門を抱える諸

派は、さらにいっそう若者への訴求力を持っていたにちがいない、と推

察するからです。辻説法師が出てくる背景もしくは川上には、確たる諸

派の存在があった、ということかもしれません。こうしてフェスチュジ

エールは、アカデメイア派を例に取り、クセノクラテスが若きポレモン

を宗旨替えさせたことや、今度はそのポレモンが若きクラテスを宗旨替

えさせたこと(いずれも前3世紀)などを引き合いに、当時理想とされ

た賢者あるいは師とはどういった人物像だったのかを描いてみせます。


それによると、厳粛な表情をし、弟子に厳しく接し、質素で、抑制の利

いた、自己管理を怠らない人物、という像が浮かび上がってきます、当

時求められていた賢者の理想像なわけですが。さながらそれはインドに

おけるヨーガの行者のような人物です(とフェスチュジエール自身が記

しています)。そしてこれぞまさしく、ゼノンが体現していた「賢者」

像だったというのです。エピクロスなどもまたそういう人物だっただろ

うと、フェスチュジエールは述べています。世間の若者たちの希求に、

両者は巧みに応えようとしていたのだ、というわけですね。


ではゼノンの一派がとくに人気を博していたことは、どう説明づけられ

るのでしょうか。諸派がひしめく中で、ストア派が他よりも人々を引き

付けた要因を、フェスチュジエールは教義上の2つの点に見て取ってい

ます。一つは、「徳だけが重要な唯一のものである」という教義、もう

一つは、徳に沿って生きるとは「普遍的な自然に」即して生きること、

つまり神的なロゴスに従って生きることだという教義です。


最初の「徳だけが重要」という教えは、それにより行動の完全な自由が

保証されるという点で重要です。なにしろその教義では、苦しみや死す

ら重要ではなく、そんなものを恐れる必要はないと説くのですから。世

間体も重要ではありません。世間にちやほやされようが、嘲弄されよう

が、そんなことも重要ではないし、裕福か貧しいかもしかり。とにかく

行動の自律性を阻害するあらゆるもの、自分の意志以外のすべては、ま

ったく無意味だと説くのです。


二つめの教義も同様に、おのれの意図だけが重要であると説いているの

と変わりません。行動が徳に沿ったものであるとは、意図によってそう

であるはずです。で、各人がもっている意志というのは、神から分有さ

れた恵みである以上、本来、神の意志に通じるものだということになり

ます。個々人の行動は、世界の統治にくらべればほんのささやかなもの

にすぎませんが、それでもそこにはしかるべき、遠大な理由がある、と

説くのです。


こうした二つの教義から、次のような帰結が導かれます。重要なのは行

動が首尾よく行くか不首尾に終わるかではなく、その行動をしようとし

て払われた努力こそが有意義なのだ、という理屈です。外的な要因ゆえ

に、ときには不運にも意図が達成されないことがあるかもしれません。

けれども、そもそも意図がなければ、行動などなされようがありません。

また意図さえあれば、行動へと踏み出すことは難しくはありません。基

本的には精神論ですが、行動に出ることを積極的に認める構図が、ここ

に明らかに読み取れます。こうしてストア派は、単なる観想にとどまら

ない、行動の自由を謳歌することを推奨する教義を、人々に伝えていっ

たようなのです。この話は次回ももう少し続きます。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(その13)


テオフラストス『植物原因論』から、香りについて論じた第6巻を見て

います。今回は8章めの後半部分です。さっそく見ていきましょう。原

文は次のURLをご参照ください。

https://www.medieviste.org/?page_id=9984


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8.5 アークトゥルスが昇る時期が近づく頃、両方の条件が揃う。時期的

には後の季節より暑く、樹液もまだ混じりけがそれほどない。アークト

ゥルスが昇る時期が過ぎると、状況は逆になる。果肉が増え、成熟にい

たるのである。オリーブ油の量が、栄養分の多さや果肉の豊かさに依ら

ないことは、多くの事例から明らかである。雨量が多いと油は少なくな

るし、水分が多いと油の出来は悪くなる。また、中庸な種など、果肉が

多く核が小さいオリーブは、油も少ない。その段階になると、自然の働

きが止まってしまうかのようである。


8.6 寒い地域でも、オリーブは油を保持せず、果肉を多くつける。ここ

である問題が持ち上がる。最も寒冷な地域では、なぜオリーブの木は果

汁を蓄えないのに、ブドウの木は果汁を蓄えるのかである。その理由は、

一つにはオリーブの場合、果肉の形成に力がそそがれ、ブドウではその

果肉に果汁が蓄えられることにある。さらにまた、より根源的でより重

要な理由として、油を形成する熱が(寒冷地では)弱いことも挙げられ

る。春にはそもそも油が形成されないし、質が良くなるのは夏よりむし

ろ秋においてである。その頃には、太陽の熱が強すぎなくなるのである。

このことは、なぜ夏に油が生じるかということの証左にもなる。ワイン

の風味や水分を多く含んだ果汁は、寒さによって成熟するが、油を多く

含んだ果汁はそうならないのである。


8.7 天の恵みの雨水、灌漑による水分は、先に述べたように果肉を成長

させる。しかしながら油は、果肉から分離するときと同様に、水分とは

混ざらないままとなる。エジプトには「エジプト種」と呼ばれるオリー

ブがあり、果肉が多く、嵩もあるが、油は取れない。別の種に、油の取

れる種もある。『植物誌』で述べたように、その変種は数多い。油の生

成原因をどう捉えるべきかについては、以上である。ほかの油性の植物

も、オリーブと同様、あらゆる点で一致する。


8.8 別の季節に油を蓄える種があるのなら、それぞれの種の自然本性、

油成分の質、その生成過程などを区別しなくてはならない。クルミの場

合のように、油の形成に時間を要する場合は別である。クルミでは、す

でに述べたように、油をもたらす潜在力があり、時間の経過がその発現

を促す。時間とともに水分は失われ、油の成分は強まり熟成する。また、

その油分は乾燥した成分として現れる。ただし、熱が別の物質に変わり、

同じ作用をもたらしうる場合は別である。


**


今回も、オリーブ油の生成についての話です。5節めのアークトゥルス

(大角星)は前回も出てきました。これが昇る頃というのは9月半ばご

ろを指します。


テオフラストスの見解として面白いのは、果肉と油の生成プロセスがそ

れぞれ別になっていると考えているところでしょうか。雨が多かったり

灌漑で水をやりすぎると、果肉は増えるけれども油は少なくなる、と述

べていますね。仏訳注によれば、実際のところ、食卓用のオリーブ(油

を取るのではない食用のもの)の生産では、実を大きくするための散水

は普通に行われているのだそうです。


6節めでは対比としてブドウの果汁の生成に触れています。仏訳注にも

まとめられているのですが、テオフラストスは、ブドウの場合には果汁

と果肉の生成が同時的に進行するのに対して、オリーブでは果肉の生成

の後に果汁が蓄えられると考えています。


8節めのクルミへの言及も興味深いところですが、これはすでに7章4節

のところに出てきた話でもあります。クルミ(やその他の油性の植物)

の実を摘んだ後に、その実の内部で変化が進むことを述べていました。

ここではそれが熱(おそらくは植物内部の)によるものであることも示

唆されています。熱が冷気に置き換わって、その作用(圧縮された熱)

で熟成が進むことも考えられるというのが、最後の一文に示されている

と思われます。これは7章の末尾のところで出ていた話ですね。


今回はあまりコメントする箇所がありませんので、少な目ですがこれく

らいにしておきます。次回は9章を見ていきます。どうぞお楽しみに。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は05月30日の予定です。


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