April 20, 2006

「像」としての人間(1)

形象や光をテーマとしてつづっているこのノートだが、ここでいったん「光」を離れ、しばらくは「像」について注目したいと思う。「像」と聴いて思い起こされるのは、なによりもまず創世記の、「われわれに似せて人を造ろう」という一節だ。そこでの似姿(imago)を手がかりとすれば、はるか下流に位置するイコンの問題にまで下っていくことができそうだ。中世におけるキリスト教の伝統では、人間は神の思慮(intellectus)によって造られた「像」なのだとされる。けれどもそれは、さらに拡大解釈されて「世界」そのものが像として造られている、といった言説をも導くことになる。すると今度はその創造の行為が逆投影される形で、人間による像の製作という問題が大きくクローズアップされてくることになる。このあたりの話を追いかけていこうというのが当面の目標である。今回はまず、歴史的に点在する、像としての人間というテーマの諸相を、いつもと同様に概観していくことにしよう。

◇再びエックハルトから

前回言及したエックハルトは、神による人間の創造についても興味深い解釈を示している。前回も取り上げた『創世記注解』は、思想史的に見ても細かな問題をいろいろと提示しているように思えるが、ここではとりあえず、唯一神による人間の創造を扱った箇所を簡単に見ておく。それはある流れの一つの結節点をなしているかのように見える。

「われわれに似せて人を造ろう」という部分の注解を、エックハルトはまず次のような指摘から始める。人間がその他の下位の被造物と異なるのは、次の点においてだとされる。後者が神に「属するもの」に似せて産み出されているのに対し、理性的・知的存在、すなわち人間は、「神に属するものというよりも、神そのものに類似している」("natura vero intellectualis ut sic potius habet ipsum deum similitudinem quam aliquid quod in deo sit ideale")('Expositio Lib. Genesis', 115節, "L'oeuvre latine de Maitre Eckhardt", cerf, 1984, p.384)のである 。神のうちにあるもの、それはイデアだということになる。では人間のモデルたる神そのものとは何かといえば、それは「知性」にほかならない。エックハルトはアリストテレスを引き、さらに「理性的魂の完成形として知解される世界がある」というアヴィセンナの一節を引いて、「つまり人間は神の『実体』に『似せて』神から造られたのだ」("Hinc est quod homo procedit a deo <> divinae <>)(ibid)と述べている。要するに、人間が神の似姿(=像)であるとされるのは、「知性」においてであるということだ。その論旨は以上で完成する。

さらにアウグスティヌスから「人間が神の像であるのは、神の力による」という一節をも引き、そのほか古代ギリシアから継承された「人間=ミクロコスモス」論にまで言及している(ibid, p.386)。これに続く箇所(116節)では、ユダヤの思想家マイモニデスが引用されている。アダムに与えられた知性が完全なものだったことから、その知性をもって「アダムは神の似姿として造られた」といえるのだ、という議論である(p.388)。

このように、エックハルトにおいては、似姿=像としての人間は、知性としての人間に限定される。それにしても、この議論で引き合いに出されている文言の数々を見ても、知性における(による)類似というテーマが、一つの伝統として息づいていたということがわかる。あきらかにそれは新プラトン主義的だ。けれども同時に、ここで肉体(身体)への言及がまったくないのは、イマーゴ(「似せて」という部分のラテン語訳はad imaginemだ)という言葉が喚起する(と解釈できる)意味論からすると、どこか腑に落ちないように思われる。人間があくまで知性においてのみ神に類似するのだというこうしたスタンスの場合、肉体(身体)はまったく関与しないのか、いっさい含まれえないのだろうか?このあたりの問題を検討するために、まずもってこの知性=像という伝統の上流に遡ってみよう。するとそこには、「二重創造説」が控えていることがわかる。

◇二重創造説−−アレクサンドリアのフィロン

「二重創造説」とは何か。それは一言で言うと、イデアとしての人間の創造と、個別の人間、すなわちアダムの創造とを分けて考えるという立場である。よく知られているように、創世記の最初の部分では、人間の創造に二度言及されている。創造の6日目について語られる1章27節では、神が自分(自分たち)の姿(像)に似せて人間を作ったとされ、「男と女に」創造したとある。ところが2章22節では、人間は男しかおらず、その肋骨から女を造ったと記されている。これら「二つの物語」は複数の文献が結合されていることを感じさせる箇所だが、いずれにしても、神が「われわれに似せて」と複数形で語っていることと同じく、人間の創造にまつわる二箇所の言及の不整合もまた、古来から多大な注解の対象となってきたようだ。そして、その中でひときわ精彩を放っていたのが、プラトン主義とのすり寄せによって生まれた二重創造説だった。その解釈は後代にまで引き継がれていくらしい。

二重創造説は一般に、アレクサンドリアのフィロンあたりにまで遡ることができるとされている。フィロンは紀元1世紀の初頭にアレクサンドリアに暮らしたユダヤ人思想家である。古代のアレクサンドリアにはヘレニズム化したユダヤ人が住んでいた。かつての有名な図書館の存在などからもうかがい知れるように、アレクサンドリアは古代世界の学問の一大拠点であり、新プラトン主義の発祥の地でもあると言われている。その流れはフィロンの時代にいたっても継承されていて、当時のアレクサンドリア(紀元1世紀、同地はローマの支配下にあった)は、文化的・学問的にも大いなる繁栄の極みにあったのだという。フィロンの残した30数編の著作は一般に、当時のユダヤ人社会や初期キリスト教の状況を知るための重要な手がかりとして重んじられている。

二重創造説の関連で重要なのは、代表的著作の一つ『世界の創造について』("De opificio mundi")である。これは一種の「創世記注解」で、創世記の冒頭の記述に関する新プラトン主義的解釈を綴ったものだ。ここでは、希仏対訳の全著作シリーズによるテキスト("De aeternitate mundi", trad. par R.Arnaldes, Cerf, 1961)を参照することにする。新プラトン主義的解釈だというのは、プラトンの『ティマイオス』が明らかに下敷きになっているためである。邦訳で読むことのできる唯一の参考図書、グッドイナフ『アレクサンドリアのフィロン入門』(野町啓ほか訳、教文館、1994)によれば、同書は「『創世記』冒頭の三章から読み取りえた(……)莫大な量のギリシア的宇宙論と形而上学でもって異教徒の読者を驚嘆させようとしている」(同、p.66)のだという。とりわけ数比的な世界の成り立ちは、ピュタゴラス派を継承しているとされる新プラトン主義の、まさに真骨頂という感がある。

そもそも世界の創造は、まず知解される対象としての創造だった。「(神は)可視的な世界を地上に作ろうとして、まず最初に知解可能なものを創造した」(16節)("βουληθεὶς τὸν ὀρατὸν κόσμον τουτονὶ δημιουργῆσαι προεξετύπου τὸν νοητόν")。都市計画が建築家の魂の中に記されるように、「イデアの世界もまた神のロゴスにしか存在しない」(20節)("οὐδ’ ὁ ἐκ τῶν ἰδεὼν κόσμος ἄλλον ἄν ἔχοι τόπον ἢ τὸν θεῖοω λόγον τὸν ταῦτα διακοσμήσαντα") のだとされ、具象的な世界に先立って、理念的なものが創造されるのである。

次いで、知解される対象の後には知解するものが続く。すなわちそれが「人間の創造」ということになる。神に「似せて」(像として)という場合、それは肉体的なものを指すのではない、とフィロンは記している。「その類似はまったくもって肉体的特徴によるものではない。神は人間の姿をしておらず、人間は神の姿をしていないからだ。像とは、魂を導く知性と解される」(69節)("Τὴν δ’ἐμφέρειαν μηδεὶς εἰκαζέτω σώματος χαρακτῆρι. ὅυτε γὰρ ἀνθρωπόμορφος ὁ θεὸς οὕτε θεοειδὲς τὸ ἀνθρώπειον σὼμα. Ἠ δὲ εἰκὼν λέκεκται κατὰ τὸν τῆς ψυχῆς ἡγεμονα νοῦν.")。ここに言明されている通り、写し取られたのは知性なのだ。ここから、上の「二つの物語」の第一のものにおいては、創造されたのは「知的存在」としての人間、つまりまだ肉体をもたない、いわばイデアとしての人間だということがわかる。第一の物語に男女が言及されるのも、少しも不自然ではない。なにしろ、具体的な人間、血と肉からなる人間はまだ出現していないのだから。創世記の文面(モーセが著者だと考えられていた)を評価する形で、フィロンはこう述べている。「類を人間と言い、一方で男と女が創造されたと述べて姿を分けたのは見事である。まだ個別の形は取っていないのだが」(76節)("Πάνυ δὲ καλῶς τὸ γένος ἅνθρωπον εἰπὼν διέκρινε τὰ εἴδη φήσας ἄρρεν τε καὶ θῆλυ δεδημιουργῆσθαι, μήπω τὼν ἐν μέρει μορφὴν λαβόντων, (...) ")。

次に今度は第二の物語について言及する箇所で、フィロンは創造の二重性を強調する。134節では「神は地の土くれから人を造り、その顔に生命の息を吹き込んだ」という『創世記』2章7節が引用され、それに続き、先の人間と「その人間」とがまったく異なることが示されている。「(異なるのは)その人間は感覚的なものとして造形され、すでにして性質に与っているからだ。肉体と魂から成り、男と女として、ピュシスとして死すべきものである。一方、(神の)像に似せて造られた者は、なんらかのイデアであり、類であり、刻印であり、知解するもの、肉体を伴わないもの、男でも女でもなく、ピュシスにおいて不死である」("ὁ μὲν γὰρ διαπλασθεὶς αἰσθητὸς ἤδη μετέχων ποιότητος, ἐκ σώματος και ψυχῆς συνεστώς, ἀνὴρ ἤ γυνή, φύσει θνντὸς. ὁ δὲ κατὰ τὴν εἰκόνα ἰδέα τις ἤ γένος ἤ σφραγίς, νοητός, ἀσώματος, οὔτ’ ἄρρεν οὔτε θῆλυ, ἄφθαρτος φύσει.")。肉体的なものは神の似姿(像)ではなく、それは後から、つまり第二の物語において事後的に創造されたものなのである。

上のグッドイナフの概説書にもあるように、肉体的なもの、質料的なものは原罪が起因する場所であるとされ、あくまで二次的・付加的な特性へと貶められている。このことはまた、プラトン主義の伝統とも照応する。すなわち二重創造説は、そうした質料的なものを第一の創造から排除することで、人間(第一の物語での)の崇高さを強調するという、実に巧みな論になっていることがわかる。である以上、ここに肉体までをも似姿(像)に含めるという議論は成立する余地がない。そしてこの立場は、主にユダヤ教の伝統の中で、綿々と受け継がれていくようだ(ユダヤ教での展開は稿を改めて検討する予定)。

◇継承者−−ニュッサのグレゴリオス

二重創造説はまた、キリスト教世界にも伝えられていく。その論の継承者ということで真っ先に思い浮かべられるのはニュッサのグレゴリオスだろう。ニュッサのグレゴリオスは4世紀末に活躍したギリシア教父で、バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオスと並び称されるカッパドキアの神学者・哲学者である。ナジアンゾスのグレゴリオスに比べ、一般にニュッサのグレゴリオスは神秘主義的な傾向が強いと言われている。

そのグレゴリオスは、ニュッサの教区を預かることになって間もない379年に、『人間の創造について』を記している。聖書の記述の注解という以上に、心的機能や身体の諸特徴にまで話が及ぶという、人間の創造にまつわる大全とでもいった趣きをもった著作だ。ここでは仏訳版("La Création de l'homme", trad. Jean Laplace, Cerf, 1943-2002)を、その解説(訳者ジャン・ラプラスによる序論)も含めて参照することにしよう(この版はもとのテキストの校注に多少の問題があるらしいので、以下は暫定的なコメントとしておく)。

同書の仏訳者ジャン・ラプラスによる序論では、ニュッサのグレゴリオスの哲学的リソースの一つにアレクサンドリアのフィロンがあったことは間違いないようだ。たとえば、なぜ人間が最後に創造されたのか、という設問と、人間があらゆるものを役立てるためだ、というその答えは、そっくりそのままフィロンの『世界の創造について』に照応する(さらにはこれはキケロにも照応するという)(同、p.21)。そしてこれと同じような照応関係が見られるのが、上の二重創造説だ(p.24)。『人間の創造について』第16章(177dから185d)がその当該箇所である。そこでの二重創造説は。ある意味でよりラディカルと言えるかもしれない。「神は男と女に人間を造った」という部分を、「キリストの中には男も女もない」という使徒の言葉をリファレンスとし持ち出し、像として男女があるのではないのだと論じ、それが人間の創造の二重性を示しているのだと注釈しているからである(181b)。すなわち、人間は神に似る部分と、性別された部分とから成る一種の複合体だ、というわけだ。だからこそ、聖書の該当箇所(1章27節)では、二度「造った」という言葉が繰り返されているのだ、とグレゴリオスはいう。創世記の1章27節は、実際次のようになっている。「そこで神は人を自分の像の通りに創造された。神の像の通りに彼を創造し、男と女に創造された」。

創造された人間(第一の創造)についての捉え方だけに着目すると、フィロンに対する、ある隔たりが見てとれる。フィロンの場合には、第一に創造されるのは知的存在(知解するもの)としての人間、イデア的存在だった。当然そこには身体は介在しない。一方、ニュッサのグレゴリオスの場合、最初に創造されるのは、人類を包括するものとしての抽象的人間である。「神は人間を造った」という聖書の一節を、グレゴリオスは人類全体と解釈している(185b)。後の物語で示されるアダムという名はまだ与えられておらず、創造された人間は個別の者ではなく、普遍的な人間一般なのだという。フィロンも種という言葉を使ってはいたが、グレゴリオスの見解では、それは知性としてあるだけではない。個別の人間において、身体の大きさがその存在の制約をなすのと同様、神があらゆる事物についてもつ「先見」ゆえに、(最初に創造されたものを含めた)人類全体もまた、まるで一個の肉体であるかのように扱われ、そうした制約を受けるのだ、とグレゴリオスは述べている(同)。最初に創造された「人間」は、身体的な制約すらもった、一つの集合的・包括的概念と見ることができる、というのだ。神は先を見越しており、まだ具体化していない(肉体のない)人間も、身体的制約をもつものとして創造されている、という論旨である。このように、第一に創造されたのは、制約すら包摂する一つの完全体としての人間なのだ。

ニュッサのグレゴリオスにおいては、二重創造説の枠組みは確かにそのまま継承されているように見える。とはいえ、その枠組み自体は残しながらも、その中身はフィロンのものからシフトしていることがわかる。第一の創造でもたらされる人間は純粋な知性なのではなく、身体を持っている(あるいは制約という形で、身体を「見越している」)。神の像としての人間、という部分の解釈は異なっているのだ。そこでいう像の中には、身体の契機が含まれてくるのだから。ここで上掲のラプラスの解説を再度見てみると、そうしたフィロンとの差異において、グレゴリオスにあっては「プラトン主義の知解の世界に、キリストの身体をめぐるパウロの視座が取って代わっている」(p.28)という指摘がなされている。つまり、グレゴリオスにとっての「人間のプロトタイプは、プラトン的なイデアではなく、聖パウロにおけるキリストなのである」(同)。さらに、第二の創造後の地上世界の人間に対する視座も、両者において違いがはっきりと見られる、とラプラスは述べている。フィロンにとっては、アダムこそが人類という種の頂点をなすのであり、後世の人間はそこから漸進的に隔たる形で連鎖を形作っている、とされる。起源に完成形を置き、後の世に進むにつれ完成度が減じていくという、プラトン主義的な遠心的体系だ。これに対しグレゴリオスでは、世界の創造における最初の人間も、創造の完遂以後の人間も本質的には違いはなく、隔たりが生じるのは精神の用い方を誤っているからなのだという立場を取っているという(p.29)。起源は特権的な中心ではもはやない。同質のものが広範に拡がるゆるやかな体系だ。

二重創造説をめぐる両者のスタンスを見る限り、ヘレニズム化したユダヤ思想とその後のキリスト教との間には、一つの認識論的断絶があることがわかる。同じ二重創造説を継承しながらも、受肉概念のあるなしによって、第一の創造の意味づけと、さらに第二の創造以後の捉え方は大きく異なってくる。両者の差異がどこから生じているのかと問えば、そこにはキリスト教の受肉をめぐる教義が置かれるように思われる。キリストは神の像として捉えられるがゆえに、「キリストの中に男も女もない」という一節が引用され、第一の創造においては男も女もないという論が導かれるのだ。けれども神の先見は、実は性差の部分をも見越している。第二の創造として人間が具体的な肉体を得ることもまた、キリストの受肉とパラレルであるように思われる。まさしくその受肉こそが、像としての人間に身体的契機を与えるのである。この受肉がもたらす像の意味論は、たとえばはるか後世の偶像破壊論への反駁などにおいても、大きなモチーフとして回帰してくる。

◇拡張される受肉

偶像破壊論とそれをめぐる議論はそれ自体で長い歴史があり、それ自体を追うことはとうていできないが、ここでは少しばかり、受肉の教義の延長・拡張という視点から簡単なコメントをつけておこう。偶像をめぐる論争の最たるものは、8世紀のビザンチン世界で起きたものである。726年に皇帝レオ3世が偶像禁止令を出した。禁令にいたる経緯はよくわかっていないというが、いずれにしてもイコンの類は破壊され、禁令への反対者たちを処罰するなどの弾圧ぶりだったという。ビザンチン世界ではそうした偶像破壊が1世紀にわたり続く。第2ニカエア公会議(787)で像の利用が認められると、一時的に偶像破壊論は下火になるものの、815年以降にはテオフィロス帝のもとで再燃し、その死(842年)まで継承される。

その間、偶像破壊論への反駁は少なからぬ聖職者が行っているというが、第2ニカエア公会議前の偶像破壊論への論駁者としてよく知られている人物に、ダマスクスのヨアンネスがいる。ヨアンネスは、アラビア名をマンスール・イブン・サルジュンといい、シリアでウマイヤ朝の行政官の家に生まれた。とはいえ生年・没年ともにおおまかなことしかわかっていないという。没年は750年前後と考えられている。以上をふくめ、その推定される生涯については、アンドリュー・ラウス『ダマスクスの聖ヨアンネス』(Andrew Louth, "St. John Damascene - tradition and originality in Byzantine Theology", Oxford University Press, 2002)に詳しい記載がある。当時のシリアはギリシアと密接な関係にあり(ギリシア語圏に属している)、ヨアンネスもギリシア語での著作を残している。

その代表的著作が、3巻から成る『聖像批判論への弁明』で、これは上のレオ3世の禁令に対する批判になっている。とはいえ、ビザンチン帝国からすれば辺境、あるいは外部に位置したシリアの地でのその論考は、帝国内には知られていなかったという(上掲書、p.197)。ラウスによると、地理的な与件や輸送環境など、書物を取り巻く状況が広範かつ迅速な普及を妨げていたためで、ヨアンネスの著作が知られるようになったのは9世紀に入ってからだった。ところがそのころには、イコンの存在というよりも、むしろイコンが誘う崇拝が、偶像破壊論側の攻撃対象になっていたらしい。ラウスは、ヨアンネスの著作が広範な読者を獲得しなかったのは、内容的に時代の趨勢からやや論点がずれてしまっていたためではないか、とも述べている(p.198)。

確かにヨアンネスの論点は、どちらかといえば像の存在そのものをめぐる正当化に重きを置いているように見える。その中心は、眼に見える形のイコンと、目に見えないその参照元(モデル)との差異の指摘にある。そしてその差異の議論を支えるのは、ほかならぬ受肉の概念なのだ。ヨアンネスはこう述べている。「像というものは、原型にそってその特徴を写し取ったものであり、原型に対してなんらかの差異を有している。像はあらゆる点において原型に類似するわけではないからだ。したがって、みずからのうちに父のすべてを受け継ぐ子は、生きた、自然の、そして不可視の神の変わることなき像であり、父に対してあらゆる点で同一だが、生じたものであるという点だけが異なるのである」("Εἰκὼν μὲν οὖν ἐστιν ὁμοίωμα χαρακτηρίζον τὸ πρωτότυπον μετὰ τοῦ καί τινα διαφορὰν ἔχειν πρὸς αὐτό· οὐ γὰρ κατὰ πάντα ἡ εἰκὼν ὁμοιοῦται πρὸς τὸ ἀρχέτυπον. Εἰκὼν τοίνυν ζῶσα, φυσικὴ καὶ ἀπαράλλακτος τοῦ ἀοράτου θεοῦ ὁ υἱὸς ὅλον ἐν ἑαυτῷ φέρων τὸν πατέρα, κατὰ πάντα ἔχων τὴν πρὸς αὐτὸν ταυτότητα, μόνῳ δὲ διαφέρων τῷ αἰτιατῷ. Αἴτιον μὲν γὰρ φυσικὸν ὁ πατήρ, αἰτιατὸν δὲ ὁ υἱός·" )(1巻9節)。

父と子の関係は、そのまま、モデルと像の関係へと写し取られている。像とモデルとの間には差異があるのであって、同一ではない。その差異とは具体的に、何を指すのだろう?それは生じたものとしての特徴、すなわち身体性・肉体性である。次の箇所からもそれは明らかだ。「肉の性質は神性にはならない。しかし受肉した言葉がかつての性質を留めるように、言葉となった肉もその性質を失うことはなく、むしろ根底において言葉と同一化するのである。よって私はあえて不可視の神を、見えない形にではなく、目に見える形に像にするのだ。神は肉と血に与って、わたしたちのために目に見える形になるからである」("οὐ γὰρ θεότης ἡ φύσις γέγονε τῆς σαρκός, ἀλλ’ ὥσπερ ὁ λόγος σὰρξ ἀτρέπτως γέγονε μείνας, ὅπερ ἦν, οὕτω καὶ ἡ σὰρξ λόγος γέγονεν οὐκ ἀπολέσασα τουθ’, ὅπερ ἐστί, ταυτιζομένη δὲ μᾶλλον πρὸς τὸν λόγον καθ’ ὑπόστασιν. Διὸ θαρρῶν εἰκονίζω θεὸν τὸν ἀόρατον οὐχ ὡς ἀόρατον, ἀλλ’ ὡς ὁρατὸν δι’ ἡμᾶς γενόμενον μεθέξει σαρκός τε καὶ αἵματος. ")(1巻4節)。

ヨアンネスの論じている偶像とは、あくまで神やキリスト、その他の聖人を描いた図像のことである。上の箇所では、受肉が神性を損なうことはないという神学的な理論が逆転されて、神的なものの形を取った質料(言葉となった肉というのは、神的なものを表す図像を指しているわけだ)が、神的な性質をもつことはありえないとしている。けれども、それでいて根底(ὑπόστασις:基盤、土台、図面などの意)では図像は描いた対象物と同一であるという。ここに、身体性とその土台部分をなすものとの二重のレベルが想定されていることが窺える。多少とも穿った見方をすれば、あるいはそれは、二重創造説に見られたような二重性に対応するような落差なのではないだろうか。

この箇所は、物質的なもので作られた図像はあくまで物質なのだから、それ自体は崇拝の対象にはなりえないという文脈で語られている部分である。偶像を崇めるのはその指示対象である神的なものを崇めるのであって、構造的に偶像そのものは崇められえないのだ、というのがヨアンネスの基本的論旨である。したがってそもそも偶像を禁ずることには意味がないことになり、逆に指示対象である神そのものへの崇拝をも否定しかねないことになる、ということである。神の子が人間であっても神としての本性をとどめるという論点は、カルケドン公会議(451年)で認められたものだが、その論点が逆転する形でこうした議論を導き出しているのは興味深い点だ。受肉の教義は拡張され、偶像の容認をももたらしていくのだが、そこにもまた、上のように二重創造説の残響が届いているのかもしれないのである。もっとも、ここでのヨアンネスは人間の創造そのものには触れていない。したがって上でいう「根底」が具体的にどういうものを想定しているのかは不明瞭だ。ヨアンネスにそうした点の議論や言及があるのかどうかは、個人的に現状ではまだ不明であり、今後調べていくことにしたい。

◇知性的なもの、肉体的なもの

このように、神の似姿(像)としての人間をめぐっては、あくまでそれを知性的なものと見る新プラトン主義的な伝統と、受肉の教義を拡張する形でそこに身体的な契機を見る伝統とが併走しているような印象を受ける。冒頭で見たエックハルトなどは前者の色合いが濃い。その色合いはおそらく、新プラトン主義への受容の度合いと関係することになるのだろう。けれども、二重創造説を中心に見る限り、受肉の教義とプラトン主義的な知的存在の創造とは、そもそも本質的には対立関係にあるようにも思える。ニュッサのグレゴリオスはある意味で、それらをすり合わせて見せたと言えるのかもしれない。ではその一種の折衷案は、その後どう継承されていくのだろうか。対立関係が浮上するようなことはなかったのだろうか。また、エックハルトにまで流れ込んでいる、身体をめぐるそのほかの論(ミクロコスモスとしての人間など)とはどういう関連性をもっていたのだろうか。このあたりは様々に興味深い問題を含んでいそうで、それらを取り上げることが次回の課題になる。
(続く)

(Text:2006年3月〜4月)

投稿者 Masaki : April 20, 2006 10:15 AM