silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.413 2020/12/05

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------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(世界神の誕生)(その31)


フェスチュジエール『コスモスの神』(『ヘルメス・トリスメギストス

の啓示』第2巻)から、ストア派について論じた箇所を中心に見ていく

連載です。現在はキケロを扱った13章を見ています。前回はキケロの

『国家論』『法律論』の概要と、法の存立基盤としての宗教観について

論じた部分でした。今回はその続き、第3節の後半になります。


キケロの3著書(『神々の本性について』『国家論』『法律論』)を見

ることで、フェスチュジエールは、世界宗教がヘレニズム期において、

それぞれ自然学、政治学、法律学の枠組みのなかでどう発展し、また展

開していったのかを把握することができると述べています。


前3世紀ごろ、ギリシアではすでに都市国家についての古来からの思弁

が顧みられなくなっていましたが、一方のローマにおいては、帝国の拡

張にともない、統治者たち(貴族たちエリート層)は、国家こそが身を

投じべき対象であると捉えるようになっていき、その過程で、領土拡張

で出会った他民族の統治に際して、政治・宗教・文化などの伝統の枠組

みだけでは、現実に対応するには十分でないことを認識するようになっ

たといいます。さらに前2世紀ごろには、古来のギリシアの思想はロー

マ帝国内に浸透し始めていました。『国家論』の対話篇は、そうした社

会的文脈の中で、ストア派の道徳論を広めようという教育的目標を掲げ

たものだったのですね。


前1世紀になると、長期化する戦争のせいで軍の重要性が増し、その司

令官が新たな野心を抱くようになっていきました。彼らは帝政ローマの

全権の掌握を目指すようになり、専制主義への傾斜という危機的状況が

訪れます。貴族たちは腐敗していて、そうした危機に際しても、昔なが

らの厳格な品性をひたすら説くだけだったりし、みずからの特権にしが

みついていたのだとか。そんなわけですから、良識ある人々のあいだで、

改革が求められていたのは言うまでもありません。


キケロの『国家論』は、そうした現実を批判的に捉えていていました。

フェスチュジエールによると、そうしたスタンスは、政界引退後にキケ

ロが兄弟に宛てた書簡や、『国家論』の各部などに如実に現れていると

いいます。重要なのは次のような指摘です。すなわち、キケロの『国家

論』『法律論』は単なる空論ではなく、キケロは理論家としてのみなら

ず、重大な政治的案件に巻き込まれた執政官として、国家や法律の問題

について記している、ということです。


ということは、そこに記されている宗教観・宗教的教義もまた、キケロ

が同意していた真正な考え方にほかならないだろうと推測できます。フ

ェスチュジエールによれば、政治的著作で言及される宗教的教義は2つ

のテーマを含んでいました。1つは、理想的な為政者というものは、世

界を司る神の、地上世界でのに似姿(イメージ)にほかならないという

こと、もう1つは、自然法というものは、あらゆる人間に内在している

神的な理性にもとづいているということです。


そのような教義の始まりはプラトンにあったとされますが、それに実質

的なかたちを与え、普及させたのはストア派でした。キケロの宗教思想

の源泉が誰にあったのかは不明ですが、いずれにしてもそれはストア派

もしくはそれに近い立場の哲学者であったろうとされます。政治的著作

では、キケロは単に教義の数々を列挙するのではなく、自身の立場とし

て文字通り「教義的に」自身の宗教思想を語っています。ではなにゆえ

にそれはストア派のものだったのでしょうか。


フェスチュジエールの解釈はこうです。もともと小規模な都市国家だっ

たローマは、農耕と軍事を中心としながらも、交通の要所に位置してい

たことで異質な他民族と出会い、やがて領土の拡張を通じてそうした他

民族をも統治するようになり、社会的な変化を遂げていきます。世界に

向けて門戸を開き、真に経済の中心として君臨するための野心的な政策

が求められたのですね。そんななか、異質な民族を取り込む上で、儀礼

や供犠、季節の祭りを中心としていたそれまでの伝統的宗教では、まっ

たく不十分であることを自覚するようになります。供犠の見返りに収穫

をもたらすようなローカルな神々では、世界を牛耳ろうとする社会には

もはや相応しくない、というわけですね。では、新たな地平にふさわし

い神性とは何でしょうか。


前2世紀ごろのローマのエリート階級は、政治的腐敗はあったとしても、

自身の政治的な責務を深く認識する真摯な人々だったとされます。彼ら

は、地上世界の諸々の事象はすべて神の助けなしにはありえないと考え

るような宗教観をもった人々でもありました。で、そんな彼らがギリシ

ア思想などをもとにごく自然に見いだしたのが、普遍的な存在としての

神、あらゆるものが依存する全能の神だった、というわけです。


ストア派には、当時のローマの社会環境と世界宗教とを結びつけるよう

な要素がありました。まず、長い習得期間を要さない、比較的シンプル

な自然学的な理論を擁してしました。しかもそれは宗教がしみ込んだ理

論です(火や息吹といった概念、そして神的なものとつながる理性につ

いての考え方など)。ローマの人々は、純粋な学問や弁証法には関心が

薄く、さほど努力を要さずに同化できるような体系、実践・行動に直結

しうるような体系を求めていたようです。ストア派はまさにそうしたも

のを差し出すことができたのでした。ローマの為政者層に広まったスト

ア派の思想を、フェスチュジエールはとくに「ローマ・ストア哲学」

(stoicisme romain)と呼んでいます。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(その26)


テオフラストス『植物原因論』から、香りについて論じた第6巻を見て

います。今回は16章の前半部分です。果実の甘味と香りとが一致しない

のはなぜかという問題を引き続き取り上げ、説明を試みています。原文

はいつもどおり、次のURLをご参照ください。

https://www.medieviste.org/?page_id=9984


**


16.1 リンゴやナシ、ナナカマドやセイヨウカリンなどのように、同じ

種の野生の果実のほうが、栽培されているものよりも香りがよいのはな

ぜだろうか。またリンゴの場合など、野生のもの、栽培されているもの

のいずれでも、最も酸っぱい実をつけるものが最も芳香がするのはなぜ

だろうか。香りは熟成によって生じる以上、熟成が最も進んだものこそ

よい香りがするはずである。こうした問題について、ほかの事物にも見

られるように、野生のものは厳しい環境に置かれるがゆえにいっそうの

芳香を放つ、と簡便に述べることもできる。しかしながら、風味の熟成

と香りの熟成に分け、各々が別個に生じると考えることができるなら、

より的確な回答が示せるかもしれない。異質な成分なのか、同じ成分が

変化したものなのかで、(回答は)違ってくるように思われるからだ。


16.2 この点において全体的な区分を設けることもできる。だが目下の

ところは明らかな点を述べるだけで十分としよう。つまり、甘さや旨味

は全般に、樹液の厚みが増すことで生じるのであるということである。

そのため、果実はいずれも時間が経ち日の光を浴びるほどにいっそう甘

くなっていく。水分が少なくなるため、成分の厚みが増すのである。一

方、香りの熟成は、前段階の未熟な状態の熟成による。その証拠に、ナ

シやリンゴその他に見られるように、芳香をもつ果実は、完熟にいたら

ない段階でいっそう香りが増すのである。その段階でこそ風味の熟成は

いっそう進む。


16.3 芳香は樹液の初期の変化(こう言うのは、変化は複数におよぶか

らである)において生じるように思われる。それは一種の発散のようで

あり、樹液がまだ本来の性質をもっていない段階で生じる。だが樹液が

厚みを増し熟成が進み、本来の性質をもつ段階に達すると、香りは弱く

なり、樹液は本来の、全体的に味覚にも感じられる甘さを獲得する。野

生の植物は、初期の熟成に達するまではそれ本来の芳香を発する。一方

栽培されているものは、完全なかたちで熟成を終え、手入れによって栄

養もいきわたるため、樹液は甘味へと、また無臭へと変化するのである。


16.4 同時に、水分量や乾燥、栄養の豊富さ、栄養の少なさ、風通しの

よさなども、なにがしかの影響を芳香に及ぼすように思われる。乾燥し

た植物が、乾いて栄養分の少ない場所に生息し、風通しもよければ、い

っそうの芳香を醸す。混入する水分量が多いと、香りは弱くなってしま

うからだ。それゆえ、陰になっている場所や湿気の多い場所では、芳香

はしない。すでに述べたように、厚みが増すことでこそ、変化は生じる

のである。


16.5 簡潔に言うなら、野生の種はいっそう乾燥し、栄養分も少なく、

風通しがよく日当たりのよい場所に生息している。また、樹液が少なめ

で、栽培されているものほど樹液が果肉に混合していない。そうしたす

べてが芳香に貢献している。ワインについてもそのことは見て取れる。

甘口のワインは全般に香りがせず、まろやかなワインもそうである。ほ

かのものでは、軽めのワインが香りは強く、濃厚で厚みのあるものより

も早く味がよくなる。


**


この章で掲げている問題は2つ、野生の種のほうが栽培されている種よ

りも香りがよいのはなぜか、果実の甘さと香りが入れ替わりのようにな

るのはなぜか、です。テオフラストスは、これらの問題は同じ原因で説

明できると考えています。その肝の部分はというと、すでに出てきまし

たが、風味の熟成と香りの熟成は区別して考えるのがよいのではないか、

というものです。


2節めでは、その熟成の区別について正当化しようとしています。甘味

や旨味は熟成が進み、樹液の厚みが増すことで生じるが、香りはその前

段階の熟成から生じる、というのですね。果実の甘さは、時間が経ち日

光を浴びるほとに増していくが、香りはその前段階で最も強くなると指

摘しています。ゆえに両者の熟成過程は別物だ、というわけですね。こ

れを踏まえれば、野生の種のほうが香りが強いという現象も説明できる、

とテオフラストスは踏んでいます(3節めの後半で触れています)。2節

めで「樹液の厚み」と言っているのは、成分の濃度が濃くなるというこ

とだと思われます。


3節めの半ばあたりに、(熟成が進むと)「香りは弱くなる」と訳出し

た部分がありますが、ここは英訳本ではthe portion of food in it 

is smaller(内部の栄養分の割合が小さくなる)としています。仏訳註

によると、ここは古来から校注が分かれる箇所だったようです。原文が

ta men te_s trophe_s elatto_となっているためで、そのtrophe_sをそ

のまま栄養分と解するのではなく、osme_sの誤表記ではないかと考える

伝統が、長く存在してきたというのです。決着がついているのかどうか

不明ですが、仏訳はosme_sと取る説を採用しています。栄養分の話がこ

こで出てくるのは文脈上ないだろうという推論にもとづいているようで

す。それなりに納得できる話なので、ここでは仏訳の解釈を採用しまし

た。


4節めには、香りの強弱を決める諸条件が列挙されています。これをも

とに、5節めの冒頭では、野生の種のほうが香りが強い理由を説明して

います。乾燥し栄養分が少なく、風通しがよければ、芳香は増すという

のですね。必然的に野生の種のほうが香りは強い、というわけです。5

節めの末尾には、同じような事例としてワインの話が取り上げられてい

ます。甘いワイン、まろやかなワインは香りが弱く、軽めのワインは香

りが強い、と。「濃厚で厚みのある」というあたりの表現は、現代風に

言えばフルボディ(口に含んだときに重厚感があるということ)である

ということでしょうか。


余談になりますが、2020年のボージョレ―は気候的に恵まれた当たり年

だという話です。先に販売されたヌーボーもそんな予兆を感じさせる気

がしますね。コロナ禍で本国でもあまり売れていないという話ですが、

ワインがお好きな方は要チェックかもしれません。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は12月19日の予定です。


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