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silva speculationis 思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.46 2004/12/04
------イベント訪問記-------------------------
「フィレンツェ−−芸術都市の誕生展」
東京都美術館で開かれているフィレンツェ展を覗いてきました。ルネサンスの発
祥の地というイメージが強いフィレンツェですが、それ以前の中世において、す
でに商業的・工業的に大きな発展を遂げた町でもあります。ちょうど今、下の
「文献講読シリーズ」で読んでいるダンテにもゆかりの町ですね。実際、展示会
場に入ってすぐに眼に飛び込んでくるのは、15世紀初頭に描かれた絵画「『神
曲』の詩人ダンテ」です。さらには14世紀半ばごろにボッカチオが筆写したと
される『神曲』の写本が展示されています。そしてフィオリーノ金貨。14世紀
初頭をピークに空前の経済発展を遂げたというフィレンツェを偲ばせます。
ルネサンス以前から初期にかけての絵画の面白さは本展でも存分に味わえます。
「カッソーネ断片」として展示されている装飾用の板絵(カッソーネは衣装ケー
スのこと)は、建物に対して人物がかなり大きいために、町の騒々しさがいっそ
うヴィヴィッドに強調されるという仕掛けです。匿名による「アンドロメダの救
出」「ユピテルの供儀」といった絵は、おなじみの同一平面に複数の場面を描き
込む手法により、まさに連画を見る思いです。「アディマーリ家のカッソーネ」
も祝宴の場面がパノラマのようで見事です。どれも躍動感溢れる表現形式で、当
時の表現文化の水準が改めて窺えます。絵画・彫刻が主体ではありますが、時お
り写本や印刷本が混じっているのがアクセントを添えています。写本はページを
開いての展示ですが、そうすると他のページが見られないのが残念なところです
ね。15世紀末の初期印刷本として出ていたホメーロスの作品集は、冒頭のピエ
ロ・デ・メディチの見事な肖像画のページが開かれているのですが、できれば複
製か写真でギリシア語のページもサンプルを展示してほしいところです。このほ
か興味深い写本としては、15世紀末の算術教本、同じ時代のウェルギリウスの
写本、輸出入関税台帳、さらにはアヴィケンナの『医学典範』などもありまし
た。
展示は全体として大変見応えのあるものになっています。展示総数は120点ほど
ですが、もっと多くあるような印象を受けます。それはもしかすると、都市、絵
画、彫刻、金工、建築と居住文化、織物、医学・科学というテーマ別の展示
(おっと、音楽がありませんね。音楽は当時の重要な文化的要素ですから、これ
は本来あってしかるべきですが……)で、当時の文化を立体的に浮かび上がらせ
ようとしているからでしょうか。東京での展示は12月19日まで、その後年明け
の1月29日からは京都に移り(京都市美術館)、4月10日までの開催となるよう
です。
------文献講読シリーズ-----------------------
ダンテ「帝政論」その11
今回は11章の残りの部分です。前回のところでダンテは、正義はその反対物が
少ないほど輝きを増すといい、その反対物の最たるものとして欲望(強欲)を挙
げていました。ここでは最大限の正義を体現するのは君主、というテーゼが述べ
られていきます。
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12. Sed Monarcha non habet quod possit optare: sua nanque iurisdictio
terminatur Occeano solum: quod non contingit principibus aliis, quorum
principatus ad alios terminantur, ut puta regis Castelle ad illum qui regis
Aragonum. Ex quo sequitur quod Monarcha sincerissimum inter mortales
iustitie possit esse subiectum.
13. Preterea, quemadmodum cupiditas habitualem iustitiam quodammodo,
quantumcunque pauca, obnubilat, sic karitas seu recta dilectio illam acuit
atque dilucidat. Cui ergo maxime recta dilectio inesse potest, potissimum
locum in illo potest habere iustitia; huiusmodi est Monarcha: ergo, eo
existente, iustitia potissima est vel esse potest.
12. だが、君主には欲望を抱くような対象がない。その権限の及ぶ範囲が制限さ
れるのは海洋によってのみである。このことは他の諸侯らには当てはまらない。
彼らの領土は他の者の領土によって限定される。例えばカスティリア王の領土が
アラゴン王の領土に接しているように。以上のことから、死すべきもの(人間)
の中にあって、君主は正義に対する最も誠実な臣下でありうるのだ。
13. さらに欲望は、いかなるものであろうと、いかに少なかろうとも、なんらか
の形で通常の正義を曇らせる。カリタス、つまり正しき慈愛が、正義を研ぎ澄ま
させ明晰にするのと同様だ。ゆえに正しい慈愛を最大限もちうる者ならば、正義
が占める場所も最大限になりうる。これぞまさに君主なのである。つまり君主が
いれば、正義は最大限となるか、あるいはなりうるのである。
14. Quod autem recta dilectio faciat quod dictum est, hinc haberi potest:
cupiditas nanque, perseitate hominum spreta, querit alia; karitas vero,
spretis aliis omnibus, querit Deum et hominem, et per consequens bonum
hominis. Cumque inter alia bona hominis potissimum sit in pace vivere—ut
supra dicebatur—et hoc operetur maxime atque potissime iustitia, karitas
maxime iustitiam vigorabit et potior potius.
15. Et quod Monarche maxime hominum recta dilectio inesse debeat, patet
sic: omne diligibile tanto magis diligitur quanto propinquius est diligenti; sed
homines propinquius Monarche sunt quam aliis principibus: ergo ab eo
maxime diliguntur vel diligi debent. Prima manifesta est, si natura
passivorum et activorum consideretur; secunda per hoc apparet: quia
principibus aliis homines non appropinquant nisi in parte, Monarche vero
secundum totum.
16. Et rursus: principibus aliis appropinquant per Monarcham et non e
converso; et sic per prius et immediate Monarche inest cura de omnibus,
aliis autem principibus per Monarcham, eo quod cura ipsorum a cura illa
supprema descendit.
14. 上に述べたような慈愛が何をもたらすかについては、次のことが示せるだろ
う。欲望は人間というもの存在を軽視し、他のものを求める。慈愛は、他のすべ
てを軽視してまで、神と人間とを求め、結果として人間の善を求めるのだ。人間
にとっての善のうち、至上のものは平和に生きること−−上に述べたように−−
であり、それは正義によってこそ最大かつ最良の形で実現する。慈愛は正義を、
その大きさに応じていっそう活気づけるのである。
15. 最大の人格として、君主に慈愛が宿るはずなのは次のことからも明らかだ。
愛されうるすべてのものは、愛するものに近ければ近いほどいっそう大きな慈愛
を得る。人間は他の諸侯よりも君主に近い。よって君主によってこそ、最大の慈
愛が得られるか、もしくは得られるはずである。受動的・能動的な事物の性質を
考えてみれば、大前提は明らかである。小前提は次のことによって明示される。
つまり、人間は他の諸侯には部分的にしか近くないが、君主には全体として接近
するのである。
16. さらにまた、人々が他の諸侯に接近するのは君主を通じてであって、その逆
ではない。君主には第一に、また直接に、あらゆるものへの配慮が宿るのであ
り、他の諸侯の配慮は君主を通じて宿るのだ。彼ら自身の配慮は、その上位の者
の配慮からもたらされるからだ。
17. Preterea, quanto causa est universalior, tanto magis habet rationem
cause, quia inferior non est causa nisi per superiorem, ut patet ex hiis que
De causis; et quanto causa magis est causa, tanto magis effectum diligit,
cum dilectio talis assequatur causam per se.
18. Cum igitur Monarcha sit universalissima causa inter mortales ut
homines bene vivant, quia principes alii per illum, ut dictum est, consequens
est quod bonum hominum ab eo maxime diligatur.
19. Quod autem Monarcha potissime se habeat ad operationem iustitie,
quis dubitat nisi qui vocem hanc non intelligit, cum, si Monarcha est, hostes
habere non possit?
20. Satis igitur declarata subassumpta principalis, quia conclusio certa est:
scilicet quod ad optimam dispositionem mundi necesse est Monarchiam
esse.
17. さらに言えば、原因というものは、それが普遍的であるほどより大きな道理
を得るのである。というのも、低位の原因が存在するのは、上位の原因に媒介さ
れる場合以外にないからだ。これについては『原因について』が述べている通り
である。ある原因が原因として大きいほど、その結果への愛情も大きくなる。そ
うした愛情はおのずと原因を求めるからだ。
18. したがって、君主は人間が善く生きるための、人間における最も普遍的な原
因をなすのである。先に述べたように、他の諸侯は君主によって存在するから
だ。かくして君主は、人間の善に最大限の愛情を抱くのだ。
19. 君主が正義をなすために最大の力をもつことを、こうした言葉を理解しない
者以外、誰が疑いうるだろうか。君主がいれば敵はありえないというのに。
20. 小前提についての明示はこれで十分であろう。というのも、結論は確かだか
らだ。すなわち、世界が最善であるためには、君主制が必要なのである。
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ここで語られているのはある種の理想論ですが、前回の5節で「正義の反対物が
最小限のみ混合される場合に(……)正義は最も強い力を得るのである」と語っ
ているように、現実世界において正義の反対物を完全に捨象できないことも、ダ
ンテはきっちりと捉えています。理想論はいわばそうした認識の裏返しなので
しょう。現実世界の寸断状況の源を、ダンテは欲によって説明しようとしていま
す。対立概念として出てくる正義、そしてそれを下支えする慈愛によって、まさ
にキリスト教的な統合を君主(皇帝)の出現に求めているのですね。賢人政治を
理想とする伝統は古くからあるものの、末端の混乱を上位者による統治によって
鎮めるという政治的プログラムが練り込まれている点で、それ以前の君主論とは
一線を画している気がします。
単一の君主によって統合され、無益な争いが止揚される世界というのをダンテは
夢想しているわけですが、そのための論説として、まずは一般論が示され、次に
君主の統治がそれに合致することが示されるというパターンが多く眼につきます
ね。今回の17節でも見られるように、一般論・抽象論の形で示される論を、ダ
ンテは盛んに君主の問題へと当てはめていきます。ですがこうした語り口は、現
状認識、あるいは具体例によって微妙に裏切られている感じもします。12節で
言及されるカスティリアとアラゴンは、13世紀にそれぞれ拡張政策を取り(前
者はアル・アンダルス方面へ、後者はピレネー北部や地中海方面へ)実力を付け
ていきますが、それらとて全体的な統合にはとうてい至りません。それらをも凌
駕する帝政とは、一体どのような体制として構想されうるのでしょうか?
いまだ来ない理想の体制を、ダンテが「来るべき体制」として描いているのは確
かでしょうけれど、果たして本当にいつか来ると考えていのか……この問いは
『帝政論』の執筆時期の問題も絡んで微妙です。前にも触れたと思いますが、ダ
ンテが君主像として考えていたのは神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世でした。です
がハインリヒ7世は急死し、イタリアの統一は果たせずじまいでした。ハインリ
ヒ7世について復習しておくと、この人物はもともとルクセンブルク伯で、アル
ブレヒト1世の暗殺後に担ぎ出されるようにして王位に就きます。いったんそう
なると、政治手腕を発揮するようになり、領土の拡張などを積極的に進め、
1312年には神聖ローマ皇帝として戴冠されます。ところが翌年、南イタリアの
征服に乗り出す前に、シエナで急死してしまうのでした。『帝政論』の執筆時期
は、かつてはハインリヒ7世が死去する1313年から18年とされていたようです
が、最近では1311年のイタリア遠征に際して執筆されたとも言われています。
前者だとすれば、ダンテにとっての理想はすでにして失われてしまっていたこと
になります。後者だとすれば、やはりこれは希望の書ということになるのですが
……実際のところはどうなのでしょうか?本文自体に、そうした問いについて推
測できる手がかりがあるでしょうか?その辺りも視野におさめつつ、さらに先を
読んでいきたいと思います。