2006年03月13日

No. 76

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.76 2006/03/11

------大事なお知らせ-------------------------
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------ミニ書評--------------------------------
『フラ・アンジェリコ−−神秘神学と絵画表現』
寺田徳光・平岡洋子訳、平凡社、2001
ISBN:4582652042

ディディ=ユベルマンは旺盛な執筆活動・批評活動を展開しているフランスの比
較的若い世代の美術史家・批評家ですが、『フラ・アンジェリコ−−神秘神学と
絵画表現』では、フラ・アンジェリコ(1400頃〜55、宗教画家)の絵画をめぐ
る、従来のイコノロジーの枠内に収まりきらない興味深い考察を行っています。
イコノロジーは、絵画に現れる形象を、文化的なコンテキスト、とりわけ絵画内
部の伝統や隣接領域の文学的伝統などとの連関でもって理解しようとするもので
すが、本書の場合には同じようなスタンスから出発しつつも、単なる表面的な形
象の突き合わせに留まってはいません。その動きを駆るのは、まずもって絵自体
ばかりでなく絵が置かれた環境そのものへの着目です。

論考の対象は、アンジェリコが学僧として過ごしたフィレンツェのサン・マルコ
修道院の回廊に描かれた一連の絵画ですが、従来考察の対象になってきたような
絵そのものばかりでなく、たとえば『影の聖母』という作品のすぐ下に置かれ
た、大理石を模したような抽象的な模様が描き込まれた四枚のパネルに着目しま
す。ひざまずいた際に目の高さに来るという、それらのパネルは、上部のマリア
像と一体だ、と著者は考えます。そしてこの抽象模様を読み解くために、フラ・
アンジェリコが親しんでいたであろう当時のドミニコ会の神学論へと分け入って
いきます。

かくして導きの糸となるのが、まずは非類似の形象をめぐる偽ディオニュシオ
ス・アレオパギテスの神秘神学、そして「石」の形象への関連から、13世紀の
ドミニコ会士アルベルトゥス・マグヌスの神学論です。特にこのアルベルトゥス
は、本書後半に展開する、聖母マリアの様々な形象をめぐる議論をも導いていき
ます。アルベルトゥスは長大なマリア賛歌をも著しているのですね。石、庭と
いった形象が、さらにはそれらを越えて時間や場といった抽象概念が、中世の神
学・哲学の諸問題との関連のうちに考察され、それらとの関連において絵画のも
つ意味、あるいは機能が浮かび上がってきます。アンジェリコの絵画が、思索と
瞑想の領域にまで踏み込んでいくものであるとの確信をもって……。

13世紀の神学思想がアンジェリコの筆を操っている、というのが基本前提です
が、確かにそのこと自体は状況証拠に基づく推論ではあります(アンジェリコは
ドミニコ会修道院の学僧として、サン・マルコ修道院の書庫にあった神学書の類
を読んでいた蓋然性は高い、というわけです)。関連領域の形象と絵画の形象を
つき合わせるイコノロジーの場合には、目に見える形でのいわば「水平方向の」
連関が探求され、ある程度実証的な研究になるわけですが、本書で展開されるの
はむしろ神学思想の水脈との連関という「垂直方向の」探求になり、より思弁的
な面が強く出てこざるをえません。ですが、こうした絵画の形象の深い理解に達
するには、それらの絵画が製作され観想された当時の「思索」領域そのものにダ
イブしなければならない、という著者のスタンスは十分に共感できるものです。
実証研究としての絵画論という狭い枠内では捉えきれないこのような研究が出て
くることの意義を、きっちり受け止めたいものだと思います。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1999)

第26回:「場所」をめぐる表現

古典語をやっている方には、数少ない概説書が出るとすぐに買ってしまうという
人も多いと思います。最近出た小林標『ラテン語の世界−−ローマが残した無限
の遺産』(中公新書)はとても手頃なラテン語・ラテン文学紹介のようですね。
中世ラテンの紹介も少しなされているようです。

さて今回は場所についての表現です。場所の捉え方はおおよそ4つに分けられま
す。つまり(1)所在、(2)目的地、(3)起点、(4)通過点です。

(1)は要するに、「どこそこにいる」ということです。移動を伴わない場所を
表すには「in + 奪格」というのが普通ですが、ラテン語にはもともと地格があ
り、古典ラテン語では都市の固有名については前置詞をつけずに地格を用います
が(domus、rusなどについても地格を用います:domi、ruri)、中世ラテン語
でもそれは残っていますが、奪格や「apud + 対格」でも表すようになっていく
ようです。in Antiochia、Antiochiae、apud Antiochiamのいずれも「アンティ
オキアに」を表します。

(2)は移動を伴う場所の表現で、「どこそこへ」ということです。「in + 対
格」で表します。地格が残る都市の固有名やdomus、rusなどはinをつけない対
格で表します(ですからEo in Italiam, Romamというと、「私はイタリアのロー
マに行く」という意味になります)。古典ラテン語で漠然とした方向を表してい
た「ad + 対格」は、中世ラテン語では「in + 対格」と同じく目的地を表すよう
になります(Redire ad Augustam civitam decrevit.「彼はアウスブルクの町に
戻ることを決めた」)。

(3)は「どこそこから」ということです。「ex + 奪格」または「de + 奪格」
で表し、都市名やdomus、rusの場合には前置詞なしの奪格とします。古典ラテ
ン語で漠然とした起点を表していた「a + 奪格」「ab + 奪格」は、中世ラテン語
では「ex + 奪格」と同義になります。前置詞なしの奪格を国名に用いることも
中世ラテン語にはあるようです(Italia pulsus「イタリアから追放された」)。

(4)は「どこそこを経て」ということです。「per + 対格」が普通ですが、道
や港、橋などの通行手段などを表す場合には、奪格のみを用いる場合もありま
す。手段の奪格と呼ばれる用法ですね(Iter feci per Germaniam.「私はゲルマ
ニアを通った」、Iter feci Porta orientale. 「私は東の門を通った」)。

さらに上の4つの区分を疑問詞に当てはめると、(1)ubi(どこに?)、(2)
quo(どこへ?)、(3)unde(どこから?)、(4)qua(どこを通って?)と
なります。また、場所を表す副詞も、この4つの区分で形で違っています。
(1)hic、istic、illic、ibi、ibidem、alibi、ubique、(2)huc、istuc、illuc、
eo、eodem、alio、(3)hinc、istinc、illinc、aliunde、undique、(4)hac、
istac、illac、ea、eadem、alia。こう並べると面倒そうですが、実はそうでも
なく、疑問形と答えにあたる副詞とは語尾が対応しています。疑問形が-iで終
わっていると、答えの副詞も-i(または-ic)になり、-oで終わっていると答えも
-o(または-u)、undeに対しての答えは-inまたは-un、-aで終わっていると答
えも-aとなっています。


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その5

今回は3章の前半を見ていきます。3章ではモノコード上の音の配置方法が2種類
紹介されています。まずはその1つめです。

# # # #
Capitulum III
De dispositione earum in monochordo

.[Gamma]. itaque inprimis affixa ab ea usque ad finem subiectum chordae
spatium per novem partire et in termino primae nonae partis .A. litteram
pone, in qua omnes antiqui fecere principium. Item ab .A. ad finem nona
collecta parte eodem modo .B. litteram iunge. Post haec ad .[Gamma].
revertens ad finem usque metire per IIII, et in primae partis termino
invenies .C. Eademque divisione per IIII, sicut cum .[Gamma]. inventum est .
C., simili modo per ordinem cum .A. invenies D., cum .B. invenies .E., et
cum .C. invenies .F., et cum .D. invenies .G., et cum .E. a., et cum .F. b.
rotundam. Quae vero sequuntur, similium et earundem omnes per ordinem
medietate facile colliguntur, utputa a .B. ad finem in medio spatio pone
aliam .[sqb]. Similiterque .C. signabit aliam .c., et .D. signabit aliam .d., et .
E. aliam .e., et .F. aliam .f., et .G. aliam .g. et reliquae eodem modo. Posses
in infinitum ita progredi sursum vel deorsum, nisi artis praeceptum sua te
auctoritate compesceret. De multiplicibus diversisque monochordi
divisionibus unam apposui, ut cum de multis ad unam intenderetur, sine
scrupulo caperetur. Praesertim cum sit tantae utilitatis, ut et facile
intelligatur et intellecta vix obliviscatur.

第3章
モノコードでの音の配置

まずはΓの位置を定め、そこからコードの最後までの空間を9つに区切り、9つ
のうちの1番目の末端にAを置く。昔の人々はここから始めていた。次にAから
末端までの部分を9つに区切り、同様に(1番目の末端に)Bを置く。次に今度は
Γに戻り、最後までを4つに分け、その1番目の末端をCとする。その同じ4分割
で、Γから始めてCが得られたように、同様の方法でAから始めてDが、Bから始
めてEが、Cから始めてFが、Dから始めてG、Eから始めてaが、Fから始めてbが
得られる。それに続くものについては、すべて類似した記号から当の記号を、順
番に中間位置として簡単に特定できる。かくして、Bから最後までの中間位置に
#を置き、同じようにCからcが、Dからdが、Eからeが、Fからfが、Gからgが導
かれる。このプロセスは上方または下方に際限なく続けることができる。ただし
それは、学問上の要請から、その権威によって制止しないならばの話である。モ
ノコードの分割法は多種多様あるが、数あるうち一つに注意を向ければ問題なく
把握できると考え、ここではそのうちの一つを示した。とりわけ、これは利便性
が大きく、理解しやすく、ひとたび理解すれば忘れがたいからである。
# # # #

この分割は図示するのが一番わかりやすいと思います。そこで仏訳本(Colette
& Jolivet訳)からの図をこちらに掲載しておきますのでご参照ください(http:/
/www.medieviste.org/blog/archives/guid01.html
)。

主音(弦の長さ)を1とした場合、1/2づつにわける点がオクターブになりま
す。Aに対するa、Bに対する#などですね。1/4と3/4に分ける点が四度で、Aに
対するD、Bに対するEなどがそうです。1/3と2/3に区切る点が五度になります
が、Aに対するEがその関係になっています(1/9 + (8/9 x 1/4) = 1/3)。なる
ほど、この分割方式では四度と五度が基本になっています。この分割方法は
「ピュタゴラス音律」と呼ばれるもので、グレゴリオ聖歌もこの音律を用いてい
ました。

ではAに対するCはというと、現代でいう三度(純正三度)にはなっていませ
ん。長三度なら1/5と4/5に分ける点、短三度なら1/6と5/6に分ける点という
ことですが、そうはなっていないのですね。当時はまだ三度は協和音として使わ
れていないのでした。六度もそうです。これがピュタゴラス音律の大きな特徴な
のだそうで、藤枝守『響きの考古学−−音律の世界史』(音楽之友社、1998)
によると、この協和性の低い三度を協和する状態に補正していくことが、西欧の
音律史の重要なテーマになっていくのだそうです。いわゆる純正三度が使われる
ようになるのは、時代を下った中世末期・ルネサンス期(14〜15世紀)のイギ
リスおよびアイルランドからなのでした。同書によれば、その純正三度は作曲家
ダンスタブルによって大陸に伝えられたのだそうです。

3章の後半では、もっと簡単に配置する方法が説明されています。というわけ
で、これは次回に見ていきましょう。お楽しみに。


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投稿者 Masaki : 2006年03月13日 23:07