2008年01月16日

No.118

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.118 2008/01/12

今年もよろしくお願いいたします。早速で恐縮ですが、今号も若干の短縮
版とし、「古典語探訪・ギリシア語編」はお休みさせていただきます。

------新刊情報--------------------------------
年末年始ですが、いろいろと新刊が出ていて食指を動かされます(笑)。
今年は目に付く範囲で、洋書の情報も取り上げることにしましょう。

『中世西欧文明』
ジャック・ル・ゴッフ著、桐村泰次訳、論創社
ISBN:9784846006846、6,090yen

ル・ゴフの翻訳もいろいろなされていますね。これは原書が1972年に出
た図版多数の大著で、フランスでは94年にフラマリオンの「シャン」叢
書に収められ、廉価版として出ているようです。1000年におよぶ中世
の、ル・ゴフ流の「通史」ですね。

『アーサー王と中世騎士団』
ジョン・マシューズ著、木村凌二監修、原書房
ISBN:9784562040834、2,730yen

絵解き世界史というシリーズの一冊で、カラー版です。アーサー王と円卓
の騎士の人気には根強いものがありますね。アーサー王関係のこうした概
説書も途絶えることがありません。著者のマシューズはアーサー王研究の
世界的権威ということで、映画「キング・アーサー」の考証なども担当し
ているとか。でもあの映画はちょっと……(ごにょごにょ)(笑)。

『普遍論争−−近代の源流としての』
山内志朗著、平凡社ライブラリー
ISBN:9784582766301、1.995yen

長らく入手不可だった『普遍論争』(哲学書房、1992)が、平凡社ライ
ブラリーで復活です。これは嬉しいですね。実在論・唯名論の普遍論争
は、まさに記号論の源流です。それを明解に読みほどいたものとして、こ
れはもはや名著の域に入っていますね。

"The Art and Logic of Ramon Llull : A User's Gide"
Anthony Bonner著、Brill、
ISBN:9789004163256、$150.00

ライムンドゥス・ルルスの論理学についての論考、なのでしょうか。この
「ユーザーズガイド」という副題がとっても気になりますね。後世のルル
ス概説書の研究なのかもしれません。いずれにしても、ちょっと興味をそ
そるタイトルです。

"Peter Abelard after Marriage"
Thomas J. Bell著、Cistercian Publications、
ISBN:9780879073114、$30.36

副題が"The Spiritual Direction of Heloise and her Nuns through
Liturgical song"となっています。アベラールとエロイーズというと、や
はりその往復書簡が有名ですが、その後もエロイーズ率いる修道院の教導
のための書簡をアベラールがしたためているのですね。で、これはその書
簡と、アベラールが彼女たちのために作曲したという聖歌についての研究
のようです。アベラールの音楽的側面というのはあまり取り上げられてい
ない印象ですね。


------短期連載シリーズ-----------------------
アリストテレス『気象論』の行方(その1)

年明けに相応しく、新しいシリーズを始めたいと思います。題して「『気
象論』の行方」。ここでは、人文系出版社として名高いブリルから出てい
る『気象論』関係の2冊をベースにして、アリストテレスの『気象論』の
受容についておおまかに眺めてみたいと思っています。ベースにする2冊
は次のものです。
ポール・レッティンク「『気象学』とそのアラブ世界での受容」
(Brill、1999)

ピーター・L. スホーンハイム「アラブ=ラテン伝統における『気象
学』」(Brill、2000)

全体の予定としては、まず『気象論』の概要をまとめ、それからそのアラ
ブ世界・ラテン中世での受容史をまとめ、その後でラテン語版と元のギリ
シア語版をちょっと比べながらさわりを読んでみたいというふうに考えて
います。

では、今回は1回目なので、『気象論』の中身をざっとおさらいしておき
ましょう(詳しい話は、岩波版「アリストテレス全集」第5巻『気象論』
(泉治典訳、1969-94)
の訳者解説などを参照してください)。『気象
論』は周知のように、月下世界の現象について扱ったもので、『自然学』
『天空論』『生成消滅論』に続く自然学的著作の一つとされています。な
ぜ「続く」という言い方になるかというと、これら3書では順に、自然の
第一原理と運動の諸原理、天体へのその適用、月下世界の四元素へのその
適用が論じられていくからです。そしてそれに続くものとして、元素に
よって織りなされる月下世界の気象現象(広義の)が『気象論』で扱われ
るというわけです。

で、内容はというと、『気象論』は4巻から成り、第1巻から第3巻は文字
通りの気象現象を扱っています。アリストテレスが考える気象現象とは、
四元素の生成・消滅・相互変化によるもので、その根本には「蒸発」とい
う作用があると想定されています。あらゆる気象現象を支えるのが「蒸
発」概念なのですね。これをキーワードに、アリストテレスは様々な現象
を取り上げ、説明を加えていきます。流星、彗星、銀河など(それらの尾
や輝きは、視線がある種の蒸発物である反射物質にぶつかり、太陽に向か
うために生じるとされます)から始まって、雲や雨の水蒸気現象、川や
海、風(風もまた蒸発物により生じるのですね)、地震(これまた土の中
の乾いた蒸発物によると説明されます)、雷、竜巻、虹などが考察されて
いきます。第3巻の終わりでは、鉱物や金属の生成に触れています(これ
また蒸発による結果だという次第です)。そして第4巻になるわけです
が、鉱物・金属の生成についての各論が展開されるのかと思いきや、ここ
で一転して、加熱などによる化学的変化の話が展開していきます。物質の
性質について、熱・冷・乾・湿の作用でもって論じられるのですね。内容
的にはむしろ『生成消滅論』につながっている感じで、実際、上のレッ
ティンク本では、すでに初期注解者のアフロディシアスのアレクサンドロ
スなどがそれについて触れ、さらに後にはアヴェロエスもそのように述べ
ているといいます。

この第4巻は明らかに第3巻までとは断絶しています。そのため、後から
加えられたものとする説もあり、また、アリストテレスの真作ではないと
いう説も当然あったのですね。岩波版の訳者解説では、第4巻にporos
(孔)とogkos(塊=原子)という用語が出てくることを受けて、逍遙学
派の中の原子論者ラムプサコスのストラトンの手によるものとする説が
あったことが紹介されています。とはいえ原子論的な考え方が前面に出て
いるわけでもないので、同訳者も論じているように、その蓋然性は低い印
象を受けます。

内容的な個々の議論の具体的な中身はまたその都度確認していくことにし
て、次回からアラブ世界、ラテン中世への流入について見ていきたいと思
います。


------文献講読シリーズ-----------------------
アルベルトゥス・マグヌスの天空論・発出論を読む(その16)

今年も頑張って(とはいえ相変わらず緩くですが)読んでいきたいと思い
ます。ではさっそく取りかかりましょう。

# # #
Talis ergo modus constitutionis est intelligentiarum, motorum et
orbium caelorum.

Post intelligentiam autem orbis lunae et ipsum lunae orbem, qui,
sicut dicit Aristoteles, in aliquo terrestris est, est intelligentia, quae
illustrat super sphaeram activorum et passivorum, cuius lumen
diffunditur in activis et passivis, quae super animas hominum
illustrat, et cuius virtus concipitur in seminibus generatorum et
corruptorum.

以上が知性、動因、天の軌道の構成である。

しかしながら、月の軌道の知性、および月の軌道そのもの−−アリストテ
レスが言うように、これは地上世界に属するものだが−−に続く知性は、
能動的なものと受動的なものの領域を照らし、その光は能動的なもの・受
動的なものへと注がれ、またそれによって人間の魂が照らされる。しかも
それは、生成・消滅の力を種子にもたらすのである。

Si vero lumen, quod a principio primo est, non sit in ratione
intellectus, sed in ratione constituentis tantum et formae, tunc
patet, quod primum inter substantias corpus sphaericum est,
quod solum in se habet omnes situs et differentias et
oppositiones et distantias. Habet enim sursum a circumferentia et
habet deorsum ad medium. Alias autem dextri et sinistri distantias
habet per mobilis elevationem et depressionem. Et sic haec causa
motus recti est et mobilis, quod recto motu movetur vel
simpliciter vel in quoddam. Simpliciter quidem sicut in igne
sursum, in terra deorsum. In quoddam autem sicut in aqua et aere.
Aer enim in igne descendit et in terre et acqua ascendit. Aqua
vero in terra ascendit et in igne et aere descendit. Et haec in
caelo et mundo determinata sunt.

第一原理に由来する光が、知性の領域にではなく、かような構成的・形相
的な領域にあるとのみ見るならば、明らかに実体の第一のものは天空の球
体ということになる。単独でみずからのうちにあらゆる位置、差異、対
立、隔たりを有するものだからだ。つまりそれは、周辺からせり上がり中
央にいたって下降するほか、可動体の上昇・下降運動を通じて、ほかに左
右の隔たりも有するのである。かくしてそれは、直線運動とその可動体の
原因にもなっているのであり、可動体は直線運動によって、単独もしくは
他の任意のものにおいて動くのである。単独でというのは、たとえば火が
上方に、土が下方に動くような場合である。他の任意のものにおいてと
は、たとえば水や空気の場合である。空気は火のもとにあっては下方に、
土と水のもとにあっては上方に動く。一方の水は土のもとでは上昇し、火
と空気のもとでは下降する。以上のことは、『天空と世界について』に明
記されている。
# # #

直線運動というのは上下運動を指しているようです。火はその特性からし
て上昇し、土は重みがあるので下降する、というわけですね。これはもと
もとアリストテレスが述べていることとされています。底本にしている羅
独対訳本の注によると、最後のところに出てくる『天空と世界について』
というのは、もとはアリストテレスの『天空論』で(311a 15-29)、ア
ルベルトゥスはクレモナのゲラルドゥスがラテン語訳したもの(アラビア
語から)を参照しているようです。『天空論』では、元素それぞれの相対
的な重さが問題になっているのに対して、アルベルトゥスの上のテキスト
では、明らかに運動の問題に移し替えられています。アラビア語版テキス
トがないので今すぐには確認できないのですが、翻訳が介在したことでそ
うした違いが生じているのかもしれません。

クレモナのゲラルドゥスは、12世紀にスペインのトレドの翻訳サークル
で活躍した翻訳者の一人で、この人物の手になるアラビア語からラテン語
への翻訳は70点以上を数えるといい、その分野も哲学、天文学、数学、
医学、錬金術など多岐にわたっているようです。有名なところでは、プト
レマイオスの『アルマゲスト』の翻訳を手がけています。ゲラルドゥスは
アラビア語を外国語として学んだようで、『アルマゲスト』の翻訳に際し
てはモサラベ(イスラム統治下のイベリア半島のキリスト教徒)のガリッ
プス(ネイティブスピーカーでしょうか)の助力を得ていたといいます。

上の「短期連載シリーズ」で言及したスホーンハイムの本に、そのゲラル
ドゥスの翻訳の特徴がまとめられています。それによると、基本的には直
訳(一語一句対応させる逐語訳)なのだそうで、そのためにラテン語テキ
ストだけ見ると意味が不明になっているところもあったりするらしいので
すが、その一方で、言い換えや韻律などレトリックへの配慮も見られると
いい、口調重視の姿勢が窺えるともいいます。ここからスホーンハイム
は、当時の翻訳作業の過程というのは、アラビア語を口頭で音読しながら
訳して記していったのだと考えられる、としています。このあたり、とて
も興味深いところです。


*本マガジンは隔週の発行です。次号は01月26日の予定です。

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投稿者 Masaki : 00:06

2008年01月03日

No.117

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.117 2007/12/29

年末でもありますので、今号は短縮バージョンといたします。

------古典語探訪:ギリシア語編----------------
ギリシア語文法要所めぐり(その4:時空間の表現)

今年最後となる今回は、場所と時間にまつわる慣用的表現をいくつかまと
めておきましょう。

まず、場所を表す前置詞ですが、pros(〜へ)、eis(〜の中へ)、epi
(〜に対して)は対格を取るのでした。ちょっと例外的なのが、「人物」
に対してho^sを用いたりすることです。ho^s ton basileaで「王へ」の
意味になります。一方、apo(〜から)、ek(〜から外へ)は属格を取
りますが、これも人物などの場合に、paraを用いたりします。para tou
basileo^sで「王から」。もう一つ大事なポイントが、語尾につけるthen
とde(またはse)。それぞれ「〜から」と「〜へ」を表し、oikothenな
ら「家から」、oikadeなら「家に」。allothenなら「他所から」、
alloseなら「他所へ」。

時間の表し方については、「期間」を表すには対格を、「時間内」を表す
には属格を、「時点」を表すには与格を用いるのでした。「彼は3ヶ月間
病気だった」「彼はその晩のうちに病気になった」「彼は4日目に回復し
た」を比較してみましょう。

1. treis me^nas enosei.
2. taute^s te^s nuktos enose^se.
3. te^i tetarte^i he^merai ano^rtho^se.

また、距離を表すには対格を用います。高さは属格、広さは対格で表され
ます。「彼らは10スタディオン歩いた」「20フィートの壁」は次のよう
になります。

4. deka stadia eporeuthe^san.
5. teichos eikosi podo^n to hupsos.

アクセント記号付きの例文はこちらをご覧ください(http://
www.medieviste.org/blog/archives/GC_No.4.html
)。スタディオン
というのは古代ギリシア・ローマで用いられた単位で、1スタディオンで
約185mとされます(オリュンピアの競技場の長さ)。さて年内はこれで
終了です。来年も引き続き、文法・語法の要所をめぐっていきたいと思い
ます。お楽しみに。


------文献講読シリーズ-----------------------
アルベルトゥス・マグヌスの天空論・発出論を読む(その15)

今回の箇所もまた、三様の理解によって「下位のもの」が織りなされ、序
列・秩序ができあがっていくという話が続いています。さっそく見ていき
ましょう。

# # #
Et hoc modo non est difficile determinare intelligentias et motores
et caelos usque ad caelum lunae ita quod prima intelligentia et
primus motor et primum caelum determinatur ad mobile primum,
quod est caelum primum, quod movetur super circulos
aequidistantes ad circulum, qui vocatur aequinoctialis, super polos
aequinoctialis, qui vocatur poli mundi. Secundum autem mobile
sic: circulus signorum, quod movetur super polos orbis signorum.
Tertium vero mobile sic: stellarum sphaera fixarum. Quartum vero
sphaera Saturni. Quintum sphaera Iovis, et sextum sphaera Martis.
Septimum sphaera solis. Octavum sphaera Veneris. Nonum
sphaera Mercuii, et decimum sphaera Lunae. Ita quod semper
inferior per exuberantiam determinatur superioris per triplicem
intellectum, quo intelligit se, secundum quod a superiori est et a
primo; et quo intelligit se secundum ‘id quod est’; et quo intelligiit
se, secundum quod in potentia est. Intelligere enim se activo
intellectu semper constituere est alicuius quod est sub ipso, cuius
intellectus per lumen suum constitutivus est.

このような形で、月の天球までの諸知性、諸動因、諸天を定めるのは難し
くはない。なんとなれば、第一の知性、第一の動因、第一の天は、第一の
可動体、すなわち第一天に対して定められるからだ。それは昼夜平分円と
呼ばれる円に対して等距離にある円周上を、昼夜平分軸、すなわち世界軸
に沿って動く。しかるに第二の可動体は黄道獣帯の円をなす。黄道獣帯の
軸上を動く。第三の可動体は恒星天となる。第四は土星天である。第五は
木星天、第六は火星天。第七は太陽天。第八は金星天、第九は水星天、そ
して第十が月天となる。このように、下位のものはつねに三重の理解を通
じ、上位のものからの横溢によって決定づけられる。三重の理解とは、上
位のもの、および第一のものから由来するとしておのれを知ること、「本
質」に即しておのれを知ること、そして潜在態としておのれを知ることで
ある。知的現勢態としておのれを知るとは、つねになんらかの、自分より
も下位のもの成立させることであり、下位のものの知性は、その自分の光
によって成立するのである。

Si autem in suprioribus motus plures sunt quam illi quos diximus,
tunc necesse est ordines plures esse et intelligentiarum et
motorum et mobilium. Dicunt enim Ptolemaeus et Rabbi Moyses,
quod multi et quasi innumerabiles motus sunt in superioribus, qui
usque hodie a consideratoribus astrorum non sunt deprehensi.

しかるに、仮に上位(の天)における運動がわれわれが述べた運動よりも
多く存在するのであれば、知性、動因、可動体のいずれの秩序もより多く
あることになる。たとえばプトレマイオスやラビ・マイモニデスは、上位
(の天)には多数の、ほぼ数え切れないほどの運動があり、それは今日で
さえ、天文学者が掌握できていないほどだ、と述べている。
# # #

アルベルトゥスは上で10層の天を考えています。12世紀初めに活躍した
コンシュのギヨーム(『ドラグマティコン』)などでも、天空の構成はほ
ぼ同様です。13世紀半ば過ぎにいたっても、図式そのものは変わらない
ようで、10層の天球は一種のスタンダードとして定着していたことがわ
かります。

興味深いのは二節目のプトレマイオスやマイモニデスの見解ですね。羅独
対訳本の脚注では、プトレマイオスについてはアルベルトゥスの『天空と
世界について』を参照するよう指示されていますが、これは現時点では確
認できていません(悪しからず)。一方、マイモニデスについては、その
代表作『迷える者への道案内』に対応箇所が確認できます。第2部の最初
のほうですが(サロモン・ムンクによる仏語本ではp.254)、要は分離知
性の存在を説いた部分で、「多数の天球が存在するなら、分離知性もそれ
と同数存在するだろう」という話が、アリストテレスの説として紹介され
ています。アリストテレスもほかの誰も、知性の数が10なのか100なの
かは確定していない、けれどもいずれにしても天球の数と同数である、と
いう感じで述べられています。

分離知性というのは要するに質料から離れた知性ということで、質料の中
にある人間知性とは抜本的に異なるものとされています。天球を動かす・
司るのがその分離知性とされ、アルベルトゥスの文章で言う「知性」がそ
れに相当するわけですね。マイモニデス自身は、天球の数が確定していな
い話をした後で、10層(9つの天体と地上世界)であるとする説を紹介し
て、明言こそしないまでも肯定的な見解を示しているように思われます。
上のアルベルトゥスのほうは、わずかながら異説の可能性にも目配せをし
た、というところでしょうか。

この本文もあともう少しです。年明け後も引き続き読んでいきたいと思い
ます。今年も拙訳・拙文におつきあいいだだき、誠にありがとうございま
した。来年もどうぞよろしくお願いいたします。それでは皆さま、よいお
年をお迎えください。


*本マガジンは隔週の発行です。次号は01月12日の予定です。

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投稿者 Masaki : 21:50