中国古典の画論を愉しむ

2月 23rd, 2017 Posted in アルシ・エクリチュール論, 見・聞・読・食 | 中国古典の画論を愉しむ はコメントを受け付けていません。

画論 (中国古典新書)ずいぶん前だけれど、以前とある翻訳作業の参考文献として購入した古原宏伸『画論 (中国古典新書)』(明徳出版社、1973)を、改めて引っ張り出して眺めている。書画に関する古人の論を集めたアンソロジーだ。先に古典のアンソロジーは愉しいという話をしたが、これなどもとても面白い。個人的には漢籍の素養というのはあまりないのだけれど、少しこういうアンソロジーでもって慣れていくのもいいかなと思っている。同書には様々な書籍のほんのさわりの部分が収められていて、それぞれは本文、読み下し文、訳、解説から構成されている(昔の漢文のテキストブックのようだ)。たとえば総論として巻頭を飾っているのは、張彦遠(9世紀の画家)の『歴代名画記』からの一節。そこでは、画と書が根源においては一体で分かれていなかったとされている。個人的に興味深いのは、石濤(17世紀後半に活躍した画家)による『画語録』からの「一画の章第一」。画法の基本は一画、つまり一本の筆線であるとする議論。それは存在の根本、形の根源であるとされる。こういうのを読むと、いろいろな形象の記憶が脳裏に浮かんでくる。たとえば児童が絵を描くときに最初に書き入れるという大地を表す根源の分割線とか、洞窟絵画で自然の線描を利用・延長して形象を書き入れていくときの律動のようなものとか……。一画は宇宙の果てまでもおさめてしまうとも言い、一画に始まって一画に終わらないものはない、とされる。うーむ、この概念の広がり、途方もなさ。また気韻論というのも興味深い。画面に漂う生命感・躍動感などのことを言うようなのだが、郭若虚(11世紀)の『図面見聞志』の一節からは、気韻が画面にゆきわたっていなければ、ただの職人仕事でしかなく、画とはいっても画ではないとされていて、職人仕事と芸術としての画がすでにして分かたれていること、それを分かつキーとなるのがその気韻の概念なのだということが示されている。

哲学者たちの肖像 – 火かき棒事件

2月 20th, 2017 Posted in 見・聞・読・食 | 哲学者たちの肖像 – 火かき棒事件 はコメントを受け付けていません。

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎 (ちくま学芸文庫)単行本刊行時からその長いタイトルが気になっていたものの、タイミングが合わずに未読だったD. エドモンズ&J. エーディナウ『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎 (ちくま学芸文庫)』(二木麻里訳、筑摩書房、2016)が、文庫入りしたということで読んでみた。空き時間で少しづつ読んで、やっと読了。1946年に、ポパーとウィトゲンシュタインがケンブリッジでの講演会で反目し合ったという「火かき棒事件」に、とことん迫った一冊。数学ものなどでよくある(○○予想がどう証明されたかとか)ノンフィクション的手法が、ここでは哲学をめぐるエピソードに応用されて、実に豊かな評伝的読み物に結実している。中心となる反目のエピソードは、ポパー本人の手記と、ウィトゲンシュタインの取り巻きの証言が食い違っていて、すでにしてミステリアス。その真相に迫ることを軸に、両者の出自、時代背景、それぞれの人物像、交友関係なども絡めて、その反目の素地などが実に立体的に浮かび上がる。これは見事。まさに活写と言って差し支えない。事件そのものの真相がどうだったのかは、もちろん推測するしかないわけなのだが、その推測内容はそうした様々な背景のおかげで、通俗的な理解よりもはるかにセンシブルなものになっていく。というか、そうした圧倒的な背景・ディテールを前にすると、当初に抱いていたミステリアス感が弱まり、それ自体どうでもよくなるとまでは言わないものの、両者の屹立した個性の前では影が薄くなってしまう。それほどまでに読ませる著作だということだろう。こういうジャーナリスティックなアプローチは、哲学分野に関する限りあまり多いとは言えない印象だけれども、もっとたくさんあってよいように思う。

注解と形而上学

2月 16th, 2017 Posted in 人為(技術)・記憶・媒介学, 古代後期からビザンツへ | 注解と形而上学 はコメントを受け付けていません。

注釈と形而上学

L'unite De La Metaphysique Selon Alexandre D'aphrodise (Textes Et Traditions)久々にアフロディシアスのアレクサンドロスについての論を眺めているところ。まだ全体の3分の1にあたる、序論と第一章を見ただけなのだが、すでにして心地よく刺激に満ちている印象。グヴェルタズ・ギヨマーク『アフロディシアスのアレクサンドロスによる形而上学の一体性』(Gweltaz Guyomarc’h, L’unité de la métaphysique selon Alexandre d’Aphrodise (Textes Et Traditions), Paris, Vrin, 2015)というのがそれ。アヴェロエス以前のアリストテレス「注釈者」として名を馳せていたアレクサンドロス(3世紀)は、実は「形而上学」を独立した学知として認めさせる上で大きな役割を担っていたのではないか、という仮説が冒頭で提起されている。その仮説の検証を楽しむ一冊、というところ。

アリストテレスの『形而上学』は古来から、一貫した著作というよりも雑多な文章の寄せ集めではないかという疑問が絶えず発せられてきた(さらには、アリストテレスが真正の著者ではないかもという疑いも消えずにいた)。けれどもそれを証す決定的な証拠もなければ、逆を証す証拠もなく、結局その問題は、そこにいかなる著述意図を読み込むかにかかっていた。で、この論考の著者は、アレクサンドロスの読みもまた、まさにそうしたものではなかったか、というのだ。解釈を施すこととは、『形而上学』になんらかの一貫性・意味を与え、それが体系的な著述であったことを示すことにほかならなかった、というわけだ。その意味で、アレクサンドロスはまさに「形而上学」なるものを「しつらえた」といえるのではないか、と。そこには背景として、諸学派(ストア派、エピクロス派、プラトン主義、逍遙学派などなど)が群雄割拠するヘレニズム後の古代世界にあって、生き残りをかけた学派同士の戦いがあり、注解には他学派の人々に対する説明・知的伝統としての伝達・学派の若者らへの教育という側面もあった。かくして全体として見れば、アリストテレスの他の著作と同様、『形而上学』についてもまた、なんらかの単純化・図式化と、議論の精緻化とが施されていかざるをえない。ひょっとして、アリストテレスの言う「第一哲学」に「メタフィジクス」という言葉を宛てたのも、アレクサンドロス(もしくはその周囲の任意の注解者)かもしれない……。このように、アレクサンドロスによる読みは歴史的文脈に位置づけられ、『形而上学』が著作として一つの全体の相のもとに成立していることが説き証されていく。論証としてはいささか弱い面も否めないものの、なかなか興味深い視座だ。続いて今度はその著作の一体性が、学問としての形而上学の一体性へ(第二章)、またその学問が対象とする存在そのものの一体性へ(第三章)と拡張・敷衍されていくことになるようだ。

古典アンソロジー本

2月 13th, 2017 Posted in 古典語・古典学系, 見・聞・読・食 | 古典アンソロジー本 はコメントを受け付けていません。

A Loeb Classical Library Readerこの週末は同窓会などがあって田舎へ移動。新幹線での移動中読書にと携帯したのは、今回はLoebのアンソロジー本(A Loeb Classical Library Reader, Harvard Univ. Press, 2006)。数時間じっくり読むのも個人的には好きだけれど、疲れているようなときにはザッピング的に拾い読みできる、こうしたアンソロジー本が貴重だ。同書は前半がギリシア語、後半がラテン語で、どちらも対訳で英訳がついている。さしあたり脚注などは最低限しかないが、不明なところは対訳でチェックすればよい。この、ある意味辞書要らずなところも、旅の携帯用に向いていてオススメかもしれない。収録内容は、ギリシアの部がホメロスからヘシオドス、ピンダロス、ソフォクレス、エウリピデスなどなど。ラテンの部はテレンティウス、キケロ、カエサル、ルクレティウス、ウェルギリウスなどなど。こういうアンソロジー本は、気軽に繰り返し何回も読むのもよさそう。でも、もう二、三種類編んでもらうと、さらに楽しみが広がると思うのだが。翻って国内の出版社でもこういう気軽な対訳本(学習用というのではないもの。この手の企画のポイントは、案外この「詳しい脚注なし」というあたりかもしれない)を出してほしい気もする。

古代アテネの民主政

2月 9th, 2017 Posted in 古典語・古典学系 | 古代アテネの民主政 はコメントを受け付けていません。

民主主義の源流 古代アテネの実験 (講談社学術文庫)橋場弦『民主主義の源流 古代アテネの実験 (講談社学術文庫)』(講談社、2016)をざっと読み。古代のアテネ(アテナイ)に民主主義が花開き、衰退していった一連の流れを、その基本的な制度の概要などとともに、軽妙な語り口で説き起こす良書。もとは東京大学出版会から1997年に出ていたものとのこと。いろいろと勉強になる。プラトンは僭主政→民主政→寡頭政→僭主政……というサイクルを描いていたけれど、それが実際のアテナイの変遷を反映していることがわかる。面白いのは、この民主政が、今風の選挙に立脚するものでは全然なく、むしろ公職者の責任を監視し追求することを基礎として立てられている点。そちらの側面こそが、この民主政の民主政たる所以ですらあるかのようだ。このあたりはまさに、近代以降の諸制度が見失った観点。同書の著者には『アテナイ公職者弾劾制度の研究』(東京大学出版会、1993)などの著書があり、もともとそちらの視点からのアプローチを取っているようだ。

もう一つ興味深いのは、わりと一般的に語られる、ペロポネソス戦争後にはデマゴーグがはびこるようになり、民主政が衆愚政へと堕したという話に、同書がまた別の見方を示しているあたり。まずデマゴーグは、民会での説得術を武器に台頭した、経済力もあるいわば新興勢力で、旧来の貴族的な保守勢力からはよく思われず、そのため散々に非難されていたのではないかという話。また当時(前5世紀末)は公職者の弾劾制度の整備が進み、彼ら新興勢力の責任追及範囲も拡大してきていたという話。そこにあったのは必ずしも衆愚政治ではなかったのかもしれない、ということか。結局、その民主政が消滅した原因についても、内的な変化によるものというよりは、前4世紀後半にマケドニアが軍事力をつけアテナイに進駐するようになって、いわば外圧によって廃止に追い込まれたのではないかとの「仮説」を提示している。これはなかなか説得力のある説のように思われる。