2006年02月12日

No. 74

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.74 2006/02/11


------クロスオーバー-------------------------
雑感:翻訳と文化

ディミトリ・グタス『ギリシア思想とアラビア文化』(山本啓ニ訳、勁草書房)
は以前邦訳をざっと通読したことがありましたが、少し前に伊訳版("Pensiero
greco e cultura araba", Einaudi, 2002
)を手違いで入手してしまい(笑)、こ
の際だからと改めて部分的にですが読みなおしてみました。やはりこれ、とても
面白い書籍です。ギリシアの思想や学問がヨーロッパで生き残ったのは、アラビ
ア語圏での翻訳・流布があったからで、それが12世紀以降にヨーロッパに再輸
入された形になるわけですが、同書はそのアラビア世界での翻訳運動が盛んだっ
たとされるアッバース朝初期に焦点を当てて、それが具体的にどういうものだっ
たのかを考察しています。翻訳という営為そのものにも(とくにその政治性の側
面に)大きな光を投げかけている気がします。

大まかな見取り図はこうです。アッバース朝の翻訳運動というものは、もともと
は先行するササン朝ペルシャの制度や学問を取り込むために組織されたものなの
でした。ゾロアスター教に関係する思想や占星術などです。ササン朝の学問や文
化の取り込みは、体制の強化の一環として行われたようで、民族的反乱を抑える
意味もあったようです。さらに当時はシリアがギリシアと密接な結びつきにあり
ましたから、そちら経由でギリシアの学問も伝えられるようになります。最初は
シリア語を挟む形だった翻訳は、時代が下るにつれてギリシア語から直接訳され
るようになり、と同時にそのあたりから、ギリシアの学問を批判する形で独自の
アラビア思想が形作られていくのでした。たとえばガレノスなどの翻訳で知られ
医者でもあったフサインは、視覚のメカニズムについて、ガレノスともまた違う
光学論の所見を著書にまとめ、これが後にヨーロッパにおいてロジャー・ベーコ
ンなどに大きな影響を及ぼしていくのでした。

ところが、そうして学問や思想の成熟期を迎えると、逆に翻訳は徐々に廃れるよ
うになっていきます。最初はカリフが、次いで宮廷のメセナや学者自身が所望し
ていた翻訳の報酬はかなり高額なもので(そのために当時の才知が集まったとい
う側面もあるわけですが)、ひととおりの学知が広まってしまえば、需要の面で
下火になっていくのはある意味当然のことだったのかもしれません。とはいえ、
翻訳は文化的な混淆状態に寄与し、それが新たな文化の苗床の一端となったのは
間違いなく、翻訳運動が下火になって以降のアラビア文化圏は、急速に失速して
いくように見えます。その後に力をつけるのは、アラビア経由の文化をこれまた
翻訳によって「輸入」していくヨーロッパです。

文化の混淆が新たな文化の芽をはぐくむのだとすれば、「国粋化」のような状況
はやはりそういう豊かさをつぶしていく動きに重なるのでしょう。9世紀から11
世紀ごろのアラビア世界は、翻訳を通じて文化的流入が起こるという現象の、と
ても興味深い事例になっているようです。やや性急な敷衍ですが、現代世界でも
それは言えることかもしれません。日本の人文系の世界では「思想の輸入商では
仕方がない」などと言われたりもしますが、やはり多種多様なものが紹介され混
淆していくほうが、思想的・文化的な土壌としては豊かなのではないかという気
もします。そもそも学術書だからといって、狭い領域の専門家だけが読むとは限
らないわけで、その意味では、いわゆるマイナーな言語、マイナーな領域での著
作の翻訳などもさらに進んでいってほしいものです。もちろん文化的な混淆は翻
訳だけでなされるものではありませんが、少なくともアクセスを広く開放するた
めの端緒にはなるわけで、いずれにしてもそういう豊饒さへの道を、安易に閉ざ
す方向に持っていってはいけない、と改めて思います。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99)

第24回:動形容詞

ラテン語には動名詞のほかに動形容詞もあります。形は動名詞と同じですが、受
動で、「〜されるべき」という義務や必要の意味になります。amandus(愛さ
れるべき)、legendus(読まれるべき)、audiendus(聴かれるべき)。形容詞
なので、男性形(-us)、女性形(-a)、中性形(-um)があり、格変化しま
す。

用法としては、まずsumをともなって補語として使う一般的な場合があります。
Deorum immortalitas est omnibus colenda. (神の不死性はすべての人から讃
えられなくてはならない)
Pugnandum est. (戦わなくてはならない)

直接目的語の補語に用い、意図や目的を表す場合もあります。
Pontem curat faciendum. (彼は橋を建造させた)
Praedia monachis jure perpetuo possidenda donavit. (彼は聖職者たちに、恒
久的な権利によって所有するよう、土地を与えた)

時には、意味が弱まって義務というよりも可能性を表すような場合もあります。
horrendus(恐るべき → 恐ろしい)などです。また、中世ラテン語では、動形
容詞が受動態の未来分詞・現在分詞の代用となる場合があるのですね。
in terra ponendus eris (お前は土に埋葬されるだろう)( = in terra poneris)

さらに重要な事項があります。動名詞が直接目的語を取るような場合に、動形容
詞で代用する場合があります。その場合、本来動名詞がとるべき格と機能を、本
来の直接目的語が取り、それを動形容詞が形容する形になります。この場合、義
務の意味はありません。
erat devotissimus circa pauperes sustentandos.(彼は貧者の支援にとても熱
心だった)( = erat devotissimus circa sustentandum pauperes.)
in suscipiendis peregrinis magnam habet curam. (彼は巡礼者の受け入れに
大いに尽力している)( = in suscipiendo peregrinos magnam habet
curam.)

このあたり、ラテン語のとても面白い部分の一つという感じですね。


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その3

今回は序文の全文を読んでみます。

# # # #
Incipit Prologus

Cum me et naturalis conditio et bonorum imitatio communis utilitatis
diligentem faceret, cepi inter alia musicam pueris tradere. Tandem affuit
divina gratia, et quidam eorum imitatione chordae ex nostrarum notarum
usu exercitati ante unius mensis spatium invisos et inauditos cantus ita
primo intuitu indubitanter cantabant, ut maximum plurimis spectaculum
praeberetur; quod tamen qui non potest facere, nescio qua fronte se
musicum vel cantorem audeat dicere.

Maxime itaque dolui de nostris cantoribus qui etsi centum annis in canendi
studio perseverent, numquam tamen vel minimam antiphonam per se
valent efferre, semper discentes, ut ait Apostolus, et numquam ad
scientiam veritatis pervenientes. Cupiens itaque tam utile nostrum studium
in communem utilitatem expendere, de multis musicis argumentis quae
adiutore Deo per varia tempora conquisivi, quaedam quae cantoribus
proficere credidi, quanta potui brevitate perstrinxi; quae enim de musica ad
canendum minus prosunt, aut si qua ex his quae dicuntur non valent
intelligi, nec memoratu digna iudicavi, non curans de his, si quorundam
livescat invidia, dum quorundam proficiat disciplina.

生来の資質と正しき人々の模倣から、一般の人々の役に立ちたいと思うように
なった私は、様々な活動の中で、とりわけ子どもたちに音楽を教え始めました。
神のご加護もあって、それらのうちの何人かは、われわれの記譜法を用いてモノ
コードで歌の練習をしたところ、1ヶ月もしないうちに、見たことも聴いたこと
もない歌を、初見で迷うことなく歌うことができるようになり、実に多くの人に
演奏を聴いてもたらしました。それにしてもそういうことのできない者が、どの
ような面持ちで、自分を音楽家、あるいは歌手であると言うことができるのか、
私にはわかりません。

このように、100年も歌を研究しようとも、ごくささいなアンティフォナも自分
で歌えないであろう当代の歌い手に、私は大変心痛めてきました。使徒の言う、
「つねに学んではいても、真の学知には到達できない」人々です。よって、かく
も便利な私たちの研究成果を、一般の人々の役に立つよう拡げたいと思い、神の
ご加護により何年もかけて培った音楽の諸論を、そのいくつかは歌い手のために
役立つものと信じ、できるかぎり簡潔にまとめた次第です。諸論のうち、歌にそ
れほど役立たない部分、あるいは内容的に理解しなくてもよいとされる部分は、
記載するに相応しくないと判断しました。嫉妬で蒼白になる者への配慮は念頭に
ありません。その一方でこの学知を習得する者もいるのですから。
# # # #

モノコードは皆さんご承知の通り、音階の分割などで使われる1本の弦を張った
だけのプリミティブな楽器(というか実験器具)ですね。2段落目に出てくるア
ンティフォナは本来、詩篇唱の中に挿入される「対声」といわれるものですが、
ここでは単に「歌」の意味で使われているようです。使徒への言及は、パウロに
よる「テモテへの第二の手紙」3章7節からものものです。

1段落目も2段落目も、最後に世間的な音楽家(と称する人々)への皮肉が感じ
られます。当時の楽譜というと、まだ旋律をごく大まかに示すだけだったはずで
(グイドの記譜法は横線を引いて高低を表すというシステムの嚆矢だったのです
から)、たしかにそれでは旋律の再現は至難の業だったのでしょう。金澤正剛氏
の名著『中世音楽の精神史』(講談社選書メチエ、1998)によると、9世紀後
半から12世紀初頭までの間、ヨーロッパでは様々な記譜の試みがなされてい
て、地域、年代、さらには楽譜単位でまったく違うシステムが採用されていたり
するといいます。今やほとんど解読不可能なものまであるそうです。そうした諸
家乱立の状況の中で、自分のアイデアを世に問うとなれば、当然反目や羨望にも
遭遇するのでしょう。そのあたりの事情も、この短い序文からほの見えてきま
す。

序文の次には各章の見出しがまとめられているのですが、それは割愛し、次回は
いよいよ本文に突入したいと思います。さしあたり、短い第1章と第2章をまと
めて見ていきたいと思います。お楽しみに。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は2月25日の予定です。

投稿者 Masaki : 2006年02月12日 19:50