2005年02月23日

No.51

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.51 2005/02/19

------新刊情報-------------------------------
いつもながらの、国内での中世関連の新刊情報です。

○『中世キリスト教の歴史』
出村彰著、日本キリスト教団出版局
ISBN:4-8184-0551-5、6930yen

制度、学問、信仰という観点から中世のキリスト教史を描いた一冊のようです。
内容は未見ですが、中世のキリスト教を通史としてまとめたものは、国内の書籍
としてはあまりないように思いますので、基本として抑えておくべき項目が網羅
されているならば、教科書的に参照できるかもしれませんね。

○『中世ゴシック絵画とチョーサー』
塩見知之著、高文堂出版社
ISBN:4-7707-0723-1、12600yen

ゴシック絵画の技巧問題や彩飾写本の分析、チョーサーにまつわる論考などをま
とめたもののようです。値段がやや張りますが、図案などはたくさん採録されて
いるのでしょうか。チョーサーといえば『カンタベリー物語』があまりに有名で
すが、ほかにもいろいろ作品はあるのですね。フランスの宮廷恋愛詩などの影響
があったと言われていますが、そのあたりも含めて興味は尽きません。

○『ヨーロッパ中世末期の学識者』
ジャック・ヴェルジェ著、野口洋二訳、創文社
ISBN:4-4234-6057-2、5775yen

ジャック・ヴェルジェは、日本では『中世の大学』や『入門十二世紀ルネサン
ス』などの邦訳で知られるフランスの歴史学者です。 本作の原書は97年刊で、
中世末期(14世紀から15世紀)の学問世界を詳述した一冊です。邦訳のキャッ
チフレーズによると、ル・ゴフの『中世の知識人』よりも広い視野で学識者の変
遷を追っているのだといいます。思想史との絡みでも、ぜひ参照したいところで
す。

○『水とワイン−−西欧13世紀における哲学の諸概念』
川添信介著、京都大学学術出版会
ISBN:4-87698-646-0、3150yen

説明文を転載すると、「アリストテレスを論じることを禁止した教会に、西欧
13世紀の『哲学』はいかに対抗したか。神学との角逐の中に、哲学とはなにか
を問う」とあります。これはテーマ的に興味深いですね。アリストテレスの哲学
は、教会が禁じようとしても広く深く浸透していったわけですが、そのことを促
した基本的動因についてはいろいろ追ってみる必要があると思うからです。本作
の詳しい内容は未見ですが、ぜひ目を通してみたい一冊です。


------ミニ書評-------------------------------
ヘンリー・アダムズ『モン・サン・ミッシェルとシャルトル』
(野島秀勝訳、法政大学出版局)

11世紀のモン・サン・ミッシェルと12世紀のシャルトル。この2つの聖堂が体
現する「時代精神」は、それぞれ叙事詩や聖母信仰、伝説の世界に、さらには神
学の世界にまで通底するものだった……そうした「並行現象」を、様々な史料を
駆使して縦横無尽に語っていくという一冊がこれです。邦訳にして600ページを
越える大著なので読むのも大変ですが、なにかこの書そのものが一つの大伽藍を
形作っているようにすら思えますね。著者のアダムズは19世紀後半から20世紀
初頭にかけて活躍した、中世史とアメリカ史を専門とするアメリカの歴史家でし
た。一見相当にかけ離れた二つの専門が同居しているという、ある種特異なこの
精神があればこそ、本書で展開するような、文化の諸相に通底するものを汲み取
るというアプローチも可能になるのかもしれません。そしてそのアプローチは、
異質なもの同士の襞の中に流れる微細なエネルギーを浮かび上がらせるだけの効
力をもっています。

本書はもともと私家版だったそうですが、確かに私たちが普段考えるような学術
論文というよりも、どこか一種の旅行案内・探訪記のような雰囲気を醸し出して
います。ですが、だからこそ逆に、この著者はみずからが探求する「時代精神」
にヴィヴィッドに対応できているのかもしれません。通底するエネルギーにシン
クロするかのような息づかいが、その行間から聞こえてくるような気さえしま
す。いえいえ、誇張ではなしに。

とりわけ後半の、さらに末尾の3章では、アベラール、ベルナール、トマス・ア
クィナスなどが登場し、それぞれが織りなした人間関係、教会との関係が、一種
生々しく描かれていきます。時代の「空気」をこれほどにわしづかみにし、活写
したものは、普通の論文などでは到底お目にかかれません。アベラールがなぜ神
学ではなく弁証法の講義ばかりをしなければならなかったのか、聖ベルナールが
標榜した修道院神秘主義には、教会側のいかなる思惑が隠されていたのか、そし
てトマスがもたらしたインパクトと反目とが意味するものは何か。普通の評伝や
個別研究ではなかなか触れられないそうした問いのいっさいが、目の前にまるご
と差し出され、積み上げられて、他の文化的構築物と摺り合わせられていく……
このあたり、個人的にはまさに圧巻とも思える筆致です。想像力を刺激する語り
口ともども、これは歴史「研究=鑑賞」の一つの理想形かもしれません。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
第2回 -- 発音について(1)

ラテン語を学ぶという場合、市販の教科書でも大学などでの講座でも、多くは古
典式発音が採用されています。これは後の時代の音韻的変化から復元・統一され
た発音で、多少ともアーティフィシャルなものだともいいますが、一種の世界標
準になっていることは間違いありません。古典式の特徴は、母音字をそのまま
(ローマ字読み的に)一字ずつ読むという点にあります。中世ラテン語も、その
古典式でやって全然問題ありませんし、多くの人はそれを推奨していたりもしま
す。ですが、言語的特徴を知るという意味では、時代が下るにつれて生じた様々
な変化も、大まかにでも知っておく必要が出てきます。代表的なものを簡単に挙
げてみましょう。

まずは母音です。母音で特に顕著なのは、aeとかoeといったeの二重母音が、e
に収斂していくことです。これは表記自体がそうなっていきます。もともと正書
法自体が揺らいでいるわけですが、それによって逆に当時の発音が推測できたり
するのが面白いですね。iの代わりにyが使われるのも比較的新しい現象です。ギ
リシア語のupsilonnから取り入れられて、古典期にはギリシア語系の単語でuの
代わりでしたが、後の時代にはiに置き換わっていきます(例えばフランス語で
アルファベットのyを「イグレック」と読みますが、これはi-grec、つまり「ギ
リシアのi」の意味なのですね)。半子音と言われるjやvも比較的新しい文字です
が、それぞれiとuに準じるものです。

子音はいろいろと変化があります。まずcはもとは「k」の音ですが、中世ラテン
語の場合、ciは「si」、ceは「se」となります(例外もあって、amicisなんて場
合は「amikis」と読んだりします)。tiaなどもciaと同じ発音になり、結果的に
patientia、patiencia、pacienciaはどれも同じ音になってしまいます。さらにh
もc、t、pの後につくようになったり(caritas→charitas)、あるいは別の場面
で消えたり(sphera→spera)します。また、mihiがmichiに、nihilがnichilに
なったりしています(これはhi「ヒ」を発音する時の舌の位置が後ろにずれて
いって「キ」みたいな音になったことを表しているわけです)。また、語中音添
加などと言われるpもあります。mnと続く場合にmpnになるのですね
(columna→columpna)。

こうした表記は時代や場所、写本などによって実に多彩に揺らいでいて、必ずこ
うだとはとても言えません。古典式の発音を採用してもなお、現代のラテン語
が、各国で様々に異なって発音されているのと同じようなものです。上のciは
ローマ教会式の読み方ではイタリア語のように「チ」の音ですし、フランスでは
auの綴りが「オー」とフランス語そのままに長母音になったりもします。ラジ
オ・ブレーメン(http://www.radiobremen.de/nachrichten/latein/)のラテ
ン語ニュースなどを聞いていると、euがドイツ式に「オイ」と読まれたりもし
ます。こうした多様性は、各地の中世ラテン語の変化をも彷彿とさせます。私た
ちは古典式を一通り学び、後はおおらかな気持ちで、様々な表記や読み方を受け
入れていけばそれでよいのだと思います。

(本コーナーは次をベースにしています:"Apprendre le latin medieval",
Picard, 1996-99)


------文献講読シリーズ-----------------------
ダンテ「帝政論」その16

『帝政論』の1巻もいよいよ大詰めです。今回は14章の続きから15章の冒頭ま
でを見てみましょう。

               # # # # # #
8. Et hoc non solum possibile est uni, sed necesse est ab uno procedere, ut
omnis confusio de principiis universalibus auferatur.
9. Hoc etiam factum fuisse per ipsum ipse Moyses in lege conscribit, qui,
assumptis primatibus de tribubus filiorum Israel, eis inferiora iudicia
relinquebat, superiora et comuniora sibi soli reservans, quibus comunioribus
utebantur primates per tribus, secundum quod unicuique tribui
competebat.

8. そしてそれは一人によって可能であるだけでなく、世界の諸原理をめぐるあ
らゆる混乱をなくすためには、一人によって行われることが必要でもある。
9. そのように行ったことを、モーセは法にみずから記している。イスラエルの
子孫たる主要な民族に加わることで、モーセは下位の法を放棄し、上位の共通の
法を一手に司り、それを各民族の長が、それぞれに相応しい形で用いるようにし
たのだ。

10. Ergo melius est humanum genus per unum regi quam per plura, et sic
per Monarcham qui unicus est princeps; et si melius, Deo acceptabilius, cum
Deus semper velit quod melius est. Et cum duorum tantum inter se idem sit
melius et optimum, consequens est non solum Deo esse acceptabilius hoc,
inter hoc 'unum' et hoc 'plura', sed acceptabilissimum.
11. Unde sequitur humanum genus optime se habere cum ab uno regitur; et
sic ad bene esse mundi necesse est Monarchiam esse.

10. したがって、人類は多数の者よりも一人の者によって、つまり唯一の支配者
である君主によって統治される方がよい。その方がよいとするならば、神にとっ
てもそれはいっそう受け入れやすい。神は常によりよいものを望んでいるのだか
らだ。二つのうち、よりよいものと最も望ましいものとは同一である以上、結果
的に「一」と「多」においては、前者が神にとっていっそう受け入れやすいばか
りか、それ以外は受け入れられないのである。
11. したがって、人類は一人によって統治される時に最善となる。世界が善くあ
るためには、君主制を取ることが必要なのだ。

XV. 1. Item dico quod ens et unum et bonum gradatim se habent secundum
quintum modum dicendi 'prius'. Ens enim natura precedit unum, unum vero
bonum: maxime enim ens maxime est unum, et maxime unum maxime
bonum; et quanto aliquid a maxime ente elongatur, tanto et ab esse unum
et per consequens ab esse bonum.
2. Propter quod in omni genere rerum illud est optimum quod est maxime
unum, ut Phylosopho placet in hiis que De simpliciter ente. Unde fit quod
unum esse videtur esse radix eius quod est esse bonum, et multa esse eius
quod est esse malum; qua re Pictagoras in correlationibus suis ex parte boni
ponebat unum, ex parte vero mali plurale, ut patet in primo eorum que De
simpliciter ente.

15章
1. 同様に、存在、一、善は、「優先」を語る五番目の様式にもとづき、段階的
に位置づけられる。すなわち、存在はその本質において一に先行するし、一は善
に先行するのだ。この上ない存在はこの上ない一であり、この上ない一はこの上
ない善なのだ。また、何かがこの上ない存在から何かが遠ざかる時、それは一か
らも遠ざかり、結果的に善からも遠ざかるのだ。
2. ゆえに、あらゆる種類の事物において、この上ない一をなすものが最も望ま
しいのである。哲学者が「単純に存在するものついて」で述べているように。こ
こから、一であるものは、善であるものの源をなすこと、多であるものは、悪で
あるものの源をなすことが導かれる。このことを通じ、ピュタゴラスは、『単純
に存在するものについて』の1巻で明示されているように、比の問題において、
善に対応するものとして一を、悪に対応するものとして多を置いたのだ。
               # # # # # #

15章1節に出てくる「優先を語る五番目の様式」は出典が不明でよくわかりませ
ん。2節に出てくるアリストテレスの言及は、最初が『形而上学』4巻16の
1023b 26、次が同1巻5の986a 23から27です。いずれにしても、このあたり
のダンテの論法は、想定される反論に対して、議論を執拗なまでに反復している
風にも見えますね。

15章の最初で語られている「一」と「多」の相互の関係性には、もしかすると
古くからある大きな問題が反響しているかもしれません。古代世界においても、
またキリスト教にとってはもちろん、「一」から「多」がどうやって生まれるの
か、そして「多」はいかにして「一」にまとまりうるのか、というのが大問題
だったのです。上のミニ書評欄で取り上げたアダムズ『モン・サン・ミッシェル
とシャルトル』の言葉を借りると、「一」と「多」の根源的亀裂に架けられる脆
弱な橋が人間の概念なのですが、その概念のあり方をめぐって、実在論と唯名論
との大きな論争が起きたのでした。実在論なら突き詰めると汎神論の罠が待ちか
まえ、唯名論ではすべてが無化してしまいます。教会は、神秘的奥義としての三
位一体を持ち出してきて、いわばアクロバティックな形でこの問題を宙づりにし
てしまうのですね。このあたりの話は実に興味深い部分です。

さて、いよいよ残すところあと2章分ですので、本書の2巻以降についても内容
を紹介しておきたいと思います。2巻では、具体的なモデルであるローマ帝国が
取り上げられます。特にウェルギリウスのローマ建国譚『アエネーイス』を引き
ながら、ローマの帝国建設がいかに神の意にかなったものだったか、ローマが帝
国の名に値するのがいかに正統であるかを説いていきます。ダンテによれば、
ローマ人は人類の中のとりわけ優れた民、選ばれた民なのですね。だからその民
が多の民を支配するのは必然だった、というのです。これは自然の秩序、つまり
階層性にもとづいた考え方で、近代における差別の構図とはまた微妙に異なって
いるようですが、いずれにしてもそこでは、ローマの支配の正当化が様々に論じ
られていきます。興味深いことに、現実のローマの衰退や没落についての考察は
見当たりません。そうした考察の不在は、ダンテの理想と現実世界との溝をむし
ろ鮮明に浮かび上がらせているようにも思えます。なにしろローマが辿る運命に
ついては、2巻の末尾をこう締めくくっているのが事実上唯一の言及なのですか
ら。「おお、幸福なる民、栄光のアウソニア(イタリア)よ。汝の帝国を衰弱さ
せるものがもし決して生まれなかったなら、また、その敬虔なる意思が、おのれ
をあざむくことがなかったなら!」。

投稿者 Masaki : 2005年02月23日 22:23