2006年10月09日

No. 89

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.89 2006/10/07
*都合により今号は短縮版とし、「文献講読シリーズ」はお休みといたします。
ご了承ください。


------クロスオーバー-------------------------
ペロティヌスの時代 〜映像作品の喚起力

12世紀頃、パリのノートルダム寺院で活躍したとされる作曲家の一人に、ペロ
ティヌス(ペロタン)という人物がいます。どうやら具体的な生年や没年もわ
かっていない人物のようなのですが、この人物をめぐる思弁的ドキュメンタリー
とでも言うべき映像作品がDVDで出ています。『神のごとき接吻−−同時代人と
してのプロティヌス』("The Kiss of a Divine Nature", Art Haus Musik,
2005)
というのがそれで、監督はウーリ・アウミューラーというドイツの映像
作家です。日本でも人気の高い古楽系の声楽演奏家集団ヒリヤード・アンサンブ
ルが参加し、端正な演奏を聴かせてくれます。このドキュメンタリーは、ペロ
ティヌスの歌の演奏、学者同士の議論、上演プロジェクトの演出という三種類の
場面が交錯し、中世の思想的な世界へと誘います。このうちとりわけ重要な位置
を占めるのが、音楽学者らによる討論で、12世紀の時代状況・思想状況がどの
ようなものだったのかをめぐり熱い議論が戦わされます(多少、かみ合っていな
かったりもするのですけどね)。

この映像作品の軸となる問題の一つは、ペロティヌスの音楽に見られる時間的構
造化(計量化)が、当時の時間意識を反映したものだったのではないかという
テーゼです。1200年前後には機械仕掛けの時計が発明されたともいい、またア
リストテレスの運動を基礎とする時間論の普及もあり、かくして時間は当時、季
節のように単に移り変わるものから、計測可能なもの、クロックワークとして制
御可能なものへと変化したのではなかったか、というわけです。さらに、そこか
ら敷衍する形で、ペロティヌスの4声からなる音楽、定旋律と対旋律との兼ね合
い、動きの様式などは、一種の「モジュール化」として捉えることができるとい
う議論もあります。これもまた計量化が導いた変化だというわけです。すると今
度はそれが、当時のゴシック建築などに見られる部品の積み上げという手法など
とも呼応するのではないか、そうして音楽がまさに時代的な大きな潮流の反映、
精神の変容の反映と見なしうるのではないか、という話になっていきます。なか
なかダイナミックな話ですね。

もちろん、こうした議論を専門的に展開するなら、細かな素材と証拠を慎重に積
み上げなくてはならないでしょう。ですがそこは映像作品ならではの縮約された
ドキュメンタリーだけに、学者たちの議論は断片的にしか描かれず、当然ながら
そうしたテーゼの信憑性や説得力を詳細に吟味するには至りません。とはいえ、
代わりにそこから浮かび上がるのは、文化横断的な視点の広がり、時代全体の大
まかな把握のための一種の見取り図です。なるほど、こうしたメディア論的な議
論を中世のような遠い歴史区分に持ち込むことには抵抗のある人も多いでしょ
う。ときにそういう議論は、あまりに「文学的」だと批判されたりもします。で
すが、少なくとも共時的・通時的な理解の幅を広げる、あるいは文化事象が置か
れるコンテキストを総合的に理解する、という意味では、時にそうした「短絡」
も、重要な議論、有益な議論になりうるのではないか、と思われるのです。

作品のもう一つの主軸は、12世紀当時のマリア信仰をめぐる議論です。中世の
マリア図像には、受胎告知が天からの光線によるもののごとくに描かれているも
のが散見されるといい、そうした光を媒介するものとしてのマリアという思想
が、ひょっとすると、たとえば当時の教会建築にも大きな影響を与えている可能
性がある、という議論が展開します。ゴシック建築の嚆矢とされるパリのサン・
ドニ大聖堂は、修道院長シュジェ(シュジェール)が光を多く取り込む設計をな
したことで有名ですが、そうした流れを下支えしたのが、聖母マリアの図像学的
な光をめぐる思弁だったのではないか、かくしてカテドラルは、巨大な光のスペ
クタクルの舞台空間として演出されるようになったのではないか、というこれま
た刺激的なテーゼです。この議論も、多少のアナロジー的な飛躍も感じられるの
ですが、ひょっとしたらそういう思想潮流といったものは本当にあったのかも、
と考えてみるのは興味深いことのように思えます。

音楽と教会建築、そして当時のマリア信仰、時間概念の変化、文化変容などの合
流点としてのペロティヌス。これは綿密な議論としてはともかく、このような映
像作品ならではの詩的な喚起力でもって描き出すにふさわしいテーマかもしれま
せん。このように学術的議論と詩とを組み合わせた映像というのは、過去の歴史
へのアプローチとして、もしかすると独特な有用性、独特なスタンスを持ちうる
かもしれません。もちろん、そうした映像の喚起力が、イデオロギー的な横滑り
を起こしたりしない限りにおいて、の話ではあるのですが。


------短期連載シリーズ------------------------
タンピエの禁令とその周辺:アラン・ド・リベラ本から(その3)

タンピエの禁令で一番の問題とされたのは、いわゆる「二重真理説」でした。こ
れはつまり、神学的な真理と哲学的な真理とが別のものとしてある、という議論
なのですが、アラン・ド・リベラは以前から、そうした二重真理説は教会側、つ
まりタンピエの側による一種の捏造であると主張し、議論の種になってきました
『中世の思想』、1991)。確かに、ダキアのボエティウスなど、急進的アリ
ストテレス主義とされる論客には、神学と哲学の適合性の議論はあっても、二重
真理説というような分離思想はなく、タンピエの捏造という説は一応定説となっ
た感もあります。とはいえ、前回も少し触れたように、『理性と信仰』でのリベ
ラは、神学と哲学の分離と、前者による後者の支配が今なお綿々と教会思想の中
に生き続けていることを批判すべく、分離の大元とされるところにまで遡及しよ
うとします。

そこで登場するのがアルベルトゥス・マグヌスなのでした。なにしろアルベル
トゥスは、その万物博士という呼称からも示唆されるように、当時の学知をいわ
ば総なめにした人物だったからです。ではアルベルトゥスは、神学と哲学をどの
ように捉えていたのでしょうか。リベラによれば、アルベルトゥスの主眼は、当
時西洋に流入していたアリストテレス思想の問題を適切に説明づけることにあっ
たといいます。したがってそこには、哲学を神学に従属させようといった構えは
まったくなく、両者をあくまで別領域として共存させることをアルベルトゥスは
目していた、というのがリベラの眼目なのですね。

ここで哲学と言われるものは、神学以外の真理探究の学知を指しているわけで、
確かに神学の側からすると、それが独自なものとしてあるということになれば、
ゆゆしき問題ということになりそうです。アルベルトゥスの立場もある意味微妙
ではあり、いわば当時の「アヴェロエス主義」の刺激剤になったと見なすことも
できます。実際にアルベルトゥスは、レシヌのジルという人物からの質問状を受
けています(タンピエの1270年の命題13ヵ条を含む、15条の命題)。これに
対しアルベルトゥスは『15の問題』と題する小論を記して応戦するのですが、
そこではむしろ、「パリ学派」を詭弁を弄しているというとして実質的に批判し
たりしているといいます。タンピエの禁令にいたる1270年代当時、アルベル
トゥスはすでに大学の職からは退いていました。そのため、禁令の対象にならず
に済んだわけですが、思想内容としても、パリ学派とは開きがあったようです。
また、リベラによれば、アルベルトゥスは少し後のブラバントのシゲルスなどよ
りも、哲学の独立性について確信を抱いていたともいいます。

リベラの読みはどう評価すればよいのでしょう?これはアルベルトゥスのテキス
トに直接当たって検証する以外にないので、とりあえず保留としておきますが、
一言だけ触れると、少し古いですが、たとえばラルフ・マッキナニーという研究
者の論文(1981年刊行のシンポジウムのアクト)などを見ても、アルベルトゥ
スが哲学と神学を対象の違いから明確に区別していたという説明がなされていま
す。ただ気をつけなくてはならないのは、リベラの場合には、時にやや性急もし
くは力業的に議論を展開する場合があるように思えなくもない点です。たとえば
上の『中世の思想』では、タンピエによる二重真理説の捏造に関連して、教会側
にとっての遠方の脅威としてマイモニデス思想があったのではないか、というこ
とがページを割いて論じられています。マイモニデスは中世思想において初めて
哲学と神学の齟齬を問題にした人物とされ、その議論はダキアのボエティウスよ
りはるかに急進的だったといいます。ですが、タンピエの禁令の文脈において、
マイモニデス思想が間接的な標的であったというのは、あくまで当時伝わってい
たマイモニデスの思想内容から推察されるというだけで、状況証拠による推論で
しかありません。このあたりも、マイモニデス思想の普及状況や影響関係などを
もっと詳細に見ていく必要があるように思えます。特に細かな検証を要する部分
については、読み手としての私たちも、多少とも慎重に構えた方が良さそうな気
がします。
(続く)


*本マガジンは隔週の発行です。次回は10月21日の予定です。

投稿者 Masaki : 2006年10月09日 22:14