2005年04月21日

No.55

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
silva speculationis       思索の森
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.55 2005/04/16

------新刊情報--------------------------------
季節の変わり目で、ようやく暖かくなってきました。古本屋などの散策にも絶好
の季節ですね。もちろん新刊も、ですけれど(笑)。

○『クリュニー修道制の研究』
関口武彦著、南窓社
10,000yen、ISBN:4-8165-0333-1

クリュニー修道院というのは10世紀にアキテーヌ公ギヨーム1世が創設した修道
院で、そこの修道院改革(貧民救済、典礼重視、中央集権組織)は、11世紀後
半のグレゴリウス7世の改革の先駆をなすものとされています。12世紀がその修
道院の最盛期と言われていますが、本書はそのクリュニーについての論考をまと
めたものらしく、フランス革命での廃絶まで実に800年の歴史を追った大著のよ
うです。学術書がますます刊行されにくくなっている中、こうした研究書が出る
のは喜ばしことですね。

○『リチャード獅子心王』
レジーヌ・ペルヌー著、福本秀子訳、白水社
3,360yen、ISBN:4-560-02605-X

ご存じフランスの歴史家ペルヌーによるリチャード1世伝。翻訳もお馴染み福本
氏。白水社の立ち読みページ(http://www.hakusuisha.co.jp/topics/
lionheart.html)にちょっとさわりがあります。これによると、リチャード1世
は統治期間が短いわりに、英国では大人気の王なのですね。その秘密は、その波
瀾万丈な生涯と、さらに後世の伝説化がものをいっているのではないかと思いま
す。そのあたりに、どれほど踏み込んでいるのかちょっと楽しみでもあります。

○『ジェントリから見た中世後期イギリス社会』
新井由起夫著、刀水書房
10,290yen、ISBN:4-88708-340-8

題名通り、中世後期のジェントリを中心とした社会関係の研究のようです。ジェ
ントリというと、ノルマンコンクエスト以後、貴族階級の一員と認められなかっ
た騎士階級が、長い時間をかけて様々な社会的役割を担うようになった頃(14
世紀)の呼び名ですね。行政職から軍事、法務など多岐にわたる職務を担ったエ
リート層ということで、16世紀のチューダー朝では、英国国教会成立に伴う修
道院の解体で土地や財産の分配を受け、貴族に代わる存在にまでなったのでし
た。長い間エリートでありながら中間管理職に甘んじざるをえなかった階級だけ
に、その社会関係というのはとても面白そうです。

○『中世とは何か』
ジャック・ル・ゴフ著、池田健二・菅沼潤訳、藤原書店
3,465yen、ISBN:4-89434-442-4

退官後も旺盛な著述活動を続ける大家ル・ゴフの最新邦訳。原著は2003年刊の
"A la recherche de Moyen Age"で、文化ジャーナリストとの対話という形で自
己の研究人生を振り返ったもの。藤原書店のページ(http://www.fujiwara-
shoten.co.jp/index_2.html)で、訳者によるPR誌からの抜粋が読めます。ル・
ゴフの歴史書への入門編という感じにもなりそうです。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
第6回:動詞の活用(第1、第2変化、未完了時制)

今回は動詞についての復習です。動詞では態と時制とが問題になるのでした。態
は行為を及ぼすという能動態と、行為を及ぼされるという受動態に分かれます
し、時制はまず大きく未完了時制と完了時制に分かれます。未完了時制は動詞が
表す行為がまだ終わっていないということを表し、未完了過去形、現在形、未来
形に分かれます。完了時制はある時点で行為が終了していることを表し、過去完
了、完了形、未来完了があります。でもって、それぞれが人称変化するのでし
た。主語によって形が変わっていくのですね。こう書くと面倒そうですが、変化
はわりと規則的で、案外すぐに慣れていけます。第1変化、第2変化といわれる
ものの変化表を挙げてみましょう(この連載シリーズでは、文法の網羅的記述を
目指しているわけではなく、ポイントごとに巡っていくだけの文法談義ですの
で、表も最低限しか挙げません。正式な入門書や文法書でご確認いただくことを
お勧めします)。人称は順に、私、あなた、彼・彼女、私たち、あなた方、彼た
ち・彼女たち、です。現在形なら「私は愛す」「あなたは愛す」「彼・彼女は愛
す」……となっていきます。未完了過去なら「私は愛していた」、未来なら「私
は愛するだろう」という感じになります。

第1変化の例:amare
現在形:amo、amas、amat、amamus、amatis、amant
未完了過去:amabam、amabas、amabat、amabamus、amabatis、
amabant
未来形:amabo、amabis、amabit、amabimus、amabitis、amabunt

第2変化の例:delere
現在形:deleo、deles、delet、delemus、deletis、delent
未完了過去:delebam、delebas、delebat、delebamus、delebatis、delebant
未来形:delebo、delebis、delebit、delebimus、delebitis、delebunt

基本的な語尾変化は似ていますね。不定詞形(原形)からreをとって、語尾を
くっつける(amoだけは例外です)というのが作り方の説明ですが、よく講座な
どで言われるのは「諳んじて口調で覚えるべし」ということです。ただその際に
気を付けなくてはならないのは、母音の長短とそれによるアクセント位置です。
原則として、不定詞からreを取った際の末尾の母音は長くなり、そこに音節によ
るアクセント規則(第3回参照)が適用されます。そうすると、例えば未完了過
去の場合、語尾(bam、bas……)のaも長いので、そのため複数形1人称、2人
称でアクセントがbaの上に来たりする点が要注意です。また、アクセントには
影響しませんが、現在形の3人称(amat、amant)は、aの母音が短いのです
ね。

同じように受動態も一気に覚えてしまうとよいかもしれません。意味はそれぞれ
「愛される」「愛されていた」「愛されるだろう」ですね。

現在形:amor、amaris、amatur、amamur、amamini、amantur
未完了過去:amabar、amabaris、amabatur、amabamur、amabamini、
amabantur
未来形:amabor、amaberis、amabitur、amabimur、amabuntur

第2変化の受動態は表を省略しますが、基本的には、o、s、t、mus、tis、ntと
いう語尾が、r、ris、tur、mur、mini、nturに代わるだけです。また単数二人称
は、risの代わりにreになることもあります。

(このコーナーは"Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99をベースに
しています)


------文献講読シリーズ-----------------------
プロクロス『神学提要』その2

前回から始まりましたプロクロス。今回は提題の3と4を見てみます。抽象的な
議論ですが、集合論として捉えると結構常識的なことを述べているようにも思え
ます。原文は次のURLに掲載しておきました。
http://www.medieviste.org/blog/archives/000456.html

# # #
(3):一となるすべてのものは、「一」への関与によって一となる。
 みずから一でないものも、「一」への関与を受けるならば、一となる。それ自
体では「一」ではないものが一になる場合、おそらくは互いにまとまり共有する
ことで一になるのであり、一が現前しようともやはり「一」ではない。「一」に
関与するのは、一となることを受け入れたものだけである。すでに一であるな
ら、一にはならない。すでに存在するものは、存在するものにはならない。最初
は一でないものが一になる場合、なんらかの生成する一が、その一になるのであ
る。

(4):一をなすすべてものは、一性そのものとは異なる。
 一をなすものがある場合、それはなんらかの形で「一」に関与するだろう。そ
こから、一をなすと言われるのである。「一」に関与するのものは、一であり
「一」ではない。一性そのものは、一であり「一」ではないものとイコールでは
ない。一であり「一」ではないものの場合、そこにおいてまた一は、二つのもの
をまとめた一をもたらし、それは無限にいたり、かくして一性そのものは具体的
存在としては存在しえず、あくまで全体としての一であって、一つの存在ではな
いことになる。一をなすなんらかのものは「一」とは異なるのだ。一をなすもの
に存するその一は無限の多となり、そこから生ずるそれぞれは、皆同様に一をな
すのである。
# # #

前回同様、括弧をつけたことで多少文意ははっきりしてくると思います。「一と
なるもの」としたのはginomenon hen、「一をなすもの」はhe_no_menon、
「一性そのもの」はautohenをそれぞれ訳したものです。超越的な意味での一
(括弧付き)と「一性そのもの」は同義的に使われています。全体集合とその中
に含まれる個別の下位集合を考えてみればよいでしょう。全体集合があって、そ
の中に下位集合が形作られる場合、それはあくまで下位集合ですから、全体集合
とは一致するのではなく、全体集合に従属しています。これがいわば前回の部分
でした。提題3と4は逆の方向性で考えていて、ある具体的な集合を考える時、
それを下位集合だと見なすことによって、包摂する全体集合も仮構される、とい
う話になっています。集合が一つにまとまる時の「まとまり」が一性だとする
と、その「まとまり」という概念は当然、具体的な集合とは異なる抽象概念にな
ります。こうした集合論的な話は、哲学的伝統を考える上では欠かせないものに
なっています。

さて、せっかくテキストを読んでいるのですから、まずは著者と著作の位置づけ
から押さえていくことにしたいと思います。まずは今回と次回の2回に分けて、
希仏対訳本『プラトン神学』("Theologie platonicienne" lib.1, Les Belles
Lettres 2003)の序文で詳述されている、プロクロスの生涯と著書について大
まかにまとめておきましょう。プロクロスの生涯については弟子のマリヌスによ
る伝記『プロクロスの生涯』があるのだそうで、それによると、生年月日は412
年2月8日、没年月日は485年4月17日となっているようです。生地はコンスタ
ンティノポリスで、父親は法務官(弁護士)をしていて、その後一家はクサント
スという町に引っ越し、そこで幼少の教育を受けます。やがてアレクサンドリア
で修辞学やラテン語、ローマ法を学びますが(父親の意向で法律関係に進ませよ
うとしたのでしょう)、修辞学の教師とともにコンスタンティノポリスへ旅した
ことをきっかけに、哲学の道を志し、アテナイ学派のもとを訪れることになりま
す。親の意向どおりにいかないのは、世の常なのですね。

アテナイ学派ではまずプラトン主義者のシリアヌスに弟子入りし、そこからアテ
ナイのプルタルコスにも紹介されます。これが430年頃、プロクロスがまだ弱冠
19歳の頃です。すでに老齢だったアテナイのプルタルコスはまもなく没します
が、プロクロスはその老師に気に入られ、アカデメイアの長となったシリアヌス
とファミリーとして暮らします。シリアヌスと同門の弟子たちはアリストテレス
の全著作、そしてプラトンの著作を読破していきます。シリアヌスもほどなく没
してしまいますが、プロクロスは27歳にして、師の注釈をもとに『ティマイオ
ス注解』を書き上げます。兄弟子たちとの確執を経て(これもいつの世も同じか
もしれません)、プロクロスは25歳にしてシリアヌスの後を継ぎます。ここか
ら先、プロクロスは講義と執筆と他の哲学者らとの対話に精を出す日々を送って
いくのでした。ある種の理想的生き方ですね。その後、40歳前後までにオル
フェウス教や神的秘術の研究なども手がけ、キリスト教徒らとの対立も多少は
あったようですが、全体的には為政者たちとも友好な関係を維持し、弟子たちも
増えて、『パルメニデス注解』『プラトン神学』など主要な著作の数々が生まれ
ていきます。

というわけで、次回はその晩年の様子と、著作の位置づけなどをまとめましょ
う。本文は提題5を見ていきます。お楽しみに。

投稿者 Masaki : 2005年04月21日 21:55