2005年05月18日

No.57

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.57 2005/05/14

------クロスオーバー-------------------------
映画と史実

今日(5月14日)から公開となる映画『キングダム・オブ・ヘブン』は十字軍を
描いた歴史大作とのこと。主演のオーランド・ブルーム人気にあやかる形で、テ
レビなどでは広告を打っていますが、実はこれ、フランスの一般向け歴史サイト
Herodoteのコメント(http://www.herodote.net/filmcroisades.htm)による
と、なかなかに史実通りなのだそうです。決まり文句やスローガンなどにはなっ
ておらず、演出的な細部の描写以外は史実にもとづいていて、社会情勢、政治的
分裂、同時代人の意識なども忠実に描いているとして、同サイトは高い評価を下
しています。個人的に映画そのものは未見ですので(今日から公開ですからね)
コメントできませんが、一般的なことを言えば、歴史ものの難しさはやはり、考
証や解釈をどれだけ取捨選択するかにあるのでしょう。特にハリウッド的なドラ
マツルギーにおいては、大幅な変更や強引な解釈がなされる可能性は、過去の作
品などから見ても高いのではないかと思います。

例えば『キング・アーサー』には二重城壁の城が出てきますが、ローマ帝政末期
のイングランドというよりも、いかにも中世のロマネスク様式っぽい感じで、カ
ルカッソンヌ(その二重城壁は有名で、97年でしたか、世界遺産にも指定され
ました)のものなどを模しているように思われました。このあたりアナクロニズ
ムっぽいですが、日本の時代劇も、江戸の初期・中期・後期など、風俗の変遷な
どおかまいなしにどれも同じように描かれてします。まあ、娯楽作品として楽し
む分にはそれでも問題ないかもしれませんが、気にしだすと結構気になってきま
すよね(笑)。ジャンヌ・ダルクを描いた映画でも、リュック・ベッソン監督作
品(99年)と、それより少し前(94年)のジャック・リヴェット監督作品とで
は、戦闘シーンなどにかなりの違いがあります。後者の方が当時の実際の戦闘に
近いといった話が聞かれますが(緩慢で、どこかゲームを見ているような戦闘で
す)、迫力というか、ドラマ性では前者には及びません。映像のインパクトから
して、前者がヒットするのもある意味仕方ないことですが、問題なのは、映画が
あまりに印象的で記憶に残ってしまうと、史料などを通してしか再構築されない
「実像」(もちろん厳密にはそれもイリュージョンですが)すらも、どこかそう
いう映像的記憶に引きずられかねないのではないか、という危惧です。映画の印
象が強烈であればあるだけ、それを中和するカウンターバランスがどうしても必
要になってくるように思います。

『キングダム・オブ・ヘブン』に話を戻すと、これは1180年から87年のエルサ
レム王国が舞台なのですね。復習しておくと、第1回の十字軍はエルサレム王国
を建立(1099年)しますが、その後の第2回十字軍が敗退(1148年)して以
来、フランクの勢力(十字軍)はシリアの沿岸部へと後退しながら、その地にと
どまります。土地の人間たちとの交流などもあって、残った兵士たちにはそれな
りに文化的にも土着化が進み、アラブ側との共存関係も出来ていたとされます
が、政治的な駆け引きはそこで終わりにはなりません。やがてアラブ側の英雄サ
ラディンが、エジプトのファティマ朝を倒してエジプトからシリアにまたがる一
大勢力を形成し、じわじわとその包囲網を狭めていきます。一方、病床にあった
エルサレム王国のボードワン4世は穏健派のトリポリ泊レイモンを通じてイスラ
ム側との共存を図ろうとします。政治に長けた双方の思惑で、一応の均衡関係が
保たれますが、その王の死後、続いて擁立された幼王が没すると(レイモンは摂
政でしたので、失脚します)、ルノー・ド・シャティヨンなどの強硬派が台頭
し、休戦は反故にされ、1187年にはヒッティーンの戦いで十字軍側が敗れて、
エルサレムはイスラム側の手に落ちる(イスラム側からすれば「解放される」)
のでした。映画ではどう描かれるのかわかりませんが、この辺りの政治的な駆け
引きや展開は、アミン・マアルーフ『アラブが見た十字軍』(ちくま学芸文庫)
に活写されていてとても面白いです。もしかするとこの本が、映画を見る際のカ
ウンターバランスの一つになってくれるかもしれません(?)。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
第8回:sumの活用の周辺

文法トピックを毎回取り上げてまとめるこのコーナー、今回は英語で言うbe動
詞(である、存在する)にあたる、sumの活用を復習しておきます。動詞の活用
は本当はすべて覚えてしまうのがよいわけですが、学び始めの慣れないうちはウ
ンザリしてしまうかもしれませんね。そんな時には、とりあえず各時制の3人称
と1人称に的を絞って押さえておくというのも手です(ただし学校などで習って
いる場合など、そうもいかない場合もありますが……)。文章を読む際に最も頻
出するのは3人称ですし、1人称の形が分かれば辞書も引けます。文章を読むこ
とに親しんでいくにつれて、どのみち変化形は頭に入ってくるので、最初からそ
んなに焦らなくてもよいかも(笑)。ただし、スムーズに講読に移れるようにす
るためには、未完了形の3時制(現在、未完了過去、未来)とあわせて、完了形
の3時制(完了、過去完了、未来完了)も、3人称だけでもよいですから、一気
に押さえてしまう方がよい気もします。このコーナーが準拠しているフランスの
中世ラテン語教科書でも、割と早い段階で未完了・完了の両方が出そろいます。
ちなみに、完了形の3時制はそれぞれ、「(今現在)してしまった」「(昔の時
点で)してしまっていた」「(未来の時点で)してしまっているだろう」という
意味を表すのでした。

sumの3人称単数だけを並べてみます。まずは単数形から。
未完了: est、erat、erit
完了:  fuit、fuerat、fuerit
今度は複数形です。
未完了: sunt、erant、erunt
完了:  fuerunt、fuerant、fuerint

sumについてはもう一つ、他の要素と結合して複合動詞を作る点も大事です。そ
の結合する他の要素が、意味にも加わります。adsum(「〜の方に」ある)、
absum(「離れて」ある)、desum(打ち消し+ある=欠いている)、
praesum(「先に」ある=司る)、supersum(「越えて」ある=存続する)な
どなど。また、頻出する重要な動詞としてpossum(〜できる)とprosum(役
立つ)があります。これらの動詞で注意しなければならないのは、未完了形の語
根(それぞれpos-とpro-)の末尾の子音が、後に続く音の影響をうけて変化する
ことでした。pos-sum、pro-sumのように、語根末尾の次がsの時には、pos-、
pro-なのですが、母音が続くとそれぞれpot-、prod-になります。また、完了形
は語根が異なります。

possum:
未完了:potest、poterat、poterit
(完了: potuit、potuerat、potuerit)
prosum:
未完了:prodest、proderat、proderit
(完了: profuit、profuerat、profuerit)

このあたりを押さえておけば、文章を読むまであともう少し、という感じでしょ
うか。

*(このコーナーは"Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99をベース
にしています)


------文献講読シリーズ-----------------------
プロクロス『神学提要』その4

今回は提題5の残り部分と提題6を見てみます。これで最初の一と多の話が出そ
ろいます。原文はこちらに挙げておきます。
http://www.medieviste.org/blog/archives/000488.html

# # #
(承前)
もし一が多に与るとするなら、それは実在においては一であっても、関与におい
ては一ではないことになり、かくして一は複数化してしまい、同じく多もそうし
た一によって一つにまとまることになる。一は多と通じ、多は一と通じることに
なるのだ。他の原理のもとで結びつく場合に共存し、なんらかの形で互いに通じ
合うようなものは、そうした原理に先だってみずから結びつく場合にも、互いに
相反しはしない。相反するものは、互いを指向したりはしないからだ。逆に一と
多が完全に分離するのであれば、多としての多は一ではなく、一としての一は多
ではなく、一方が他方になることもなく、この場合一は二と同時に存在すること
になる。だが、両者に先立って両者を結びつける何かがあるとすれば、それは
「一」であるか、「一」でないかのいずれかである。「一」でないなら、多もし
くは無ということになる。だが、多は「一」に先行しないのだから、それは多で
はありえない。また無でもありえない。どうして無が結びつけることができよう
か? したがって、それは「一」である以外にない。無限にいたるわけにはいか
ないのだから、「一」は多ではありえない。それはまさしく一性なのだ。そして
すべての多はその一性から生じるのである。

(6):多はすべて、一つにまとまるもの(集合体)から、もしくは一であるも
の(単体)から成る。
多のそれぞれが単一の多をなすのではなく、それぞれに多をなすのでもないこと
は明白である。単一の多でないならば、それは一つにまとまるもの(集合体)
か、一であるもの(単体)かのいずれかである。「一」に与るのならば、それは
集合体である。最初の集合体をなす存在であるなら、それは単体である。という
のも、一性そのものがあるとすれば、それはまず「一」に与り、まずは集合体を
なすのであり、それが単体から成るからである。それが集合体から成るのだとす
ると、それもまた何かから成ることになって、無限へと至ってしまう。かくし
て、まずは単体から成る集合体がなければならず、私たちはそれを起源から生じ
たものと考えるのである。
# # #

中世盛期に知られていた新プラトン主義のテキストに『原因についての書』
(Liber de causis)というものがあります。アルベルトゥス・マグヌスやトマ
ス・アクィナスが注解を記しているというこの書は、9世紀のアラブの作者不詳
のテキスト『純粋善の書』を12世紀にラテン語に訳したものなのですが、実は
これ、プロクロスの『神学提要』の焼き直しとされています。ところがそのテキ
ストには、これまで見てきた提題1から6の「一者」に関する部分がばっさり抜
け落ちているのですね。では、ラテン中世にはそうした「一者の思想
(henology)」は知られていなかったのかというと、そうでもなく、やはり並
行して西欧に入っていたヘルメス思想関連のテキストで、ある程度浸透していた
ようです。このあたりの話は、フランスの中世思想家アラン・ド・リベラの『ラ
イン地方の神秘思想』("La mystique rhenane")に詳しく出ています。

とはいうものの、その「一者」の考え方が大きな影響を及ぼしていくのは、やは
りプロクロスのテキストが直接に翻訳されてからでしょう。プロクロスのテキス
トは、1160年に『自然学提要』が訳者不詳で翻訳された後、メルベケのウィリ
アム(Guillaume de Moerbeke:13世紀を代表する翻訳者で、アリストテレス
などを訳しています)の訳業をもって本格的に普及していきます。この訳者によ
る『神学提要』のラテン語訳は1268年に出ており、1280年代には『三小論
集』『ティマイオス注解(第2巻)』『パルメニデス注解』などがラテン語に訳
されています。

上のアラン・ド・リベラによると、『神学提要』のラテン語版は実際に、13世
紀末にかけてドイツのドミニコ会の中でかなり出回っていたようです。アルベル
トゥス・マグヌスや、その弟子筋にあたるフライベルクのティエリーやマイス
ター・エックハルトなども当然知っていたはず、といいます。他のテキスト、特
に『パルメニデス注解』などについては、どのような影響を同時代的にもたらし
たか査定するのは難しいようですが、いずれにしても、それ以前はアウグスティ
ヌスやボエティウスなどを通じて間接的な形でしか言及されていなかった新プラ
トン主義は(とはいえその影響力は甚大なものがあったわけですが)、13世紀
になってようやく、より直接的な形での流入を果たすのでした。

そうなると、そこにどういう変化がもたらされたか、といった話が気になってき
ますね。このあたりの影響関係を明らかにする作業はとうてい一筋縄ではいかな
いものでしょうけれど、とはいえ概要程度は押さえておきたいところですね。新
プラトン主義の主だった流れなども復習しながら、次回以降にいろいろと見てい
きたいと思います。

投稿者 Masaki : 2005年05月18日 09:32