2008年10月23日

後期スコラの経済論

最近、スアレスに俄然興味が出てきた(笑)。16世紀のスペインの神学者・哲学者。まあ、中世の括りには入らないかもしれないけれど、後期スコラ(1300年代から1600年ごろまで)ということで、中世とも一続きの関係にはある。その形而上学とかがなかなかに面白そう(&難解そう)なので(苦笑)。ま、それはともかく。このスアレスにもゆかりのある、サラマンカ大学のほぼ同時代の貨幣論3編を英訳した本をゲット。スティーブン・グレイビル編『後期スコラ貨幣理論原典集』("Sourcebook in Late-Scholastic Monetary Theory", ed. Stephen J. Grabill, Lexington Books, UK, 2007)というもの。収録されているのは、マルティン・デ・アスピルクエタ、ルイス・デ・モリナ、フアン・デ・マリアーナのそれぞれの貨幣論。これらの著者はいずれも16世紀のサラマンカ大学の神学者たち。まだ各編の序文に目を通しただけだけれど、先のウッド本の延長という感じで、16世紀の経済状況と思想状況が複合的に扱われている。すっごく大きな枠としては、16世紀以降、貴金属の新大陸からの流入によって物価の高騰がもたらされ、それらの因果関係や社会的な批判理論として倫理学的な考察が促されたというのが一点。さらに16世紀にはパラダイム転換がおきていて、科学革命の余波というか、個人を経済主体と見る考え方が出てくるほか、個人が価格決定者というより価格受容者と捉えられ、その経済活動に客観的な法則性を探る動きが出てくるというのが第二点。またこの「サラマンカ学派」はオッカム流の唯名論の立場を継承している(抽象概念が心的な構築物に過ぎないとする立場)という指摘もあったり。これらを前提に、ちょっと各テキストそのものを(英訳だけれど)眺めてみようかと。

投稿者 Masaki : 23:35

2008年10月08日

株価暴落の日に

少し前に文庫で出たケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』(間宮陽介訳、岩波文庫)を、このところ暇があると少しづつ読んでいたのだけれど、これ、何の予備知識もなく取りかかるのはかなり無謀だということがわかった(爆笑)。リファーされている議論とかが皆目わからないので、何のこっちゃらという部分が少なくないのだけれど、まあ、とりあえずメインストリームだけ追えればよいかな、と。やはりこういう本は丁寧な解説本から入るのが正しいアプローチかと反省しきり……。

で、これに関連して(関連は少ないのだけれど)少し中世の前経済学的な思想についても触れてみたいということで、ケンブリッジの中世学教科書シリーズから、ダイアナ・ウッド『中世経済思想』(Diana Wood, "Medieval Economic Thought", Cambridge Univ. Press, 2002)を読み進めているところ。とりわけ3つ目の貨幣についての章が面白い。中世盛期以降の貨幣に関する議論がアリストテレスの倫理学・政治学をベースにしていることを示した後、トマス・アクィナスの整理に沿って貨幣の機能を分類し(価値の尺度、交換の手段、蓄財)、それぞれについての思想潮流をまとめてみせている。さらに背景にも触れていて、貨幣経済の「離陸」は950年ごろで、とりわけ神聖ローマ皇帝のオットー時代の経済発展が寄与しているのだという。その後、銀山の発見などで潤沢な貨幣が出回ることになり、地代や給金などのやりとりが賦役や現物ではなく貨幣に取って代わられていく。しかしながら銀山が枯渇したりして貨幣の流通量が減ると、14、15世紀には大きな景気後退が生じたりもしているのだとか。なるほど、このあたり、神学者たちの議論とのかねあいなどもあってなかなか面白そうではある。

……なんてことを思っていたら、入手したばかりの『中世思想研究』第50号に、トマスの金銭使用論についての考察が掲載されていた。なかなかタイムリー。最後の部分に、金銭のみが増殖する市場の定置についての批判が込められている。トマスの示す「寛厚」こそが、市場での営為の倫理的側面を開く契機だという次第。今まさに再びそういうオルタナティブを考えることが求められているのだ、と。

さて、上のダイアナ・ウッド本の表紙を飾っているのが、イングランド東部サフォーク州はウェンヘイストンにある1480年ごろの『最期の審判』図(Doom)から、「魂の計量」の一部分。もとは小修道院の礼拝堂の内陣を飾っていた板絵。天秤に乗せられているのは信者と異教徒か。経済的な発想が宗教の教義内容にまで浸透している様を表しているような感じ。

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投稿者 Masaki : 19:35