2004年11月09日

No.44

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
silva speculationis       思索の森
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.44 2004/11/06

------クロスオーバー-------------------------
旅のリスク

日本の若者がイラクで殺害された事件は、旅することのリスクについて改めて考
えさせます。その若者は、あるいは自分が向かおうとする当地のリスクについて
思い違いをしていたのかもしれませんが(情報が不足して?)、いずれにして
も、旅というのは元来一筋縄ではいきません。今は交通手段が大いに発展し、海
外旅行も簡単に出来ます。ですが、根底には相変わらず同じようなリスクが横た
わっている、というふうに見ることもできるかもしれません。ただ旅の時間が短
縮され、あちこちで旅行客をケアする体制(団体ツアー、事前予約、添乗員など
など)が整ってきたために、かつてのようなリスクが表面化することはきわめて
稀になった、ということなのではないかと思います。ですが一皮むけば、そこに
あるのは紛れもなく生死に関わる危険なのでしょう。

そうした根底的リスクについての認識を研ぎ澄ますためにも、ある種の旅の考古
学といったものが必要になってくるのではないかと思います。近年では、中世に
おける旅(聖地巡礼など)をテーマにした研究も数多くなされていますが、そう
した旅のリスクという面からのアプローチは意外に少ないようです。とはいえ、
そうした問題を考える上で間接的に有益な研究はいろいろあります。例えば中世
の巡礼路にできた支援組織(兄弟団や施療院)の調査などです。『中世環地中海
圏都市の救貧』(慶應義塾大学出版会)所収の関哲行氏の論考「中近世スペイン
の救貧」には、本来は巡礼者への接待用施設だったという施療院の規模について
の言及があり、16世紀のサンチャゴ王立施療院の例では、部屋数こそ少ないも
のの(大部屋だったのですね)、ベッドの共用やマットレスの使用などで100人
以上の巡礼者が宿泊できただろうとしています。巡礼者には、身分の高い人もい
ればそうでない人もいたようです。身分の高い人なら当然従者も同行するでしょ
うし、そうでない場合にも、病人が多く含まれていたとされますから、当時の巡
礼行は、基本的に数人以上の単位での団体旅行だったことが窺えるのではないで
しょうか。

ある意味で、文学作品に描かれる旅も考えるヒントになるかもしれません。『中
世ヨーロッパの時空間移動』(渓水社)は旅をテーマとした中世文学研究の論集
で、例えば四反田想氏の「中世ドイツ文学にみる旅」では、12世紀後半に人気
を博したドイツのアーサー王物語群での「冒険」の意味について簡単に考察して
います。一騎打ちの相手を求め、騎士が武者修行として一人で旅をする、という
のはアーサー王物語群ではわりによく出てきますが、そうした一人旅がどれだけ
あったのかは逆に疑問になります。傭兵制度もまだやっと確立されはじめる頃合
いですから、騎士が各地を放浪(仕官の口を求めて?)するなどの動きがそれほ
どあったようには思われません。そうしてみると、単独行はやはり、ヒロイック
な想像の産物という側面が強いように思われます。また、話は違いますが、同書
所収の原野昇氏の「旅と巡礼の表象」では、『ロランの歌』の成立時期とサン
チャゴ・デ・コンポステラへの巡礼行の流行時期との重なりが指摘されていま
す。同論文で紹介されている武勲詩の起源の問題(巡礼路沿いに伝わる伝承を集
めたもの、という説があるのですね)は置いておくとしても、『ロランの歌』に
描かれる行軍や危険には、巡礼に赴く人々の身構え方が反映されているかもしれ
ません。

いずれにしても、このあたり、突き詰めていけば面白そうなテーマになると思い
ます。旅のリスクを低減するための対応として真っ先に浮かぶのは、情報収集と
集団的連携ですが、古代や中世以来、それらがどのように組織化され洗練されて
いったのか、検討しがいのある問題ではないでしょうか。


------文献講読シリーズ-----------------------
ダンテ「帝政論」その9

今回は10章から11章の冒頭までを見ていきます。ダンテの君主制擁護の議論
は、ここでは諍いの調停という観点から語られています。

               # # # # # #
X. 1. Et ubicunque potest esse litigium, ibi debet esse iudicium; aliter esset
inperfectum sine proprio perfectivo: quod est impossibile, cum Deus et
natura in necessariis non deficiat.
2. Inter omnes duos principes, quorum alter alteri minime subiectus est,
potest esse litigium vel culpa ipsorum vel etiam subditorum—quod de se
patet—: ergo inter tales oportet esse iudicium.
3. Et cum alter de altero cognoscere non possit ex quo alter alteri non
subditur—nam par in parem non habet imperium—oportet esse tertium
iurisdictionis amplioris qui ambitu sui iuris ambobus principetur. Et hic aut
erit Monarcha aut non.

10章
1. 諍いのありうる場所では、裁きが下されなくてはならない。さもないと適切
な是正もなされないまま、不完全な状態が続いてしまうことになってしまう。だ
がそれはありえない。なぜなら、神と自然は必要なことを欠いたりはしないから
だ。
2. 支配者が二人いて、一方がもう一方に従属するのではない場合、本人たち、
もしくは従者たちの過失により、諍いが生じうる。このことは明白である。し
がって、そうした場合には裁きが下されなくてはならない。
3. 一方が他方に従属するのではない以上、一方が他方の取り調べをすることは
できない。等しい立場の者は、等しい立場の者に対して権力を行使できないので
ある。この場合、おのれの権能の範囲によって両者を支配できる、より広範な権
限をもった第三者が必要となる。それは君主であったり、そうでなかっりするだ
ろう。


4. Si sic, habetur propositum; si non, iterum habebit sibi coequalem extra
ambitum sue iurisdictionis: tunc iterum necessarius erit tertius alius.
5. Et sic aut erit processus in infinitum, quod esse non potest, aut oportebit
devenire ad iudicem primum et summum, de cuius iudicio cuncta litigia
dirimantur sive mediate sive inmediate: et hic erit Monarcha sive Imperator.
Est igitur Monarchia necessaria mundo.
6. Et hanc rationem videbat Phylosophus cum dicebat: "Entia nolunt male
disponi; malum autem pluralitas principatuum: unus ergo princeps".

4. 、君主であるならば、企ては完了だ。そうでないならば、自分の権能を超え
た同じ立場の者が存在することになるだろう。かくして再び別の第三者が必要に
なるだろう。
5. 無限のプロセスになるか(それはありえないが)、あるいは第一の、最高の
仲裁者が到来するかである。その仲裁者の裁きによって、諍いはすべて、直接な
いし間接的に解消することになるだろう。それが君主または皇帝だろう。このよ
うに、君主制は世界にとって必要なのである。
6. 次のように述べる際、哲学者(アリストテレス)はそうした考えを抱いてい
たのだ。「存在するものは悪しき支配を望まない。複数の長がいるのは悪しきこ
とである。したがって支配者は一人でなくてはならない」。


XI. 1. Preterea, mundus optime dispositus est cum iustitia in eo potissima
est. Unde Virgilius commendare volens illud seculum quod suo tempore
surgere videbatur, in suis Buccolicis cantabat: Iam redit et Virgo, redeunt
Saturnia regna. 'Virgo' nanque vocabatur iustitia, quam etiam 'Astream'
vocabant 'Saturnia regna' dicebant optima tempora, que etiam 'aurea'
nuncupabant.
2. Iustitia potissima est solum sub Monarcha: ergo ad optimam mundi
dispositionem requiritur esse Monarchiam sive Imperium.
3. Ad evidentiam subassumpte sciendum quod iustitia, de se et in propria
natura considerata, est quedam rectitudo sive regula obliquum hinc inde
abiciens: et sic non recipit magis et minus, quemadmodum albedo in suo
abstracto considerata.

11章
1. 加えて、世界において正義が最大の力を持つとき、世界は最も善く秩序立て
られる。そのためウェルギリウスは、自分の治下において出現しつつあった時代
を讃えたいと考え、『田園詩』にこう詠んだのだ。「女神が戻り、サトゥルヌス
の治世がよみがえる」。「女神」とは正義のことで、「アストライア」とも呼ば
れていた。「サトゥルヌスの治世」とは最も善き時代、いわゆる「黄金時代」の
ことである。
2. 正義が最大の力をもつのは、君主制のもとでしかありえない。したがって、
世界に最善の秩序をもたらすには、君主制または帝政が必要とされるのである。
3. こうしたことを自明の理と捉えるために、次のことを知る必要がある。すな
わち正義は、それ自体、その本質的特性で考えた場合、なんらかの直線性なので
あり、あるいは曲がったものをそこから排除する規則なのである。白の色をその
抽象的な形で考えた場合のように、大小の差などそこでは受け入れられない。
               # # # # # #

10章6節で引用されるアリストテレスの一節は、『形而上学』第12巻の末尾
(1076a)からのものです。11章1節ではウェルギリウスの『田園詩』が引用
されますが、これは第4歌6行目からです。アストライアはギリシア神話におけ
るゼウスとテミスの娘で、正義の女神です。ラテン語はvirgo(処女)になって
いますが、これは要するに対の男性神を必要としない女神ということですね。黄
金時代は、ローマ神話でユピテル以前の農耕の神サトゥルヌスの治世とされま
す。

言うまでもなく、ウェルギリウス(前70年から前19年)は古代ローマを代表す
る詩人です。北イタリアはマントヴァ近郊で生まれ、ミラノ、ローマ、ナポリな
どで教育を受ける一方、幼少の頃から詩作をたしなんだといいます。作品には
『田園詩』のほか、『農耕詩』『アエネーイス』(ローマ創設神話)があります
ね。今道友信氏の『ダンテ「神曲」講義』(みすず書房)では、ダンテの詩作的
源泉の一つとしてウェルギリウスの『アエネーイス』が取り上げられています。
前42年ごろ、イタリア内乱の影響を受けてウェルギリウスは土地財産を奪われ
ますが(兵士の報償とするため土地が没収されたのでした)、政界の友人らの働
きかけで返してもらうことができました。『田園詩』の一部(第1歌、第9歌)
はこの時の体験が元になっているとされ、土地を追われた羊飼いの嘆きが詠われ
ています。これまたダンテの境遇に重なる部分もありそうですね。

10章では、諍いは上位の権威者によって調停されなければならないものの、そ
の上位者に別の同等の者がいればまたそこで諍いが起き、またそららの上位者が
必要になり、こうして争いは無限に繰り返される、しかしそれは不可能なので、
最終的に一人の最高権威者が必要になるという風に論じられていきます。これ自
体はキリスト教をモデルにして中世に広く浸透していた階級論ですが、それより
もむしろ、ここではダンテにおける(そして今なお政治的な言説に広く見られ
る)両義性といいますか、微細な違和感に注目したい気がします。つまり、理想
論として、目指すべき体制を主張するのが趣旨であるにもかかわらず、その言説
は、体制が移行する必然的原理としてひたすら述べられる、ということです。か
つてのマルクス主義などにも見られた、救済の計画(意図的)と救済の進展(必
然的)との奇妙な混成物は、すでにこのダンテの論の中にも見て取ることができ
ます。そしてそうした混成物である限り、それは理想の具体的な実現方法(手
段)についての思考を妨げる結果になるのではないか、ということです。現代に
おいては、そうした混合物の解消(脱構築なんて言ってもよいでしょうけれど)
こそが、むしろ求められるのではないかと思いますが、いずれにしても、そうし
た言説の根っこの部分、つまり、なぜ、いかにしてそういう混成的な言説が成立
するのか、といった問題も、改めて探ってみる必要がありそうです。

さて、次回は11章を引き続き読んでいきます。11章は長いので、もう2回くら
いに分けて読むことになりそうです。ではまた。

投稿者 Masaki : 2004年11月09日 07:37