silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.406 2020/08/29

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------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(世界神の誕生)(その24)


フェスチュジエール『コスモスの神』(『ヘルメス・トリスメギストス

の啓示』第2巻)から、ストア派について論じた箇所を見ています。前

回から12章「折衷主義の起源」に入りました。前2世紀以降のストア派

再浮上期に、同派が体現した大きな変化、つまり折衷主義の台頭をめぐ

る考察が展開します。前回取り上げた序論部分では、折衷主義の台頭の

背景として、(1)入門書・概説書の普及、(2)編纂書(アンソロジー)の

拡大による細かなニュアンスの喪失、(3)懐疑主義などの台頭により対

立図式が幅を利かせるようになったことが挙げられていました。


それら3つの事象を順に見ていくというのが、この12章の中身というこ

とになります。まず取り上げられているのは入門書・概説書の台頭です。

ギリシア語で「入門」を表すeisagoge_は、技術的な用語としては、前3

世紀のストア派の学頭クリュシッポスのころからあったといいます。ク

リュシッポスはみずから、そうした入門書を複数著しているのですね。

入門書・概説書という形式そのものは、前5世紀のヒポクラテスのころ

にまで遡ることができるといい、そのような学習モデルが早くから存在

していたことが示されています。


入門書・概説書の特質とは何でしょうか。フェスチュジエールはそれを、

前2世紀の歴史家ポリュビオスの言を取り上げ、「一望的な全体像を示

すもの」と捉えています。「運命の女神がすべての世界の事象を一つの

目的へと収斂させようとするように、歴史家もまた、運命の女神による

事象の管理を、一つの概観的な観点から捉えなくてはならない」(大意)

というのですね。ポリュビオスの言はまさに、当時の時代的な空気を示

しているかのようだ、というわけです。


興味深いことに、このポリュビオスの言をそのまま写し取ったかのよう

な文言が、誤ってアリストテレス作とされていた『世界について』に見

られるといいます。この『世界について』は、実際にはアリストテレス

後の前3世紀に書かれたものと考えられています。超越的な神がコスモ

スの維持のためにどのような役割を果たしているかを論じた、一種の概

説書で、およそアリストテレス的ではない神学思想にたびたび言及して

いる点が特徴的なのだとか。「人々は個別の地域の諸特徴ばかりを賞賛

するが、それは彼らが真に賞賛に値するもの、すなわち世界について観

想できないからだ」(冒頭部分の大意)として、世界の全体像を記して

いく一冊です。


概説書・入門書で肝心なのは、とにかく全体像を簡潔に示すことですが、

同時にその全体像は正確かつ厳密に示されるのでなくてはなりません。

フェスチュジエールによれば、ポリュビオスはまさにそうした点を衝い

ています。「あらゆる海が航海可能になり、あらゆる土地が探検可能に

なったこの時代には、従来のような詩人や神話記述者の不確かな言をも

ってよしとするのではなく、方法論的な探求を通じてのみ、信頼に値す

る説明を読者にもたらすことができる」(大意)と、ポリュビオスは述

べています。それこそが、長期に及ぶ探求はなしえなくても正確な知識

を望んではいる大衆の、知識欲に応える唯一の方法だというわけです。


たとえ入門編であっても、ひたすら正確さを求めること。『世界につい

て』のスタンスもまさにそうだ、とフェスチュジエールは言います。そ

のようなスタンスは、実利的・実証的学問が飛躍的に前進したヘレニズ

ム期の、ある種の原則をなしていました。しかしながら、フェスチュジ

エールによれば、そうなったのは哲学の流れのせいではありませんでし

た。哲学諸派から離れたところで、実学への指向が高まっていたような

のです。哲学諸派はといえば、どうやら前2世紀ごろには、諸学問から

切り離されてしまっていたらしいのですね。ストア派やエピクロス派は

「百科全書的」な知を批判していましたし、新アカデメイア派も数学と

縁遠くなっていました。諸々の実学は、それぞれ独立的に生じていたよ

うなのです。


実証的なもの、厳密さへの人々(とくに若い人々)の指向は、純粋に思

弁的なものからの乖離をいっそう促していきます。その背景には、ヘレ

ニズム文化の拡大があった、とフェスチュジエールは論じています。エ

ジプトやオリエント地域の各地に、ギリシア風のギムナシオン(教育機

関)ができるなど、ヘレニズム文化は広大な地域に拡散していきます。

しかし一方で文化の拡散は、利便性のためにある種の単純化を助長して

いきます。各地で学ぶ若い人々は、もはや職業的に哲学を目指すのでは

なく、新しい政治体制で必要とされる多様な役職にアクセスできるよう

な、実用的な知識を迅速に求める傾向が強くなっていきました。そこか

ら全体をコンパクトに、かつ正確にまとめた概説書の需要が出てきた、

というわけです。


哲学の側も、時代の流れに沿った変化に対応せざるをえなくなります。

上に挙げた『世界について』は、まさに哲学側のそうした回答の1つだ

った、とフェスチュジエールは見ています。同書は、知恵の賞賛を説く

序論に続いて、世界の構造(天文学)、諸元素、世界の諸地域の分類

(地誌)、各地域の諸現象(気象学)についてまとめられ、さらにその

後に、コスモスの統一性、神についての論考が続いていきます。もはや

哲学諸派のそれぞれに特徴的な議論などは捨象され、共通基盤をなす考

え方のみが抽出されているといいます。フェスチュジエールの言に倣う

なら、それは哲学的コイネー(共通語)だというわけです。


しかしながら、諸派の共通項、すなわちそれぞれの教義の要の部分のみ

を抜き出し、寄せ集め、再構成していくとは、ある種の教条主義を作り

上げることでもありました。共通項からなる新たな体系は、本来は一種

の折衷物だったにもかかわらず、いつしかもとの体系を呑み込んでいき、

その新たな体系だけが一種の権威として君臨するようになっていくので

すね。これはちょうど、アメリカで、ネイティブ・アメリカンの伝統を

伝えるための文化施設が成立したために、各部族の細やかな因習がかえ

って顧みられなくなり衰退した、という話と同様です。ギリシアにおい

ても、ヘレニズム期には、文化圏の拡大や政体の肥大化にともなって、

そうした新しい、折衷主義的な教条主義が、時代の必然として成立して

いったのだろうと思われます。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(その19)


テオフラストス『植物原因論』から、香りについて論じた第6巻を見て

います。今回は第11章の残り部分です。前回の箇所では、根に味わいや

芳香が宿っている植物について、その原因を2つ挙げていました。今回

の箇所では、その説明を受けるかたちで、より実利的な面の記述へと続

いていきます。さっそく見ていきましょう。原文はいつもどおり、次の

URLをご参照ください。

https://www.medieviste.org/?page_id=9984


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11.12 言ってみれば、どの植物もこれらのどれかの原因のもとにある。

だからこそ、栄養が豊富である場合には、自然に乾燥した上部すら食す

るに適したものとなる。エジプトの湿地に生息するアシがそうである。

ほかのアシは先端部分にはなんらかの甘さがあるものの、概してごく小

さな部分にしかない。ところがその(エジプトの)アシは、栄養が豊富

であることから、広い範囲で柔らかく甘味があり、根も乾燥してしまう

までは甘さがある。干からびてしまうと、甘さはなくなる。干からびた

根は食用にも適さないし甘さもない。だからこそ茎にもなんらかのピー

ク時があるのである。


11.13 少なくともそれらの植物の場合、香りはそれとはほぼ正反対であ

る。若い根は香りがないか、(成熟したものと)同じようには香らない

が、乾燥すると香るようになる。アイリスがそうであるし、アシやイグ

サなど、湿った土地に生息する植物は概してそうである。カヤツリグサ

の場合、乾燥した状態でも香りがあるが、瑞々しいときの香りはそれよ

りも弱い。これらの植物にはなんらかのピーク時があり、それを過ぎて

しおれるほどに香りはなくなっていく。


1.14 だがそのことはほかとも一致する。そうした樹液はほかの植物で

も同様の潜在力をもち、ときにそれは根に最も多く見いだされる。たと

えばニンニクやタマネギ、大根など、辛さをもつ植物がそうだし、同じ

く薬草の類もそうである。それらの根はいずれも肉付きがよく、薬草が

もつ薬効はある一定の段階まで乾燥しても持続し、次いでピーク期を迎

える。全体として、乾燥が進むほどその薬効は強くなる。水分がなくな

るからである。どの樹液も物質的成分が増すほど、いっそう活用できる

ものになり、物質的成分が増すのは水との分離による。ゆえに生産者は

次のように準備するのである。つまり植物を圧搾して樹液を取り出し乾

燥させるか、植物に切り込みを入れて太陽と風により硬化させる。そう

して樹脂やそれに類するもの、乳香や没薬、シルフィウムの樹液などを

得るのである。


11.15 切り込みは上部と根に入れることもある。薬草やシルフィウムの

場合がそうで、根と茎とに切り込みを入れ、両方から樹液が出るように

する。植物によっては、どちらかのみとし、それぞれの性質に応じて根

か茎のいずれかに切り込みを入れる。根に樹液が多く含まれる場合には

根に、上部に多く含まれる場合には茎に切り込みを入れる。根が乾燥し

木のようになっている場合には、そこから樹液は取らないからである。

おのずと凝固していくガム質の樹液についても同様である。ランティス

クやいくつかの棘のある植物、さらには樹木に生じるものもある。アー

モンドの木やモミの雄木、テレビンノキなどである。それらのうちのい

くつかは味わいもよく、芳香がしたりもするが、味わいや香りがないも

のもある。エジプトのアカシアから取れるゴムがそうである。


11,16 その成分を樹液と呼んだり、滲出物と呼んだりするが、樹液のほ

うが一般的である。両者には違いはない。というのも、とくに名称がな

いのが最も一般的だからである。それぞれの植物に固有の液体で、熟成

の対象となるもの、と言うのみだ。樹液には、ほかよりも物質的で、粘

り気もあるものもあり、水っぽく粘り気もないものもある。そんなわけ

で、凝固を生じさせるのは前者であって、後者ではない。場合によりな

んらかの成分を加えることで、(人為的に)凝固や結合をもたらすこと

もある。


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一部の植物において、根にばかり味わいや香りが宿る原因を、テオフラ

ストスは2つ挙げていました。1つは葉などの地上部位に水分が多く、相

対的に根において成分の熟成が進むこと、もう1つは逆に上部が乾燥し

ていて、熟成する成分が下部に集中していることでした。水分は多すぎ

ても少なすぎてもダメだというわけです。これが前回見た箇所の末尾、

11節の内容でした。


12節では、上部が乾燥していても、土壌からの栄養分が豊富である場合

には、例外的に成分の熟成は上部でも進むのだということが示されてい

ます。その事例としてエジプトの湿地帯に生息するアシが挙げられてい

ます。仏訳註によると、同じテオフラストスの『植物誌』に、エジプト

のアシと総称しているものについて、少し踏み込んだ記述があるようで

す。「エジプトでは煮るか焼くかしたパピルスを噛んで甘味を味わい、

繊維部分は吐き出す」「サリという三角状の茎も、噛んで繊維は吐き出

す」といったことが書かれているようです。


13節では、香りは逆に乾燥するほど強くなるとしています。cupeironと

いうのが出てきますが、これは仏訳ではカヤツリグサ(souchet)とな

っています。パピルスなども同じカヤツリグサ科に属している植物なの

ですね。仏訳註では、souchetにはcyperus longus(セイタカハマスゲ)

とcyperus rotundus(ハマスゲ)の2種類があり、古代において香水作

りに用いられていたとされています。その上で、cuperionがこの本文に

おいてどの植物を指しているのかは特定が難しいとしています。


14節は、香りのほかに薬効成分なども根に多く含まれ、一定の限度(ピ

ーク時)までは乾燥するほど薬効が強くなると記しています。この箇所

では、chumosとoposという、ともに「樹液」を表す2種類の単語が使わ

れています。みたび仏訳註によると、両者の違いは、oposがとくに薬草

の樹液を表すのに対して、chumosは植物全般の樹液を広く表すようです。

oposからの派生語として、opismos(樹液の抽出)や、その動詞形opizo

(樹液を抽出する)などがあります。


この14節から15節にかけては、植物に切り込みを入れて滲出する樹液を

抽出するという人為的な採取行為について記述されています。14節の末

尾で出てくるシルフィウムというのは、セリ科の植物で、古代ギリシア

ではその樹液を調味料や薬として用いていたといいます。ただ、これは

すでに絶滅し現存していないとのことです。これも『植物誌』のほうに

詳しい記載があるようです。


15節で出てくるランティスクは、地中海原産のウルシ科の植物で、乳香

を採取するものです。エジプトのアカシアから得るゴムというのは、ナ

イル原産のアカシア属アラビアゴムノキなどから得られるもののようで

す。


植物名などの詳細は、難しいながらも興味深いところですね。また、樹

液や樹脂の採取といった人為的行為は、植物の記述においてテオフラス

トスがわりと重視している側面だと思われます。このあたりも引き続き

注目していきたいと思います。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は09月12日の予定です。


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