silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.415 2021/01/16

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* 明けて2021年、今年もよろしくお願いいたします。



------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(世界神の誕生)(その33)


フェスチュジエール『コスモスの神』(『ヘルメス・トリスメギストス

の啓示』第2巻)から、ストア派について論じた箇所を中心に見ていく

連載です。今回から、偽アリストテレス文書『世界について』を取り上

げた第14章を見ていきます。


『世界について』は表題の通り、神が統治するものとしての世界の諸相

について記された文書で、アリストテレスに帰されていた偽書です。内

容は、主に地中海世界の地誌(島々、大西洋からエトルリア海、カスピ

海などなど)や気象学が中心で、この後者は雨や雪、風、雷(流れ星な

ども発光現象として含まれています)、地震、潮流現象などに及んでい

ます。フェスチュジエールは著書の刊行当時(1940年代)、『世界につ

いて』の適切な仏訳がないとして、著書の中でみずからその一部を訳出

しています。


部分訳と全体を紹介したあと、フェスチュジエールはまず『世界につい

て』の成立年代について考察します。この偽書は、ロードスのアンドロ

ニコスがまとめたアリストテレス集成(今現在のアリストテレス全集な

どはアンドロニコスの整理にもとづいています)よりも後だと考えられ

ています。つまり前40年以降ということですね。そう推測する根拠は、

偽書の逸名著者がアリストテレスの『気象学』の詳しい内容を知ってい

ること(アンドロニコスの整理前にはほとんど出回っていなかったよう

です)、さらに『形而上学』の超越的な神についての教義も押さえてい

ることなどが挙げられています。つまり逸名著者は、アンドロニコスの

アリストテレス集成を出典として用いている可能性が高いというわけで

すね。逸名著者が権威としてアリストテレスの名を持ち出している点に

も、そのことがうかがえるといいます。つまり、アリストテレス集成が

流布するのには一定の時間がかかったはずで、偽書の成立は集成の少し

後になるはずだ、ということです。


これで成立年代の上限はわかりましたが、では下限はどうでしょうか。

これはもっと難しい問題であるようです。もちろん手がかりがないわけ

でもなく、その一つが、アプレイウスによる『世界について』のパラフ

レーズ本です。これは2世紀の作とされているので、『世界について』

の成立は最も遅くて2世紀までありうることになります。ただし、この

アプレイウスの書も真正のものかどうかは確定されていないといいます。

ほかにも、たとえば2世紀ごろのキリスト教初期教父たちが、『世界に

ついて』を参照して、アリストテレスが神の恩寵の及ぶ範囲を狭めてい

る(月下世界を省いているのですね)と非難していたといいます。


これらのことから、この偽書は、大まかには紀元1世紀から2世紀半ばご

ろにかけて著されたのではないかということになります。偽書の内容自

体は手がかりとはならないようで、フェスチュジエールは、これ以上の

年代特定は、教義の中身を検討するだけでは無理だろうと考えています。

前にもちょっと出てきましたが、フェスチュジエールがいうところの

「精神的コイネー」、つまり断片化しディテールをそぎ落とされた諸派

の教義の寄せ集め、あるいは共通項のみ取り出した大衆的宗教観を反映

した哲学思想こそが、この書の基盤になっているからです。


しかしながらフェスチュジエールの考えでは、この書には紀元1世紀の

初めごろの成立と見なしうる、ある特色があるといいます。それは、最

高神を大王になぞらえ、下級の神々はその警護役などになぞらえるレト

リックです。これは前20年ごろから紀元40年ごろまで存命だったフィロ

ンが用いている比喩でもあるということですが、そのもとになったらし

い出典が、この『世界について』をおいてほかに見当たらないというの

です。つまりフィロンが活躍した1世紀前半には、すでにこの偽書はあ

ったのではないか、というわけです。このあたり、なかなか興味深いと

ころです。


成立年代の問題はだいたいこのようなところです。続いて今度は、この

偽書が文芸ジャンル的にどういう位置づけだったのかが考察されていま

す。以前出てきた話ですが、当時は一般向けに、入門書・概説書、教科

書、抜粋などが盛んに編まれた時代でした。『世界について』が扱って

いるような地誌や気象学、天文学などについても、そうした概説書は出

回っていたようで、ここでは前1世紀の天文学者ゲミノスによる『天文

学序説』と、1世紀ごろのストア派の天文学者・哲学者クレオメデスに

よる『天体の回転運動について』がその例として挙げられています。


『世界について』とそうした概説書とは大きく異なっている、とフェス

チュジエールは指摘します。ゲミノスやクレオメデスの本は技術的・ド

クソグラフィー的な面が強く、たとえばクレオメデスの本は「世界」の

定義から議論が始まっているのに対し、『世界について』はというと、

最初から神についての教説を提示する体裁で、賢慮の推奨や古来の人々

への献辞から始まっているのですね。


また結論部も、同じように差異が際立っているといいます。ゲミノスの

本では月の満ち欠けについての説明、クレオメデスでは天体についての

説明が最後に来て、短く「以上で本書の議論は尽くされた」として書を

閉じているのですが(これはアリストテレス風です)、それに対して

『世界について』では、世界の一体性や均衡について述べたあと、神の

統治やその名について触れ、プラトンの著書からの引用などを中心とす

る文学的な文章によって書を締めくくっているというのです。


概説書と『世界について』の比較は、まだもう少し続きます。それは次

回に。

(続く)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(その28)


テオフラストス『植物原因論』から、香りについて論じた第6巻を見て

います。今回からは17章になります。ここでは芳香と気候などの関係性

について説明しています。この章は少し長めなので、3回に分ける予定

です。原文はいつもどおり、次のURLをご参照ください。

https://www.medieviste.org/?page_id=9984



17.1 ある種の花には、近くよりも遠くの場合にいっそう芳香が感じら

れるものがある。スミレなどがそうだとされる。その原因はというと、

それらの花の場合、香りの成分が純粋で混じりけのないまま、遠くまで

運ばれるからである。近くにある場合、どこかほかの部分から同時に別

の成分が発散され、そちらは鉱物成分が多く厚みがあるため、遠くにま

で至らない。一般に、弱い香りは混合されないほうがよく、より強い香

りはなんらかの混合をなすことで、利便性が高まる。風味の場合と同様

である。


17.2 たとえばミルラの場合も、蜂蜜水か甘いワインに浸らせると、混

ぜないときよりも芳香が立つとされている。混じり合うことで香りはよ

り柔らかに、またいっそう甘いものになる。同じことは風味についても

言え、味わいが良くなるために混合が必要とされることもある。一般に、

香りは夜明けごろに多彩かつ強くなり、正午に近づくほど弱まっていく。

正午過ぎには最も弱くなる。太陽の作用で乾燥するためである。


17.3 当然ながら季節と同様に日中の時間によっても変化がある。ただ

し植物によっては芳香の最盛時と(植物本体の)成熟時は異なり、大気

の状態が香りに影響する植物もある。「夜咲きの花」と称されるものに

日々見られるように、そうした花は夜のほうが香りは良くなる。植物の

年齢については、芳香が増すのは若い時期でも老齢期でもなく、最盛期、

それも最盛期を少しばかり過ぎた頃においてである。


17.4 というのは、風味と香りで熟成は同じではないからである。若い

植物は多くの栄養を求めるがゆえに熟成はしない。老いた植物は熱が足

りないせいで熟成は弱まる。しかしながらまさにそこで、若い植物より

も芳香を醸すのである。水分が少なくなり、そのため水分の管理がより

よくなされるからだ。ちょうどそれは痩せた土地の植物と同様である。

一般に、最盛期の植物は良質の風味と芳香のいずれにおいても優れてお

り、それぞれの植物はまさにそのとき、(風味と芳香の)両特性の目的

を果たすのである。


17.5 極寒で凍てつく地方では、凍結のせいで風味も香りも弱くなる。

凍ってしまうと(香りの成分が)広がらないからだ。と同時に、寒さが

ひときわ厳しくなるときには、植物の特色ばかりか(私たちの)感覚も

失われてしまう。両方とも変質するが、とくに前者(香り・風味)は著

しい。果実は甘味成分が失われ、凍結により気化して蒸発してしまう。

同じように、過度の暑さによっても樹液は劣化してしまう。干上がった

り、熟成が阻害されたり、ある意味腐敗したり、水分で飽和状態になっ

たりする。これはイチジクについて述べた通りである。



最初の節では、遠く離れているほうがいっそう香るように感じられる花

があると述べています。その理由は、香りの成分が純粋なまま漂い遠く

にまでいたるからだというのですね。そうした香りの場合、近くでは別

の成分も発散され、それが混じり合い、重りのように邪魔をして、香り

の成分が遠くへと飛ばなくなってしまう、ということなのでしょう。


1節めの頭のところで出てくるionという単語は、仏訳註によると、スミ

レとストック(アラセイトウ)の両方の可能性があり、通常は色の形容

詞でどちらかを判断するようなのですが(「黒いイオン」ion to melan

がスミレ、「白いイオン」ion to leuconがストック))、ここではど

ちらなのか特定できないとされています。


2節めは、香りが立つ条件として別の成分との混合が必要とされる場合

が言及されています。また節の後半は、時間的な香りの推移を取り上げ

ていますね。そこで言及されるミルラについて、これをミルテとする校

注も歴史的にはあったようですが、一応ミルラで決着しているようです。


3節から4節にかけては香りと時間との関係ですね。外的な時間(昼、夜、

季節)との関係、内的な時間(植物本体の成熟の段階)とに分けて考え

ています。4節めの話は、すでに以前にも出てきたものですね。3節めで

言及される「夜咲きの花」の例として、仏訳註はハナダイコン(別名

「夜すみれ」)を挙げています。


5節めでは寒さ・暑さとの関係について述べています。末尾に言及され

ているイチジクについて書かれている箇所というのは、『植物原因論』

の2巻を指し、そこでは暑さゆえに、エジプトのイチジクは生育がうま

くいかないとされています。


今回の箇所は総じて語り口も内容も比較的平坦な印象です。次回も同章

の続きとなります。どうぞお楽しみに。

(続く)



*本マガジンは隔週の発行です。次号は1月30日の予定です。


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