「神の現象性」

3月 8th, 2010 Posted in 現象学系 | no comment »

やはり折々に現象学系の本が読みたくなる。というわけで、ジャン=イヴ・ラコストの『神の現象性 – 9つの研究』(Jean-Yves Lacoste, “La Phénoménalité de Dieu – Neuf études”, Cerf, 2008)を読み始める。個人論集なので、どこからでも読み始められる。とりあえず三章目の「現れと還元しえないもの」から。これが意外なほどに読ませる。フッサールの現象学的還元が、実は一般に考えられているほど自然な態度から離れてはいない、という話からスタート。眼前の対象物が存在するかどうかと問う前に、人はそれが何かと問うのが普通で、対象を措定して本質を把握しようとする態度は、方法論的に世界の存在という暗黙の前提をいったん括弧に入れる「還元」と通底している、というわけだ。ところが、こうした自然的な還元にも、方法論的な還元にも適さないものがある。それが他者の存在。目の前の他者は、純粋に意識の中に取り込まれる対象物としては見られないわけで、それはかならず意識の外からやって来る云々……。

そしてまた、還元に馴染まないもう一つのものが神ないし神的なもの。なるほど、本質を問うがゆえに存在が肯定されるというのが神学的な枠組だけに(アンセルムスの神の存在証明が神とは何かを問うことから始まっているのは示唆的)、存在を括弧に入れた対象として本質を問うというのは筋違いになる。そこでの存在は一般対象物のようにやすやすとは不問にできない。その点についてカール・バルトは、神の存在はそんじょそこらの存在ではないとし、先に出てきたゴニロンによるアンセルムスへの反論を批判して、対象として措定できる(還元できる)事物の存在と神の存在とを一緒くたにしているところに誤謬があると述べているのだそうだ。なるほどねえ。

しかも本質を支えるのは「信」で、それは存在を支える「信仰」よりも構造的に揺るぎない……。たしかに無神論者だって「苦しい時の神頼み」「思わず天を仰ぐ」みたいなことはあるわけで、そういう「信」がそうした非還元性に支えられているとしたら……うーむ、なにやら現象学的な「祈り」の人類学が、その先にほの見えている感じすらして、個人的には妙にグッと来た(笑)。

新刊情報 – ウィッシュリスト

3月 7th, 2010 Posted in 文献情報 | one comment »

ジャン=クロード・シュミットの名著”Les Revenants”の邦訳が出たみたい。『中世の幽霊』(小林宣子訳、みすず書房)。 名著といえば、メアリー・カラザースの『記憶術と書物』(別宮貞徳監訳、工作社)も復刊されたようで。うむ、このあたりはなかなかめでたい。

中世関係はなんといっても『嘘と貪欲』がよかった大黒俊二氏の『声と文字』(岩波書店)が期待大。これで岩波の「ヨーロッパの中世」シリーズは一応の完結。あと、エーリック・アールツ『中世ヨーロッパの医療と貨幣危機』(藤井美男監訳、九州大学出版会)なんてのも出ている。アールツ教授(レウヴェン大学)講演録第二弾だそうで、タイトルがなかなかそそる感じだ。ちなみに第一弾は2005年に出た『中世末南ネーデルラント経済の軌跡 – ワイン・ビールの歴史からアントウェルペン国際市場へ 』

ルネサンス以降ものも、このところいろいろ出ていて活況。まず注目株は平井浩編『ミクロコスモス – 初期近代精神史研究 第1集』(月曜社)。気鋭の研究者編纂による論文集とのことで、かなり期待できそう。月曜社の古典転生シリーズの別巻1となっているけれど、同シリーズは2006年のエミール・ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』以来だ。ルネサンスものでは、昨年末ごろに出たらしい根占献一『ルネサンス精神への旅』(創文社)なども面白そう。副題が「ジョアッキーノ・ダ・フィオーレからカッシーラーまで」となっていて、スパンがすごいっすね。ヨアキムから語り起こそうというあたりが注目かな。ヘルメス思想関連では、マージョリー・G・ジョーンズ『フランシス・イェイツとヘルメス的伝統』(正岡和恵ほか訳、作品社)とかも食指をそそられる。

オリヴィの質料論

3月 6th, 2010 Posted in 象徴史・物質論など | no comment »

昨年羅仏対訳本で出たペトルス・ヨハネス・オリヴィの『質料論』(Pierre de Jean Olivi, “La matière”, trad. T. Suarez-Nani et al., Vrin, 2009を読み始める。これはオリヴィの主著『命題集第二巻問題集』から、問題16から21を採録したもの。問題16は「天使のほかすべての知的実体は質料と形相から成るかどうか」というもので、これが採録テキストのかなりの分量を占めている。まだほんの最初の部分しか目を通していないけれど、のっけからぐいぐい引き込まれる。興味深いのは、メルマガでもちょっと触れたけれど、オリヴィが質料を無定形のものとは見ず、むしろ質料を不完全な現実態として扱い、形相との区分をどこかあいまいなものと見なし(相対化し?)再考していること。形相は本質的部分、質料は偶有的な部分を担うという従来の図式についても、現実においては基体はすべて偶有によって形相を受け取る以上、先行部分(本質)が後から来るもの(偶有)に依存することになる、みたいに言い、ある種の価値転覆のようなことをやっている(のかな?)。うーむ、ちょっと強烈。これまた読みながらメモしていこうかなと。

プセロス「カルデア古代教義概説」 – 9

3月 5th, 2010 Posted in カルデア神託の周辺(プセロスなどを読む) | no comment »

23. Οὗ τὸ μὲν δύναμιν ἀγαθοειδῆ κέκτηται, συλλαμβάνον ταῖς ἱερατικαῖς ἀνόδοις ἐπὶ τοὺς ἐναντίους ταύταις · τὸ δὲ καθέλκει τὰς ψυχάς, ὅ καὶ θηροπόλον καὶ ἀναιδὲς καλεῖται, τὴν φύσιν ἐπιστρεφόμενον καὶ ταῖς μοιραίαις δόσεσιν ὑπηρετοῦν καὶ θέλγον τὰς ψυχὰς ἢ κολάζον τὰς ἐρήμας ἀπολειφθείσας τοῦ θείου φωτός, ὃ καὶ ἐν τῷ κοιλώματι φέρεται εἰς ἄρρεν καὶ θῆλυ διῃρημένον.

24. Τῶν δὲ ἡμετέρων, φασί, ψυχῶν αἴτια διττὰ πηγαῖα, ὅ τε πατρικὸς νοῦς καὶ ἡ πηγαία ψυχή · τὸν μὲν γὰρ πατέρα ἑλκύσαι αὐτὴν ἀπ᾿ ἐκείνης καὶ κελεῦσαι προελθεῖν, τὴν δὲ αὐτὸ τὸ εἶναι καὶ τὸ εἶδος ὑποστῆσαι.

23. そこでは善に類する力を得たものが、聖なるものの上昇を、それに対立するものに逆らって助ける。一方、魂を下へと引っ張るものもあり、獣のようなもの、恥知らずなものと呼ばれるが、それはピュシスのほうを向き、与えられたさだめに仕え、魂を魅了し、神の光を失い捨てられた者たちを罰し、オスとメスに分かれて深淵の中をうごめく。

24. 彼らが言うには、私たちの魂には原因をなす二つの源がある。父なる知性と魂の源泉である。というのも、父なるものは魂をその源泉から引っ張り、出ずるよう命じ、一方の魂の源泉は、魂の存在そのものと形をもたらすからである。

ビウエラ曲集ファクシミリコレクション

3月 3rd, 2010 Posted in Esel Lautenspieler | no comment »

少し前に注文してやっと届いたのが、リュート製作家カルロス・ゴンザレス氏編纂によるビウエラ曲のファクシミリコレクションCD-ROM(“Libros de musica para vihuela 1536-1576″。「ビウエラ七賢人」(byリュートの師匠)が16世紀半ばにそれぞれ刊行した曲集(タブラチュア)のファクシミリ版がすべてカラーで入っているというもの凄さ。話には聞いていたけれど、これほどのものとは。いや〜感激。ファクシミリ版でなければわからないことってやはりいろいろある……。たとえば、イタリア式タブラチュアは数字で書かれているのだけれど、旋律部分が赤だったりするため、これが白黒コピー(大抵の出版楽譜は白黒で再録していたりする)だと薄くなってしまい、2なのか3なのか5なのかときに微妙にわからなかったりする(苦笑)。ちなみにこのCD-ROMはWindows用。Macではそもそもメニューが出てこない。そのためVMWare FusionでXPを動かして使っている。ちょうど最近プリンタを長年使ったOKIのモノクロレーザーからHPの廉価なインクジェットに変えたばかりで、カラー印刷するとこれまた美しい(笑)。