2006年06月12日

No. 82

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.82 2006/06/10


------新刊情報--------------------------------
東京も梅雨入り。書籍のカビとかが心配な季節ですね。
ヨーロッパ中世関連の国内の新刊情報です。

『中世ヨーロッパの歴史』
堀越孝一著、講談社学術文庫
ISBN:4061597639、1,417yen

意外にあまり見かけない、中世の「通史」です。「世界の歴史」シリーズ第8巻
『ヨーロッパ世界の成立』(1977)を文庫化したものということで、およそ網
羅すべき項目はほぼ入っているという感じです。図版が多数入っていて、記述も
実にコンパクトにまとまっています。教科書風な感じですが、ちょっとしたミニ
百科のようにも使えそうな一冊です。

『中世の言語と読者−−ラテン語から民衆語へ』
エーリヒ・アウエルバッハ著、小竹澄栄訳、八坂書房
ISBN:4896948726、5,040yen

『世俗詩人ダンテ』が見事だったアルエルバッハの遺作。主著『ミメーシス』を
補完するものとして構想されたという論考です。中世というタイトルになってい
ますが、実際には古代末期から初期中世にかけての言語・文体論的な推移が中心
です。とはいえ、最後の4章目だけは、13世紀までの流れを俯瞰する形になって
います。文体の中に読者の位相を見る、といった方法論にも興味深いものがあり
ますね。

『幻影のローマ』
歴史学研究会編、青木書店
ISBN:4250206092、4,200yen

こちらは若手の気鋭の研究者らの手による、ローマのイメージ受容の問題をめぐ
る論集のようです。様々な視点から論じているようで、時代的にも、古代末期か
ら中世をへて近世にまでいたる長いスパンになっているようです。これはちょっ
と面白そうです。もしかしたら、たとえば私たちの内面化されたアメリカ、みた
いな問題を考えるヒントにもなるかもしれません。

『中世後期のドイツ文化−−1250年から1500年まで』(第2版)
H-F. & H. ローゼンフェルト著、鎌野多美子訳、三修社
ISBN:4384024525、9,975yen

中世ドイツ文化を多面的な角度から論じた一冊。1999年に出た邦訳を改訂した
ものとか。Webを見ると、各種のページで基本文献に挙げられていたりするよう
です。ちょっと値段が張りますが、ドイツ語圏の中世史を概観できそうです。ド
イツ・イヤーにワールドカップと、このところゲルマン系は以前よりも目立って
いていますし、ある意味でタイムリーな刊行とも言えそうです。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99)

第32回:間接疑問文

このシリーズもいよいよ大詰めです。今回と次回で間接話法を取り上げましょ
う。間接話法は一般に、発話者が自分の名のもとに語っているのではなく、第三
者的な発言なり考えなりを報告する文で、原則的には接続法を用います。いわゆ
る可能話法の一つです。

間接疑問文も間接話法の一種なので(疑問文を第三者的発話のように見なしてい
るわけですね)、それから見ていきましょう。間接疑問文では、疑問詞を使う場
合は動詞を接続法にするだけです。yes/noで答えるタイプの疑問文は、si(〜か
どうか)をつけます。
- Quaero quis veniat. (誰か来るのか、と私は自問する)
- Quaero quis venerit. (誰が来たのか、と私は自問する)
- Quaero quis venturus sit. (誰が来るのだろうか、と私は自問する)

主文が未完了過去(または完了形)になった場合には、それにともなって時制も
主文に合わせなくてはなりません。
- Quaerabam quis veniret .(誰が来るのか、と私は自問していた)
- Quaerabam quis venisset. (誰が来たのか、と私は自問していた)
- Quaerabam quis venturus esset. (誰が来るのだろうか、と私は自問してい
た)

この時制の照応は重要な部分です。基本的にはこんな感じなのですが、古典ラテ
ン語でも、間接話法の接続法というのは比較的遅い時代に定着したものだという
ことで、間接話法に直説法が使われる例がいくつかあるといいます。中世ラテン
語になると、破格が増える形で、間接疑問文に直説法が使われるケースが多々見
られるようになるようです。
- Non comedam, donec sciam si Dominus miserebitur huius senis. (主がこ
の老人を哀れむかどうか知るまで、私は食事を取らないことにする)


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その10

今回は第7章を見ていきましょう。

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De affinitate vocum per quattuor modos

Cum autem septem sint voces, quia aliae ut diximus, sunt eaedem,
septenas sufficit explicare, quae diversorum modorum et diversarum sunt
qualitatum. Primus modus vocum est, cum vox tono deponitur et [-118-]
tono et semitonio duobusque tonis intenditur, ut .A. et .D. Secundus modus
est, cum vox duobus tonis remissa semitonio et duobus tonis intenditur, ut .
B. et .E. Tertius est qui semitonio et duobus tonis descendit, duobus vero
tonis ascendit, ut .C. et .F. Quartus vero deponitur tono, surgit autem per
duos tonos et semitonium, ut .G.

Et nota quod se per ordinem sequuntur, ut primus in .A., secundus [-119-]
in .B., tertius in .C. Itemque primus in .D., secundus in .E., tertius in .F.,
quartus in .G. Itemque nota has vocum affinitates per diatessaron et
diapente constructas: .A. enim ad .D. et .B. ad .E. et .C. ad .F. a gravibus
diatessaron, ab acutis vero diapente coniungitur hoc modo:

[CSM4:119; text: Diatessaron, Diapente, A, B, C, D, E, F, G, a, b, c] [GUIMICR
01GF]

第7章
4つの旋法による音の親和性について

音は7つである−−すでに述べたように、ほかは同じ音だからだ。説明には7つ
で十分であり、それらが旋法と性質において多様になるのである。最初の旋法で
は、ある音からトヌス分下がり、それからトヌス、セミトヌス、トヌス2つ分上
がる。AからとDからの場合がそれである。2つめの旋法では、ある音からトヌス
2つ分下がり、セミトヌスとトヌス2つ分上がる。BからとEからの場合がそうで
ある。3つめでは、セミトヌスとトヌス2つ分下がり、トヌス2つ分上がる。Cか
らとFからの場合がそうである。4つめではトヌス分下がり、トヌス2つとセミト
ヌス分上がる。Gからの場合がそうである。

旋法は順に1つめがAから、2つめがBから、3つめがCからとなる。同様に、1つ
めがDから、2つめがEから、3つめがFから、4つめがGからとなる。また、これ
らの音はディアテサロン(4度)とディアペンテ(5度)によって親和性が構成
されている。AからD、BからE、CからFなど、低い方からはディアテサロンとな
り、高いほうからはディアペンテとなる。ちょうど次の図に示すように。

図(http://www.music.indiana.edu/tml/9th-11th/GUIMICR_01GF.gifの上か
ら2番目を参照)

# # # #

ここでは旋法(modus)の話が出てきました。トヌスをT、セミトヌスをS、起
点を斜線で表すとすると、最初の旋法はT/TSTT、2つめがTT/STT、3つめが
TTS/TT、4つめがT/TTSTという並びになります。起点とSの位置に着目しま
しょう。起点から上へTSTの形は、一般にフリギアと呼ばれます。STTの形はリ
ディア、TTSの形はドリアとなります。4つめは形はTTSでドリアと同じで、そ
れよりも上の音でテトラコルドをなしているので、ヒュペル(上の)ドリア、ま
たはミクソリディアと呼ばれます(以上はギリシアの旋法名ですね)。

ですがこれらはまだテトラコルドの並びの話で、厳密な旋法の話にはなっていま
せん(教会旋法は8つあるのでした。しかもギリシアの旋法名とは一致していな
かったりするのですね)。とはいえ、13世紀に盛んになるというムタツィオ、
つまりヘクサコルドの読みかえ(6音のヘクサコルドを単位にすると、その中に
収まらない音が出るので、それを別のヘクサコルドで読みかえるということが必
要になります)の基礎は、実はここから始まっているのだといわれます。その意
味では、この章(と次章)はとても重要な箇所なのですね。

というわけで、次回はこれに続く8章を見ていきたいと思います。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は6月24日の予定です。

投稿者 Masaki : 2006年06月12日 08:31