silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.401 2020/05/30

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------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(世界神の誕生)(その19)


フェスチュジエール『コスモスの神』(『ヘルメス・トリスメギストス

の啓示』第2巻)から、ストア派について論じた第10章を見ています。

前回の箇所では、静謐な観想的生を説きながらも、社会生活に積極的に

関わるというストア派の、一見矛盾した教えについて、その基盤となる

教義の核をフェスチュジエールが解き明かそうとしていました。とくに

注目されるのが「徳だけが重要である」「普遍的な自然に即して生きよ」

という二つの教義なのでした。今回はその続きです。


今回見る10章の末尾では、フェスチュジエールは後の時代の文献的言及

を、それ以前の歴史的事例を表すものとして数多く取り上げています。

そのため、ややもするとどこかアナクロニズム的で、多少とも取っ散ら

かった印象を与えます。読む側としては、少しそのあたりに注意が必要

かもしれません。


まずフェスチュジエールによれば、「徳」というのは、ギリシアにおい

ては「力の作用」を意味していたといいます。徳を求めるとは、ある意

味、力を手にしようとすることだったというわけです。それが賞賛・栄

誉につながるわけですね。ストア派においては、誉れの概念も従来のギ

リシア社会のものとは多少違っていました。前にも触れましたが、スト

ア派が言う賢者とは、地上世界で神的な理性を体現する者、世間的な行

動に評価を下す者として存在します。したがって、そのような賢者の同

意を得ることこそ、この上ない誉れだということになるのですね。こう

してストア派においては、栄誉は神的なもの、絶対的なものへと高めら

れていた、という次第です。


そのような道徳的姿勢の事例として、フェスチュジエールははるか後世

のプルタルコス(2世紀)が記す、『アギスとクレオメネス』を挙げて

います。クレオメネス3世(前3世紀のスパルタ王)はストア派のスファ

イロス(ゼノンの愛弟子)の影響を受けていたとされる人物です。詳細

は割愛しますが、同文書によると、クレオメネス3世が理想としたのは、

まさしく賢者からの賞賛、そしてそれにもとづく力の行使にほかならな

かったようなのです。


こうした道徳観は、前3世紀の諸王の理想にすこぶるフィットするもの

だったといいます。代表例として、フェスチュジエールは前3世紀のマ

ケドニアの王、アンティゴノス2世(アンティゴノス・ゴナタス)を挙

げています。アンティゴノス2世は、ゼノンの影響を強く受けた人物で、

おのれの野心よりもむしろ臣民の幸福を優先しようとし、神的な理性を

体現する賢者を前に恥じることのないよう、おのれに課された義務をひ

たすら遂行することをよしとするような名君だったとされています。も

ちろんそうあるためには、不断の努力が必要とされます。「努力」はス

トア派的な基本概念であるとともに、ヘレニズム期の王政にとってのキ

ーコンセプトにもなっていたのでした。


ヘレニズム期の王政の支えとなったキーコンセプトは2つあったといい

ます。1つは今しがた出てきた、為政者が民のため、神的な理性の実現

のためになす「努力」(ponos)です。もう1つは「博愛・人類愛」

(philanthropia)です。これについて論じた古代の文献も数多いとい

いますが、フェスチュジエールは代表的なものとして、フィロクラテス

宛の「アリステアスの手紙」という偽文書(前2世紀ごろ?)を引き合

いに出しています。前3世紀のエジプトのファラオ、プトレマイオス2世

(プトレマイオス・フィラデルフォス)が、王は博愛の精神をいかに示

すべきかと、70人訳聖書の作業に携わるイスラエルの長老たちに聞いて

回るというもので、様々な答えが返ってきます(これも詳細は割愛しま

す)。


フェスチュジエールによれば、ヘレニズム期の特徴の1つとして、度重

なる戦争を通じて「人間性(ヒューマニティ)」の観念が広がったこと

が挙げられるといいます。聖地の略奪を行わないとか、残虐な行為を控

えるなどの、相手の人間性に配慮する動きが広がっていったというので

すね。そしてここに、上の「博愛」概念が接合されます。博愛の概念は、

前4世紀にイソクラテスが用いるようになったのが嚆矢とされます。当

初は、裁判官が被告に対して示す寛大さや、市民が他の市民に対して示

す温情や慈愛などを指す言葉でした。プラトンの『定義集』では「他者

に対する友愛への傾向」、偽アリストテレスの『徳と悪について』では

「気前の良さ」などと定義されています。ストア派による定義でも、

「人間関係において友愛に向かう性向」とされていました。


他者を大切にしようとするそのような姿勢は、前4世紀にはすでに、哲

学を待たずしてギリシアの各地に広がっていたようです。

philanthropiaという言葉の意味も、ヘレニズム期になってもほとんど

変化はなかったといい、フェスチュジエールはそこから、ヘレニズム期

の王政における「博愛」概念が、ストア派やキュニコス派の哲学にもと

づく、理想的な哲人王の肖像から派生したものだと考えてはならないと

戒めています。思想的な動きを、なにがなんでも哲学に結びつけるのは

間違いだ、というわけですね。ここではストア派の博愛概念のほうが、

いわば後付けなのだということです。


ただ、「博愛」概念があらゆる人間を対象にするよう、用法が拡張され

た点には、ストア派が大きく貢献した可能性がある、とフェスチュジエ

ールは見ています。アレクサンドロス大王の征服とその後の後継者たち

(とくにセレウコス朝など)によって、都市の合併や人の行き来、異民

族との混淆は進み、それをストア派が後追い的に正当化してみせた、と

いうのですね。


実際ゼノンは、人々は民族や都市国家などで分断されてはならず、同族

として、一つの世界として結集すべきだと説いていました。テオフラス

トスなどが説いた融和(oiceio_sis)の思想なども、ゼノンは自説に取

り込んでいた、と。そうした博愛の考え方は、碑銘(碑銘として詩を残

す行為は、ヘレニズム期に流行したのでした)などを通じて広く社会に

浸透していったようです。かつては同じ都市国家の市民にのみ向けらえ

ていた博愛の精神は、他の都市や民族にまでその対象を広げていったと

いうわけですね。


以上、10章末尾のおおまかな要約でした。次回からは続く11章を見てい

きます。どうぞお楽しみに。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(その14)


テオフラストス『植物原因論』から、香りについて論じた第6巻を見て

います。今回は第9章で、1回分にちょうど収まる分量です。さっそく見

ていきましょう。原文はいつもどおり、次のURLをご参照ください。

https://www.medieviste.org/?page_id=9984


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9.1 味わいをもつすべてのものには、直接的に香りも持ち合わせている

ものもあるが、大半は味わう段になって香りが立つ。圧搾され攪拌され

る場合にのみ香るものもある。逆に、香りのあるものは、噛んで味わう

際に味がする。(味覚と嗅覚の)感覚器官が互いに近くにあるからだが、

なんらかのかたちで感覚対象が近接しているからでもある。そこからす

ると、香りを味わいの分類に含めるとの主張も、悪しきことではないよ

うに思われる。というのもその見方は、味わいと香りには類縁性があり、

同じ起源から生じているといった見解を導くからである。ここで確定す

べき問題は、それぞれは別ものなのか、同じものであるならいかなる点

で異なっているのか、である。


9.2 もちろん、香りをすべて味わいと同じ名称で表すわけにはいかない。

苦い香り、塩辛い香り、油っぽい香り、酸っぱい香りなどとは言わない。

また、味わいもすべて香りの名称で表すわけにもいかない。とはいえ、

香りと味わいが関連し、相互に付随しているのも否定しがたい。甘さ、

苦さなどの味わいのそれぞれには、複数のかたちがある。ハチミツのよ

うな味、ワインのような味、乳のような味、水のような味などもあり、

それらはおそらく、成分の多寡、主に基本的成分の混合の度合いによっ

て異なる。ほかの味わいについても同様である。以上は、ほぼあらゆる

人が同意する事柄である。


9.3 味わうことで香りを感知するのは、故なきことではない。そのこと

を最も如実に示すのは、「口に優しい」と言われる植物、あるいはディ

ルやウイキョウ、スイートシスリーなどの食用の植物においてだが、中

にはまったく香りのないものもある。さらに乾燥した野菜においても顕

著であり、レンズマメやサフラワー、その他類似のものなど、まったく

香りがないものもある。咀嚼により細かく潰し、熱が加えられると、そ

れらはなんらかの蒸気を発し、それは細かな成分であるため、導管を通

じて拡散し嗅覚にまで達する。一方でそれらの味わいも、咀嚼により生

じるのである。


9.4 総じて香りのよいものは苦みがある。その原因については後ほど示

すことにしたいが、甘さと苦さなどの相反する2つの味わいのうち、前

者は良い味の原因、後者は良い香りの原因で、苦みのほうがさらにいっ

そう、良い香りの起源をなしているように思われる。というのも、苦く

なくて良い香りをもたらすものは見いだすのが難しいが、甘くなくて良

い味わいをもたらすものは数多く見いだせるからである。もっとも、そ

れらもほぼすべて、味わうとき、食するときには香りを発する。一方で

甘さが良い香りをもたらすことは、ごくわずかな場合を除きほとんどな

い。甘さと良い香りは混じり合わないかのようである。けれども両者の

いずれも熟成により生じている。このことについても後述する。


**


今回の箇所では、味と香りの類縁性について改めて触れています。まず

最初の節では、味覚と嗅覚の感覚器官同士の近さ、それぞれの感覚対象

の近さが示唆されています。このあたりもアリストテレスの感覚論・霊

魂論がもとになっています。テオフラストスは、味覚と嗅覚に類縁性が

あることは否定しがたいが、ではそれらは同じものなのか、違うとすれ

ば何がどう違うのか、という問題提起を行っています。


節の真ん中あたりの「香りを味わいの分類に含めるとの主張」と訳出し

た部分は、teleinという動詞が使われています。「分類に含める」とい

うふうに訳出してみましたが、英訳ではrateという動詞で訳していて、

等級づける(もとは納税する)の意味に取っているようです。一方、仏

訳註では、そうした政治的なニュアンスはないとし、分類の意味で訳出

しています。ここでは後者に従っています。


2節めでは、1節めの後半部分を受けて、各種の味わいと香りが名称にお

いて対応関係にあるとは言えないこと、一方で両者が付随し合っている

ことが示されています。基本成分の混合の度合いによって味のバリエー

ションが生じるという話はすでに出てきました。


味わうこと、より厳密には咀嚼することで香りが立ち上るということを

示したのが3節めです。ここでは植物の名前が出てきてちょっと問題含

みかもしれません。murris(またはmuris)は、仏訳註によると、スイ

ートシスリーと同定されているというので、それに従っています。サフ

ラワー(ベニバナ)と訳出したのはcnecosですが、辞書では、希英の

Riddle & Scottがサフラワー、希仏のBaillyがサフランの訳を当ててい

ます。聞くところによると、両者は色とか漢方での効能とかでは似てい

るようなのですが、サフランはアヤメ科、サフラワーはキク科と、全然

違う種類なのですね。ちなみに仏訳も英訳もサフラワー(ベニバナ)を

採用しています。


4節めでは、苦みの成分が芳香の原因になっているのではないかという、

逆説的な仮説を述べています。甘味も香味の原因だとされていますが、

より根源的なもの(当てはまる事例が多いもの)は苦みのほうだという

わけですね。「後述する」とあるように、この話は16章あたりで再度出

てくるようです。とりあえず、9章でのこの話を記憶にとどめておくこ

とにしましょう。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は06月13日の予定です。


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