March 31, 2005

新プラトン主義と「視覚」の問題圏(1)

−−四元素説の周辺−−

前回のこのシリーズでは、ロジャー・ベーコンの光学理論を簡単にまとめてみた。作用素が媒質を介して形象を形作る、というのがその骨子で、受け手の視覚を構成するのは媒質であるというのが基本的な考え方だった。媒質は作用素によってその作用素の似姿になる。してみると、これがある種の形で質料形相論を踏襲していることは明らかだ。作用をなす大元は形相を与え、受け手との間に立つ媒質が質料としてその形相を受け取るという図式である。視覚を構成するには媒質がなくてならないとされる以上、媒質には大きな重みが付与される。13世紀の大きな流れとして、質料が単なる形相の受容体にとどまらず、なんらかの力を形相に遡及させうるものとして評価され直すという動きがあったわけだが(ドゥンス・スコトゥスなど:別稿の「個体化理論の今昔」を参照)、ベーコンもその思想潮流のただ中にいたことが、そうした議論からも窺える。

いずれにしてもそれは、当時の比較的新しい理論だったように思われる。アリストテレスの思想が本格的に取り込まれて以降の流れに位置づけられるわけだが、そうなると今度は、それ以前にはどのような立場が視覚をめぐる理論として優位にあったのか、という話を振り返られないわけにはいかないだろう。アリストテレスが本格的に受容される以前の、12世紀ごろの思想的主流としては、当然ながら新プラトン主義の系譜を挙げなくてはならないだろう。ボエティウスやアウグスティヌス以来の伝統の中で、新プラトン主義はキリスト教世界の中で揺るぎない地位を保っていたとされる。とはいえ、本格的な受容にいたる前のアリストテレス思想もまた、そこに微妙に絡んでくる。今回はそのあたり微妙な関係を、四元素説を中心にまとめておきたい。そのためにまず取り上げるのは、12世紀の新プラトン主義思想の文脈で重要な役割を果たしたとされる人物の一人、コンシュのギヨームである。

◇コンシュのギヨーム

コンシュのギヨームはいわゆるシャルトル学派の一人とされる。弟子となるソールズベリーのジョンは、ギヨームのことを「最高の文法学者」と称している。コンシュはノルマンディ地方のエヴルー近郊の小村で、ギヨームは1090年頃にそこで生まれたらしい。ギヨームもまたシャルトルで学び、そのまま1120年代からは教鞭を執るようになった。この時期から執筆活動も始めている。一般に「若書き」とされる著作『世界の哲学』はその頃のものらしい。やがて、その思想内容に異端の嫌疑をかけられるなどしてシャルトルを去ったギヨームは、ノルマンディに戻り、ジェフロワ・プランタジネットの庇護のもと、その子どもたち(後のヘンリー2世)の家庭教師を務める。この頃、先の『世界の哲学』の長大な増補版ともいうべき主著『ドラグマティコン』の執筆に取りかかる(1144年から49年の間)。ノルマンディ公(ジェフロワ・プランタジネット)と哲学者の対話という形(プラトンやキケロを踏襲している)を取り、宇宙開闢論を語っていく同書は、天体、地球、人間の身体にいたるまで、壮大なコスモロジーの諸相がそれぞれ比較的簡潔に示されていて興味深い。著作としてはこのほかいくつかの注解書があり、それぞれボエティウス、マクロビウス、プリスキアヌム、プラトンなどを扱っている。このほか、まだ著者への帰属の真偽が定まっていないものもあるという。

以上、英訳版の『ドラグマティコン』("A dialogue on Natural Philosophy", trad. Italo Ronca & Natthew Curr, University of Notre Dame Press, 1997)の訳者らの序文(pp.XV-XXVI)からまとめてみた。『ドラグマティコン』全体は6巻から成り、1〜2巻が元素論、3〜4巻が天体論、5巻が気象論、6巻が地理・人体論となる。各巻の議論はなかなかに網羅的で、様々なテーマが扱われ、さながら百科全書的なのだが、当然ながら、ここでは全体を網羅的に取り上げることは到底できない。あくまで部分的に、『ドラグマティコン』から視覚などを論じた部分、あるいは質料形相論に関係する部分だけをごく簡単にまとめておくことにする。なお、上の英訳本のほか、テキストとしては、フランス国立図書館のオンラインデータベースGallicaから入手可能な"Dialogus de substantiis physicis: ante annos ducentos confectus / a Vuilhelmo Aneponymo philosopho... ; industria Guilielmi Grataroli,..." があるので、これから原文を引用しておく。1567年の初期印刷本の復刻版だ。

同書の基軸をなすのはなんといっても有名な四元素説である。物質は四大元素(火、水、空気、土)から構成されるというこの説(さらに宇宙を構成する第五元素も想定される)は、中世を通じて広く流布したものだが、質料形相論との関連はやや不透明な印象が残る。『ドラグマティコン』では、それらの元素は、それ以上分割できないもの(「パーティクル(particula:粒子)」)と説明される。「部分から成るのではなく、みずからを構成するもの("sunt igitur in unoquoque corpore quedam, quae ita componunt ipsum, quod ex partibus non componuntur", p.23)(英訳p.14)」であり、「最小構成体をなしていて、それらが合わさると単一の大きな物体ができあがる("Sunt igitur in unoquoque corpore minima, que simul juncta, unum magnum constituunt : haec a nobis dicuntur elementa", pp.25-26)(英訳p.15)。これは原子論に近い考え方だが、特徴的な点として、粒子には異なる特性が付与されている、とされることが挙げられる。特性は寒暖と湿乾から織りなされる。「暖」「乾」の特性が付与された粒子が火であり、「寒」「乾」なら土、「寒」「湿」なら水、「暖」「湿」なら空気が構成される(この部分はpp.36-37の要約:英訳pp.22-23)。現実世界にある火や土は、したがってそれ自体が元素なのではなく、そうした元素が均質に結合した複合物としてある、ということになる("sed si una particula per se sentiri non possit, adiuncta tamen aliis, sentitur. quid autem aliud est corpus quam particulae simul conjunctae ?", p.28)(英訳p.17) 。

四元素の考え方はエンペドクレスにまで遡ることができ、アリストテレスも『形而上学』でそれを取り込んでいる。上に記した粒子への寒暖・湿乾の特性付与という部分は、アリストテレスから継承された議論である(『岩波哲学思想事典』(1998)の「元素」の項目を参照。p.469)。ところでギヨームの場合には、ここにもう一つ、錬金術的な思想が合流してくる。東方的な「宇宙卵」の考え方などを結びつけていたりするのである。世界は卵の形で構成されていて、中心から外に向かって土、水・空気、火が層をなしている("Mundum istum ad similitudinem ovi constitutum esse confirmat. (...) sic in medio mundi est terra : circa eam ex omni parte fluit aqua, circa quam aer, circa quem ignis, extra quem nihil est.", p.41)(英訳p.25)というのだが、そこに先立つ箇所では、原初のカオスが特性付与により分離してそうした層をなす、という話が基本的な考え方として示されている(pp.38-40)。

いったん四大元素が想定されると、それらが様々に組み合わされて具体的な物質を構成することになる。するとここから先、例えば星や人間、動物などの創造について語られる部分では、それらの組合せによっていかに可視的な事物ができるかの説明の多くが費やされており、形がどう与えられるか、といった問いはほとんど顧みられなくなってしまう。こうなると、元素論と質料・形相の考え方との対応関係はどうなっているのか、という点が気になってくる。ごく図式的に復習しておくと、プラトンの場合の質料・形相の概念は、『ティマイオス』に見られるように、あくまでイデアがコーラ(場、受容体)に受容されるというシンプルなもので、類と種差、可能態と現実態といった区別に質料・形相を絡めるアリストテレスのものとはスタンスが異なっている(同『事典』の「形相」の項目、p.419)。ギヨームの四元素説では、粒子は物質を形成するものとしては、受容体としてのコーラの側に位置づけられている。元素の話はあくまでコーラの側の生成論なのであり、形の付与がここで語られていないのはある意味当然ことなのだ。「創造主はそれらの粒子を一つの大きな物体として創造した。粒子は部分的に区別されず、その全体として混合していた。(…)均衡も中間ももたずに接していた熱いものと冷たいものは反発したし、湿ったものと乾いたものもそうだった("Creator istas particulas in uno magno corpore creavit, non localiter distinctas, set per ipsum totum commixtas (...) Calide enim frigidis in eo fine proportione et medio conjunctae repugnabant", p.30)(英訳p.17)」。この原初のカオスの記述はプラトン的、『ティマイオス』的だ。創造において、すでにして元素の特性は付与され、その特性同士が本来は同一である粒子(元基)を反発させているのだ。

では形の議論はまったくなされないのかといえば、それはそうでもない。ごくわずかだが、それは意外な箇所に見いだされる。例えば6巻の第2部にあたる人体論の中で精子を扱った部分があるが、そこでは「自然は同種から同種を作る("Natura exigit, ut similia de similibus nascatur.", p.236)(英訳p.134)」という原則が示され、精子の中には人体を構成するすべての要素が入っているという説が述べられている("Ut igitur omnia membra inde possint progredi, ratio est de omnibus aliquid in spermate contineri.", 同)。形あるものから形あるものが生まれる、形相から形相がもたらされるという考え方だが、ここに形相の独立性(質料に対する)が見てとれる。形を与えるのはあくまで形相の側なのだ。

◇「視覚」はどう理解されるか

また、形がどう作られるかはあまり正面切って取り上げられないものの、形をどう認識するのかについては多少まとまった議論が展開されている。第6巻では、人体論の一環として視覚の問題が取り上げられている。コンシュのギヨームは「視覚」について、諸説あるうち唯一真であるものとして、プラトンのアカデミア派の理論だとするものを挙げている。それによると、人間の脳の中には空気的な微細な物質(aerea substantia)があり、プラトンはこれを「火」と呼んでいて(英訳書の注によれば、これはカルキディウスによる『ティマイオス』のラテン語訳によるもの。この『ティマイオス』のラテン語訳については、稿を換えて取り上げたい)、脳から両方の目に伸びる視神経を通じて、その微細な物質は両目に送られる。瞳孔(pupilla)に送られたその物質は、外界に明るさがあるとそちらに向かっていく性質があり("si splendorem in exteriori aeris parte reperit, illi se conjungit")、外界の障害物にぶつかると、その障害物の表面に流体のように広がり("per totam superficiem se diffundens")、その障害物の形や色を纏い("formamque illius et colorem in se recipit")、それら形や色を保ったまま目に向かって返ってくる。目から入ったその物質は脳内へと戻り、魂にその形や色を伝えるのである(以上まで、pp.281-282)(英訳p.157)。ここで示されているのは、有名な眼球放射説だ。

後のロジャー・ベーコンなどでは否定されるこの放射説は、しかしながら媒質をなすものの存在と、それが外界の物体を似姿を作るという点では、後の光学理論に大きな影響を与えているようにも思われる。ただ大きく違うのはその力のありようだ。ベーコンの場合は物体が媒質と出会うことで媒質が作用を受ける。言い換えれば、物体の側、作用素の側が力をもっている。逆にギヨームにおいては、媒質となるもの(あえてここで媒質という用語を使うと)を目が放出し、物体が特に積極的な作用を及ぼすのではなく、あくまで媒質がその性質ゆえに形を写し取って戻ってくる。力は媒質の側、その媒質を放射する目の側にあるのである。

さらに鏡像についてのギヨームのコメントを見ると(これもカルキディウス訳『ティマイオス』がベースになっている)、目から放出される物質は、本来の性質として、どの物体の上にも「見る者本人の像」を作り出そうとするのだとしている。ところが暗い物質の上では「本人の像」は形をとらず、明るいクリアな物体の場合にのみ、その像が形をとる("Aerea substatia (...) habilitate sua circumquaque se diffundit, atque figuras et colores tam videntis quam circumpositorum sibi assumit : sed si haec sif informata ad rem obscuram vel nimis splendidam pervenit, non apparet. Si vero ad rem tersam et politam, quae sit solida, tunc apparet.", p.289)(英訳pp.160-161)。これが鏡や水面の反射現象だというのだ。媒質はもともと形を写し取る力をもっており、外界の物体の側の特性に応じて、どの形が(見る者本人の像か、それとも物体の像か)現れるかが決まる、というのである。物体の側は積極的に作用を及ぼすのではなく、あくまで副次的・規制的に媒質の働きに関係するのだ。

形を写し取る力をもった物質が、外界の物体を構成する物質とどう違うのか、詳しい説明は見当たらない。ただその脳内から放射される物質も、「空気的(aeris)」と言われるように元素から成ることは確かだ。とはいえその力そのものは、物質ではない魂の側に存するとされているかのようだ。物質の側にはいかなる力は認められていない。それが1世紀後のベーコンの論とは決定的に異なっている部分なのだろう。

これとの関連で、イヴァン・イリイチの「視覚の過去とまなざしの論理」(1995)(桜井直史訳、『季刊・環』vol.20所収、pp.64-96)にも触れておこう。これは古代から中世を経て近・現代にいたる「オプシス」の歴史を振り返っている興味深い論考だ。それによると、古代から中世へと受け継がれた「目から発する放射(ray)」(同誌、p.69)の考え方は、ニカエア公会議の「像の前での視覚のためらい」(p.72)を経た後、10世紀のアルハーゼン(アル・ハイタム)によってようやく一大転換を迎える。それまで外界で像が結ばれるとされていたのに対し、アルハーゼンの考えでは、像を結ぶ場所は目であることが指摘されるのだ。もちろんまだ、対象物が発する何かを目が受け取るという図式ではあるにしても、これは大きな転換点をなしていた。とはいえ、アルハーゼンの論がラテン語に翻訳されてヨーロッパ世界に広がるのは13世紀、中世盛期になってからだったのだ。まさにそれは、アリストテレスの本格的受容がなされるのと同時期である。

◇四元素説のその後:アルベルトゥス・マグヌス

アルハーゼンの光学理論もいずれ検討したいが、ここではとりあえず、次の点を確認しておこう。すなわち、そうした理論が流入した頃、四元素説の方はどのようになっていたのか、なんらかの変化や影響を被っていたのか、という問題だ。もちろんこれも、広く文献に当たって詳細に検討する余裕はないので、一例のみを取り上げて、その範囲でのみ検証するしかない。今回取り上げたいのは13世紀のドイツの神学者、アルベルトゥス・マグヌスである。この人物は実に精力的な著作活動をしており、その内容も実に多岐にわたっているというが、その著作の膨大さでトマス・アクィナスと並ぶ一大思想家だと言われるわりに、思想史的にはことのほか言及されることが少ない人物でもある(一方で錬金術の文脈で取り上げられることは多いようだ)。フランスの中世思想史家エティエンヌ・ジルソンは概説書『中世の哲学』(Etienne Gilson, "La philosophie au Moyen Age", Payot, 1986)の中で、アルベルトゥスの著作はその最も有名な弟子(トマス)が用いなかった素材を豊富に含んでおり、より広範かつ雑然とし、学術的にはより豊かだ、と評している(p.504)。アルベルトゥスは、当時までに蓄積されていた、ギリシア、アラブ、ユダヤの学知を、ラテン世界の手の届くところに置いたのだ、とも述べている(同)。

通常はアルベルトゥス・マグヌスと称されるこの人物は、ボルシュテットのアルベルトゥス、また同時代的にはケルンのアルベルトゥスと呼ばれていた。1206年ないし1207年ごろの生まれで、没年は1280年とされている。ロジャー・ベーコンとほぼ同時代人であり、アリストテレスが受容される時代を生きただけに、とりわけドイツにおいて逍遙学派の取り込みを担った一人として知られている。実際彼は、アリストテレスの著作全体に初めて解釈をほどこした人物とされてもいる。とはいえ、その基本的な姿勢はより柔軟で懐も深い。ジルソンはアルベルトゥスの「倫理ならば諸哲学者よりもアウグスティヌスを、医学ならヒポクラテスやガレノスを、自然学ならアリストテレスを信じるべきだ」との発言を紹介している(p.509)し、さらには、まるで人間の知性が作り上げた美しい構築物を報告しつつ、自分は理性が許す範囲でしかコミットしていないかのようだ、とも述べている(p.510)。一例としてジルソンは魂をめぐる議論を挙げているが、そこでのアルベルトゥスは、魂の定義についてアリストテレスに同意しつつも、魂が形相であるという定義はその本質をめぐるものではなく、あくまで機能的な定義にすぎないのだとし、そこからプラトン的な魂の本質論に接近していく(p.511)。アルベルトゥスにとっての哲学的真理とは、プラトンとアリストテレスとが重なった部分に存在するのだという(p.512)。

そうした文脈からすれば、アルベルトゥスが上の四元素論を踏襲していることもまったく不思議ではない。事実、ある意味で最も有名な著書である『鉱物について』("De mineralibus")は、四元素説をベースにして物質(この場合は鉱物だが)についての考察をめぐらしている。加えて、全般的にところどころに錬金術的な言及が挿入され、複合的な知が配列されているような印象をもたらしている。ここでは少しだけ同書に立ち止まって、四元素説の扱いを中心に簡単に内容を見ておこう。参照するのは、偽ライムンドゥス・ルルスの『自然の秘密』との合本として1541年に刊行された初期印刷本の復刻版である("De secretis naturae", Manucius / Bibliothèue Interuniversitaire de Méecine)。ちなみに、『鉱物について』には初期活版印刷本だけでほかに6つの版があるという(同復刻版に付与された冒頭の序文)。

『鉱物について』は5巻から成り、1巻では石の成り立ち、2巻ではそれぞれの石がもつ特性、3巻では金属の成り立ち、4巻では金属の特性、5巻では媒質として利用できる金属について語られている。四元素説が関係しているのはとくに1巻においてである。アルベルトゥスによる石の生成のエッセンスは次のように説明される。まず石の定義はというと、それは「火の中で蒸発しないもの("lapidem vocantes omne illud quod non evaporat in igne", p.58R)」を言うのであり、その組成は基本的に土と水から成っている("...omnis lapidis materiam esse speciem cuisdam terrae aut speciem quadam aque", p.59R)。両者のいわば「つなぎ」となるのが湿度である("causa continuationis et commixtionis est humidum", p. 60)。石が生成される場所には水の存在が欠かせず、環境として雨などの形で水が注入されなくてはならない("...in quibusdam locis in quibus est virtus fortis lapidum generativa, descendens pluviam guttam vel aliter fusam concrescit in lapidem..., p. 61R)。さらに冷却されることによって、石は(というか、水を組成とするものは)凝結する(...ea quorum materia est aqua praecipue frigido coagulant.", p,64L)。こうして石が出来上がるのだが、元素の構成比率や凝結する際の冷却の度合いなどに応じて、石には様々な別種がもたらされるのである。

「(石が)生成する原因は、鉱物がもつ石の形成力にある(...caussam verissime generativam esse virtutem mineralem lapidis formativam.", p.65R)」、というのがアルベルトゥスの立場である。確かに、その形成する力、形相を与える力はもともと他所から与えられているとされている。例えば、ギヨームと同様に、アルベルトゥスにも精子(種)を引き合いに出している箇所がある。ただし、ギヨームのように、人体を構成する要素がすべてそこに詰まっているとは考えていない。「滋養の詰まった動物の精子に、動物を形成し実現する形成力が精導管から下ってくる("...sicut in semine animalis quod est superfluum nutrimenti descendit a vasis seminariis vis formativa animalis quae format et efficit animal...", p.66L)」。詰まっているのは構成要素ではなく形成力なのだ。形を与える力は精子そのもの(物質的な)とは別に想定されていることがわかる。その意味で、形成力は物質に内在しているのではない。けれどもその力は、予め質料に与えられていて、質料の側に存続するものと考えられている。この点が、先のコンシュのギヨームとは異なっている部分である。石の生成においても、形成力は鉱物、つまり質料の中にある。ただしそれは質料にもとからあるのではない。形成力と呼ばれるのは、天上から場所と質料に与えられた力のことだとされているのだ("...virtus autem a coela data loco et materie quae formativa vocatur...", p,67L)。2巻の宝石について述べた箇所でも、形相は二つの間、つまり形相を与える天上の力と、それが注がれる質料の複合体との間にある、とされている("Forma igitur ista inter duo est haec inter coelestis virtutes a quibus datur et super materiam complexionatam cui infunditur.", p.92L)。

ギヨームにおいては、質料には受容体(コーラ)としての役割しか与えられていない。そこには力を持続的に保持するような契機はなく、ひたすら受動的で、形相の側からの働きかけがなければなんらの変化もない。一方、アルベルトゥスにおける受容体(「場と質料」という言い方がすでにしてコーラを連想させる)は、力を受け取って保持し、さらには作用させることもできる。質料の側に単なる受容体以上の機能を見るというこの視点は、明らかに13世紀のものだ。ドゥンス・スコトゥスにおける質料の再評価などの議論と、それはまさに同じ思想潮流を共有している。

ギヨームの元素論は、四元素の織りなしと東方的な宇宙開闢論との関連を色濃く反映していた。対するこの『鉱物について』の元素論は、今度は宇宙論的な視座で形相と質料の問題を扱っているように思われる。元素のもつ力はそもそも天空のシステム(元素とはもともと宇宙全体を構成するものとされていたのだから、当然ではあるのだが)に由来するものであり、それが質料、つまり個別の物質にも注ぎ入れられている、というのがその見解なのである。ギヨームの場合には、宇宙論的なスケールの話はしていても、あるいはそういう話をしているからこそ、具体物の形を与えるものがどこに存するのか、どこから形は与えられるのか、今ひとつ明らかではなかった。一方このアルベルトゥスにおいては、アリストテレス的な方法論的観点、つまり具体物から出発するという考え方が前面に出ているように思われる。同じ四元素説に立脚していても、そこには、具体物に即してその生成を考える、具体物に受動的である以上の作用を認めるという姿勢が濃厚に出ているのだ。質料形相論的な考え方の再導入により、質料の生成だけを念頭に置いていた四元素説は、形相との連関までも含めた、より立体的、より包括的な議論へと開かれていくのだろう。

四元素説と質料形相論の折り合いの一端をここでは簡単に見たわけだが、となると、視覚論の転換についてもアルベルトゥスに即して検証したいところである。とはいえ、そのためには『鉱物について』以外の著書を見ていかなければならない。さらにまた、新プラトン主義の伝統においては、視覚あるいは光をめぐる議論はまた別の問題をも喚起している。詳しくは次回に譲るが、いずれにしてもその場合、より広くドイツ地域における新プラトン主義の浸透、さらにそれに重なるアリストテレス主義の浸透という問題をも同時に見ていく必要が出てきそうだ。そのあたりが次回のテーマになっていくだろう。かくして持ち越すことなる作業を含め、視覚にまつわるさらなる問題を改めてめぐっていくことにしよう。

Text:2005年3月

投稿者 Masaki : March 31, 2005 10:45 PM