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森を行く 〜 文化の源流への旅


過去ログ

10/04


09/24 まもなく終了してしまうらしいので、滑り込みをかけたのが「トルコ三大文明展」「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」のハシゴ。終盤だけあって、平日にもかかわらず結構混んでいた。お目当ては前者ではビザンツ時代のフレスコ画や碑文だったのだが、あまりなくて残念。ヒッタイト時代のくさび形文字板がむしろ豊富で面白かった。後者についても碑文とかあるかと思ったが、それはほとんどなく、むしろ古代ギリシアのクラテル(広口瓶)に感動。うーん、ビザンツ時代ものに関していうと、金貨が意外と正面を向いているのが興味深かったりもしたが、ちょっと全般に展示内容が貧弱で残念。そんなこともあって、改めて『ビザンチン聖歌』(シスター・マリー・ケルーズ、サン=ジュリアン=ル・ポーヴル教会合唱団、HMX 2908127)を聴く。アラビア語とギリシア語による実に清明な聖歌の数々。収録曲は聖週間に歌われるものが中心。独特な旋律の動きが心地よく、また哀感を誘う。なんとも秀逸な響きだ。
09/21 テレビで放映していたライプチヒ・バッハ音楽祭。アムステルダム・バロック管弦楽団を率いるのはトン・コープマンだ。クーナウの「マニフィカト」と、バッハのカンタータ10番「わが魂は主をあがめ」と「マニフィカト」(BWV243a)というプログラム。先達クーナウとバッハとのマニフィカトの対比という感じでなかなか面白い。とはいえ、どうもコープマンの作る音は、こういってはナンだけど、どことなく剛直ばっている感じがしなくもないよなあ。そういう印象が強まったのは、昨年末に購入して、今だに全編聴き通していない4枚ものの『スウェーリンク鍵盤曲集』(Philips、468 417-2)のせいかしらん。曲自体は当時の流行曲のアレンジなどがなかなか面白いけれど、コープマンの演奏で引き立つのはむしろ宗教曲の方だ。ちょっと別の演奏で聴いてみたい気がする。使われている楽器のうちデンマークのオルガンは、ペダル音がしたりしてライブ感があってよいものの、マイク位置が近いらしく、楽器の音が近くで「がなっている」感じがしてちょっと残念。そんなこんなで、ひたすら直球勝負という印象を増大させているような気がするんだけど……(苦笑)。
09/10 今日もレーベル「アルヒーフ・ブルー」から。まずはコレギウム・ヴォカーレ・ヘント、ムジカ・アンティカ・ケルンの演奏(ヘレベッヘ指揮)によるジャン・ジル『レクイエム』(471 722-2)。もともと明るい感触の作品だけれど、なんだか全体に、いまひとつ緩めのテンポに乗り切れない恨みが残る感じ(?)。病弱だったジル本人は1705年に37歳で亡くなったそうで、このレクイエム、ある逸話では、本人の葬儀が初演だったのではないかとのことだ。しかしその死後、1764年のラモーの葬儀や1770年のルイ15世の葬儀でこの「レクイエム」が演奏されたという話。ライナーノーツによると、「演劇的」なスタイルがパリ市民の趣味に合致していたのだそうだ。なるほどね。

もう1枚はガブリエリ・コンソート&プレイヤーズ(ポール・マックリーシュ指揮)によるパーセル『1692年聖チェチーリアの祝日の頌歌』(471 728-2)。聖チェチーリアといえば3世紀のローマの殉教者で、音楽の守護聖人。「たたえよ、輝かしきチェチーリアを」というタイトルのこのオード、もの悲しいものから颯爽としたものまで、実に多彩な当時のメロディの集大成的な作品だ。それが情感たっぷりに、あるいは躍動感たっぷりに歌い上げられるのだからたまらない。うん、こういう曲はこういう残暑の季節よりも、もっと秋が深まってから聴く方がいいかもね。実際、聖チェチーリアの祝日は11月22日だし(笑)。

09/03 1日はFMで、5月に行われたドミニク・ヴィス(カウンターテナー)のリサイタルの模様を放送していた。途中からしか聴けなかったのだが、マリー・アントワネットの作曲だという「それは私の恋人です」も(うーん、あまりパッとしない旋律だなあ)歌われていた。そういえば、フランスではこの夏の猛暑で、ヴェルサイユ宮最古の木「マリー・アントワネットの樫」(その根もとに座るのを好んだというのでそう呼ばれるらしい)が立ち枯れしてまったそうだ。樹齢321歳だったとか。

代わって2日に放送されていたのはタリス・スコラーズの演奏会。これまた途中からしか聴けなかった(またかよ〜)けれど、ゴンベールのマニフィカト(第4旋律、第6旋律など)とかが興味深い。ゴンベールというと、カール5世の宮廷礼拝堂歌手として16世紀初めに活躍した人物。ジョスカン・デプレの弟子だったという。フランドル楽派という関連では、このところ断片的に聴いているのが、オルランド・コンソートによるオケゲム『ミサ<ド・プリュ・ザン・プリュ>(Missa - de plus en plus)』(Archiv、471 727-2)。アルヒーフ・ブルーというレーベル(再販もので、いろいろ面白いラインアップだが)の一枚で、96年の録音。表題作のほか世俗のシャンソンなどが入っている。ライナーノーツには、その世俗曲など、14世紀の曲の形式を踏襲していて、中世との架け橋をなしていると書かれているが、実際、このパフォーマンスは実に端正で、時に端正すぎるきらいも……(?)。



08/31 昨日は、都内で開かれた「第一回ビウエラ講習会」を聴講してみる。リュートの水戸茂雄氏(Webページ)の公開レッスンと、音楽学者の小川伊作氏(Webページ)によるレクチャー。語源をめぐる議論と図像学的な説明が実に刺激的だった。レッスンは前半しか見れなかったのだが、受講曲のルイス・デ・ナルバエスの第二旋法ファンタシアや、ルイス・ミランのファンタシア(11番、22番)はどれも味わい深い曲。リュートともまたひと味違った渋い楽器だ。ビウエラのCDとしてはホセ・ミゲル・モレーノとか、ホプキンソン・スミスのとかいろいろあるみたいだが、とりあえず最近聴いたのはジェイコブ・ヘリングマンのビウエラ、キャサリン・キングの歌による『ルイス・ミラン−−エル・マエストロ』(CD GAU 183)。1536年刊の同名の曲集による録音で、ビウエラのソロもいいけれど、前面に出ているのはやはり歌。やはりはじめに歌ありき、という感じが伝わってきて、なかなかよいでないの。
08/25 国内のグループ、アントネッロの演奏によるヤコブ・ファン・エイク(アイク)『笛の楽園』(Alquimista Records、ALQ-0001)を聴く。あまり期待していなかったものの(失礼)、リコーダーの聴く楽しさ、そしておそらくは演奏の楽しさが伝わってくる感じの軽快さで、好印象を得た一枚。17世紀初頭のリコーダー奏者だったエイクの同名曲集の録音だそうだが、グループを率いる濱田芳通氏によるライナーノーツによれば、その曲集は、即興技法の記録の意味合いが強いのでは、という話だ。収録曲のうち、「道化(Boffo)」のパターンはイギリスのリュート曲「ジョン、すぐ来てキスをして」と同じ。再びライナーによると、こうしたコード進行(オスティナート)は、当時の即興パフォーマンスでよく使われていたものだったのだという。うん、こういうのは実に面白いっす。
08/10 毎年この時期は、良きにつけ悪しきにつけ「戦争」を思ったりもするわけだが、昨年秋に話題になっていたビーバー『戦争/レクイエム』(ジョルディ・サバール指揮、Alia Vox、AV9825)を聴いてみる。全体に軽やかな雰囲気で展開するのだが、本当はパロディなのであろうアレグロの不協和が、なんだか異様な凄みを醸し出している風にも取れる。締めの「傷を負った銃兵への哀歌」がそれに呼応していく感じで……(ま、これは深読みか)。レクイエムは一転して穏やかな美しい旋律が渋い。パトロンだったザツルブルクのマクシミリアン・ガンドルフ大司教に捧げたものだという。
08/03 先に取り上げたタリス・スコラーズのベスト盤はやはり素晴らしいが、ある意味でそれと双璧をなすといってもよいキングズ・シンガーズも、昨年秋に「お得盤」を出している。『キングズ・シンガーズ−−ルネサンス』(ACA Red Seal、74321 886 862)という2枚組。なんだかモンティ・パイソンみたいなジャケット絵が苦笑を誘うけど(もうちょっとなんとかならんかったのかな〜)、中身は拍手ものの素晴らしさ。1枚目は英国(バードやタリス)とスペインの世俗曲など(ハープ・コンソートがゲストで楽器を担当していて、ご機嫌だ)、2枚目はフランスということでジョスカン・デプレ。宗教音楽での重厚感はもとより、世俗曲でもその強みを存分に発揮しているのが、なんとも心憎い。このしなやかさ、端正さ。

このベスト盤はArtistes Répertoiresというレーベルの一つ。で、このシリーズにはセクエンツィアによるヒルデガルト・フォン・ビンゲンの歌集の録音を二枚(「血の声」と「おお、エルサレムよ」)合わせたものもある。『セクエンツィア−−ビンゲン』(ACA Red Seal、74321 886 892)がそれ。声楽曲を飾るいくつかの器楽曲は世俗風味に溢れているが、一説には、ヒルデガルトは祭事などに、世俗の演奏家をも取り込んでいたのではないかと言われているだけに、とても興味深い演奏だ。また「おお、エルサレムよ」の表題曲は、鐘の音を取り入れているのがなかなか斬新。




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