silva speculationis       思索の森

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<ヨーロッパ古代・中世思想探訪のための小窓>

no.421 2021/04/10

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*急告 - 重要連絡!


突然のご連絡で申し訳ありませんが、本メルマガは本号をもって、いっ

たん休止させていただきたいと思います。


先月のことですが、メルマガの配信システムにセキュリティ上の不備が

あることが判明しました。不審なメルアド(およそ日本語を読めるとは

思えない外国のものなど)が登録を完了しないまま、大量に仮登録され

ていました。そのため、新規登録・退会のフォームを停止いたしました。


この大量の仮登録の意図は不明ですが、配信システムもすでに旧弊なも

のになっているのは事実です。ご登録いただいている皆様のメルアドに

害が及ぶ可能性は低いと考えておりますが、用心に越したことはありま

せん。ちょうど連載も今回で一区切りつくことですし、これを機に、運

用そのものを見直したいと思い、メルマガを休止することにした次第で

す。


これまでご愛読いただいた皆様には、厚くお礼申し上げます。


今後についてですが、こうした勉強会的な配信そのものは、なんらかの

かたちで継続していきたいと思っています。代替の手段があるかどうか

現在検討中です。再スタート(夏ごろでしょうか?)する際には、これ

までのホームページ(https://www.medieviste.org/)等で、改めて告

知いたします。


急な決定でご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞ皆様のご理解、ご協

力をお願い申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


メルマガ管理者



------文献探索シリーズ------------------------

神々は黄昏るか(世界神の誕生)(最終回)


フェスチュジエール『コスモスの神』(『ヘルメス・トリスメギストス

の啓示』第2巻)から、ストア派について論じた箇所を中心に見ていく

連載です。今回はいよいよ最終回となります。前回は、アレクサンドリ

アのフィロンが、世界の観想というテーマを通して世界神の存在を認め

ることを説いていることを見ました。ですがそれだけでは、神の本質に

ついての知見を得ることができないとされるのでした。ではどうするか。

フィロンの考えをフェスチュジエールが追っていきます。


フィロンは、人間が神を直視することはできない以上、残るは間接的な

道しかないと考えます。それをアブラハムの移住に投影してみせるので

すね。つまり、まずは世界そのものの崇拝を捨てること、次に自分自身

に戻って、自己の本質、すなわちおのれの知性について考察することで

す。その精査を通じて自己を無化し、神の知性の光をそこで得るのだ、

というのですね。


アブラハムの移住は、まずはウル(ペルシア湾近くのカルデアの地。前

回出てきたように、それはカルデア人=占星術師たちからの脱却の寓意

とされています)からハラン(シリア北部)に移ります。次にそこから

砂漠の地(カナン)へと南下します。この2回の移住が、魂の上昇に重

ね合わされます。フェスチュジエールによると、フィロンはそれを3段

階で考えているといいます。すなわち、(1)占星術の拒否、(2)世界

の観想から自己の認識へ、そして(3)魂の瞑想を通じた神の神秘的探

求です。第1、第2段階は哲学的生ですが、第3段階は宗教的生だといえ

そうです。


フィロンにとって究極の目標は、あくまで敬虔な宗教的生、神との合一

にあるわけで、哲学はあくまでそのための手段にすぎません。そのため、

ひとたび哲学が目的にとっての障害物になるような場合(哲学は体系相

互に矛盾があり、不確かなものでもあるのでした)、フィロンは熱心に

打ち込んできた哲学といえども、躊躇なく捨てなくてはならないと主張

します。神そのものの探求のためには致し方ないことなのだ、と。


第2の段階、すなわち自己の認識は、ある意味哲学と宗教の入り混じっ

た状態であるようです。すなわちその段階は、倫理的な射程と、法悦の

射程とから成るわけですね。前者は一種の自己改良の側面、後者は世界

を司る知性の認知にいたる側面です。フィロンはこれを、アブラハムの

改名(アブラムからアブラハムへ)に重ねてみせます。以前の名は、学

知を愛する者としての人間を意味するのに対し、新しい名は、賢慮を愛

する者、あるいは賢者としての人間を意味する、とフィロンは解釈して

いるようです。


第3の段階にいたると、アブラハムが砂漠の地を目指したことを寓意と

して捉え、神の本性そのものに近づくには、あらゆるものを捨てる・解

き放つ必要がある、とフィロンは説きます。当然ながら魂の解放も含ま

れます。かくしていったん無に開かれた魂が、神に満たされるというわ

けなのですね。これはまさに忘我、エクスタシーの次元なのでしょう。

思惟の合理的な活動すらも、そこでは放棄されると説いています。


フェスチュジエールは、フィロンの文章から教義の体系を引き出すのは

難しいと認めています。しかしながらフィロンの文章に、ギリシア的な

伝統の反映と、世界神への信奉者の姿しか見ないのは不十分であり、フ

ィロンの立場はもっと複雑だとも指摘しています。1つには、フィロン

がユダヤ人であり、(旧約)聖書にもとづく教育を受けているからです。

フィロンはもとより一神教を信奉しており、異教の神々について語って

いても、多神教のほうにブレることは決してないといいます。


また、世界を通じて神に到達するというプラトン主義的な思想潮流に、

同じくプラトン主義的な、世界を放棄することで神に到達するという別

の潮流が混成していることも、その複雑さを特徴づけているとフェスチ

ュジエールは指摘します。相反する2つの流れをそれぞれ別の段階に位

置づけ階層化することで、フィロンは両者を和解させようとしていると

いうのです。これはどういうことでしょうか。


フィロンには神秘主義的な傾向があると言われます。ですがそれは、単

に表面的に神秘主義的な言説を弄んでいるということではない、とフェ

スチュジエールは考えます。一神教を信奉し、星辰にもとづく神秘主義

に拘泥してはいないことからすると、一見フィロンが世界を真に美しい

と思って観想していたかどうか怪しくなります。哲学諸家のモデルに倣

って世界の観想を言い募ってばかりいたのではないか、と。しかしフェ

スチュジエールは、むしろもう1つの方法、すなわち第3段階の内省にこ

そ、フィロンは重きを置いていたのではないかと主張します。


この内省的な方法論は、これまたプラトン主義から派生した別の流れ、

すなわち『ポイマンドロス』などのグノーシス主義にも合致することに

なります。すなわち「自己が生命と光から成ることを知り、その本源の

光(神)と生命(父)へと立ち返れ」という、別の意味での神秘思想で

す。


フェスチュジエールはそうした合致こそが、ヘルメス主義的理解を直接

的に準備するものにほかならないと見ています。『ティマイオス』から

派生した宗教観では、世界と神とは事実上同一のものでした。世界は一

元論的かつ善であり、その意味でその信仰も楽天的なものでした。しか

しながらその一方では、『パイドン』『饗宴』『国家』あたりから派生

した、より悲観的・二元論的で、神は悪しき物質世界から根源的に離れ

ていると考えるもう1つの宗教観がありました。


決して相いれないこれら二つの潮流を混成させたのは、まさにフィロン

であり、そしてヘルメス主義だった、とフェスチュジエールは記してい

ます。そしてそれを可能にしたのは、フィロンの時代のアレクサンドリ

アの思想的土壌ではなかったかと付け加えています。コスモポリタン的

で、ギリシアの厳密さが薄らいだその土地であればこそ、両者の混成も

可能になったのではないか、と……。



以上が17章のまとめです。フェスチュジエールのフィロンをめぐる考察

はどこか草稿的で、十分に掘り下げられていない印象も受けますが、そ

れでも、ストア派を中心に、プラトン主義の伝統から、ヘレニズム期の

懐疑主義・折衷主義を経てローマ時代にいたる、世界神の宗教観の変遷

を語る、この大著『ヘルメス・トリスメギストスの啓示』第2巻が、フ

ィロンでもって、締めくくられているのは示唆的かもしれません。この

連載では、その大著をごく大まかに眺めてみただけにすぎません。拙い

要約だったかもしれませんが、フェスチュジエールが単に文献だけでな

く、社会的な側面などにも目配せをしつつ、歴史的な流れを多元的にと

らえようとしている姿勢などは、学ぶべきところも多いのではないかと

個人的には思っています。


いかがでしたでしょうか。こういう感じでゆっくりと参考文献を読んで

いくのは、やはりなかなか面白いですね。また近いうちに再開できるこ

とを願いつつ、この連載は終了といたします。お付き合いいただき、誠

にありがとうございました。

(了)



------文献講読シリーズ------------------------

古代の「香り」(最終回)


テオフラストス『植物原因論』から、香りについて論じた第6巻を見て

います。今回はいよいよ最後の20章めになります。さっそく見ていきま

しょう。原文はいつもどおり、次のURLをご参照ください。

https://www.medieviste.org/?page_id=9984



20.1 芳香の植物には、栽培されているものもあれば野生のものもある

のだから、どちらかが芳香が強いというふうに一くくりにはできない。

バラのように、栽培されているもののほうが香りは強いこともあれば、

スミレやサフランのように、野生のものが強いこともある。ジャコウソ

ウやトウバナは、とりわけ匂いがきつい。食用の草ではとくにヘンルー

ダがそうである。いずれにしても原因は、一般論として述べるなら、す

でに述べた通り、香りのもととなる水分と乾燥の最適なバランスを、そ

れぞれ(栽培されているもの、野生のもの)が取っていることにある。


20.2 それぞれにおいて生じていることは、検証すれば明らかである。

スミレやサフランは多くの栄養分を必要とせず、みずから十分な量を摂

取できる。根が大きいからで、そのため栽培されているものにおいては、

消化しきれない栄養分が多く残ってしまう。ゆえに(栽培する際には)

スミレならば周囲に灰を撒き、サフランならば踏み固めるのである。バ

ラやジャコウソウ、その他類似の植物では、野生のものの場合、過度に

乾燥してしまう。そのためバラは、水分がないせいで、無香の植物と同

じようにほとんど香りがしなくなる。アラセイトウも、乾燥し痩せた土

地では香りがしない。過度に暑く燃えたぎるような空気の中でも、過度

に乾燥するために香りがしない。


20.3 ジャコウソウやトウバナ、その他の同種の植物は、乾燥のせいで、

実に鼻につくきつい匂いを発するが、栽培されると緩和される。明らか

に適正なバランスこそが熟成をもたらし、芳香をもたらすのである。ま

た、芳香を放つ植物の香りは、性質に由来するもののほかに、空気の成

分の均衡をも要求する。それにより香りがよく混じり、なにものにも阻

害されることがなくなるのである。


20.4 先に指摘しておいたノウサギの痕跡に生じていることも、これと

同様だと思われる。夏や冬、春には匂いがしないが、秋にはとりわけよ

く香る。冬は湿度が高く、夏は乾燥が強く、同じ理由から正午ごろは最

悪であり、また春には花々の香りによる干渉が生じる。秋ならば、あら

ゆる点において混合の適正なバランスが取れるのである。植物や果実に

おける香りや味わいについては、こうしたことから検討されなくてはな

らないだろう。だがすでにして、混合にかかわる事象、相互の影響にか

かわる事象、それぞれの力能にかかわる事象は、それぞれ個別に論じら

れてしかるべきだろう。



植物の種類によっては、栽培されているもののほうが芳香が強い場合と、

野生のもののほうが強い場合とがある、というのが1節めですね。栽培

されているものの芳香の例として、まずはバラが挙げられています。仏

訳註によると、バラについてテオフラストスは、『植物誌』のほうで詳

しく取り上げているようです。「キュレネのバラは最も香りがよく、最

も甘美な香水をもたらす」などと記されています。


同じく仏訳註からですが、サフランについては、19世紀のドイツの植物

学者ヘルドライヒ(ギリシアに移り住み植生を研究した人物です)が、

アッティカ地方、とくにシュロス島やテノス島で野生のものがよく見ら

れること、栽培はされず、摘み取った花が市場に運ばれることなどを指

摘しているといいます。サフラン摘みの様子が、アクロティリ(キプロ

ス島)のフレスコ画に描かれているのだとか。


2節めでは、野生種と栽培種で香りが異なる原因、とくに香りがしなく

なる要因として、過度の養分、過度の乾燥などを挙げています。スミレ

やサフランはそれほど栄養分を必要としないので、栽培の場合には栄養

分があまってしまう(栄養分が過度になると、熟成を阻害するというわ

けですね)といい、それを緩和するために、灰をまく(それにより水分・

養分などを吸収させるということでしょう)、あるいは踏み固める、と

記されています。仏訳註によれば、サフランは強い草花と見なされてお

り、「根が踏みつけられるほど栄える」「車道や踏み固められた場所で

こそ、サフランは最も美しくなる」(『植物誌』)などと書かれていた

りするようです。


諸条件の適正なバランスこそが重要だというのは、すでに見たように、

テオフラストスの一貫した見解ですね。3節めや4節めでも、そうした諸

条件のバランスについて述べています。これをさしあたり『植物原因論』

の一つの結論と見なしてもよいかもしれません。芳香が生み出されるの

は、成分や熟成の条件などの絶秒なバランスあってのことである、とい

うわけですね。そして、これも何度も出てきていましたが、そうした見

識(もちろんモダンな見識ではないにせよ)を支えていたのは、あたう

かぎりの詳細な観察、そして当時の伝承の検討など、自然学へのテオフ

ラストスの真摯な取り組みだったことは間違いありません。



以上、『植物原因論』第6巻を一通り見てみました。お疲れ様でした。

前4世紀ごろの自然学の一端に触れてみたわけですが、いかがでしたで

しょうか。こうした訳読も今後もなんらかのかたちで継続していきたい

と思っています。再開の際には、またどうぞよろしくお願いいたします。

(了)



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(C) Medieviste.org(M.Shimazaki)

https://www.medieviste.org/?page_id=46

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