2005年09月12日

No.64

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.64 2005/09/10

------新刊情報--------------------------------
まだまだ遠い秋に向けて(笑)……新刊情報です。

○『寛容の文化−−ムスリム、ユダヤ、キリスト教徒の中世スペイン』
マリア・ロサ・メノカル著、足立孝訳、名古屋大学出版会
ISBN:4815805180、3990yen

700年のスパンで描く、中世スペインの文化史のようです。中世のイベリア半島
が文化混淆地帯だったのはよく知られていますが、そのあたりの詳述・通史みた
いなものは意外と少ないですよね。そんな中でのこの一冊、とても楽しみです。
特に三大啓示宗教の絡みが注目されます。文化交流の活写に期待。

○『ラルース・ビジュアル版−−美術から見る中世ヨーロッパ』
ジャニック・デュラン著、杉崎泰一郎監修、吉田春美訳、原書房
ISBN:4562039442、3780yen

著者はルーヴル美術館の主任学芸員とか。原書は1999年刊で、中世美術の手頃
なガイドブックのようです。そちらの紹介文によると、5世紀から15世紀までの
建築、絵画、彫刻、宝飾などへの入門書ということです。こういうのは図版を眺
めているだけでも楽しいですね。

○『中世哲学を学ぶ人のために』
中川純男、加藤雅人編、世界思想社
ISBN:4790711439、2100yen

世界思想社の「〜を学ぶ人のために」シリーズの最新刊。同シリーズは入門書と
いうより、ちょっと進んだ読者を対象にしている感じがあります(例えば、柴田
光蔵『法律ラテン語を学ぶ人のために』などは、初級の文法を一通り終えた後に
復習として使うにはとても重宝です)。今回のこれも、中世哲学の入門書という
よりは、概説を読み終えた後の読者を想定している風です。概論と各論の中間を
狙っているのでしょう、多くの著者がそれぞれの研究成果のエッセンスをまとめ
ています。リファレンス本としても役立ちそうですね。

○『君主の統治について−−謹んでキプロス王に捧げる』
トマス・アクィナス著、柴田平三郎訳、慶應義塾大学出版会
ISBN:4766411870、2650yen

「De regno ad Regem Cypri」の邦訳。こういう邦訳が出ることそれ自体が素晴
らしいですね。中世の「君主の鑑」の伝統に根ざしたトマス流の帝王学というこ
とで、ぜひ一読したいところですが、訳者解説も注目に値します。訳者にはソー
ルズベリーのジョンを論じた『中世の春』などの著書があり、ここでも君主の鑑
の伝統からソールズベリーのジョンの「ポリクラティクス」の革新性など、トマ
スに連なる流れを詳しく解説しています。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
第14回:代名詞のポイント

今回は代名詞のおさらいです。人称代名詞と指示代名詞について今一度、変化表
を確認しましょう。

人称代名詞について特にポイントになるのは、複数形・属格の一人称と二人称
(わたしたちの、あたたたちの)で、nostri、vostriのほかにnostrum、
vostrumという形があることでした。これらは部分属格と呼ばれ、「わたしたち
のうちの誰それ」「あたたたちのうちの誰それ」を表します。
unus nostrum(わたしたちのうちの一人)
doctissimus vestrum(あたたちのうちで最も博識な人)

また、人称代名詞では-metや-teがついたり、ipseをともなったりして意味が強
化される場合があるのでした。
nosmet ipsi(わたしたち自身)

さらに再帰代名詞として使われる三人称seには、seseという形もあることなど
も押さえておきたいところです。

指示代名詞(is、 ea、 id)もかなり重要です。余談ですが、指示代名詞のこと
をanaphoricと言います。これはギリシア語のanaphero_(呼び戻す)から来て
いるのですね。基本的にはすでに話に出た語を指す代名詞です。Ab eo vitio eos
revocare voluit(彼は彼らを、その過ちから呼び戻したいと思った)という文
の場合、eoはすでに話に出た「その」という意味ですし、eosもすでに話に出て
いる「彼ら」を指しています。

(このコーナーは"Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99をベースに
しています)


------文献講読シリーズ-----------------------
プロクロス『神学提要』その11

今回から、『神学提要』そのものと、アラブ経由で再編されラテン中世に伝わっ
た『原因論』とを併せて読んでいきたいと思います。いくつかの箇所をピック
アップして読んでみて、それがどう違っているか、といった問題を考えてみたい
と思います。とりあえず予定としては、『原因論』で形相の問題が扱われている
提題10から13、さらに実体の形成を論じている提題25から28を見ていきたい
と思います。今回は『原因論』提題10(92節から99節)と、それに対応する
『神学提要』の提題177を見てみましょう。原文はこちら。
http://www.medieviste.org/blog/archives/000584.html

# # #
『神学提要』提題177

(1)すべての知性は形相に満たされているで。普遍的な形相を抱くものもあれ
ば、個別的な形相を抱くものもある。より高みにある知性がもつ形相は普遍的
で、それに続く知性がもつ形相はより個別的になる。より下にあるものがもつ形
相はより個別的で、それに先行するものがもつ形相はより普遍的である。
(2)高みにある知性ほどより大きな力をもち、二次的な知性よりも一性において
優れている。より低い知性はいっそう多様であり、それがもつ力はより小さくな
る。一者との関連が強いほど、それだけ一者に近く、後続するものを力において
凌ぐのである。一者から遠ざかるものはその逆となる。高みに置かれるものほど
より大きな力をもち、多をなすほど小さな力をもつ。少ないほど、力によって
(知性が)導く形相は多くなる。後続する知性は、多であるがために、力は減
じ、導く形相も少なくなる。もしそれら知性が、より少ないがためにより多く導
くなら、その中にある形相はいっそう普遍的なものになる。より多いがためによ
り少なく導くのなら、形相はより個別的である。
(3)ゆえに、高みにある知性によって一つの形相として産出されたものは、二次
的な知性によって切り出されることで多様な形相へと導かれる。逆に力を欠いた
知性によって、多彩かつ多様な形相へと導かれたものは、より少ない普遍的な知
性によって高みへと導かれる。全体的で、すべてに共に関与するものは、高い知
性から導かれるのであり、分割されたもの、個別的なものは二次的な知性から導
かれるのだ。そこから、二次的な知性は、より個別的な形相によって差異を際立
たせ、第一の知性による形相の構成を細やかに仕上げるのである。

# # #
『原因論』提題10(92から99節)

92 あらゆる知性は形相に満たされている。しかしながら、知性の中にはより普
遍性の低い形相を含むものもあれば、より普遍性の高い形相を含むものもある。
93 すなわち、個別的なものとして下位の二次的知性に含まれた形相は、一次的
知性には普遍的なものとして含まれている。また、一次的知性に普遍的なものと
して含まれている形相は、二次的知性には個別的なものとして含まれている。
94 一次的知性には大きな力がある。下位の二次的知性よりも一性が強いからで
ある。下位の二次的知性においては力は弱い。一性が弱く、いっそう多様だから
である。
95 すなわち、一者に近い知性は、それだけ数としては小さくなり力は大きくな
るし、一者から離れた知性は、それだけ数として大きくなり力は弱くなるから
だ。
96 一者に近い知性は、それだけ数としては小さく力は大きいがゆえに、一次的
知性から生じる形相は、普遍的な一性の発出によって(processione)生じる
[以下欠落]。
97 手短に言ってしまえば、一次的知性から二次的知性へともたらされる形相
は、発出においていっそう弱く、分離においていっそう強い。
98 それゆえ、二次的な知性は、普遍的な知性の中にある普遍的な形相へとまな
ざしを向け、それを分割し分離する。その形相の真理や確証性ゆえに、(二次的
知性は)それらの形相を受けとめられる形、つまり分離と分割による以外に、み
ずからそうした形相を受けとめることはできない。
99 同じように、任意の知性がその上位にある事物を受けとめるには、みずから
がそれらを受けとめられる形で受けとめる以外になく、当の事物に即した形では
受けとめられない。

# # #

いかがでしょうか。両者の関係は、段落(1)に92と93が、段落(2)に94と95が
対応していますが、96には欠落部分があり対応関係が不明になっていて、さら
にその後は異なる展開を見せています。97はちょっと浮いていて、98、99が
(3)に部分的に対応する、という感じになっていますね。この97以下は、ひょっ
として『原因論』の逸名著者による注解なのかもしれない、という印象を受けた
りもします。ひるがえって92から95を見てみると、もとの『提要』のパッセー
ジがいくぶんすっきりした形で記されているように思えます。

力と訳した「デュナミス」は、ここでは形相を導いて形を起こす力という風に解
釈できます。知性(ヌース)は階層化されていて、上位と下位に別れ、ピラミッ
ド型に下位において数は増し、その分、形成力は小さくなっていくのですね。さ
らに知性の中に抱かれている(含まれている)という形相も、上位と下位でそれ
ぞれ普遍性の度合いが異なります。『提要』では、(3)においていわば可逆性に
も言及しているわけですが、『原因論』のこの箇所では、一次的な知性から二次
的な知性への形相の受け渡しが記されているだけです。一次的な知性が普遍的な
相を定めるのに対して、下位の知性はそれに差異を持ち込んで多様化させる……
なるほど、ピラミッド型というのは基本的にツリー型の分割構造でもあるわけで
すね。面白いのは、知性の上下関係はともかく、それに対応する形で形相にも普
遍性の大小が想定されている点です。

97の「発出においていっそう弱く、分離においていっそう強い」(debiliores in
processionis et vehementiores in separationis)は、おそらく形成力が弱く、
差異の混入がいっそう激しいという意味なのでしょう。プロクロスの『プラトン
神学』第二巻の冒頭には、「一」と「多」という相反するものをどう関係づけれ
ばよいのかといった議論がありますが、そこで詳述されているのは、以前ここで
も見たように、あくまで「多」が「一」に関与するのであり、「一」の純粋性・
上位性はあくまで保たれなければならないという議論です。「多」は「一」とは
別の因によって導かれるのであり、差異をもたらすは「一」の側ではない、とい
うわけで、「一」から離れるところに差異が生じる、といのが基本的な図式に
なっています。多様性こそが豊饒の証、などという後世の考え方はここには見ら
れず、完全体とでもいうべき「一者」にこそ善が、豊かさが、力があり、そこか
ら離れることが悪や貧しさを導き入れる、と考えているのですね。

ちなみに、『プラトン神学』の希仏対訳本("Theologie platonicienne" livre II,
Les Belles Lettres, 2003)の注によると、「すべての多は一に関与する(与
る)」という一文は、もとはプラトンの『パルメニデース』によるもので、偽
ディオニュシオス・アレオパギタの『神名論』にも見られ(いかにも否定神学っ
ぽい二重否定文の形になっています)、さらにはトマス・アクィナスも『神学大
全』で引用しているといい、中世には哲学の常套句と化していくのだといいま
す。いずれにしても、上の基本的な図式はその後も長く受け継がれていくようで
す。

次回は引き続き、『原因論』の提題11、そしてそれに対応する『提要』の
172、174を見ていきます。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は09月24日の予定です。

投稿者 Masaki : 2005年09月12日 08:35