2008年02月27日

No.121

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.121 2008/02/23


------新刊情報--------------------------------
春を前に足踏み状態の天候ですが、新刊もちょっと小休止というところで
しょうか。

『ベーダ英国民教会史』
高橋博訳、講談社学術文庫
ISBN:978406159862、1,207yen

尊者ベーダ(673年頃〜735年)の有名な『英国民教会史』の新訳とのこ
と。ベーダは実は膨大な著作を残していますが、やはり一番有名なのはこ
の主著ですね。アルフレッド大王版と紹介されています。この書、もとも
とは731年にセオウルフに捧げられたものですが、今回の底本は後代のア
ルフレッド大王(9世紀)の所有していた写本ということでしょうか
(?)。どういう異同があるのでしょうね。余談ながら、昨年9月にジェ
フリー・オブ・マンモス(12世紀)の『ブリタニア列王史』の邦訳も出
ていますが(瀬谷幸男訳、南雲堂フェニックス)、ベーダはそのソースの
一つにもなっているのでした。

"Medieval Jewish Philosophical Writings"
Charles Manekin編、Cambridge University Press
ISBN:9780521549516、29.99 dollars

ケンブリッジ哲学史テキストシリーズの一冊で、中世のユダヤ哲学が出ま
した。イブン・ガビロル(アヴィチェブロン)やマイモニデス、ナルボン
ヌのモーゼス、ゲルソニデスなど、7人の主要著者の英訳アンソロジーの
ようです。いずれも新訳とのこと。まだまだ認知度が高いとはいえない中
世ユダヤ思想ですが、少しばかりかじっただけでもなかなか奥深い世界で
あることがわかります。こういう普及版はある意味とても有意義です。

"Maimonides after 800 Years : Essays on Mimonides and his
Influence"

Jay M. Harris編、Harvard University Center for Jewish Studies
ISBN:9780674025905、65.00 dollars

こちらはマイモニデス没後800年にあたる2004年の記念論集ですね。
ハードカバー版です。紹介文によると、当代切ってのスカラーたちによ
る、マイモニデスの著作と影響全般をカバーする論集ということになって
います。最新の知見が見られるかもしれないという点で、ちょっとこれは
個人的にも期待大です。


------短期連載シリーズ-----------------------
アリストテレス『気象論』の行方(その4)

前回触れたアル・ビトリークらの翻訳テキストは、アル・キンディとその
一派によって使われることになりました。アル・キンディは9世紀に今の
イランで活躍したアラビア哲学者です。アリストテレス思想を取り込み、
諸学に通じた嚆矢的存在とされます。気象論としてはまとまった著作は残
していないようですが、個々の議論が書簡などの形で残っているようで
す。今回もレッティンクのまとめに即して見ておきましょう。

レッティンクが特に取り上げているのは、雨と風の原因についての議論で
す。基本的にはアリストテレスの蒸発の理論を踏まえた形で雨や風の形成
を説明しているようですね。まずは風ですが、これは蒸発物が太陽の熱に
よって膨張し、水平方向、つまり南から北、北から南といった運動が生じ
たものなのだ、とアル・キンディは説明します。また、その運動に際し
て、蒸発物が低温の地域(たとえば山岳地帯など)を通るときに凝結が生
じ、それが雨になるとされています。一方、これとは別に垂直方向の動き
もあるとされ、蒸発物が大地から上昇し、上空の空気の冷たい層にまで上
るとそこで凝結するとされます。ここで蒸発物が湿気をもっている場合に
は水滴となり、乾いている場合にはそれが土となって空気を押し、かくし
て風が生じるというのです。こうした二重の説明をアル・キンディは加え
ています。

この垂直方向の動きによる雨の形成についてはアリストテレスに典拠があ
りますが(2巻4章)、水平方向の動きへの言及はありません。また、風
の形成についてはどちらの説明もアリストテレスには見られません。レッ
ティンクは、蒸発物が山岳地帯を通ることによって雨になるとの説明はテ
オフラストスの説明に呼応するとした上で、「だからといってテオフラス
トスの影響とする説は受け入れがたい」と異議を唱えています。テオフラ
ストスは蒸発物が凝結するのは山地に押しつけられ圧縮することによって
だと説明するのに対し、アル・キンディの場合には山地は一例にすぎず、
冷却が起きるところではどこでも凝結は生じうると考えているのですね。
風の形成についても、テオフラストスは圧縮が生じる場所から密度の低い
場所に空気は流れると考えていますが、アル・キンディはむしろ、暖めら
れ膨張する場所から密度の高い場所に向かって流れると考えているようで
す。

アル・キンディのこうした説明、とくにこの風の説明については、その学
派もしくは影響圏(アル・キンディ・サークルなどと言われます)を中心
に流布していったようですが、テオフラストスの広範な影響があったとい
う考え方をレッティンクは斥けています。また、こうしたアル・キンディ
の説も、次の世代に相当するアヴィセンナ(イブン・シーナー)あたりに
なるとまた違った受け止め方をされていくようです。
(続く)


------古典語探訪:ギリシア語編----------------
ギリシア語文法要所めぐり(その7:間接文1)

今回は間接文です。「〜と言う」「〜と思う」というような場合の、
「〜」の部分の表し方ですが、ギリシア語の場合には節を使って表現する
方法と、不定詞句にする方法とがあります。

まずは節の場合ですが、作り方はhoti、ho^sなどの後に文を入れるだけ
です。ここでやはり気になるのは、節に用いる動詞の話法と時制です。と
ころがギリシア語の場合、結論から言うと間接文の時制は「直接文のとき
と同じ」でオッケーなのですね。つまり直説法の時制はそのまま変更しな
くてよいのです。話法については、事実関係の場合は直説法で、話者の考
えが込められているような場合は希求法で表すというのがルールです。

例文を見ていきましょう(ギリシア語表記はこちら→http://
www.medieviste.org/blog/archives/GC_No.7.html
)。「キュロスが
いる、と彼らは言った」「キュロスはいるさ、と彼は答えた」「キュロス
はいるだろう、と彼は言った」

1. legousin hoti ho Kuros paresti.
2. apekrinato hoti ho kuros pareie^ (parestiも可)
3. eipen hoti paresoito(parestaiも可)

続いて不定詞句の場合です。不定詞句の主語は対格で表されます(ラテン
語の場合と同じですね)。ただし不定詞句の主語と文の主語が一致する場
合、不定詞句の主語は省略されます(強調する場合を除く)。時制はやは
り直接文での時制のままとし、未完了過去は現在形で、過去完了は完了形
で代用します。上の節の場合もそうですが、否定辞はouをとります。

「敵は去った、と報告されている)」を両方の書き方で書くと次のように
なります。

4. aggeletai hoi hoi polemioi pephugasin.
5. aggeletai tous polemious pephugenai.

もう一つ、「デモステネスは、フィロポスはアテネ人を打ち負かせないと
言った」を両方の書き方で。動詞が違っているところ(phe^miは不定詞
とともにのみ用い、eiponはどちらかというと節を取る)と、否定辞の使
い方に注意が必要ですね。

6. ho De^mosthene^s eipen hoti ho Filippos ou dunatai nikan tous
Athe^naios.
7. ho De^mosthene^s ouk ephe^ ton Filoppon dunasthai vikan
tous Athe^naios.

間接文にはまだ注意点がありますが、それはまた次回に(笑)。


------文献講読シリーズ-----------------------
アルベルトゥス・マグヌスの天空論・発出論を読む(その19)

いよいよこのテキストも、今回と次回を残すのみとなりました。ではさっ
そく見ていきたいと思います。

# # #
Avicebron autem in Fonte vitae specialem sibi fingens
philosophiam dicit, quod post unitatem primi principii, quod
omnia penetrare dicit, binaris est, forma scilicet et materia. Dicit
enim, quod prima forma intelligentia est et prima materia ea quae
fundat et sustentat formam, quae dicitur intelligentia; et quod
forma nec ictu oculi fuit umquam sine materia vel materia sine
forma. Prima enim forma, ut dicit, et deternimans materiae
potentiam, quae capax est omnium, est intelligentia. Secunda
vero corporeitas, quae claudit materiae primae capacitatem.
Corporea enim materia non capax omnium est. Tertiam vero dicit
contrarietatem, quae est materia et forma elementorum, quae
minoris est comprehensionis quam materia corporea. Quartum
vero dicit formam comixtionis. Et sic ex primo producit universa.
Unde autem veniat intelligentia vel corporeitas vel contrarietas vel
commixtio, per causam rationabilem non determinat eo quod
sophismata sequitur et topicas quasdam rationes adducit, sicut in
antehabitis diximus.

しかしながら、『生命の泉』の中で特殊な哲学を作り上げているアヴィ
チェブロンは、すべてのものに入っていくと言われる第一原理の一性に続
くのは二性、すなわち形相と質料であると述べている。というのも、第一
の形相は知性であり、形相を支え維持する第一の質料もまた知性と称され
るからである。また、視線に晒される形相は一時たりとも質料を伴わな
かったことはなく、質料も形相を伴わないことはないとも述べている。彼
が述べているように、第一の形相、つまり質料の潜在態を定め、あらゆる
ものの力能をなすそれは、知性である。第二の形相は物体性であり、それ
が第一質料の力能を完成させる。というのも、物体的な質料はあらゆるも
のの力能をなしてはいないからだ。第三の形相は対立である。それは元素
の質料と形相であり、その結合力は物体的な質料よりも小さい。第四の形
相は混成である。このように、第一のもの(知性)からすべては生まれ
る。しかしながら、知性、物質性、反目、混成がどこからもたらされるの
かは、理性的な原因では決定できない。というのも、すでに述べたよう
に、それでは詭弁が続き、なにがしかの常套句が議論を導くことになるか
らだ。
# # #

アヴィチェブロンの『生命の泉』は前にも出てきました(前はアヴィセブ
ロンとしましたが、ちょっと表記を変えたいと思います)。イタリアはボ
ンピアーニから羅伊対訳本が出ています。この書、5書から成る師匠と弟
子の対話編で、宇宙開闢論的に質料形相論が展開していきます。上のアル
ベルトゥスのテキスト(羅独対訳本)の注によれば、第一原理の一性に二
性が続くという箇所は『生命の泉』第4書6〜7節、第5書12節および
23〜25節を参照とあります。実際に当たってみると、たとえば第5書23
節には、「質料は保持するものであり、形相は保持されるものである。質
料は隠されているが、形相は目に見える。質料は形相によって完成され、
形相は質料の本質を完成するものである」というふうに、質料と形相との
対立関係・相補関係が言及されています。

質料形相論へと展開する、この「一」の次に「二」が続くという考え方
は、より古くはイアンブリコスが伝えるピュタゴラス思想に見いだされる
ものです。イアンブリコスの『ピュタゴラス大全』も、やはりボンピアー
ニから出ていますが、その中の一論考『算術神学』などが、とりわけそう
した問題を扱っています。一の次にどう二が分離するのかは明確に示され
てはいないものの、いずれにしても事物が具体的な形象を取るためには
「一」だけではだめで、必ずや双数がなくてはならない、といったことが
述べられています。アヴィチェブロンも、上のアルベルトゥスのテキスト
も、そうした思想的な流れの残響を留めていることが窺えます。

また前回、アルベルトゥスによる自然学注解に形相の二重化議論があると
いう話を紹介しましたが、原理としての形相と個体の具体化のための形相
とを分けるという話は、文脈こそ異なるものの、初期注解者のアフロディ
シアスのアレクサンドロスにすでに見られる議論のようです(マルヴァ
ン・ラシドという研究者が、最近の著書でそのあたりについての論考を記
しています)。上のテキストではそれとは別の4つに形相が区分されてい
ますね。アヴィチェブロンの書のどの部分に対応するのかちょっとまだ特
定できていないのですが、ちょっとこれは変わった区分のように思われま
す。うーん、悩ましいですね。いずれにしても、「形相」概念一つとって
みても多様な思想的流れを遡っていくことができそうで、興味は尽きませ
ん。アルベルトゥスを読む楽しみというのは、やはりそういうところに見
いだせそうです。

次回はこのテキストの最終回ということで、全体的なまとめも含めて振り
返ってみたいと思います。


*本マガジンは隔週の発行です。次号は03月08日の予定です。

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投稿者 Masaki : 2008年02月27日 23:46