2006年12月04日

No. 93

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.93 2006/12/02

------新刊情報--------------------------------
晩秋を越えて、いよいよ冬に突入ですね。中世関連書籍は、寒くなる時期こそま
さに旬です(笑)。

『信仰と他者−−寛容と不寛容のヨーロッパ宗教社会史』
深沢克己、高山博編、東京大学出版会
ISBN:4130261282、5,880yen

サブタイトルにあるように、中世から近世にかけてのヨーロッパを舞台に、寛容
から不寛容への変遷を追うというもの。前半は中世シチリアの寛容の文化から、
レコンキスタ以後の異文化間の対立まで、後半は17、18世紀のプロテスタント
迫害問題や、アイルランドの宗教対立、フリーメイソンの話など。宗教対立の発
生や展開などのテーマは、まさに現代にまで通じる重要な問題です。そもそも組
織化された宗教に、寛容の精神が生き残る道があるのかどうかなど、とても気が
かりな点です。そのあたり、歴史的な考察が期待されるところです。

『中世のイギリス』
エドマンド・キング著、吉部憲司ほか訳、慶應義塾大学出版会
ISBN:4766413237、3,990yen

ノルマン征服から、ランカスター家とヨーク家のいわゆる薔薇戦争まで(つまり
チューダー王朝の成立あたりまで)のイギリスの歴史を、多数の図版を交えて描
く概説書。文化史のほか、スコットランドやウェールズなどとの関係などにも目
配せしているということで、かなり包括的な一冊のようですね。

『続・剣と愛と−−中世ロマニアの文学』
中央大学人文科学研究所編、中央大学出版部
ISBN:4805753293、5,565yen

2004年に刊行された『剣と愛と』の続編という形の論集。今回も中世文学の
様々なテーマが取り上げられています。目次を見る限り、今回は特に「剣」を
扱ったものが目立ちます。エクスカリバーの変遷、イスラムの名剣、騎士、竜退
治伝説などなど。ビンゲンのヒルデガルトを扱った論考まであります。これは面
白そうですね。

『聖王ルイ』
ジャン・ド・ジョワンヴィル著、伊藤敏樹訳、ちくま学芸文庫
ISBN:4480090266、1,575yen

聖王ルイことルイ9世の側近で、その十字軍遠征に従軍したジャン・ド・ジャワ
ンヴィルによる回想録。第7回の十字軍にまつわるすぐれた史料ともいわれる13
世紀の文学作品です。いきなり文庫で読めるというのが素晴らしいですね。7回
目というと末期(8回まで)の十字軍で、イスラムの包囲網ががっちりできあ
がっていたころのものです。カイロ方面に軍を送るも、ほとんど敗退し、キリス
ト教徒の領土はほとんど失われ、その後エルサレム王国そのものがなくなってし
まう事態に陥ったのでした。敬虔な王として知られるルイ9世の信仰と、托鉢修
道会などの台頭、そしてエルサレムの情勢と、当時はなんだかいろいろな部分が
ちぐはぐな感じもします。そのあたりを読み解いてみたいものです。

『十字軍大全』
エリザベス・ハラム編、川成洋ほか訳、東洋書林
ISBN:4887217293、4,935yen

これも上の本に関連性大の一冊。十字軍に関する通史、大著です。紹介文には
「ヨーロッパ、イスラーム、ビザンツの視点から聖地回復運動の全体像を照らし
出す」とあります。図版もいろいろ収録されているようですね。


------文献探訪シリーズ-----------------------
「イサゴーゲー」の周辺(その1)

短期連載よりはもう少し長い形で、しばらくの間、ある文献が時代とともにどの
ように受け入れられ、解釈されていったのかという問題を、少しばかり追いかけ
てみようと思います。取り上げるのは、ポルピュリオスの著した『イサゴー
ゲー』という書物と、その注解書の数々です。ギリシア語読みなら「エイサゴー
ゲー(エーサゴーゲー)」で、タイトルの意味は「序論」ということ(エイサ
ゴーが、持ち込む、導入するなどの意)です。

何の序論かというと、アリストテレスの『範疇論』への序論ということです。ア
リストテレス思想がアラビア経由で西欧に流れ込んだ12〜13世紀、ポルピュリ
オスの著書のラテン語訳『イサゴーゲー』は、中世において、アリストテレスの
「オルガノン」(論理学の集成)の冒頭に、必ずといってよいほど添えられてい
た序文なのでした。そしてこれが、13世紀から14世紀にわたる「普遍論争」
(「普遍は存在するか」をめぐる唯名論vs実在論の争い)をも導くことになるの
でした。その意味で、これは大変重要な文章です。

ポルピュリオスは3世紀後半に活躍したギリシアの新プラトン主義の思想家です
(232年頃〜304年)。アラン・ド・リベラ&アラン=フィリップ・スゴンによ
る『イサゴーゲー』の希仏対訳本("Isagoge", trad. A. de Libera et A.-Ph.
Seconds, Vrin, 1998
)の序文をもとにまとめておくと、ポルピュリオスはアテ
ネで学問を修めた後、263年ごろにローマでプロティノスの弟子となります(師
匠の生涯を回顧した文章もあります)。合理的な哲学思想を信条とするポルピュ
リオスは、イアンブリコスらの「降神術」思想と対立し、そのせいでうつ状態と
なってしまいます(自殺未遂まであったとか)。その後、師匠のプロティノスの
勧めもあってシチリアに渡り、そこで養生生活を送りました。『イサゴーゲー』
はそのころ、現在のマルサラ(シチリア西部)において、ローマの議員だったク
リサオリオスなる人物の求めに応じて執筆されたものです。もとよりアリストテ
レス入門書だったのですね。やがて、プロティノスの死後、ポルピュリオスは
270年ごろに再びローマに戻り、師匠の文章を集成した『エンネアデス』の編纂
作業に取り組みます。

シチリア行きについては、プロティノスとその弟子たちとの確執が原因だとする
説もあるのだそうです。プロティノスはプラトン寄りで、アリストテレス思想に
傾倒するポルピュリオスとはそりが合わず、『イサゴーゲー』もその反駁(アリ
ストテレス擁護)のために書かれたのではないか、というわけですね。ただしこ
れにも反論があって、『イサゴーゲー』は内容的に、プロティノスの理解とそれ
ほど遠くない、反目するほどではない、と言われたりもするようです。こうした
学術的なやりとりには、とても興味深いものがあります。

さしあたり、ここではこれから『イサゴーゲー』とそれにまつわる各種の注解な
どを見ていこうと思いますが、『イサゴーゲー』も多くの論点を収めている文章
ですので、ここではさらに少しテーマを絞って眺めていくことにします。です
が、まずは文章全体の構成なども押さえておかなくてはなりません。そんなわけ
で次回から、その全体像をざっと見ていきたいと思います。
(続く)


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その19

作曲の心得を説いた15章が続いていますが、今回はその最後の部分を見ていき
しょう。

# # #
Non autem parva similitudo est metris et cantibus, cum et neumae loco
sint pedum et distinctiones loco sint versuum, utpote ista neuma dactylico,
illa vero spondaico, alia iambico more decurrit, et distinctionem nunc
tetrametram nunc pentametram, alias quasi hexametram cernas, et multa
alia ad hunc modum.
Item ut in unum terminentur partes et distinctiones neumarum atque
verborum, nec tenor longus in quibusdam brevibus syllabis aut brevis in
longis obscoenitatem paret, quod tamen raro opus erit curare.
Item ut rerum eventus sic cantionis imitetur effectus, ut in tristibus
rebus graves sint neumae, in tranquillis iocundae, in prosperis exultantes et
reliqua.

 とはいえ、詩と歌の類似点は決して少なくない。小旋律は脚韻に、フレーズは
詩句に相当し、小旋律はときに長短短格、長長格、短長格で進行する。フレーズ
は四歩格、五歩格、ときに六歩格に相当したりすることがわかる。ほかにもこれ
に類するものが多々ある。
 歌でも言葉でも、小節やフレーズは一体となって終止する。短い小節に長いテ
ヌートが現れたり、長い小節に短いテヌートが現れたりしては誤りとなる。これ
は稀な場合だが、やはり考慮しておく必要がある。
 歌が実際の状況をなぞるように作曲することもある。悲しい出来事を表すのに
重々しい小旋律を用いたり、穏やかさを表すのに心地よい小旋律を用いたり、嬉
しさを表すのに華やかな小旋律を用いたりする、などである。

Item saepe vocibus gravem et acutum accentum superponimus, quia
saepe aut maiori impulsu aut minori efferimus, adeo ut eiusdem saepe
vocis repetitio elevatio vel depositio esse videatur.
Item ut in modum currentis equi semper in finem distinctionum rarius
voces ad locum respirationis accedant, ut quasi gravi more ad
repausandum lassae perveniant. Spissim autem et raro prout oportet,
notae compositae huius saepe rei poterunt indicium dare.
Liquescunt vero in multis voces more litterarum, ita ut inceptus modus
unius ad alteram limpide transiens nec finiri videatur. Porro liquescenti voci
punctum quasi maculando supponimus hoc modo:

GD F Ga a G
Ad te le-va-vi

Si eam plenius vis proferre non liquefaciens nihil nocet, saepe autem magis
placet.
Et omnia quae diximus, nec nimis raro nec nimis continue facias, sed cum
discretione.

 多くの場合、音符の上のほうに、鋭・鈍のアクセントを記す。というのは、私
たちは強弱の拍をつけて音を出すことが多いからだ。これで、同じ音を繰り返す
場合でも上昇感・下降感が得られる。
 末尾のフレーズでは、馬の走りと同じように、休止する箇所に向けて音を少な
くしていく。疲れて、重い足取りで休息地に到着するかのように。必要に応じて
音符の間隔を空け、数を少なくすることで、このことの指示を与えることができ
る。
 文字の場合のように複数の音を融合させてもよい。一つの音の始まりから別の
音へとさらりと移動し、区切りがあるとは感じさせないようにするのである。他
方、融合させる音の下に、次に示すような染みのような点を重ねてもよい。

(音) GD F Ga a G
(歌詞)Ad te le-va-vi

 融合させず、より十全に響くようにしたいと思うのなら、そうしても問題はな
いが、多くの場合、融合させる方が好ましい。
 以上述べてきたことは、あまりに無視するのでも、あまりに忠実に従うのでも
なく、節度をもって行うこと。
# # #

前にも紹介したことがあるように思いますが、フランスで出ている音声教材つき
の語学独習本シリーズ「アシミル」には、現代語にまじって古典ギリシア語、ラ
テン語などもあるのですが、その古典ギリシア語編のテープ(またはCD)の最
後に、ホメーロスの句を節つきで歌っている短いパフォーマンスが録音されてい
ます。これがなかなか面白く、詩と歌はもともと一つのものだったことがとても
よくわかります。ホメーロスの詩は六歩格(ヘクサメトロン)で、長短短(タ
ン・タ・タ)または長長(タン・タン)が基本のリズム(1脚)となり、これを
6つつないだ6脚で1行が構成され、大変リズミカルな詩になっています。グイド
の説明と照らし合わせると、小旋律とフレーズは、まさにこの脚と行に相当する
ものなのですね。四歩格、五歩格も、同じくギリシア・ラテン詩の韻律の型で
す。

後半部分は、記譜に関する指示です。まずはアクセントですが、音符に記号をつ
けることは、実際に当時の様々な記譜法で試みられていたようです。liquescoは
「融合」と訳してみましたが、「文字のように」とあるので、おそらくラテン語
の写本などに見られる合字や、省略記号などのようなものでしょう。融化ネウマ
などと言われるようで、古写本のネウマ譜(グイドよりも前の時代、9〜10世紀
ごろのもの)などに様々な記号で記されています。基本的に、歌詞が2音節であ
る場合の「ある縮減、あるいは詰まり」を表したもの、ということです(E. カ
ルディーヌ『グレゴリオ聖歌の歌唱法』、音楽之友社、2002
)。「染みのよう
な点」というのは具体的にどのようなものなのか、図はアルファベット表示でよ
くわかりませんが、歌詞の「Ad」のところの2音目、つまりGからDにいく箇所
がその実例のようで、Dに相当する部分が点で示されるという意味のようです。
「Ad te」という2音節のところに3音を詰め込んでいるのですね。

次回は16章です。曲の多様性についてのちょっとした考察です。お楽しみに。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は12月16日の予定です。

投稿者 Masaki : 2006年12月04日 23:17