2005年06月29日

No.60

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.60 2005/06/25

------お知らせ:夏期の発行予定-----------
お知らせです。本マガジンは基本的に隔週の発行ですが、夏期(7月から8月)
は若干変則的になります(2週おき)。次号以降は以下のスケジュールで発行を
予定しています。
 ・No.61:7月16日
 ・No.62:8月06日
 ・No.63:8月27日

9月からは通常通り隔週に戻ります。よろしくお願いいたします。


------ミニ書評--------------------------------
井筒俊彦『イスラーム思想史』(中公文庫)

改訂版が出たばかりの同書。これはまさしく一級の概説書です。イスラム神学や
スーフィズムから始まって、東方・西方のイスラム哲学をめぐっていくというも
ので、読み応えも十分の総論です。とはいえ、取り上げる個々の思想家につい
て、イスラムの歴史的文脈から丹念に説き起こすと同時に、ギリシアからの流入
や西欧中世への影響関係までバランスのよい目配せがなされているところなど、
欧米の類書でもなかなかこうはいかないという感じで、まさにイスラム学概論の
名著です。

例えば最後の方で比較的大きくページを割かれているアヴェロエスについては、
その伝記的逸話、アリストテレス伝承の受容、西欧に引き継がれるアヴェロエス
主義、そしてアヴェロエスの思想内容として、宇宙無始論、質料と形相の問題、
知性論、宗教と哲学の関係などなど、そのエッセンスが整理され、アヴェロエス
のもつ知的な広がり具合が全体的に浮上するという按配です。アヴェロエスの思
想には独特の面白さがあることを改めて感じさせます。トマス・アクィナスが論
駁した「知性単一論」などは、今日的な見地(認知論や脳科学など)から見直す
と、もしかしするととても面白い問題を孕んでいるかもしれません。

国際情勢の中で大きな場をしめるイスラム圏ですが、それもまた、根の部分から
理解しようとすることがますます重要になっていると思われます。と同時に、西
欧の中世について検討しようとすれば、とりわけ繁栄をきわめた8から12世紀頃
(ちょうど西欧の中世に重なります)の知的・文化的状況は、改めて押さえてお
きたいものだと思います。原典にあたったり各論に進んだりするための準備とし
て、同書は有益な一冊です。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
第10回:名詞の第三変化

今回は名詞の第三変化を復習しておきましょう。第三変化名詞はラテン語の中で
一番につきやすいものですね。主格の語尾は実にいろいろですが、単数属格の語
尾が-isになるのが特徴的です。格変化はその属格を基準にして変化しますが、
属格から主格の形は一見連想されにくいので、最初はちょっと面倒にも思えます
が、これも慣れるしか(覚えるしか)ありません。いくつかの単語で、主格と属
格の形を見てみましょう。

cor(心)→ cordis、judex(審判)→ judicis
sanguis(血) → sanguinis、conjux(配偶者) → conjugis

複数形の属格は、語尾が-umと-iumとに分かれます。単数の主格と属格の音節数
が一致しない場合(属格の方が多くなります)には-um、一致する場合には-ium
になるのでした。例を見ましょう。

agmen(群れ) → 単数属格はagminis(音節数が一致しない) → 複数属格は
agminum
avis(鳥) → 単数属格はavis(音節数は一致) → 複数属格はavium
iter(道) → 単数属格はitineris(音節数が一致しない) → 複数属格はitinerum

ただし例外もあって、pater(属格はpatris)、mater(matris)、juvenis
(juvenis)、canis(canis)などは、音節数が一致してもpatrum、matrum、
juvenum、canumのようになります。

変化で注意する点はほかに、中性名詞の場合に主格と対格が一致することなども
あります。corpus(身体)やmare(海)などがそれに当たります。

rex(王)、civis(市民)、urbs(都市)など、よく使われる名詞は活用形を確
認しておきたいところですね。余談ですが、ローマ法王がカトリック世界に向け
て述べる祝福の言葉を「urbi et orbi」(都(ローマ)と世界に)というのでし
た。ひるがえって「あまねく、万人に」といった意味にも用いられますが、形か
ら言えば、urbsの与格とorbisの与格です。

(このコーナーは"Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99をベースに
しています)


------文献講読シリーズ-----------------------
プロクロス『神学提要』その7

今回は提題の9と10を見てみましょう。例によって原文はこちらに挙げておきま
した。
http://www.medieviste.org/blog/archives/000520.html

# # #
(9):自足するものはすべて、その本質においても現実態においても、自足し
ないものに勝るが、目的因となる他の本質に従属する。
 もし存在がすべて、その性質において善に向かうものであり、みずからにおい
ても善を示すのであるならば、それは他の善が欠落しているのであり、善を求め
る明らかな原因となっていて、その原因は離れて存在する。示された向かうべき
ところに近づくほど、原因をなす欠落から離れているものに勝っていくだろう。
他方、実在や現実態の完成を他所から得るものにも勝るだろう。さらに、自足す
るものは、その善に相似しつつもそれに劣り、いっそう相似するものになるが、
その善への関わりではより劣っている。なにしろそれは最初の善そのものではな
く、それに類するものであり、みずから善を有しうるだけなのだ。善に与るも
の、しかも他を通じて与るものは、最初の善とはいっそう離れてある。最初の善
は善以外のなにものでもない。

(10):自足するものはすべて、十全たる善に比べ欠落部分が大きい。
 自足するものとは、みずから、またそれ自身において獲得した善以外のなにも
のであろうか?それはすでに善に満たされ、善に与っているが、十全たる善その
ものではない。善に与り、満たされていることは、上に示したように、他を圧し
てはいる。もし自足するものが、みずから善に満たされているのならば、みずか
らが満たされている当のものによって、自足するものに勝り、自足を越えている
ことになる。十全たる善には何も欠けているところがない。それは他に向かうこ
とがない(というのも、善に足りないものが欲求を抱くのだからだ)。自足する
ものはそうはいかない。というのも、善に満たされてはいるが、最初の善ではな
いからだ。
# # #

善そのもの、というのは最高善、つまり「一者」と同義で、これのほかに、自足
するもの、自足しないもの(存在するもの一般)という区別が出てきました。善
の強度として、順に最高善、自足するもの、自足しないもの、という序列が出来
ていることがわかります。このあたり、まさに「発出論」的(最高善から善が溢
出していくという考え方)な考え方です。光が光源から遠ざかれば弱まるよう
に、善もまた序列に沿って漸減していくのでしょうか。

けれどもそれが静的でないのは、善が弱まっていれば、いっそう善を求めるとい
う性向があるのだ、という考え方が付随するからです。今回のところでとりわけ
注目されるのは、善に向かう傾向は欠落から生じる、つまり完全でないものが完
全なものへと向かう、という考え方です。「最初に欠如ありき」なんていうと、
20世紀の精神分析とか物語の記号論とかを彷彿させたりもしますが、この「不
完全性」の思想というか感覚というかは、古くから綿々と受け継がれているもの
なのですね。たとえばこれはアリストテレスにも見られる議論です。アリストテ
レスの質料形相論では、「ステレーシス」(欠如・剥奪)は質料が形相を受け取
ろうととする因とされています。上のテキストの場合は「エピデオー」(欠く、
必要とする)ですから、言葉としてはニュアンスが違いますが、考え方自体は通
底しているように思われます。

アリストテレスが流入した13世紀の西欧にも、このあたりの考え方は受け継が
れ、また独特な解釈を生じさせるようです。イタリアの中世思想史家で、ダンテ
研究などで知られるブルーノ・ナルディの『中世哲学研究』("Studi di filosofia
medievale", Edizioni di Storia e Litteratura, 1960)によると、ロバート・グ
ロステスト、トマス・アクィナス、アルベルトゥス・マグヌスなど、それぞれ解
釈は異なるものの、基本線として、質料に形相の胚芽が内在するという考え方
(もとはアヴェロエスの説)を取り入れていて、その説明原理としてこの欠落概
念(privatio)が持ち出されているといいます。当時はアリストテレスの影響
で、それまで単なる容器として理解されていた質料に実は潜在的な力が内在して
いるのだ、という考えに移行していくのですが、同書によると、どうやらそうし
たシフトも、必ずしもアリストテレスの流入だけに帰される影響ではなさそうで
す。今回取り上げている欠落の発想が新プラトン主義に見られる点からしても、
系譜な単線的ではないことが改めてわかります。より大きな思想潮流で捉えない
といけないのかもしれませんね。このあたり、興味の尽きない問題です。

次回は提題11を見ていきます。「存在の原因としての一者」という、ある意味
で核心的な部分です。お楽しみに。


*本マガジンは隔週の発行ですが、夏期は2週おきとします。次回は07月16日
の予定です。
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http://www.medieviste.org/
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投稿者 Masaki : 2005年06月29日 00:09