2006年01月15日

No. 72

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
silva speculationis       思索の森
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.72 2006/01/14

本年もよろしくお願いします。

------急告!----------------------------------
本メルマガは「melma!」の発行サービスを通じて発行してきましたが、
「melma!」では1月半ばより(本メルマガは次回から)強制的に広告のヘッダ
とフッタが付くことになったようです。個人的にはメルマガに広告が入るのはあ
まり好きではありませんし、そう思う読者の方もいらっしゃるのではないかと思
います。そのため、「melma!」とは別に、広告なしバージョンを別の発行シス
テム(lolipop)から出すことにいたしました。広告なしを希望する方は、お手数
ですが、melma!での登録を解除していただき、次のいずれかのページ(本メル
マガ発行者のホームページです)から新規に登録してください。よろしくお願い
いたします。

http://www.medieviste.org/
またはhttp://www.medieviste.org/blog/


------クロスオーバー-------------------------
翻訳の彩

翻訳というのはある意味で罪な営為でもあります。言語をまたぐがゆえに、当然
ながらどうしても取りこぼしが生じてしまいます。時にはそれが、後々の大きな
誤解や解釈の飛躍につながっていくこともあり得ます。そのあたりの力学には実
に興味深いものがあります。中世で言えば、そうした事例の一つは、なんといっ
てもアリストテレス思想の受容ですね。ボエティウスによる一部著作のラテン語
訳の後、アラビア経由で13世紀に再流入するアリストテレス思想には、二重三
重のフィルタがかかっていて、そこから様々な思想的「豊かさ」や諸問題が生み
出されていくのでした。

昨年秋に邦訳出版されたトマス・アクィナス『君主の統治について−−謹んでキ
プロス王に捧げる』(柴田平三郎訳、慶應義塾大学出版会)
は、後半に詳細な訳
者解説がついています。理想の君主像を描く「君主の鑑」の伝統から説き起こ
し、ソールズベリーのジョンによる『ポリクラティクス』の革新性について述
べ、そこからトマス・アクィナスの表題作へと接近していきます。トマスの政治
思想となれば、やはり当然のように出てくるのはアリストテレスの政治論です。
アリストテレスの『政治学』がムールベケのグイレルムスによって訳されるのが
1260年ごろで、トマスが『君主の統治について』("De regno")を執筆するの
はそれより後の1267年頃とされているようです。

この解説でとりわけ興味深いのは、アリストテレスが人間を評して語った「政治
的動物(politikon zo_on)」を、トマスが「社会的・政治的動物(animal
sociale et politicum)」と言い換えていることをめぐる議論です。トマスがあ
えてそういう語り方をしたのには、ある種の「仕掛け」が施されているといいま
す。当時の翻訳はギリシア語原典の語順通りに逐語訳するのが普通で、ラテン語
にはない文法や表現のために、様々な齟齬が生じていたといいます。「政治的動
物」のグイレルムスの訳はanimal civileなのだそうですが、グイレルムスの訳に
はアリストテレスが念頭においているpolis概念(市民権をもつ市民の組織や政
治行動)は反映されていないといいます。トマスがあえて自分で訳語を作り直し
て解釈したのは、アリストテレスの異教的なにおいをどうにかキリスト教の教義
に包摂しようとした腐心の表れではないか、とこの訳者解説は述べています。
「政治的」動物とだけ言ってしまえば、キリスト教が堕罪の結果とみなす「人間
による人間の支配」でしかなくなるところを、「社会的」という原罪以前の状態
をも指す言葉を補うことによって、巧みに人間本来の自然なあり方としての「政
治」を掬い上げている(伝統的教義と矛盾しない形で)というわけなのですね。

このように、翻訳の問題とその時代状況の中での解釈の力学は、とても中世文献
を読んでいく上で刺激的・魅力的なテーマをなしています。上のトマスの訳語変
更の解釈はそのケーススタディとしてとても魅力的ですね。こうした問題はまだ
まだたくさんありそうで、少しそのあたり、詳しく探ってみたいと考える今日こ
の頃です。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99)

第22回:不定法その2

前回に引き続き不定法の復習です。今回は古典ラテン語で頻出する不定法句につ
いてさらっておきましょう。不定法句というのは、一文をそっくり補語として用
いるためのいわば変換操作のようなものです。とくに知覚や認識を表す動詞とと
もに用いる用法が代表的です。次のようなものですね。
- Scio vitam esse brevem. (私は人生は短いことを知っている)

この文では、vita est brevis(人生は短い)という一文が不定法に変換され、そ
の不定法の意味上の主語であるvitaが、本動詞(主文の動詞)scioの目的語と
なって対格をとり、それに合わせて意味上の主語の補語brevisも対格になってい
ます。古典ラテン語の一大特徴とされるこうした不定詞句ですが、中世ではむし
ろ従属接続詞などを用いて直説法で表すことが多くなります。この例文ならば、
Scio quod vita est brevisという形になったりします。

不定法には時制があり、その使い分けは以下のようになります(本動詞の時制と
一致は必要ないのですね)
- Scio victoriam difficilem esse. (私は勝利は難しいことを知っている)
- Scio victoriam difficilem fuisse. (私は勝利が難しかったことを知っている)
- Scio victoriam difficilem futuram esse. (私は勝利が難しいだろうというこ
とを知っている)

とはいえこれらの区別は、実は中世以降は乱れてきます。不定法過去にすべきと
ころが不定法現在になったりします。ちょうど現代のフランス語の口語などで、
過去を表すのに現在形が多用されるのに似ています。

意味上の主語が代名詞になるときには、ちょっと注意が必要で、基本的にはその
代名詞が本動詞の主語と一致するなら再帰代名詞が用いられます。次の二つの区
別です。
- Credit se esse laetum. (彼は自分が幸福だと思う)
- Credit eum esse laetum.(彼はその人(第三者)が幸福だと思う)

また所有代名詞の場合には、本動詞の主語を受けるのか、それとも不定詞句の意
味上の主語を受けるのかを区別しなくてはなりません。
- Credit parentes suos esse laetos. (彼は、自分の両親は幸福だと思う)→
suosは本動詞の主語を受ける
- Jussit milites virtutem suam ostendere. (彼は、兵士たちが自分たちの勇気
を見せるよう命じた)→ suamは不定法の意味上の主語militesを受ける

前にもちょっと取り上げたように、この代名詞と再帰代名詞の区分は中世ではだ
いぶ崩れているので、これまた注意が必要になります。


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その1

今回から中世の音楽論『ミクロログス』を読んでいきたいと思います。一応通読
を予定しているので、1年以上かかりそうですが、古代から中世までの音楽論の
流れも押さえながら、ゆっくりと読んでいきたいと思っています。「ドレミ」の
誕生に遭遇しましょう。テキストはhttp://www.music.indiana.edu/tml/9th-
11th/GUIMICR_TEXT.html
のものを利用します。

まず最初に5行詩があり、次に献辞として手紙がついています。それから序文が
あって本文が続きます。本文は20章まであります。今回は5行詩と、手紙の前半
部分を見てみましょう。

# # # #
Gymnasio musas placuit revocare solutas,
Ut pateant parvis habitae vix hactenus altis,
Invidiae telum perimat dilectio caecum;
Dira quidem pestis tulit omnia commoda terris,
Ordine me scripsi primo qui carmina finxi.

学校に、そこを離れたムーサたちを呼び戻したい。
これまでほとんど上位の者にしか示されなかったものが、低き者にも示されるよ
うに。
羨望という盲目の矢が愛によって滅ぶように。
災いの徴候によって地上のすべての幸福は奪い去れたのだから。
この詩を作る各行の最初に、わが名を記した。

Divini timoris totiusque prudentiae fulgore clarissimo, dulcissimo Patri et
reverendissimo Domino Theodaldo Sacerdotum ac praesulum dignissimo,
Guido suorum monachorum utinam minimus, quidquid servus et filius.

Dum solitariae vitae saltem modicam exsequi cupio quantitatem, vestrae
benignitatis dignatio ad sacri verbi studium meam sibi sociari voluit
parvitatem. Non quod vestrae desint excellentiae multi et maximi spiritales
viri, et virtutum effectibus abundantissime roborati et sapientiae studiis
plenissime adornati, qui et commissam plebem una vobiscum competenter
erudiant, et divinae contemplationi assidue et ferventer inhaereant: sed ut
meae parvitatis et mentis et corporis imbecillitas miserata vestrae pietatis
et paternitatis fulciatur munita praesidio, ut si quid mihi divinitus utilitatis
accesserit, vestro Deus imputet merito.

グイドからテオダルド司教への手紙

神への畏怖とあらゆる聡明さでこの上なき輝きを誇り、この上なく優しき父であ
り、この上なく敬愛するわれらが司祭、テオダルド司教へ、いとも卑しき学僧で
あり、いかようにせよ僕であり子であるグイドより。

せめてわずかでも孤高の生活を送りたいと願っている身ではありますが、尊い貴
殿のご厚意により、矮小なるこの身を聖句の研究へと加えさせていただきまし
た。貴殿のもとでは、数々の優れた知性をもった人々に事欠きません。その方々
が体現する徳はこの上なく豊かに高められ、賢慮の探求は十全に進められていま
す。その方々は貴殿のもとに集まる民を巧みに教え、神の瞑想を熱烈に実践して
います。とはいえ、矮小なるわが身には、その心と体の弱さに貴殿の父なる哀れ
みの情が支えと保護になりますよう、また神の采配によってわが身がなんらかの
有用性に与れるのなら、神がそのことを貴殿の功績となさいますように。
# # # #

訳文には盛り込めませんでしたが、5行詩の冒頭のアルファベットがそれぞれ
G、U、I、D、Oとなっています。縦に読めば「グイド」になるのですね。5行目
にある「この詩を作る各行の最初に、わが名を記した」というのはそのことを指
しています。古代の叡智が荒廃したことを嘆く感じの5行詩ですが、このあたり
は世相批判というよりは、多分にレトリック的であると考えておいた方がよいか
もしれません。

今回は初回ですので、グイド・ダレッツォその人についてごく簡単に紹介してお
きましょう。ラテン語表記ではGuido Aretinusと記します。生まれは990年頃、
没年は1050頃といわれています。もともとはフェラーラ(北イタリア)近くの
ポンポーザのベネディクト会士で、1025年ごろからアレッツォで、上の手紙の
相手であるテオダルド司教の庇護を受け、子どもたちの音楽教育を担当するよう
になります。聖歌隊を指導していたのですね。『ミクロログス』は1028年頃に
書かれたようです。著作にはこのほか、『アンテフィフォナ入門』『リズムの規
則』などがあります。『ミクロログス』は中世を通じて人気を博し、16世紀ご
ろまで盛んに写本が作られたといいます。

そういえば余談ですが、2003年のNHKのテレビのイタリア語講座で、講師のダ
リオ・ポニッスィ氏がグイドの役を演じて、その脇でリュート奏者の永田平八氏
がリュートを弾いている、というミニ・スキット(?)がありました。偶然見た
のですけれど、放映されたその様子が、永田氏のブログに写真入りで掲載されて
います(http://blog.goo.ne.jp/lute21jp/m/200507)。これはなかなか楽し
いですね。グイドはイタリアでは、音楽的英雄の一人という扱いなのでしょう。

次回は手紙の後半部分を読みたいと思います。お楽しみに。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は1月28日の予定です。

投稿者 Masaki : 2006年01月15日 19:05