2004年04月26日

シャルパンティエのオラトリオ

シャルパンティエのオラトリオを集めた『3つの聖書物語(Trois histoires sacrées)』(naïve、E8821)を聴く。演奏はジェラール・レーヌとイル・セミナリオ(2000年の録音)。収録曲は「サウルとヨナタンの死」「アブラハムの生贄」「天使と羊飼いたちとの対話」。ラテン語テキストをフランス式発音で歌っている。シャルパンティエの中の、明朗で伸びやかなメロディメーカーとしての側面を感じさせる曲想そして演奏。ライナーによると、シャルパンティエは1660年にローマに赴いた後、フランスへの帰国後にオラトリオの作曲を始め、32曲を残しているという。当時のフランスにおいてはこの手のジャンルはかなり珍しかったらしい。

今回はジャケット絵ではなく、テーマとして合致するものを。次に示すのはフランス国立図書館所蔵の『ユダヤ古代史』の写本細密画から「ダビデへのサウルの死の知らせ」。15世紀の画家ジャン・フーケによるもの。
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投稿者 Masaki : 11:08

2004年04月18日

後宮からの誘拐

16日の深夜(17日未明)に放映していた2種類の『後宮からの誘拐』。一方は昨年のチューリヒ歌劇場の公演、もう一つはザルツブルクのマリオネット劇場の人形劇。もちろん生身の前者の方がいいに決まっているけれどね。うーん、少し前までDVDで出ていたカール・ベーム指揮、バイエルン国立歌劇場の公演あたりが正統派の標準だとすると、こちらはもっとモダンな演出ではあるけど、
舞台の袖や服装・表情を長々と映し出す変なカメラワークが気になって(おそらくそれはそれで、微妙な心理の変化などを見せようという映像的演出なのだろうけれど)、なんだか音に集中できなかったこともあって、どこか散漫な印象に……(苦笑)。ちょっと残念かな。

そういえば少し前にジジェク+ドラー『オペラは二度死ぬ』(中山徹訳、青土社)を読んだのだけれど、その前半、ムラデン・ドラーのモーツァルト論では、『後宮からの誘惑』はその後のオペラ作品にとってのスプリングボードとして重要な地位が与えられていたように思う。なるほど、一見しただけでも『コシ・ファン・トッテ』やら『魔笛』は『誘拐』の延長線上にあり、ヴァリアントとして異なる展開や意味作用が盛り込まれていき、さらにその先にはベートーヴェンの『フィデリオ』が待っている。そう考えていくと、ワーグナーじゃないけれど、全体のトーンが作品ごとに徐々に変調していくようなツィクルス上演なんてのもありかもしれないなあ、などと勝手に思ったり(笑)。

投稿者 Masaki : 23:12

2004年04月14日

朝課など

先週はいわゆるホーリーウィーク。それに関連するものとしてまずはジェズアルドの『ルソン・ド・テネブレ』(デラー・コンソート、HMA 190220)。収録されているのは「聖木曜日のためのレスポンソリウム」。さすがはジェズアルド、宗教曲でも不協和の使い方がとても斬新で、ある意味とても現代的だが、微妙な旋律の動きがとても歌いづらそうな印象。デラー・コンソートはなかなか善戦しているなあ、と思う。

もう1枚はシュッツのオラトリオ『キリスト復活の物語』(ZZT030101)。演奏はアカデミア(フランソワーズ・ラセール指揮)シュッツもジェズアルドのほぼ同時代人。ルネサンスからバロックの移行期にあたるわけだが、ジェズアルドが伝統的なポリフォニーにこだわりながら革新的なことをなしていったのに対し、シュッツはイタリアで盛んになっていくモノディも取り入れつつ、新旧両方の様式を洗練していくのだという(ライナーより)。なるほど、シュッツは若いときにイタリアにも行っていたのだそうで、そういう立場は曲想にも表れている感じで、そのコントラストがとても興味深い。そればかりでなく、表題曲はドイツ楽派初のオラトリオということだけれど、この情感溢れる音の喚起力は特筆ものかも。実にドラマチックだ。

さて、ジェズアルドの方のジャケット絵は「ユダの接吻」(部分)となっているのだけれど、元絵が確認できなかった。ここでは代わりにジョットの有名な連画(スクロヴェーニ礼拝堂)から「ユダの接吻」を挙げておこう。
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投稿者 Masaki : 22:42

2004年04月08日

雑誌Classicaの最近の付録など

パリ北部のシテ・ド・ラ・ミュジークでは、6月までの予定で「秩序と無秩序の間」という中世の音楽図像学的史料の展示会が開かれている。フランスの雑誌『Classica』にその一部写真が載っていて興味深い。なかなか貴重なエキスポだ(ちょっと行けないのが残念)。直接関係するわけではないけれど、最近ようやく越宏一『ヨーロッパ中世美術講義』(岩波書店、2001)を読んだ。中世美術全般についての「見方」のすぐれた概説書。そういや今年の夏には新潟でルーヴル美術館の中世宝物展があるという話だ。

さて、上の雑誌『Classica』は毎号CDが付いてくる(お決まりだけど)。最近のバロックものとしては2月号(No.59)のレラ・カツァラヴァのピアノによるバッハ『ゴルトベルク変奏曲』、3月号(No.60)のティエリ・グレゴワール(カウンターテナー)によるヴィヴァルディ&ヘンデルなどがあった。前者はグルジア出身の若手演奏家。最初のアリアのスローテンポにいきなり不意打ちを食らわされる感じ。全体このピアノ、存外にチェンバロっぽいところに好感。雑誌本体のミニインタビューでは「ひたすらバッハだけを弾いている」とのべ、無欲な求道者という感じがまたいい。後者はフランス期待の若手カウンターテナーと紹介されている。収録曲はヘンデルのカンタータが中心。落ち着いた、制御の利いた歌唱だ。

さて、ヘンデルというと、最近某局の昼ドラのせいで、『リナルド』の中の一曲「涙流るるままに」(Lascia ch'io pianga:2幕4場)の日本語版が男性ソプラノの岡本知高(それにしてもあの格好はなんとかならんのかなあ)ともども人気なのだそうな。うーん、けれども一曲だけじゃなく、やはり歌劇全体をこそ聴かなくてはね。個人的に基準盤にしているのはホグウッド指揮、アカデミー・オブ・エインシェント・ミュージックの『リナルド』(467 087 2)。十字軍時代のエルサレムを舞台にした恋愛もの……って考えてみればすごい設定だな。「涙流るるままに」は、エルサルムの王に言い寄られる囚われの身のヒロイン、アルミレーナが運命を嘆く箇所で歌われる。

投稿者 Masaki : 14:31

2004年04月05日

バッハとリュート

3日に報じられたバッハの新譜(行方不明だった結婚カンタータのもの)発見のニュースには驚いた。うーん、こんなこともあるんだねえ。まだいろいろな史料がいろいろな場所に眠っていそう。それを記念して……というわけでもないけれど(笑)、とりあえず聴いているのは大御所ホプキンソン・スミスのリュートでバッハ『リュート作品集(L'oeuvre de luth)』(naïve、E3000)。これと、同じくスミスの『ソナタ&パルティータ』(E8678)はバッハのリュートものとしては一応定番か。確かに繊細で、構成美を強調しているような知的な演奏ではあるけれど、その分純然たる面白みをちょっと減じているきらいも……(?)。なるほど、80年代初頭の録音が主なせいか、70年代あたりのギターによるバッハ演奏のテイストを残している感じもある。さる人から話に聞いたところでは、ホプキンソン・スミスは前回の来日公演で、「その後のバッハ演奏の境地」みたいなものを披露していたそうだ。今年の秋に再び来日するらしいけど、今回はどんな曲目になるのか楽しみ。バッハもちょっとは入れてほしいなあ。

投稿者 Masaki : 22:16