2008年02月05日

No.119

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.119 2008/01/26

------新刊情報--------------------------------
寒さが続いていますが、こういう季節こそ身が締まって読書向きかもしれ
ませんね。

『修道院文化事典』
ペーター・ディンツェルバッハーほか著、朝倉文市監訳、八坂書店
ISBN:9784896949001、8,190yen

それぞれオーストリアとロンドン出身の二人の歴史学者による修道院事典
ですね。そのうちの一人ディンツェルバッハーは『Mediaevistik』とい
う中世研究誌の編集主幹でもあるそうです。各修道会の歴史や文化を網羅
的に解説しているようです。こういうのは手元にあると便利な一冊かも。

『哲学の歴史−−第3巻<中世>:神との対話』
中川純男編、中央公論新社
ISBN:9784124035209、3,780yen

月一冊のペースで刊行されている『哲学の歴史』もいよいよ大詰めです
が、やっと3巻目の中世編が出ましたね。これまでに出ている4巻のルネ
サンス編や、2巻のヘレニズム編、5巻の近世編などは、多少記述の内容
の濃さにばらつきがあるとか、項目の立て方が一般的でないとかいろいろ
批判の声も聞かれるようですが、全体的にはそれでも良くできた教科書と
いう気がします。さてこの中世編、どんな感じでしょうか。期待しましょ
う。

『時間の思想史』
瀬戸一夫著、勁草書房
ISBN:9784326101764、7,875yen

同著者の『神学と科学』に続くアンセルムス論ということで、これはまさ
に期待大です。神学思想に織り込まれた時間の捉え方の変貌と政治的なも
のの連関を、巧みに浮き彫りにするというのが同著者一連の著作の真骨頂
です。「時間の〜」というタイトルも、これまでグレゴリウス改革以後の
ベレンガリウスからランフランクスまでを論じた『時間の政治史』、同じ
時代の民族国家の誕生を扱った『時間の民族史』が刊行されています。そ
れらにつづく新作ということで、著者のいつもながらの精緻な議論を再び
味わえるのが楽しみです。


------短期連載シリーズ-----------------------
アリストテレス『気象論』の行方(その2)

前回は『気象論』の概要を見たので、次に今度はその変遷をレッティンク
本(Paul Lettinck, "Aristotle's Meteorology and its Reception in
the Arab World", Brill, 1999
)をもとにまとめていきたいと思います。
まずはアリストテレス後の初期注解者たちからです。注解者といえば、ま
ずはアフロディシアスのアレクサンドロス(2世紀)が挙げられます。ア
レクサンドロスの『気象論』注解はアリストテレスのテキストにかなり忠
実な内容説明になっているといいますが、風がなぜ水平に吹くか、降水が
いかにして作られるかといった問題については、アリストテレスの説を批
判的に捉え、テオプラストス(アリストテレスの協力者・継承者で、一部
批判者でもあった人物ですね)の説を引き合いに出しています。

風の水平方向への動きについて取り上げておくと、アリストテレスは、風
の動きは天空の動きに伴う循環運動なので、その天空の運動に従うのだと
説明しています(2巻4章)。これに対してアレクサンドロスは、それで
は風向きは一方向だけになってしまうではないか、と反論し、テオプラス
トスの見解だとして、風が水平方向に吹くのは、それが単なる暖・乾の蒸
発物なのではないからだと述べています。ですが、これについてはそれ以
上は説明されていません。なんだか尻切れトンボのようですが、後の時代
の注解者オリュンピオドロス(6世紀)がこれについて詳しく述べていま
す。

オリュンピオドロスの注解は、アリストテレスの考え方の体系化を図って
いるとされます。そのため、やや特殊な解釈になっているところとか、批
判的な部分とかがあるようです。実際にテキストにあたってみると、確か
に書き出しからしてそうした体系指向が感じられます。で、その「風はな
ぜ水平に吹くか」という問いですが、オリュンピオドロスはテオプラスト
スの見解として、煙の蒸発物が火と土の混成物であり(それが風なのです
ね)、分離すれば上方向と下方向に動いていくのに、混成状態なので水平
に動くのだという説を紹介しています。レッティンクの注によると、これ
はオピュンピオドロスの誤解で、テオプラストスが本来述べているのは、
風は「細かいものと厚みのあるものから成る蒸発物」で、「そのうち細か
いほうが優位にある」ということのようです。オピュンピオドロスはこれ
をそれぞれ火と土と見ているわけですね。

『天空論』の注解者にはもう一人、ピロポノス(6世紀)もいます。ただ
しピロポノスの『気象論』注解は1巻の1章から12章までしかカバーして
いません。そのため残念ながら、1巻3章と2巻4章で触れられる風の議論
には絡んできません。ピロポノスでよく知られているのは、アリストテレ
スの「太陽は熱くはなく、月下世界は天球の運動から熱を得ている」とい
うテーゼ(1巻3章)を批判した点です。アリストテレスは、運動の結果
として空気が分解され燃やされ熱が生じるのであり、太陽の運動はそれだ
けで熱をもたらすのに十分であるとしています。で、上のアレクサンドロ
スなどもこの考え方を蹈襲しています。これに対してピロポノスは、そう
いう部分もあるだろうが、熱の原因はもう一つあり、太陽自体が熱をもっ
ていて、太陽光線が空気を暖め、それが循環することで地上に熱が届くの
だとも述べています。

こうしてみると、注解者たちのそれぞれの立場もかなり興味深いものに思
えてきますね。アリストテレスのテキストは、すでにして注解と批判とい
う形で、それぞれの方向に引っ張られていくような感じです。
(続く)


------古典語探訪:ギリシア語編----------------
ギリシア語文法要所めぐり(その5:比較と絶対属格)

このシリーズでベースとしている本はノース&ヒラードの"Greek Prose
Composition"(Duckworth)ですが、これ、例文がことごとくペルシア
戦争関連の記述になっていて、ときおり若干血なまぐさいです(笑)。そ
ういえば先日、映画『300(スリーハンドレッド)』をDVDで観たので
すけれど、この作品、やはり歴史家などから史実と違うといった声が上
がっていたようですね。個人的には、CG多用の映像そのものにやはりど
こか違和感が……首が飛んだりするし(笑)。

さて今回は比較級の表現と絶対属格の表現のポイントです。まず比較です
が、これは基本的に形容詞の比較級を使うわけですが、二つを直接比較す
る場合、「〜よりも」にはラテン語なら奪格を使いましたが、ギリシア語
では属格を使うのでした。また、それ以外の比較では、「〜よりも」はラ
テン語ならquamですが、ギリシア語ではe^を用いるのですね。言わずも
がなですが、後に続く名詞の格は、比較する当の名詞の格と一致させま
す。ではノース&ヒラード本から例文を挙げましょう(アクセント記号つ
きの例文はこちらをどうぞ→http://www.medieviste.org/blog/
archives/GC_No.5.html
)。「ギリシア人はペルシア人よりも勇敢だ」
と「ペルシア人はギリシア人よりも大きな軍隊をもっている」。

1. hoi Helle^nes andreioteroi eisi to^n Perso^n.
2. hoi Persai echousi meizon strateuma e^ hoi Helle^nes.

ラテン語の奪格表現の多くはギリシア語の属格表現に対応します。絶対用
法も同様で、ラテン語には絶対奪格がありましたが、ギリシア語では絶対
属格になりますね(これは独立した分詞句の形を取り、理由や前後関係そ
の他を表すものです)。「壁が取り払われたので、市民は逃げだそうとし
た」「アテナイ人が到着すると、軍隊はさらに勇敢に戦った」。

3. le^phthenton to^n teicho^n oi politai eksepheugon.
4. to^n Athe^naio^n proselthonto^n oi stratio^tai andreioteron
emachonto.

ただし、分詞が主語や目的語に一致できる場合には、それぞれ主格・対格
に一致させ、絶対属格は使われません。「敵の手に落ち、アテナイ人たち
は逃れた」「彼らは少数だったが、敵を攻撃した」。

5. nike^thentes oi Athe^naioi ephugon.
6. epethento tois polemiois oligoi ontes.

いずれにしても分詞句は、ギリシア語では実に多用されますね。英語その
他の言語が節でもって表すものの相当数は、分詞句で表されてしまいま
す。作文のためには、分詞句に習熟するというのがポイントになりそうで
すね。


------文献講読シリーズ-----------------------
アルベルトゥス・マグヌスの天空論・発出論を読む(その17)

# # #
Si vero mobile rectum per motum luminis caelestis ad aliud mobile
rectum comparetur, per comparationem quidem ignis ad terram
producetur id quod vocatur fumus secundum omnes sui
differentias, qui si sit in forma imperfecta ignis, erit ventus
secundum omnes differentias ventorum.

Si vero formam ignis accipiat et non perfectam naturae
subtilitatem et raritatem, erunt ignes in caelo micantes sicut stella
cadens, cometes, lanceae et dracones volantes. Secundum
comparationem autem ignis ad aquam erit exhalatio, quae vocatur
vapor secundum omnes sui differentias, pluviarum scilicet, roris et
nivium et grandinum et aliorum, quae in De meteoris determinata
sunt.

Si vero elementum in elementum agat sub forma caelestium
corporum et virtute, hoc est quod elementa in se agant et a se
invicem patiantur non secundum qualitates proprias, sed
secundum quod qualitas suae sunt informatae virtutibus calestium
et luminibus et figuris, erunt motus commixtionum secundum
omnes differentias, mineralium scilicet, vegetabilium et sensibilium.

しかるに、天空の光の動きを通じて直線運動する可動体が、直線運動する
他の可動体に結びつく場合、たとえば火と土との結びつきからは、様々な
種類の「煙」と呼ばれるものが生み出される。それが火の不完全な形相を
取る場合には様々な種類の風がもたらされる。

しかるに、(可動体が)火の形象を受け取りつつも、本来の完全な細やか
さ・粗さを受け取らないならば、それは流星、彗星、上空に舞う槍やヘビ
のような発光体となる。火の水との結びつきによって生じるのは蒸発物
で、それは様々な種類の「蒸気」と呼ばれるものとなる。すなわち雨、
露、雪、雹、その他『気象論』で論じているものである。

しかるに、天体の形相と力のもとで元素が元素に働きかける場合、すなわ
ち元素同士が働きかけ互いに作用を被るということだが、それは固有の性
質にもとづいてなされるのではなく、そうした性質が天空の力や光、形象
によって形成されているかぎりでなされるのであり、様々な種類の運動の
混成が生まれ、鉱物、植物、感覚的動物がもたらされる。
# # #

多用されるsecundumの訳出にはちょっと手を焼き、その都度訳し変えて
いますので、語義的な正確さはあまりありませんが、まあ、だいだいの意
味ということでご勘弁いただきたいと思います(苦笑)。さて、本文中に
もあるように、今回の部分は主に『気象論』がらみの話になっています。
さながらこの天空論・発出論は、アリストテレス思想のエッセンスが幅広
く織り込まれた布地のような感じさえします。煙に関しては、ちょうど上
の「短期連載シリーズ」で触れたように(今回は見事なシンクロです
ね!)、もとはオリュンピオドロスが述べるテオプラストスの見解にある
ようです。

少し前の回でも、火には上昇、土には下降の性質があるといった話が出て
きました。これに関し、ヘレン・S・ラング『アリストテレス「自然学」
とその中世の異本』(Helen S. Lang, "Aristotle's Physics and its
Medieval Varieties", State University of New York Press, 1992)
に、典拠となっているアリストテレスの見解のまとめがあります。アリス
トテレスはそれらの元素の上昇・下降を、それらが本来ある場所へと向か
う性質的な運動だとしているのですね。ですがアリストテレスによれば、
生命なきものは必ず他の動因によって動かされるとされるのですから、元
素は生命なきものである以上、何か外の動因があることになるのですが、
この点についてアリストテレスははっきりとした説明を付けていないとい
います。

ラングによるテキストの整理(『自然学』8巻4章)によると、アリスト
テレスはその「本来の場所へ向かう性質」を、潜在態が現実態へと移行す
る現実化のプロセスとして考えているようです。軽いものは本来重いもの
から分離し、障害となるものがない限りすぐさま(直接的に)軽いものと
して現実化するとされます。この意味で、軽いものの本来の場所は上方
で、それこそが軽いものの現実態にほかならないとされ、そしてその現実
態こそが、軽いものの動き(つまり現実化)をもたらす動因なのだ、とア
リストテレスは考えているらしいのです。

8巻4章についてのそうした理解は、ピロポノス、シンプリキオス、テミ
スティオスといった注解者も共有していたようで、ほかの部分ではアリス
トテレスの自然や元素、場所、真空などの説明に異を唱えているピロポノ
スですら、この元素の動因という部分はそのまま受け入れているといいま
す。どうやらこれは、アリストテレスの運動の説明の中で、特に「浮いて
いる」というわけではないようです。


*本マガジンは隔週の発行です。次号は02月09日の予定です。

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投稿者 Masaki : 2008年02月05日 10:56